みど丸
みど丸
2021/02/19
壮絶な過去を描いたキッド編も至高
『クロちゃん』のなかでも存在感のあるシリーズと言えば異世界編だと思いますが、わたしはクロちゃんとマタタビの過去を描いたキッド編も同じくらい好きです。 幼いクロちゃんがボス猫ゴッチ率いるネコのシマに流れ着き「キッド」としてどう生きたのかが描かれています。 拳銃を持った猫狩り人間の襲撃、凶悪なカラス軍団との死闘、対立する猫組織との抗争、内部での権力争い、そしてマタタビとの因縁…。 激情と暴力にまみれた闘争の連続はさながらギャング映画を見るかのような迫力と緊張感がありました。銃撃戦も爆発炎上も全部見れますからね。彼らは常に生と死の狭間を命懸けで生き抜いているんです。こんなハードボイルドな猫たち『クロちゃん』にしか居ないですよ。 とりわけクロちゃんたちの兄貴分であるグレーがカッコイイです。ゴッチの組織のブレーンでありながら、危険な役目を率先して引き受けたり、いつも強敵の前に立ちはだかっていました。 キッド編とは別に最終巻で描かれたエピソードでも彼がフィーチャーされていたのが印象深いです。「お前に見せてやりたい」と自分たちの世代の落とし前をつけ、若者を先へ進ませようという姿勢が心に沁みました。 このグレーの姿がその後のクロちゃんの生き様に刻まれているような気がしていて、クロちゃんを語るときに無くてはならない存在だなと思います。 #マンバ読書会
mampuku
mampuku
2018/06/22
テレビドラマ放送自粛のニュースを見て違和感を持った件について
 両親に虐待を受けた家出少女がストーカー男の部屋に匿われる話。少女にとってそれは偶然降ってわいた僥倖であり、壊れやすい薄氷の上に成り立つ「現実逃避」とわかっているから本音を隠して「お兄さん」に嫌われないように振舞う。お兄さんはそんな少女の気遣いを見て見ぬふりをする。二人の老成したやりとりを見て色々気づかされたり、癒されたりしながら、時々感動、時々ニヤニヤほっこりできる漫画だ。  「幸色のワンルーム」を読んでわりと好意的な感想を抱いた私としては、作品を批判して自粛に追い込んだ人たちはあらすじや作品紹介を一瞥しただけで反射的に批判しているのではないかと勘ぐってしまう。あるいは読解力の欠如によって「犯罪行為を肯定的に描いている」という作品の上っ面しか見えていないのではないか。そうだとしたらその人たちはフィクションを楽しむ才能がなく、不幸だと思う。 http://wezz-y.com/archives/55862  例えばこの記事では、誘拐された少女・幸を「これでもかというくらいにどこまでも哀れで孤独で無垢な美少女として設定されている」とした上で、二人のキャラクターを「性的搾取したい男性にとって都合のいいキャラクター」「孤独を抱える少女にとって都合のいいキャラクター」と切り捨てている。  だが、作者がどのような意図でキャラクター設定したのかはさておき、作品を読む限り彼女らは自らの意志と思考による判断によって動いているように見える。幸は決してお兄さんの言いなりではないし、彼女らは自分たちの身勝手を自覚している。誘拐したほうとされたほう、両者の心情や思考やコミュニケーションをぼかすことなく余すところなく一切の逃げを打たずに描写しているから、ただ単に変わったシチュエーションでの萌えるカップリング──吊り橋の上での恋愛を描きたいだけのポルノではないことはちゃんと読めば明らかだ。(そういう側面がないとは言わないし、それらもひっくるめて「都合がいい」と言われてしまえば何も言えないし、そういう人は都合の悪い話やノンフィクションばかり読んでいればいいと思う。エンタメは都合がいいから面白い。)  もう一つ議論の争点としてあるのが、この作品が発表された時期的に実際に起こったある事件に寄せて描かれたテーマであることは容易に想像がつくということだ。発表された作品が作られた背景にどんな経緯やら思想やらがあったかによって作品自体が断罪されてしまうことの是非が問われている、と言い換えてもいい。ただ「幸色」が単なる当て擦りで描かれたと受け取るか問題提起と受け取るかは読者の印象次第なのではないかなと思わなくもないし、後者なら「犯罪者を肯定する都合のいいポルノ」という批判自体が的外れなものになる。  最後に、エンターテインメントか社会派かという一次元的なものの捉え方が私は嫌いなので、こういう可愛い絵柄の漫画が萌え漫画の文法を用いて重いテーマを扱っても全く問題ないと考えている。「もっと社会派っぽい漫画だったら自粛にはならなかった」という意見をネットで目にする中、確かにそれはそうかもしれないが、同時にとても残念なことだと思う。
