“その夜、誰もこっちを見ていず、誰もこっちを気にしていないバーで酔っ払ったぼくは、頼みというのは何かとタイラーに訊いた。タイラーは答えた。「おれを力いっぱい殴ってくれ」”
——チャック・パラニューク(池田真紀子訳)『ファイト・クラブ〔新版〕』(ハヤカワ文庫NV)より
アメリカの作家、チャック・パラニュークの代表作に『ファイト・クラブ』(96年)という小説があります。99年にデヴィッド・フィンチャー監督、エドワード・ノートンとブラッド・ピット主演で映画化されたことで有名です。
表題となっている「ファイト・クラブ」というのは、男たちが集まっては1対1で殴り合いをするという秘密の会合です。この会合は、生きている実感を得られていなかった主人公「ぼく」がある日、自分とは反対のような生き方をしているタイラー・ダーデンという男と出会って殴り合いをしたことに端を発するのですが、その際の有名なセリフが、冒頭の引用文となります。そして「ぼく」は”ファイトが終わったとき、何一つ解決してはいなかったが、何一つ気にならなくなっていた。”と不思議な満足感を得るのです。
今回紹介する『息をつめて走りぬけよう』は、その『ファイト・クラブ』に遡ること17年前、79年の『ヤングコミック』(少年画報社)に連載されていた作品です。その作中にはこのような描写があります。
これだけで気になった方は、マンガ図書館Zには広告付き無料であるので(https://www.mangaz.com/series/detail/207561)今すぐ読んで下さい。ちなみに「全3巻」となっていますが、元が全1巻だったのを3分冊したものなので量的には1巻分です。
本作の作者はほんまりう。漫画家を引退してから10年以上が経っていることもあり、現代読者にはあまり名が知られている方ではない人ではありましょう。というわけで作者紹介からしていきます。
ほんまりうは1949年、新潟県巻町(現・新潟市)生まれ。高校の頃までは特に漫画を描いてはいなかったものの、明治大学入学直後に、漫研の展示で1年先輩の絵に感銘を受けて入部し、漫画を描くことに。この先輩というのが誰あろうかわぐちかいじでして、画風が似ているのはこのためです(一番弟子みたいなもんですからね)。在学中、『ヤングコミック』に「海に出る蝶」、『コミックサンデー』(一水社)に「けんか太陽伝」をほぼ同時に発表しデビュー。以後さまざまな雑誌で活躍します。ちなみに娘さんの英治あかりさんも漫画家でして、つい先日出た単行本『世界一ぬい旅〜ぬい撮りしながら世界一周して来ました〜』では、表3側のカバー袖で父としてコメントをしています。
さて、このほんまりうという人はちょっと不思議な漫画家でして、約40年のキャリアの中で単行本になった作品(40作弱)のうち4分の3以上は原作付きのもので、内容は『真夜中のイヌ』(原作:関川夏央)のようなハードボイルドものから、「阿佐田哲也の未発表作品をコミカライズ」という触れ込みの『売人勝負嵐』(原作:梶川良。『麻雀ゴラク』での連載時タイトルは「ドサ健勝負嵐」。阿佐田から「許可を出してない」とクレームが入り急遽連載終了するも、タイトルと固有名詞を少し変えて単行本が出たという代物です。なお筆者が梶川氏にインタビューした際には「最初頼みに行ったとき何も文句言わなかったし、毎月原作料を10万円送ってた。怒るくらいなら突き返せばいいじゃないかと言ったら最終的にウヤムヤになった」とのことでした。その場で「その言が100%正しいとしても、「阿佐田の未発表作品」って触れ込みはあなたのフカシじゃないですか……」と突っ込みそうになってしまった)のような麻雀もの、高校野球をテーマにした傑作オムニバス『それぞれの甲子園』(原作:荒尾和彦)のようなスポーツもの、稲川会初代会長・稲川聖城をモデルにした大下英治の小説をコミカライズした『修羅の群れ』のような実録ヤクザもの、備中西江原藩→播磨赤穂藩主を務めた森長直の生涯を描いた『森一族』(原作:久保田千太郎)のような時代劇、頑固親父とその娘・純子が切り盛りするスナック・パフメリア(ロシア語で「宿酔」)で起こるささやかな事件を描く『不敵な純子』(原作:神保史郎)のような水商売ものまでと、多岐にわたります。そしてどれも水準以上に面白い(たまに、明らかに原作が破綻してるものがありはしますが)。これだけ見ると、絵を描くのに専念する職人型の漫画家に見えます。
