mampuku
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2019/11/10
天才小説家・野崎まどが放つ極上の絶望
 伊藤計劃や虚淵玄、冲方丁らに比肩しうる「天才」野崎まどが放った"読む劇薬"こと超問題作『バビロン』シリーズ。原作小説は現在3巻までリリースされています。極めて理性的な論理展開によって人類・社会に「問い」を投げかけ、しかしその裏では巧みな伏線や布石によって読者の感情を手玉に取りやがて絶望と恍惚へと引きずり込んでいく。  地獄のような物語を書く、悪魔のような作家です。  とりわけバビロンのヒロインにして悪役(ヴィラン)である「曲世」は、これまで出会ったことのあるあらゆる悪役の中でもとびきり極上の絶望でした。 「だれでもいいから、早くこの化け物を撃ち殺してくれ」と願わずにはいられない。 【上巻読了時点の感想】  コミカライズ版もよくできてはいるけどもともと上下巻に収まるようなスケールの話ではないので結果的にはやはり超駆け足です。  原作小説を読み、賞賛し、胸糞悪くなり、反芻し、後悔し、やがてまた身体が「バビロン」を求めだすのでそうした頃にコミック版を手に取るのをおすすめします。 ※追記 ↑やっぱりおすすめしません。下に続きます
ナベテツ
ナベテツ
2020/05/31
きっと「青空」は変わらない
アメリカの痛ましいニュースが届いた日に、久々に単行本を手に取りました。黒人が明確に差別されていた時代の伝説のブルース・ギタリスト、ロバート・ジョンソン。 RJが生きた時代のアメリカでは、リンチが普通に行われています。それは人々の差別意識が社会における「常識」だったからです。当然、現代においてそれは否定されるものです。しかし、その意識というのは地下茎のように隠匿されているだけなのかもしれないと、悲報を聞く度に突きつけられているような気にさせられます。 ブルーハーツの永遠の名曲に、「青空」という曲があります。十代の頃にこの曲を聴いて、多少は他人に優しくなれただろうかと、四十代の中年は自省をします。RJの生きた時代も、空はきっと青かったのだろうし、100年先でも空は青いままだろうと。 作品についてあまり触れていないのですが、この作品は音楽マンガとしてもアクションマンガとしても歴史マンガとしても超一級の作品です(描くのが難しい作品であることも容易に想像出来るのですが…)。 どれほどの時間がかかろうと、この作品がきちんと完結することを願っています。 マンガとは関係のない蛇足ではありますが、故・石田長生さんがRJを唄った「汚職」という曲があります。悪魔との取引を「汚職」という言葉に込めた言葉のセンスの素晴らしさがとても光る曲なのですが、トリビュートアルバムでヒロトがカバーしていることも併せて記しておきます(「青空」は石田さんもカバーしてます。以下、本当に蛇足でした)
nyae
nyae
2019/12/26
いやホルモン多すぎ〜!
最強の姉・東村アキコを持つ漫画家・森繁拓真は、姉と編集の言われるがままにグルメレポ漫画を描くように指示される。 はじめは姉が店を決め、姉と編集と三人で食べに行き、レポートをするというスタイルだったが、ご存知の通り東村アキコは超多忙。そのうちに店だけ指示されてひとりで行かされたり、時には「たまにはお前が店決めろ」と無茶振りされたり…本書の趣旨の通り、いいなりゴハンだ。 他のグルメレポ漫画と違うのは、料理ジャンルに偏りがあること。バランス良く色んなジャンルのお店を紹介!という気持ちは微塵もない事が読むとわかるはず。 しかしそれで成立しちゃうのは東村アキコの力だと思う。たとえ連続でホルモン屋を紹介されても、全部美味しそうだから行きたくなる。 あとは、広くて濃い人脈を使ってゲスト作家も多数呼ばれている。弟の方も清野とおるや押切蓮介など癖の強い方面の作家と仲がよく、それによりマンネリせずに2冊いっきに読み切れる。 一部を除きお店情報もちゃんと載ってるので、単純に美味しいお店を知りたいという人にもおすすめできます。 個人的には、弾丸で韓国旅行に行くエピソードが好きで、本気で韓国まで焼き肉とフライドチキンを食べに行きたくなりました。近々実現させる!
