ほぼ日刊イトイ新聞
上村 たくさんの方にお越しいただきましたが、 会場の皆さんの中にも、 「上村一夫展でなぜ糸井さん?」とお思いの方が いるかもしれないので、経緯からお話ししましょう。 上村一夫の没後30年という節目に 弥生美術館さんで回顧展を開催することになり、 ゲストの方をお招きしようとなりまして。 「誰にしようかな」と話していたところ、 糸井さんが「ほぼ日」で、父のことを 折にふれて思い出してくださっていたのが、 とても印象的だったんです。 糸井 そのあたりの説明を、 ご本人から話してもらったことがあります。 ぼくも似たようなことを思ってたんで、 上村さんに訊いてみたんですよね。 「上村さん、どうしてそんなに、 老人のさらに先みたいなお話をするんですか?」と。 そしたら「自分が老人の子どもだったからだ」って。 糸井 うん。そういう環境にいて、 おじいさんにかわいがられて育ったのが、 とても大きいんじゃないかと説明されてましたね。 上村 ああ、そうでしたか。 父は1976年に「関東平野」という マンガを描いているんですが、 35歳ぐらいで過去を振り返って、 ほぼ自伝のようなものを描いちゃったんです。 疎開先の千葉の風景も父が見ていた風景ですし、 そのマンガに出てくるおじいちゃんが、 たぶん、父のお父さんなんだと思います。 「関東平野」は、父のお母さんが 亡くなった年に描いたマンガなんですよ。 だから、お母さんに捧ぐ気持ちもあったのかなと。 今読んでもグッとくるんです。 糸井 もちろんです。 上村さんと知り合う前から読んでました。 上村さんのマンガは、「同棲時代」でも何でも オンタイムで読んでましたから。 いやあ、ぼくも同棲したくてしょうがなかったですよ。 上村 そうですか。それは、非常にリアルな声ですね。 糸井 今は、それが当たり前に見えてるから、 そうじゃない子は、オタクに走ったりする。 当時は、その辺が混然一体としていて、 モテる、モテないにも、運の要素がありました。
「愛はいつもいくつかの過ちに満たされている。もし愛が美しいものなら、それは男と女が犯すこの過ちの美しさにほかならぬであろう。そして愛がいつも涙で終るものなら、それは愛がもともと涙の棲家だからだ。」 冒頭から哲学的な文章で始まるこの作品。読んでいくうちに不思議と引き込まれる上村ワールド。 私はこの作品で初めて上村一夫作品を読みましたが、一つ読むだけでどっぷりハマること間違いなし。この絵と話のバランス、この人の漫画は別格です。 自分を確立させるために必死に主張する次郎と今日子の愛の物語。 同棲するということと、男と女の境界。草食系男子にはないであろう古い形の男性像ではありますが、親近感が持てます。 上村一夫の世界への第一歩としてもオススメです。