しかし、ほんま読者が特に傑作と称える作品は、残りの4分の1……つまりオリジナル作品にあるのです。麻雀ものでなら、『近代麻雀オリジナル』で連載された80年代麻雀漫画を代表する傑作の一つ『3/4(よんぶんのさん)』とその続編『3/4それから…』、そして麻雀以外でなら本作です。例えば漫画家の箱ミネコ氏は、「私と少し上の漫画家世代の多くにはバイブル化されてた作品」と仰っています。
また、18年に亡くなった狩撫麻礼は、雑誌『ふゅーじょんぷろだくと』81年10月号の書評欄で本作を「優れた作品が総てそうであるように『息をつめて走りぬけよう』には、フィクションという形式をとりながらも、作者の絶望と希求と血の流れが切ないほどに息づいている」と称賛していますし、喜国雅彦『mahjongまんが大王』では、枠外で”『息をつめて走りぬけよう』は名作だ”とわざわざ描かれていたりします。
本作の内容について紹介していきましょう。第1話のタイトルが、「顔が悪い!頭が弱い!力が無い!」であるように、主人公・田村宗一はこの三拍子が揃ったいいところなし(作中では「デキンボ」と呼ばれます)の高校2年生です。70年代当時は、今よりもはるかにマチズモの呪縛が強かった時代ですから、彼は懸垂ができない姿を体育教師に「新巻鮭」とバカにされ、クラスメイトから嘲笑されたりする日々を送っています。
そんな彼ですが、クラスメイトの一人が失踪するという事件をきっかけに、同じような「デキンボ」仲間と出会います。
こうして、宗一は初めて高校内に友人と呼べる存在と、安らげる場所を見つけることができます。
とまあ、ここまでだとダメな少年たちのささやかな友情譚という感じです。しかし、現実は厳しい。彼らは不良にとってはいいカモであり、「裏写真を強引に売りつけられる」というような事実上のカツアゲを日常的に行われています。精一杯の勇気を出して「小遣いももうないし」とそれを断ると、「ピョンピョンハネてみな」「ポケットの中でチャリチャリ音がしてるのはなんだい?」と絵に描いたような昔の不良の恫喝を受け、
最終的には暴力によってあえなく屈してしまいます。
「オレ達に力がないからいけないんだ! 強く…強くなりてえよなァ…………」と絞り出すようにつぶやき、うつむく少年たち。
こうして彼ら四人は、
「顔が悪いのは——直らない 頭が弱いのは こりゃもう どうしようもない…… けど力が無いのは…………………」
「これだけはなんとかなりそうじゃないか」
「力があったら… いや もっとはっきり言おう ケンカが強かったら オレ達は みじめなデキンボを卒業出来るのじゃないか………」
という考えをよすがに、
「体育会系の連中から見れば こんなことはほんのお遊びにすぎないだろう」
「だけど お遊びだからこそオレ達は続けられた」
「1週間目で 少しダレたがヤメようとは誰も言い出さなかった」
「続けることで 少しずつ わけのわからない自信が腹の底にたまっていくような気がした」
と、通学前に2時間、腕立て伏せやランニングといった早朝トレーニングを行うのです。
こうして四人は、本稿の最初の方で引用した殴り合いを経て、「衣がえの日 オレ達の気分も もう1枚衣を捨てた」と、何かが前に進んだような感覚を得、最後の仕上げ的なものとして、自分たちをいじめてきた不良グループの一人に対しての襲撃計画を立てます。「デキンボ」仲間の一人である倉科(彼は実のところ顔と力はともかく頭は悪くないので「デキンボ」ではないんですが、代わりに別のコンプレックス(後述)を抱えています)がいまいち乗り気じゃなさそうなのに対し、「気がすすまないなら 抜けてもいいんだよ」「い いや オタク こんな事やる必要のない人間のような気がして……」「遊びじゃないんだ バカげたことかもしれないけど オレ達デキンボには必要なことなのさ」と、滑稽のようでも悲壮な決意を述べる宗一。
そして、『ファイト・クラブ』において、クラブが「ぼく」の思惑を超えて思わぬ方向へと転がっていったように、本作においても、この行動は宗一たちの想像を超えた方向へ転がっていき、物語は読んでいる方の息がつまるような展開を見せます。そしてその果てに宗一がたどり着く境地。ただただ圧倒されます。個人的には、「冗談だろ!?」「オレ達が今までしてきたことなんか 最初から全部冗談だったじゃないか………」というセリフも痛切に印象に残るところです。
