みど丸
みど丸
2021/02/19
壮絶な過去を描いたキッド編も至高
『クロちゃん』のなかでも存在感のあるシリーズと言えば異世界編だと思いますが、わたしはクロちゃんとマタタビの過去を描いたキッド編も同じくらい好きです。 幼いクロちゃんがボス猫ゴッチ率いるネコのシマに流れ着き「キッド」としてどう生きたのかが描かれています。 拳銃を持った猫狩り人間の襲撃、凶悪なカラス軍団との死闘、対立する猫組織との抗争、内部での権力争い、そしてマタタビとの因縁…。 激情と暴力にまみれた闘争の連続はさながらギャング映画を見るかのような迫力と緊張感がありました。銃撃戦も爆発炎上も全部見れますからね。彼らは常に生と死の狭間を命懸けで生き抜いているんです。こんなハードボイルドな猫たち『クロちゃん』にしか居ないですよ。 とりわけクロちゃんたちの兄貴分であるグレーがカッコイイです。ゴッチの組織のブレーンでありながら、危険な役目を率先して引き受けたり、いつも強敵の前に立ちはだかっていました。 キッド編とは別に最終巻で描かれたエピソードでも彼がフィーチャーされていたのが印象深いです。「お前に見せてやりたい」と自分たちの世代の落とし前をつけ、若者を先へ進ませようという姿勢が心に沁みました。 このグレーの姿がその後のクロちゃんの生き様に刻まれているような気がしていて、クロちゃんを語るときに無くてはならない存在だなと思います。 #マンバ読書会
mampuku
mampuku
2018/06/17
W杯なのでサッカー漫画史上屈指の名作を
 キャプテン翼と双璧を成す少年誌サッカー漫画の金字塔『シュート!』シリーズの最終章です。  これまで久保嘉晴や田仲俊彦を中心とした静岡の掛川高校が高校サッカーの頂点を目指すストーリーが描かれてきたが、ここへきて掛川のライバルとして神奈川県の久里浜高校と、もう一人の主人公・伊東宏が登場する。  突然の主役交代に面食らった読者も多かったと思われます(当初は結構賛否両論だった気がします…)しかしながら少年誌らしい真似したくなるようなダイナミックな試合描写だけでなく、現在でいうポジショナルプレーにも似た戦術論、デュエルの重要性、インテンシティの高い試合、身体的ハンディキャップにたいする理解の先進性、などなど15年以上前の漫画とはいえ今なおトップクラスに面白いと思える名作であることは間違いありません。  現代サッカー漫画との大きな違いは、Jリーグ発足前から続くシリーズだから仕方ない面もあるかもしれませんが、クラブユースの存在が全く無視されている点でしょうか。(※ただしこれはシュート!に限らずDAYSやエリアの騎士でも同様の傾向が。マガジン?樹林?)  現在の日本代表の攻撃陣は、香川・武藤はクラブユース出身、乾・岡崎は高校サッカーですね。ユース内での競争を描いた「アオアシ」、高円宮杯でクラブチームとの死闘を演じる「BeBlues」、ACミランの下部組織から昇格を目指す「ファンタジスタ」、ジュニアユース時代のライバルと天皇杯で激突する「フットボールネーション」…今や10代のサッカーを描くのに避けては通れないクラブユースをちゃんと絡めて描いて、且つマガジンらしい熱いサッカー漫画が読んでみたいですね。
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
2019/04/19
日本漫画界が到達した、ひとつの極点
です。 今も昔も、この高み(深み)にいったものは誰もいない。 間違いないです、ハイ。 以上、終わり。 …っていうので、本当は言いたいことのすべてなのですが、まあ、それもどうかと思うので、もう少し贅言を重ねます。 大島弓子は、どこにでもある、でも「特別な痛み」を、途方もなく切実に、軽やかに描いて、そして常に、魂を照らし温める「救い」へと、読むものを導いていきます。 漫画界に限らない、同時代の文芸や映像など「物語り」表現すべてを見渡しても、大島弓子に比肩する「文学的」深淵を描き出すことが出来たものを、ちょっと思いつくことができない。 この『ロストハウス』が、彼女のキャリアで特に優れた一冊だとは思わないのですが、いかんせん現在流通している本は再編集されたものが多く、初読時の印象を適切に反映させられないので、とりあえず。 あと、個人的に『ロストハウス』は、七十年代からずっと読んでいた大島さんの新刊として、刊行された当時なに気なく読んで(たぶん九十年代中盤)、自分が心から愛好する後続の同時代漫画家さんたちの作品と比べて、それこそ「ケタが違う…」と、打ちのめされた記憶がある、忘れられない本なのです。 「たそがれは逢魔の時間」が収録された花ゆめコミックス版『綿の国星2』が私的には最高なのですが、まあ、大島弓子はどれもメチャクチャ凄いので、どれでも良いんです。 『バナナブレッドのプディング』でも『四月怪談』でも『秋日子かく語りき』でも『毎日が夏休み』でも、とにかく1975年~1995年に描かれたすべての「物語り」が、唯一無二にとんでもなく素晴らしいので、未読のかたは、ぜひ。 (「サバ」や「グーグー」とかは、やっぱちょっと別枠で)
hysysk
hysysk
2019/12/28
数学の見方が変わる傑作