影絵が趣味
影絵が趣味
2017/08/26
鎌倉に住みたい……
私事ながら、先日、夏の休暇に鎌倉へ遊びに行ってきました。一日じゅう海だ山だと方々歩きまわって、さいごは海岸の小さな橋に足をぶらんと投げ出して海と日没を拝みました。 帰ってきて翌日、そういえば、鎌倉といえば『海街diary』だったと思い立ち、本棚を漁って、およそ2年ぶりに頁をめくりました。連載のスピードがあまりに遅いのでしばらく放っておいたんですね。するとどうでしょう、鎌倉で目にした風景のあれやこれやが数頁に2,3度も描かれている。とりわけ、私がさいごに腰を落ち着けた海岸の小さな橋、これが何度も出てきてですね、しかも三姉妹それぞれの重要な逢瀬の場になっている。そのときは涙でぐしゃぐしゃになりながら読んでいたわけですが、後になって冷静に考えてみると、じぶんの無意識がおそろしいのか、すべては吉田秋生の手中にあるのか、それは分かりませんけども、とにかく場所の力というのは物凄いと感じました。この海岸の小さな橋以外にも、おなじ風景はたくさん描かれていて、しかも、違う人物がそこに居たりする。おそらく、それらの場所は、鎌倉において人がしぜんと足を止めてしまうところなのでしょう。 海街diaryを通して読んでいくと、とくに人の生死やお金にまつわる問題をめぐって、いかに人と人とが分かり合うことが困難か、というより、そもそも分かり合うことはできないけれどそれでも生きてゆく、というモチーフが繰り返し描かれているように思います。でも今回、鎌倉にじっさいに足を運んでみて、そんな人それぞれの胸の内の想いが、おなじ鎌倉の風景の下で人知れず交わっている、そんなことを考えると胸が熱くなってくるのです。
兎来栄寿
兎来栄寿
2018/01/17
死して後も残る価値を、この世に刻め『シュトヘル』
camera
『シュトヘル』は、自分が何の為に生きて闘うかを強烈に問うて来る作品です。 人は誰もが例外なく、死という絶対的で問答無用な消滅を迎えます。そこに至ってしまえば、それまでに築き上げた知識、技術、経験、財産、人間関係……全てがゼロとなります。
一方で、当人が鬼籍に入った後も、人の世の中で受け継がれて行くモノがあります。人の想いを紡ぎ、時代を越えて大きな影響を与え続けるモノがあります。
「それは百年先でも価値を持つか?」という問は物事を推し量る一つのものさしですが、百年千年と、人の寿命の何倍も何十倍も連綿と人の世に残り、その価値を受容されるモノというのは、ある種、人が人のままで人の領域を超えた部分に触れているようにも感じられます。
それは例えば書かれた物語であったり、描かれた絵画であったり、建築であったり思想であったり……勿論、漫画もその一つとなり得るでしょう。もし自分が死んでも、自分の遺したモノによって、どこかの誰かに感動や安らぎを与えられ、より良き未来を作る一助を担えたとしたら、そんな素晴らしいことはありません。
『シュトヘル』で描かれる高潔なる志と闘いを目の当たりにすると、自分もそういったモノに焦がれる気持ちを掻き立てられてしまいます。ただの歴史物とは一線を画す、魂に訴えかける叫びが聞こえて来るような漫画です。 
**一風変わった、歴史物** 『シュトヘル』の舞台となるのは、13世紀初頭のユーラシア大陸。
13世紀といえば、モンゴル帝国が歴史的な躍進と繁栄を遂げた時代です。
チンギスハンがモンゴル帝国を建国してから3年経った1209年から物語は語られ始めます。
モンゴルの末席であるツォグ族の皇子として育てられたユルールは、戦を好まず書に張り付き、文字を愛する幼い少年。そんな彼は、実はチンギスハンの息子です。一方、モンゴル族の頂点に立つ大ハンことチンギスハンは、ある理由から敵国・西夏の文字に対して異常とも思える程の憎悪を持っており、地上から根絶やしにしようとします。ユルールは、そうして西夏文字が滅び行くことを嘆き、憂いていました。煩悶の末、ユルールは兄を始め一族郎党を敵に回し、西夏文字を守る為の闘いを始めます。 正直、私はこの辺りの歴史に詳しくはありません。しかし、『シュトヘル』はそんなことは関係なく、それぞれの人間の感情に移入しながら楽しめますので、歴史物は今一つ苦手、という人も食わず嫌いせずにてに取ってみて欲しいです。 **文字を巡る物語** ユルールが文字に対して語る言葉に込める熱量は凄まじく、そして美しいものです。 > 文字は生き物みたいだ。
> 記した人の思い ねがいを伝えようとする。
> その人が死んでも文字は託された願いを抱きしめているようで… > 文字は、人を憶えておくために生まれた。遠くにあっても、時を越えても、人と人とが交わした心を伝え続ける……
だから心底美しい。