最初の方で書いたとおり、本作は昭和の作品です。時代の空気を感じられる描写も多々あります。例えば、頭については本当はそう悪くない倉科は、その代わりに新潟という地方から東京(作中でどことは明言されていませんが、小田急線での通学が描かれていることから世田谷〜多摩方面と思われます)に転校してきたばかりで、そのことへ大きなコンプレックスを抱えています。
しかし、彼らの希求は時代を超えた普遍的なものと言えましょう。先述の記事で狩撫麻礼は「誰が彼らの発想を嗤えるだろう。これだけはなんとかなりそうな、なんとかなりそうなことはこれしかない四人の少年たち……」と書いています。「誰が彼らの発想を嗤えるだろう」、筆者も全くそう思います。
ちなみに、掲載の『ヤングコミック』は現在も雑誌が存在していますが、中身は成人指定マークなしのアダルト系なので、このような作品が掲載されていたことに驚く方もいるかもしれません。これは、80年代に一度潰れて数年の断絶があり、名前が同じ別雑誌として復活したという経緯があるからで、70年代の同誌はこのような作品が載っている劇画雑誌だったのです。上村一夫がずっと表紙を描き続けているなど軸になっており、ほんまりうの他にもかわぐちかいじや谷口ジローといった新人を発掘するなど、『ガロ』とは別の方向で漫画マニアの憧れ(現代で例えると『コミックビーム』『ハルタ』『青騎士』みたいなライン……ですかねえ)な雑誌だったんですね。あとこれは『地獄の戦鬼』の記事の時に書いておこうと思って忘れていたのでついでに書きますが、『ヤングコミック』での上村の初期連載作品(「江戸浮世絵異聞アモン」「くの一異聞」「怨獄紅」)にノンクレジットで原作書いてたのが西脇英夫氏の原作者デビューだそうです。「アモン」は上村一夫公式サイトだと「原作:佐野威」とクレジットされていますが、この方は途中で降りて、西脇氏と奥成達氏(1942〜2015。詩人でジャズ評論家で原作者で編集者で……とあまりに活動が多岐にわたる人。西脇氏の高校の先輩で、当時は二人で会社をやっていました)が代わる代わる書いてたそうで、この辺の作品で、古典落語がネタなのは西脇氏担当(氏は映画だけでなく古典落語にも造詣が深い)だそうです。ちなみに、この辺の話をインタビューで伺ってた時に、「『同棲時代』の原作書いてたのは岡崎英生(『しなの川』などの上村作品では原作としてクレジットされている、初期『ヤングコミック』編集者出身の人)さん」と聞いて「マジすか!?」とめっちゃビックリしました。
閑話休題。また、本作の単行本に併録(マンガ図書館Z版だと3巻目に相当)された連作「冬少年」は、ストレートに「男らしさ」から疎外される少年の話です。こちらの主人公・乙郎(おとお)は園芸店の息子で、花を愛で、レース編みをするのが趣味です。やはり体育教師からは「なんだおまえナヨナヨして… もっとシャンとしろ!」と「男らしさ」を強要されますし、
男のクラスメイトからはレース編みの本を借りていることをバカにされ、下を脱がされてペニスをもろ出しにされ「こいつこれでも男なんだ」と嘲笑されます(ちなみに女子のクラスメイトからは「カマオ」などと呼ばれてバカにされます)。
そんな彼が初めて自分のことを理解できる女性と出会いますが、しかし……。こちらも、やるせないラストがガツンときます。
ところで、本作は単行本が2回出ています。81年にブロンズ社から、86年に壱番館書房(当時存在した廣済堂出版の子会社で、桃園書房-司書房とか一水社-光彩書房とかと同様の、実質同じ会社の別名義。例えば老舗出版社がエロ漫画に手を出す際などに、別名義の子会社の看板使うというパターンがあったのです。一応別会社として機能させてるところからスタッフ完全に被ってて看板変えてるってだけのところまで幅はあるみたいですが、それぞれの内情まではすいません詳しくないです)から。現在出ている電子書籍版はブロンズ社版が底本です。
