単行本1巻の第4話に描かれているノートを見て下さい。明音の行方不明は木村さつきの骨折の翌日、12日(日)となっています。
ご指摘ありがとうございます。
見直してみたところ、4話にも1話にも出ていました。
骨折の翌日に山小屋(観測所?)に行くのは難しそうです。
彼女がお泊り会で亡くなるのは分かっていますが、なにしろ子供だけで出来る事ではなさそうなので。
補足としての発言をさせて戴きます。
松竹で作られた「八ッ墓村」では、落武者狩りをした村に亡霊達が現れ、その呪いとして事件が起こっていました。
あくまでも補足です。
渥美清が寅さん以外の主演でヒットさせた作品ですよね。
もちろんきちんとした推理が行われていますが、観てみようかと思われた方はあくまでも(かなり強烈な)ホラー映画としての性格が強いですので、自己責任で行って頂けたらと思います。
できればあのワンちゃんは彼らのための良心としていつまでも元気にいてほしいけど
(2度とも何かをやらかした後に登場しているので)
あの犬の印象が、ペットや家族の一員と言う物よりも、自分達が飼ってやっているんだぞ!と言う存在な感じなんですよ。
個人的な意見なんですが、それ以上でもそれ以下でも無い感じです。
確かに二人とも犬に対して冷ややかな空気を感じますし、そもそも犬好きなら帰ってきた時に限らずコミュニケーションを求めているワンちゃんに対してスルーというのは不自然ですよね。だったらなぜ飼っている?と突っ込みたくなりますね。納得です。
絵は風速計でしたね
閉塞感でやきもきさせたり、今週のように情報の急展開があったりでメリハリのあるストーリーはなかなかの作者さんだなと思う。画力はあるし、景色や部屋の中の配置、筋立てとかなり綿密に練った上で描かれてるんだろうなと思う。登場人物も皆それぞれ個性的だし、疑いを持って見れば誰もがそれなりに怪しく感じられる要素がある。佐野でさえ最初いきなり犯人かと思えたり。読者のために仕掛けられたミスリードというワナに気を付けつつ進展を楽しんでいきたい。
元の世界でいうと、来月、3月に結婚する前後に明音行方不明、翌4月、新学期前に紀子は亡くなるが、苗字は佐々木のまま。結婚はしたのだろうか?そしてそんなタイミングであんなことをした翼、結婚したくなかったのに周りに急かされた中での欲求不満だったのか?
青酸カリに風向計とモノの在りかは次々に明らかになった。ただし青酸カリはなくなっている。しかも普段鍵のかかっている部屋から。効能はノートにもあるが、こんなにもだえ苦しむような薬品を自分に使うのは(もちろん他人に対してもだけど)想像し難い。
風向計はその形から、やはり男の子の関心を誘うデザインなんだなと思う。書いたのもまたそうなんだろうか。もちろん端っこに書いてるように「事件解明につながる手がかりなのか…」今のところ分からない。
ラジオニュースで言っている「妹の千夏ちゃんが事故で……」は昨年じゃなくて先月なんだけど……
この物語の中の男子生徒たちはみんなきちんと散髪して短くしてるので、加藤みきおの長い髪は目立って感じる。服装のセンス(いつもこの服装だったような)も合わせて、貧乏人の家庭の育ちなんだろうか。
生徒の中では、みきお君が一番怪しいが、最近は木村先生も怪しく思えてきた。
理由は、あまりにもお父さんと似ていなからです。
工場から毒物が無くなっているとは…。
これも佐野文吾が盗んだと、金丸刑事達が断定してしまっているのならば、あきらかに捜査ミスでしかない。
小屋に誰もいない。翼くんも自宅を出ているようで姿が見えない。なくなった青酸カリ。悪い方向に連鎖しているようにしか思えない。
心のノートを過去の人間に見せてしまうとタイムパラドクスが起こってしまう危険はあるが、当事者じゃない心が持っていても使いこなせないだろう
心が良かれと思って動けば動くほど、妙に核心に近いところでうろちょろするから怪しく見える。
田村心が動けば動くほど、警察官の佐野文吾が不利な状況になっている。
とりあえず絵が示す場所、小屋にはたどり着いたし何か遺留品は見つけるのだろうか?
しかし前半ではもう精神的に限界な三島夫妻から、後半ではまさかの金丸刑事(帰ったんじゃなかったのか!?)、どんどん動きにくく危険になるのは事実。ただ佐野が一緒に行動しているので、小屋の前での逮捕は免れたか?
事件から2日が経過したが、翌日が翼が言ってた3日後。「運よく見つかっても手遅れ」とはどういうことだろう?
明音行方不明の日に翼が心に鉢合わせた時のセリフだけど、あらためて読んで気になった。
「こんな小さい頃から明音ちゃんといた…
おしめ替えたり…
風呂入れたり…
面倒見て…」
こういう事って普通の親はよその人に任せないんじゃないかと思う。
親戚か、さもなくば、例えば親のいない子供として施設で一緒だったという関係なんだろうか。もしそうなら佐野家はあんなに親子が似た顔に描かれているのに、三島家や木村家がそうでもないのも説明できるし、ラジカセの前で犯行を語る人物が、小さな子供の死を皆が悲しむのを不思議そうに思っていたのも、そういう背景があるなら納得できる。音臼村はただでさえ若者や子供が少ない村なので、こういう形で子供を得るというのはあり得るかなと思う。ならば同じ背景で共に過ごした者同士考えることも分かるし、予言めいた絵も描けるかもしれない。
佐野はここに赴任して3年だけど、こういう背景があった場合に把握できるのだろうか。
……以上あくまでも1つの可能性の話ですが。
私もタイトルの「テセウスの船」について色々と仕事の合間等に考えていましたが、なおなおさんの考察はなかなか興味深いですね。
その流れならば、田村心がキツネのお面を被った子供と老婆と最初に出会った事に説明がつきますね。
ありがとうございます。
さらに想像を膨らませるなら、以前からダム建設の話があり、過疎化しているこの村がその候補となり、それに抵抗するべく皆でこぞって養子、養女を取っていた、というような過去があるなら、あちこちにそういう背景の子供や大人がいても不思議はないです。そうならあの犬の扱われ方はかつての彼らを象徴するようにも見えます。こうなると家族って何なんだろうというメッセージ性のある物語になりますが。