pennzou
pennzou
2020/12/11
荒野から荒野へ
本作は『月刊ぶ〜け』(集英社)1985年9月号から87年9月号に連載された。初回掲載号の巻末にある編集室からのコメントで本作は「初の長期連載をめざした本格学園ロマン」と説明されている。ここから学園モノであった前々連載作『月下の一群』の好評(パート2が出るぐらい人気作だったようだ)を受けて企画された連載だと想像できるが、実際『月下の一群』の話数を越える長期連載となった。 それまでの作品で培われた技量や心理描写が存分に発揮された、初期の吉野先生の総決算的作品である。 幼い頃の狩野都は入院生活をしていた兄の目であり足であった。狩野は自分と兄の区別をつけられなかった。兄が亡くなる5歳まで、狩野は少年だった。女子中学生である今も、少年でいたいと願っている。狩野は黄味島陸と出会う。陸は5歳の狩野が少年のまま成長したような姿をしており、狩野は陸に理想の自分を見出す。理想の自分がすでに存在するのなら、現実の自分は存在しなくていい。そう感じた狩野は逃げ出す。陸を殺さないために。 これが序盤のあらすじである。以降は狩野だけでなく陸の内心も明かされ(陸もまた、複雑な内面を持つ少年である)、より広い範囲にリーチするテーマを持つようになる。 自分は少女だったことはない。だから何を言っても的外れになる気がする。ただ現実の自分という存在への疑問というのはきっと誰にだってある一般的なもので、それはいつまでも続くと思っている。すごく雑にいうと、「これ自分じゃなくても代替可能だなー、ならそもそもいなくても大丈夫じゃね?」みたいな感じ。 スペシャルになることがない人、言ってしまえばほとんどの人は、その問いに対する答えを持っていないはずだ。それがどうしたと問いそのものを蹴っ飛ばす、現実に在る自分を認める、ないしは諦めるかしかない。(もっとも、この問いが見えないぐらい他の事柄に追い込まれてるという場合もあるのだけど、それは本作で描かれる領域の外にある別の途方もない問題) (以下は既読者に向けて書いているので、知りたくない人は次の段落まで飛ばしてください) この物語の結末でも、狩野は逃避の果てに現実の自分だけが自分であることを受け入れざるをえなくなる。その表情から晴れやかさは読み取ることは出来ない。得られたのは「書き続けよう」や「書き続けたい」という自発的な意志でなく、「書き続けなければならない」という運命。荒野を冒険して行き着くのも、荒野なのだ。これは狩野よりうんと歳をとった自分の方が重々承知するところだったりする。吉野先生も『瞳子』(小学館、2001年)のあとがきで「年齢を重ねると少しずつ人生の謎は解けていきますが、だからといって不安が無くなるわけではないし、情緒が安定するわけでもありません。」と書いていた。 ではこの物語は、狩野の足跡は、何も意味がないものなのか? 以下はマーガレットコミックス版「少年は荒野をめざす」1巻(集英社、1995年)のカバー折り返しにある吉野先生のコメントの引用である。 「川の向こうで、自分と同じように不器用に、しかし必死に戦っていて、たまに手を振ると手を振り返している。対岸の戦友、『狩野』はそんな少女でした」 狩野は荒野にいる読者のひとりひとりに手を振っている。それが誰かの胸に深く届いて、荒野を行く・耐える力になる。自分はきっとそうあってほしいと願っている。 なお先述した「現実の自分いなくてもいいんじゃないか」問題、これについて答えは出せないと書いたが、実はひとつの解答が終盤でサブキャラクターにより語られている。この答えのやさしさはとても吉野先生らしいと思うし、自分に出来る最大限ってそれだよなと思ったりする。 絵について書くと、吉野先生的ベーシックが一旦の完成をみたのが本作だろう。