pennzou
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2020/12/11
荒野から荒野へ
本作は『月刊ぶ〜け』(集英社)1985年9月号から87年9月号に連載された。初回掲載号の巻末にある編集室からのコメントで本作は「初の長期連載をめざした本格学園ロマン」と説明されている。ここから学園モノであった前々連載作『月下の一群』の好評(パート2が出るぐらい人気作だったようだ)を受けて企画された連載だと想像できるが、実際『月下の一群』の話数を越える長期連載となった。 それまでの作品で培われた技量や心理描写が存分に発揮された、初期の吉野先生の総決算的作品である。 幼い頃の狩野都は入院生活をしていた兄の目であり足であった。狩野は自分と兄の区別をつけられなかった。兄が亡くなる5歳まで、狩野は少年だった。女子中学生である今も、少年でいたいと願っている。狩野は黄味島陸と出会う。陸は5歳の狩野が少年のまま成長したような姿をしており、狩野は陸に理想の自分を見出す。理想の自分がすでに存在するのなら、現実の自分は存在しなくていい。そう感じた狩野は逃げ出す。陸を殺さないために。 これが序盤のあらすじである。以降は狩野だけでなく陸の内心も明かされ(陸もまた、複雑な内面を持つ少年である)、より広い範囲にリーチするテーマを持つようになる。 自分は少女だったことはない。だから何を言っても的外れになる気がする。ただ現実の自分という存在への疑問というのはきっと誰にだってある一般的なもので、それはいつまでも続くと思っている。すごく雑にいうと、「これ自分じゃなくても代替可能だなー、ならそもそもいなくても大丈夫じゃね?」みたいな感じ。 スペシャルになることがない人、言ってしまえばほとんどの人は、その問いに対する答えを持っていないはずだ。それがどうしたと問いそのものを蹴っ飛ばす、現実に在る自分を認める、ないしは諦めるかしかない。(もっとも、この問いが見えないぐらい他の事柄に追い込まれてるという場合もあるのだけど、それは本作で描かれる領域の外にある別の途方もない問題) (以下は既読者に向けて書いているので、知りたくない人は次の段落まで飛ばしてください) この物語の結末でも、狩野は逃避の果てに現実の自分だけが自分であることを受け入れざるをえなくなる。その表情から晴れやかさは読み取ることは出来ない。得られたのは「書き続けよう」や「書き続けたい」という自発的な意志でなく、「書き続けなければならない」という運命。荒野を冒険して行き着くのも、荒野なのだ。これは狩野よりうんと歳をとった自分の方が重々承知するところだったりする。吉野先生も『瞳子』(小学館、2001年)のあとがきで「年齢を重ねると少しずつ人生の謎は解けていきますが、だからといって不安が無くなるわけではないし、情緒が安定するわけでもありません。」と書いていた。 ではこの物語は、狩野の足跡は、何も意味がないものなのか? 以下はマーガレットコミックス版「少年は荒野をめざす」1巻(集英社、1995年)のカバー折り返しにある吉野先生のコメントの引用である。 「川の向こうで、自分と同じように不器用に、しかし必死に戦っていて、たまに手を振ると手を振り返している。対岸の戦友、『狩野』はそんな少女でした」 狩野は荒野にいる読者のひとりひとりに手を振っている。それが誰かの胸に深く届いて、荒野を行く・耐える力になる。自分はきっとそうあってほしいと願っている。 なお先述した「現実の自分いなくてもいいんじゃないか」問題、これについて答えは出せないと書いたが、実はひとつの解答が終盤でサブキャラクターにより語られている。この答えのやさしさはとても吉野先生らしいと思うし、自分に出来る最大限ってそれだよなと思ったりする。 絵について書くと、吉野先生的ベーシックが一旦の完成をみたのが本作だろう。冷たさを覚えるような、おそろしいほど美しく繊細な絵である。 特筆したいのが本作終盤に顕著なソリッドな線で、緊張感のある物語と合わさり特有の魅力がある。この硬質さは吉野作品ではあまり見られない傾向で、本作の独自性をより高めている。 余談ですけど当時の『ぶ〜け』はぶ〜け作家陣として内田善美先生や水樹和佳先生、松苗あけみ先生がいる上に、総集編にくらもちふさこ先生や一条ゆかり先生が掲載されているみたいな、画力の天井がはちゃめちゃに高い雑誌でした。