sogor25
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2019/10/04
俺様系男子×鈍感系女子 主導権を握ってるのはどっちだ!?
ややポンコツ気味の女子高生・歩の前に現れたのは中学の後輩で勉強も運動もカンペキなイケメン・月(ルナ)。事あるごとにからかってくる月に抗いながらも振り回される歩の物語。 …というのが、タイトルや表紙、あらすじから読み取れる作品の内容。でも、実際に作品を読んでみると、思っていた内容とはちょっとだけ違う。 各話の序盤は歩の視点で、「月になんて負けない!今日こそやり返してやる!」→月に返り討ちに遭って結局からかわれる、という展開に。だけど、物語が進んでいくといつの間にか視点は月のほうに。 察しのいい方はお気づきでしょうが月は歩のことが好き。からかいも当然歩のことが好きだから。だけど歩は全然気付いてくれないどころか、最後には歩の無意識の不意打ちの言動で逆に照れてしまうことに。 そう!この作品は「からかい上手の高木さん」てたまにある、西片くんの何気ない一言で無意識の反撃を食らって高木さんのほうが恥ずかしがるっていうアレ、アレをいろんな場面、あの手この手で見せてくれる作品なのです! そこに気付いてから読み進めると、毎回いつの間にか攻守が逆転していく感じがたまらないし、歩視点から月視点へのシフトがすごくナチュラルに行われるから、男女両視点を余す所なく楽しめるから1冊で何度でも楽しめるラブコメになっている。 ちなみに私には、どちらも可愛いけど僅差で月のほうが可愛く見えることが多いような気がする。みなさんはどちらでしょうか?? 1巻まで読了
影絵が趣味
影絵が趣味
2018/11/03
目の錯覚という物語から遠く離れて
単行本デビュー作『家族のそれから』いらい、泣虫弱虫な人物を主人公に据えて、そんな人物像をなぞるかのように、奇妙な頼りなさで泳ぐ線画と、それに似合ってどこか芯の一本抜けてしまったように狂いがちのデッサン、こんな造形ではたして人間は直立することが出来るのだろうか、それこそマウンドでおおきく振りかぶり一本足になった途端にでも崩れ落ちてしまいそうな。 ひぐちアサの漫画はすべてこうした絵までを巻き込んだマイナス的な要素からスタートしているように思われる。と、そんなことを改まって書くまでもなく、漫画をはじめとした大体の物語なるものは何か欠如的なものがあるという認識からはじまり、その欠如的な何かを乗り越えるなり克服するなり、そんなような方向性に向かうこと必定である。では三橋くんはどうなのかというと、まず野球的な要素にだけ絞っていえば、初っ端からけっこう凄い能力をもった投手であることが明かされる。九分割のコントロールに、何よりもクセ球の真っ直ぐ。そして、このクセ球の真っ直ぐの原理も早々に説明される。いわく、打者というのは現実にボールを見ているのではなく、ある程度の経験と予測でもってボールの来るであろう位置をはかり、それでバットを振っていると。つまり別の言葉でいえば、打者はストレートという名のあらかじめ刷り込まれた定型の文脈、物語を読んでいるだけで、けっして現実をしかと見ているわけではないと。事実、三橋くんはそんなふうにして中学時代にはダメピー扱いを受けていたのである。中学時代のチームメイトは現実の投手三橋を見ていたのではなく、球の遅いピッチャーという物語を読んでいたにすぎなかったのである。 さて、この物語を読むばかりに現実を見誤ってしまう目の錯覚、これは私たち漫画読者にも当てはまりはしないか。読むという行為は時と場合によっては自分にとって都合のよい解釈にしかならないし、まさしく打者が三橋くんの真っ直ぐを打ち上げてしまうように紋切型の煽情的な物語に目くらましをされていることだって大いにあり得ることだと思う。『おおきく振りかぶって』のひぐちアサはそのことに始めから自覚的だったのではないか。この漫画はある欠如を克服する方向に持っていくという定型の物語を、目の錯覚という現実を介して、いきなり短所から長所に逆転させてしまうことからはじまり、長短でも、高低でも、正負でも、そういったいかにもありそうな物語的な対立を、けっして向かい合わせるのではなく、すべてみんなでいっせいに前を向いていこうする、それに対応する否定的な要素がみられないほどの断固たる肯定的な姿勢で乗り越えていく。その肯定的な姿勢とは、ありそうな物語を読むのではなく、しかと現実を直視しようとする試みに他ならない。三橋はあくまでも弱虫泣虫のままそれでもマウンドに立ち続けるし、田島は背が伸びないなりにそれでも工夫をし続けるし、花井は持前の勝負弱さを抱えながらそれでも強気な気持ちで打席に立ち続ける。マイナスがありプラスがあるなんて図式におさまらない、マイナスもプラスもいっしょになっていっせいに前を向こうとしている。『おおきく振りかぶって』がとても感動的なのは、ある種の物語的な感動から自由になったこの肯定の姿勢、この健気さ、この懸命さに尽きると思う。そして選手たちが正も負もないまぜにいっせいに前を向こうとしているとき、ふしぎと、そんなパワーに勢い押されているのか、狂いがちであったデッサンが芯の通ったもののように見えるのである。
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