冷たさを覚えるような、おそろしいほど美しく繊細な絵である。 特筆したいのが本作終盤に顕著なソリッドな線で、緊張感のある物語と合わさり特有の魅力がある。この硬質さは吉野作品ではあまり見られない傾向で、本作の独自性をより高めている。 余談ですけど当時の『ぶ〜け』はぶ〜け作家陣として内田善美先生や水樹和佳先生、松苗あけみ先生がいる上に、総集編にくらもちふさこ先生や一条ゆかり先生が掲載されているみたいな、画力の天井がはちゃめちゃに高い雑誌でした。そういう状況が吉野先生の絵をより研ぎ澄ましていったのでは?と自分は考えています。 本作で描かれる現実の自分/理想の自分といった一対、あるいは閉じた関係・世界は『ジュリエットの卵』や『エキセントリクス』など以降の吉野作品で度々取り上げられたテーマである。特に『ジュリエットの卵』は吉野先生自身がインタビューで「「少年は荒野をめざす」の主人公がわりと女を否定するところから描きはじめたキャラクターだったので、今度は全面的に肯定するところから描いてみよう」(『ぱふ』1990年1月号、雑草社)と語っているように本作での試みの変奏として描かれはじめており、発展的にこのテーマに挑んでいると思う。 他のテーマで見逃せないのが、時が経ち少年から少女・女に収束していく違和感や、女であるゆえに起きる問題への戸惑いや怒りだ。本作では狩野が陸から女として扱われない、しかし他人からは女として扱われてしまう、そのうまくいかなさを際立たせる意味合いが強いからか、切実ではあったが大きくはフィーチャーされていなかったように思う。このテーマは以降の『ジュリエットの卵』や『いたいけな瞳』収録の「ローズ・フレークス」、そしてなんといっても『恋愛的瞬間』……これらの作品で真摯に向き合われることとなった。 つまり、本作は初期作品の総決算であると同時に、以降に描かれるテーマの萌芽を含んだ作品で、吉野先生のキャリアを見通せるマイルストーンである。 個人的には、青少年期を扱ったこの物語自体が完成と未完成が両立する青少年的性質を持つ、この一致が色褪せない理由なんだろうなと思っております。うまく言えませんが……
のれん雛
のれん雛
2020/08/29
灼熱カバディ、アニメ化決まったから改めてプレゼン書きます
テレビアニメ化も決まって、好評‼︎!&好調!‼︎ いつも最新話には予想外の面白さで驚かされてばかりです。 https://youtu.be/J_v6bG-ZUGk 改めてマイナースポーツ「カバディ」を題材とし、迫力ある作画&抜群のストーリーで読者を魅了する熱い王道スポーツ漫画、灼熱カバディのクチコミを書きます。 灼熱カバディの魅力を伝えたい!と思って過去にマンバさん主催のプレゼン大会に2回参加しました。その内容の一部を書きたいと思います。 【参考】 マンバプレゼン大会レポート2018年↓ https://note.com/manba/n/n36cdf65aa204 マンバプレゼン大会レポート 2019年↓ https://note.com/manba/n/ncc6660ba71c4 灼熱カバディの魅力として、 ①キャラクターがとても良い‼︎ ②高い共感性のある台詞が多い‼︎ ③誰かが誰かに影響を与える人間模様が凄い‼︎ を重点的にプレゼンしました。 ①キャラクターがとても良い‼︎は、 まず主人公である宵越君がとても良いキャラクターであると思います。 そもそも彼は最初カバディを知らずに、カバディを馬鹿にしております。カバディを好きな人にとっては敵のような存在が主人公なのです。 99%の読者もカバディのことをよく分かってないと思います。そのカバディを馬鹿にしている宵越君視点だからこそ知っていくのは新鮮で、読者は宵越君と一緒にカバディを理解でき、カバディの奥深さを知る要因になってると思います。 宵越君自身も一見斜に構えた態度をしてるキャラクターなのですが、いちいち笑ってしまうネタを沢山持ち、負けず嫌いと勝ちへの執着、その最善を尽くす姿は大好きになってしまいます! ②高い共感性はとてもあります。 どの話も素晴らしく、マンガや推しを愛したことがある人なら、ヒロ君の「すげー選手が見たけりゃ金を払うし、遠くにだって足を運ぶ。労力を使うモンだろ。」に共感を抱くと思います。