そういう状況が吉野先生の絵をより研ぎ澄ましていったのでは?と自分は考えています。 本作で描かれる現実の自分/理想の自分といった一対、あるいは閉じた関係・世界は『ジュリエットの卵』や『エキセントリクス』など以降の吉野作品で度々取り上げられたテーマである。特に『ジュリエットの卵』は吉野先生自身がインタビューで「「少年は荒野をめざす」の主人公がわりと女を否定するところから描きはじめたキャラクターだったので、今度は全面的に肯定するところから描いてみよう」(『ぱふ』1990年1月号、雑草社)と語っているように本作での試みの変奏として描かれはじめており、発展的にこのテーマに挑んでいると思う。 他のテーマで見逃せないのが、時が経ち少年から少女・女に収束していく違和感や、女であるゆえに起きる問題への戸惑いや怒りだ。本作では狩野が陸から女として扱われない、しかし他人からは女として扱われてしまう、そのうまくいかなさを際立たせる意味合いが強いからか、切実ではあったが大きくはフィーチャーされていなかったように思う。このテーマは以降の『ジュリエットの卵』や『いたいけな瞳』収録の「ローズ・フレークス」、そしてなんといっても『恋愛的瞬間』……これらの作品で真摯に向き合われることとなった。 つまり、本作は初期作品の総決算であると同時に、以降に描かれるテーマの萌芽を含んだ作品で、吉野先生のキャリアを見通せるマイルストーンである。 個人的には、青少年期を扱ったこの物語自体が完成と未完成が両立する青少年的性質を持つ、この一致が色褪せない理由なんだろうなと思っております。うまく言えませんが……
くにお
くにお
2020/03/04
時事ネタ、野球などの話題が盛り沢山の忍者コメディ
川三番地のデビュー作「男ぞ!硬介」の次に描かれた1980年代の忍者ギャグ漫画。なぜ主人公を忍者にしたのかわからないほど無秩序でハチャメチャな学園ギャグとなっている。ダジャレの手数は非常に多いのだが、お世辞にもいずれのギャグも面白いとは言い難かった。(時代的な感覚の差もある…)決して「こいつら100%伝説」のような忍者コメディを期待しないように。 なので、ここではギャグ以外の部分で作品の魅力を伝えたいと思う。 (1巻)とにかく時事ネタが多い 80年代初頭に流行った商品や芸能人、スポーツ選手、CMネタなどが大量に使われてるので、時代の流行を感じることができた。(自分は半分ほどしか判らなかったが…) (2巻)アーチストリーグの思い出話、そして野球試合が描かれる アーチストリーグとは、水島新司先生を中心とした漫画家とその関係者の草野球大会の事。作者はもちろん、ちばてつや先生のチーム「ホワイターズ」 に所属していたと思われる。ギャグを交えながらではあるが、試合形式の野球マンガとして描かれている。後の「4P田中くん」「Dreams」など、名作のルーツがここにある。 (3巻)最終話の俯瞰図 最終話では大勢のキャラが登場するのだが、1ページの俯瞰で描くシーンはさすがの一言。大師匠・ちばてつや先生の息吹を感じた場面だった。
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ
2020/04/29
古事記から「藤原」を巡る秘史へ #1巻応援
藤原(中臣)鎌足の息子、史(ふひと)は朝廷で一官吏に甘んじていたが、大海人大王(天武天皇)より歴史書の編纂を秘密裏に命じられる。抜群の記憶力で叩き込んだ史文を、彼はある思惑から名を隠して口述する事に。しかし、倭語で筆記する者に正体を隠す為、止む無く女装をする。稗田阿礼と名乗る女装した史を見た筆記者の太安万侶は思わず言ってしまう……「愛(うつく)しい」と。 ◉◉◉◉◉ 歴史書とは「古事記」の事。梅原猛の「稗田阿礼=藤原不比等」説に「稗田阿礼女性説」を掛け合わせた感じのストーリーは、様々な秘密や疑問が折り重なった、多様な面白さが詰め込まれている。 女装を巡る秘密と太安万侶のドキドキはコメディとして。分かりやすくコミカルな神話語りは知的好奇心として。神話への思いがけない疑義は政治ミステリーへ……等々。 見所を沢山詰め込みながら、史の「中臣」への疑問は、「藤原」を巡る大きな秘密に向かって静かに、だが大きく進んでいく。 歴史を少し知っている人なら、家名を変えながら1200年もの間続く藤原家の権勢の、理由を知りたいと思うのではないか。始祖・鎌足の後、没落した藤原を再興した、史=不比等の存在にその根本理由があるとしたら……という大きな運命に、記憶力以外は割と真っ当な若者の不比等が今後、どのような心持ちで挑んでいくのか。 また一つ、嘘みたいな本当の様な、不思議に胸躍る歴史ミステリー(エンタメ要素もバッチリ!)が生まれてしまった……。