> おれはあこがれる―― > この文字でしかあらわせないものがあって、この文字でしかあらわせない心がある。おれはそれと生きている。 文字という物が如何に素晴らしい創出物であるか、それがどんなに人類にとって大事な可能性であるか……。幼くも透徹した眼差しを伴いながら、折に触れて語られて行きます。普通の歴史物や戦記物であれば、家族や恋人や友人や同胞、国や故郷を守る為に闘うのが王道です。しかし、ユルールはそうではありません。彼は文字を守る為に、もっと言えば未来に存在する人の持つ可能性の為に、兄や実の父をも敵に回して闘うのです。
他方、「今日を生きる者のためでなければ、死屍を越えては往けないのだ」と語る、ユルールの兄である勇猛な戦士ハラバルの気持ちも解ります。甘い考えは捨てて闘いに身を投じなければ、自らの一族を、女子供をも死の淵に立たせることになる。最も大切なものは今生きている人間であり、その為に自分は闘う。全くもって正論です。現実を受け止め、自らの責務を全うする彼も、主人公であっても良いほどに器が大きく、魅力的な人物です。
それでも、どちらにより憧れを抱くかと言われれば、私は圧倒的にユルールなのです。現実に向き合わない夢想と断じられたとしても、文字を通して生まれる奇跡のような感情の紡ぎ合いの暖かさ、ユルールが文字の力に感じる可能性は否定しようがありません。それは、「ガンダムUC」で「可能性の獣」と呼ばれた概念にも似ています。ある側面から見れば愚かしくすらありながらも、それでもより高貴なあるべき姿を追求しようとする人の心。私はそれは掛け値なしに美しいものだと思います。
西夏文字の総本山である、番大学院が焼き討ちに掛けられる時、その院長である吉祥山がハラバルとなす対話も秀逸です。 > 「殺し合いに明け暮れる者にはわからぬ。生涯をかけた仕事は命そのものになる。命をかけるべきものになる」 > 「命をかけるべきものがあるという言葉は病だ。この病が跋扈する度に大勢が死ぬ。この病の者は目の前の人間を見ない。人間をを道具とし恥じることもなく同胞・眷属を顧みない。…守るべき者を」 > 「――血や一族のみを守るならば人間は永遠に縄張りを奪い合うだけの獣ではないか」 このシーンはセリフだけでも痺れますが、それを語る表情、そしてその背後に映るものとモノローグによって示される、互いの想いの丈とそのルーツ、更にはその先で明かされる真実、全てが渾然となって心と魂に響いて来ます。それぞれにもっともだと思わせるものがある、確固たる信条のぶつかり合い、鬩ぎ合いは堪らなく面白いものです。
『シュトヘル』には、これ以外にも数え切れない程の名言や名シーンが溢れているので、苛烈な時代に生きる人々の熱き想いの数々を是非直に堪能して欲しいです。 **絵の魅力** 伊藤悠先生は、一枚絵も魅力的ですが、それ以上にアクションを描くことに秀でています。それは、全五巻以下の漫画で傑作を挙げるとすると往々にして名前の挙がる『皇国の守護者』でも証明して見せた通り。 静と動を巧みに使い分けて、これだけ動きを上手に表現できる女性作家は、とても稀有です。変形ゴマは少なく、長方形のコマが主なのですが、それでも動作が非常に栄えているのが特徴的。
ここまで全く名前を出してきませんでしたが、もう一人の主人公であるシュトヘルの獣のような動きの殺陣は、妖しくも美しいです。
そして、何よりも伊藤悠先生の絵で魅力的なのは、表情。 ゾクゾクするような相貌、射抜かれるような眼力が頻出します。もう、この魔的な表情の数々を眺めているだけで楽しめる位です。伊藤先生の漫画を読んでいると、表情の描き分けの大事さを思わせられます。その結果、シュトヘルになら噛み殺されても良いかも、と割と本気で思える程にキャラクターに魅力を感じていきます。あの荒川弘先生をして「投稿雑誌で伊藤先生のハガキだけオーラが違って当時からファンだった」と言わせるのも道理です。
  **『シュトヘル』という祝福** 13世紀のユーラシア大陸を舞台にしている作品というのは貴重で、そこで少年と美女と老人と大鷲が旅をするというシチュエーション一つとっても独特の魅力を持った作品です。又、喪われた文字を巡る物語、という題材だけでもロマンを掻き立てられる人もいることでしょう。 ユルールが本懐を遂げられず文字が完全に喪われていたとしても、どこかの誰かの未来のために闘った彼の覚悟と勇気が、時間や空間を越えて人の心を奮い立たせるでしょう。そして、あるいはその人が可能性として描いた理想の未来を作っていくのかもしれません。そうなれば、それこそ人に与えられた「祝福(ユルール)」ではないでしょうか。
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