数学を得意とするキャラクターとしては「はじめアルゴリズム以前・以後」という分け方ができるくらい新鮮に、気持ち良くステレオタイプを裏切ってくれた。でもこれは単なる逆張りじゃなくて、仏教や俳句などにも親しんだ岡潔みたいな人達からのインスピレーションを受けたものだと考えられる。 天才というか独特のセンスを持った主人公が王道の数学を学ぶことで、いかに数学が数や式だけでない広い世界であるかが明らかになってくる。数学って何が面白いの?とか計算が苦手だから嫌い、証明とか訳分かんない、と思ってる人にこそ読んで欲しい。学生時代にこんな風に数学ができたら人生変わったと思う。 最先端の数学は一握りの天才にしかできないと言われるし、実際その通りなのだけど、根源にはこの世界をどのように認識するか、どう生きるかという問題があり、その人にとっての数学がある。だから誰だって安心して数学をすれば良い。失敗してもやり直せるし、天才には天才の苦労があり、凡人には凡人なりの役割がある。内田やミツヤ、大貫の生き方に勇気をもらえる人もいるはずだ。 数式や理論はちゃんと監修されていて、それらが生み出されたきっかけやモチベーションが自然にストーリーに組み込まれている。さらに巻末には現代数学の解説付き。これがデビュー作だなんて凄いなぁと思っていたが、作者は井上雄彦のアシスタントだったそうだ。次作も楽しみにしています。
影絵が趣味
影絵が趣味
2019/12/14
あまりにも強靭な物語は物語を止めて自然に還る
物語をひとつの凝固した結晶のようなものに例えるならば、物語ならざるものは水とか空気とか流動的で不定形なものに例えられるでしょう。 『はなしっぱなし』での商業誌デビュー以来、『そらトびタマシイ』、『リトル・フォレスト』、『カボチャの冒険』など、五十嵐大介はいちおうマンガ家という身分でありながら、物語の外へ外へと行こうとする傾向、物語ならざるものを描こうとする傾向があったように思います。それはペンタッチにも如実に顕れていて、一級の物語を量産した手塚治虫のガチッとしたペンタッチとは正反対に、絵がどこかへ漂いでてゆくかのような不定形なペンタッチをしています。まるで霧みたいな絵ですよね。 そんな五十嵐大介がはじめて物語と向き合ったのが『SARU』なんだと思います。猿、すなわち『西遊記』の孫悟空。いまも形を変えながら広く世界中で読まれ続けている中国四大奇書の『西遊記』は、三蔵法師が天竺を目指して旅をする明時代に成立した長編小説ですが、いまひとつ著作者がわかっていない。つまり匿名の物語なんです。物語の匿名性については狩撫麻礼の『オールド・ボーイ』にも詳しく書いたのですが、匿名の『西遊記』はしかし、実在したといわれる唐時代の僧、玄奘三蔵が記した地誌『大唐西域記』を基にしている。『西遊記』は『大唐西域記』の史実に則りながら、玄奘三蔵が旅した各地に伝えられた三蔵や猿にまつわる逸話を無数に盛り込んで、虚実入り乱れる一大伝奇小説に発展していったものなのです。 おそらく五十嵐大介はある時に気がついた、物語の外へ外へ行こうとするばかりではダメだということに。そこで物語の内部に入り込んでみた。すると物語はマトリョーシカのような入れ子構造になっていた。『西遊記』の基に『大唐西域記』があり、『大唐西域記』の実際の旅の行程が各地に伝説を残し、その残された伝説を吸収して『西遊記』が膨れ上がるといったように。 入れ子をひとつずつ外して内部に侵入するたびに匿名性が膨れ上がる。そして、ついに究極の匿名性に至ったとき、物語は作為的に凝固するのを止め、水や空気のような流動的で不定形な自然に還る。この自然を五十嵐大介は『SARU』で実現してみたかったのではないでしょうか。さらに『SARU』での試みは『海獣の子供』にも伝承という形で受け継がれていると思います。
さいろく
さいろく
2020/10/05
松本次郎を語るには外せない奇作(快作)
新東京都市では女子高生の形をした巨大ロボ、女子攻兵(以下JK)での戦争が繰り広げられている。 パイロットは軍人(おっさん)であることがほとんどだが、長い間このロボに搭乗していると精神まで女子高生になっていってしまい、精神汚染ランクが8になると電波を受信していもしないはずの友人や家族とケータイで連絡を取るようになってしまう(もちろんJK搭乗時にそれと話したりしてるわけなので巨大なケータイを使っているわけでもある) 近未来のようでケータイがガラケー型でJKのスカートの短さなどからも90年代後半のJKのイメージを松本次郎的にマッシュアップした戦争モノだが、巨大ロボ×JKというだけでもよくやったと言って差し支えない本作は、連載当時のバンチでも異彩を放つ作品だった。 精神汚染の原因はイカれてしまった汚染ランクの高いモンスター(元JK)との密な状況や接触であり、多くは物理攻撃によるJK自体への汚染が原因でコックピットにいる軍人(JK乗り)を巻き込んで汚染していくものである。 殺伐とした世界なくせにネオン街ではセーラー服を着たキャバや風俗が繁盛しているという割と救いようのない世界観だが、どこかドロヘドロのようなパンクさとMADMAXのような退廃・荒廃感を感じる。 あ、コッペリオンとも少し空気や設定も似ているとこがある。アイアムアヒーローもそうだ。つまりは世紀末感があるということだが、ここまで書いておいて松本次郎の作品でそれが感じられないのは「いちげき」ぐらいかもしれないw
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