TKD
TKD
2020/09/22
『ジョジョ』の基本思想が詰まった始まりの部
大ヒット漫画『ジョジョ』の 記念すべき開幕を告げる部 ではありますが、 ファンの人でもわざわざ読み返すことは あまりないのではないでしょうか? 私の周りでも「1部が一番好き!」 という人は1人もいません。 確かにその後の部に比べて バトルも地味なものが多く 現代から見ると時代を感じるキャラクターが多いので若い人たちが見ると 物足りなさを感じてしまうのは 仕方ないことだと思います。 しかし、今回久々に読み返して 私はビックリしました! 第1部にはこの後30年近く貫かれ続ける 「ジョジョの基本思想」が 詰まっていたのですッ! それは3巻で語られる ツェペリさんの3つの教えです! ①相手の立場に身を置く思考。 ②「勇気」とは怖さを知ること  「恐怖」我がものとすること。 ③「成長」には犠牲が付き物  「犠牲」成長につなげられる人間こそ   美しい人間である。 おそらく『ジョジョ』はこの3箇条をもとに 作られているのでしょう。 相手の立場に身を置くことで、 敵キャラの造形を 細かく描写することができる。 そして、「恐怖」を我がものとする。 つまり、克服しようとするからこそ 「ホラー映画」に影響を受けた シーンづくりをする。 そして、ジョジョたちが犠牲を成長に つなげていくからこそこの漫画は 「王道」なのだと思います。 これらの基本思想があり、 そして、ジョナサンの正義漢としての描写も 少し過剰ではありますが、 キチンと入っています。 このジョナサンの過剰なまでの 「いい子」「正義漢」描写があったから 後のジョジョはどんなに不良でも ジョナサンの子孫だからという 土台の安定感から ヒーローとして自然に 読者に迎え入れられる のではないでしょうか? そんな感じで、あの『ジョジョ』の 始まりの部がただの旧時代の 漫画の訳がありません。 一回読んだだけで その後読み返してないという人は 是非一度読み返してみてください! 自分の好きな 『ジョジョ』のエッセンスが 生まれた瞬間を 何個も発見できると思います!
さいろく
さいろく
2020/01/28
いざ、メカメカしい妄想の世界へ
アニメ化の話題でもちきりだけどアニメ見てないのであった。 なぜなら私の家のHDDレコーダは多重録画が出来ず、その時間帯にはドロヘドロを先にセットしてしまっていたのである。無念。 そんなことよりまずは漫画を読んでもらいたい。 ジブリ(のメカ)が好き。 ガイナックス(というかエヴァでいい)が好き。 iPhone11をボトムズと呼ぶ。 そんな人はきっと現実世界での生活の中で妄想の世界が現実の上からフィルムを貼るように被さってくることがよくある、またはあったはず。 この作品は「それ」を上手く再現してくれていて、何より自分では出来ない「それ」は自分の中でも表現しきれないぐらいクオリティが高いものなのだが(妄想だから)その高いクオリティまでも再現するどころか上回って来てしまう。 そしてそういうシーンだけしかなかったら今敏のようなショートフィルムにはなるものの漫画として続かないので、もちろんちゃんと物語がある。 そこもまたとてもほっこりして良い。好き。 ともかく、漫画は「最初めっちゃ絵下手やんと思ったけど全然そんなことなかった、むしろ脳内で勝手にアニメーションするわ」ぐらい素晴らしいのでぜひ読んで欲しい。アニメを見るだけでは作者に続きを描いてもらうスタミナ回復に至らないのだ、多分。 そしてなんで今さらこれ書いてるかっていうと今週木曜(20年1月30日)に5巻が出るからです! 買って読む=蔵書に加えるという、自らが認めた証を作品に与えているという行為。皆様も認めた蔵書を増やす楽しみとそれを振り返る悦びを堪能しましょう。
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