みんなお金を払ってますし、労力を使ってますから!! また、最近個人的に面白いと思った話が名もなきキャラクターの視点回でした。この回で、数多くの読者が自分がした部活動を思い出し、思い出を語りました。 自分の経験がダイレクトに響く作品を読めるのは凄いと思いますし、面白いと思ったのは作者である武蔵野先生はインタビューで「熱い部活動とは無縁」と答えているのです。ビビりました…。 【参考】↓ https://comics.shogakukan.co.jp/news/11965 無縁であっても刺さる人(懸命に打ち込んだ人)に刺さる話を作れて、同じく熱い部活動に無縁の私もその物語を楽しめて嬉しいです。 ③誰かが誰かに影響を与える人間模様が凄い‼︎ これは誰と誰をピックアップしても多いと思います。同じ学年同士や先輩後輩だけではなく、「え?そこから?」とあったり、驚かされます。でも、まるで必然であったかのようにシックリ来るのです。変化を与え化学反応を起こす展開には鳥肌が立ちます。 この話をする時に、私は中心的にライバル校であり、2位の実力を持つ英峰高校3年主将神畑さんと、主人公高校の能京高校1年関君の話を出します。 カバディにはルールの一つに体重制限があり、減量に苦しめられている関君の話があります。同じく2m3cm高身長故に減量に苦しめられている神畑さんと関君は合宿編で話す機会があります。 合宿編で関君は神畑さんの仲間を想う「かっこいいところ」や試合で「汗もかけずに命を燃やす」姿を見ることになります。関君が減量に成功した描写は体型でわかるほど小さな描写でしたが、神畑さんの影響あって、成功したと自然にわかります。 また、大会で関君が活躍した時に、強敵との死力の闘いで思い出したのは神畑さんというのが、とても熱く、この描写は是非本編で読んでくれ!!!!!と叫びたくなります。 関君の台詞ひとつひとつに神畑さんのリスペクトがあり、最高です。 そして、これはほんの一つの例であり、もっと沢山の人間模様が展開されております。 以上、3つに絞ってプレゼンしましたが、まだまだ書き足りないことは沢山あります! 漫画としての面白さはもちろん、魅力的なキャラクター、夢中になるストーリー、驚かされる積み重ね、「どーやって勝ち上がるんだよ…」という強敵&絶望、納得できる展開、読了後の高揚感、数々の小ネタ、全てが詰まってる漫画、灼熱カバディです。 アニメがとても楽しみですね!!
ひさぴよ
ひさぴよ
2020/07/29
心にいつもニコボール
90年代の少年サンデーで連載していたゴルフ漫画。小さな少年・青葉弾道(通称ダンドー)がド素人の状態からゴルフを始めて成長していく物語です。ゴルフにそれほど詳しくなくても楽しめる作品です。 子供の頃に読んだ時は気付きませんでしたが、原作は風の大地の坂田信弘先生だったんですよね。今にして読むと坂田ゴルフ塾の教えが随所に散りばめられているのが分かります。 ダンドーという主人公は、ある意味、坂田先生の理想の少年像ともいうべき存在かもしれません。 誰よりも他人への思いやりがあり、健気なまでに努力家で、窮地に陥っても絶対に諦めず笑顔を絶やさない。その象徴として、ボールに笑顔を書いた「ニコボール」という存在があります。 試合では対戦相手の嫌がらせを受けたりして、毎度ピンチに陥るんですけど笑、このニコボールに思いを乗せたスマイルショット(ウルトラスーパーショット)を繰り出すのです。 たとえ非現実的なショットであっても、ニコボールという特別な想いの力で納得させてくれるのが最高ですね。こういう所が漫画の素晴らしいところだなあと思うのです。 また、ダンドーと同じくらい魅力的なプレイヤーとの出会いもあります。ダンドーの最初の師匠、新庄さんをはじめ、兄貴的存在の拓さんも忘れられません。拓さんのキャディーをダンドーが務めた全日空オープン編は、何度読んでも感動してしまいます。それと実在のゴルフ界のレジェンド、帝王ジャックニクラウスも登場し、ゴルフの奥深さを見事に示してくれます。 ご都合主義的なところもある漫画でしたけど、最後はダンドーの純粋さが全てをひっくり返してしまうパワーがあって何だかんだ好きな漫画でした。
banner
banner
banner