ただ、これにはちょっと問題がありまして、「冬少年」はブロンズ社版が出た後に2話追加されており、壱番館版ではこれが収録されているんですが、電書版はブロンズ社版が底本のために入っていないんですね。また、ブロンズ社版巻末解説「ほんまりうはハンサムである」(関川夏央)、壱番館版巻末解説「死に急ぐ子供たちへ」(西村弘美。この人は明大漫研の後輩で、『3/4』が連載されていた頃の『近オリ』編集長などをしていた方です)および著者後書きも入っていません。この辺が埋もれたままになってしまうのは惜しい。
というわけで、筆者が同人でこの辺りも完全収録した単行本を作りました。ほんま氏には以前インタビューに行っており、また、未単行本化作品だった『3/4それから…』を同人単行本化したことがすでにありましたし、西村氏にも過去にインタビュー行ったことがあるのでスムーズに行きました。関川氏はツテがなかったのでちょいと苦労しましたが、まあ色々頑張って許可を取りました。また本作、83年にTBSで「十七歳の戦争」というタイトルで単発1時間ドラマ(ディレクター:赤地偉史、脚本:西岡琢也、主演:尾美としのり)になっているんですが、そのシナリオでどう改変があったのかと、本作の雑誌掲載時と単行本化時で少しある相違についての編者解説をおまけで付けております。「十七歳の戦争」、シナリオの雑誌『ドラマ』(映人社)の83年3月号に脚本が掲載されているらしいことは知れたんですが、『ドラマ』、国会図書館には83年7月号からしか入ってないし、日本の古本屋で検索してみると、83年の12冊セット6000円しか売ってなくて頭を抱えましたよ。しょうがないので買いましたが。届いたあとで、こっちのジャンルに詳しい知人から「早稲田大学演劇博物館図書室にならあるかも」と聞き、蔵書検索したらどうもあったっぽいですが後の祭りです。とまれかくあれ、ドラマ版のシナリオは漫画からかなり改変されていることを確認できました。そして、使い終わった『ドラマ』83年1〜6月号は国会図書館に寄贈しました。国会図書館への寄贈、頒布額の半額+送料をくれる納本と違い、送料も含めて1銭ももらえないのですが、こんな悲しい思いをするのは俺で最後になってほしいからサ……。ちなみに7〜12月号については、演劇・映画系の古書店に買い取ってもらえるか訊いてみたら、「値段がつくのは10月号だけ。50円」とのことでした。
まあ、そうやって頑張って作った本なので、電書で漫画本編を読んでみて「紙で手元に置きたい」「電書に入ってない部分も読みたい」という方はぜひ買ってくだされ。損はさせません。
ちなみに、解説「ほんまりうはハンサムである」で関川氏は、
“そして読者諸君のつぎの仕事は、と僭越ながら言わせてもらうなら、再生パルプの迷宮から、ほんまの信じ難い作品群、とりわけ『与太』『真夜中のイヌ』そして『原色の街』(あの傑作「南与那国島」を含んでいる)を掘り起こし、読み、しかるべき評価を与え、記憶することだと思う。それらの作品を見逃すことははっきり損失と言い得るし、ほんまのように優れた描き手を孤独に追いやるのはまったく犯罪的な行為だと思う。”
と書いています。『真夜中のイヌ』は電書化(やはりマンガ図書館Zなどだと広告付き無料で読めます )されていますが、『与太』は青林堂から単行本こそ出ているものの絶版になって40年以上、そして読切連作シリーズ「原色の街から」に至っては単行本化さえされていません(シリーズのうちの一編「南与那国島」のみ、アンソロジー『明大漫研OB作品集』に収録)。
というわけで、このあたりも今後筆者が同人単行本化をしていきます。次は、「原色の街から」+αか、麻雀ものの「日和山グラフィティ」(単行本『東一局五十二本場』に阿佐田哲也作品のコミカライズなどとともに部分収録されているものの、未収録話あり)完全版+αのどちらかの予定です。関川氏の言葉を借りれば、「掘り起こす」ところまでの仕事は筆者がやるので、皆様には、読み、しかるべき評価を与え、記憶するという仕事をしていただきたい。「原色の街から」とかもべらぼうに傑作ですからね。筆者としては、ほんまりうという漫画家は不当に評価というか知名度というかが低すぎる、辰巳ヨシヒロくらい世界的に評価されてしかるべきと割とマジで思っているのです。
さて、今回はおまけとして、「個人でやる漫画復刊」講座も用意しています。それは後編にて。