マンガ酒場【25杯目】酒飲みの業の深さに震撼!◎吾妻ひでお『失踪日記』

 マンガの中で登場人物たちがうまそうに酒を飲むシーンを見て、「一緒に飲みたい!」と思ったことのある人は少なくないだろう。酒そのものがテーマだったり酒場が舞台となった作品はもちろん、酒を酌み交わすことで絆を深めたり、酔っぱらって大失敗、酔った勢いで告白など、ドラマの小道具としても酒が果たす役割は大きい。

 そんな酒とマンガのおいしい関係を読み解く連載。25杯目は、酒飲みの業の深さに震撼する『失踪日記』(吾妻ひでお/2005年刊)をご紹介しておきたい。

『失踪日記』

 80年代にシュールなSFパロディギャグや文学的な美少女モノで一世を風靡した吾妻ひでお。マニアの間でカリスマ的人気を誇った作家が、ある日突然、すべての仕事を投げうって失踪し、路上生活、肉体労働、アルコール依存症を遍歴する。本書は、そうした迷走の日々を赤裸々に、しかし淡々と描いた実録コミックだ。

 拾ったシートや毛布にくるまって眠り、畑の大根(本人は「野生の大根」と主張)を盗み食い。シケモクを拾い、ゴミ袋を漁る。戦利品の生卵に天ぷら油を混ぜて自家製マヨネーズのできあがり。「野生のキャベツ」に拾った茎わかめの塩漬けを混ぜてビニール袋に入れ、尻に敷いて寝れば朝には「おいしい漬け物になっていた」って、生活力というかサバイバル力ありすぎだ。

 残飯漁りもみるみるスキルアップしていき、「どのゴミ捨て場にどんな物が出るか予測できるように」なる。食パンや中身の丸々残ったクッキー缶を拾ったかと思えば、クリスマスイブ後の生ゴミの日には鶏モモ肉をゲット。少し遠くに足を延ばして大手スーパーを発見してからは俄然リッチな食生活となり、失踪前より太ってしまったというからすごい。

 そんなホームレス生活に欠かせないのが酒である。酒屋の裏で未開封のワインボトル(賞味期限切れ)を見つけて大喜び。さっそくねぐらに帰って一杯やる。「でも今日は2杯だけにしとこ」と注いだカップを落としてしまい、あわてて拾うも大半がこぼれて少ししか残っていない。そこで注ぎ足すのではなく、自分で決めた「2杯だけ」を守りつつ、悔やみながら寝るのが酒飲みとしてあっぱれだ【図25-1】。

【図25-1】せっかくの赤ワインをこぼして悔やむ。吾妻ひでお『失踪日記』(イースト・プレス)p32より

 大事に飲んでいたワインも飲み切って、「酒のみてー」とうろついて見つけたのが花梨酒の空きビン。中に花梨の実がそのまま残っている。そこに水を入れて一晩おくと「花梨に染み込んだ焼酎が出てきてうまい」が、3回もやると「水……」って、そりゃそうだろう。

 またあるときは、分別ゴミの日に出されている酒ビンの底に残った1~2滴の酒を根気よく集める。その際、注意すべきは必ずビンの中のにおいをかぐこと。なぜなら「ときどき小便とかの危険な液体が入ってることがあるから」。そうやっていくつもの集積所を回れば、ウイスキー、焼酎、ジン、日本酒、ワインなど、いろんな酒が混ざった「あじまカクテル」の完成だ【図25-2】。「うん うまい!」「ホームレスでない人も一度試してみよう!」と言われてもさすがに試す気にはならないが、その酒への執念には感服するしかない。

【図25-2】酒ビンの底に残った酒を集める。吾妻ひでお『失踪日記』(イースト・プレス)p81より

 その後、なりゆきで配管工として働くことになり、もらった自転車が盗難車だったことから警察に捕まり、捜索願が出ていることが判明して家に帰る。しかし、本当にヤバイのはそこからだ。通いで続けていた配管工の仕事を人間関係の問題で辞めて漫画家に復帰したのはいいが、失踪中はあまり飲めなかった酒の量が増えていく。

 二日酔いで目が覚めて、食事もとらずコンビニで100円の酒を5パック買って路上で飲む。飲めば手の震えが収まり元気になる。公園で飲み、市民ホールで飲み、喫茶店のトイレで飲み、夕方にはベロベロになりながら一升瓶の焼酎を買って帰宅。そこからメシも食わずに飲み、寝酒を飲み、眠れずにまた飲む。寝ゲロを吐いて、翌朝はボロボロの二日酔い。そしてまた同じことを繰り返す【図25-3】。

【図25-3】アルコール依存症の一日。吾妻ひでお『失踪日記』(イースト・プレス)p150-151より

 吐いては飲み、飲んでは吐き、やがて幻覚が見えるように……。「幻覚が出ないようにするには酒を切らさないこと かといって翌日二日酔いでゲロゲロになる程飲み過ぎてはいけない」「でもある程度飲まないと眠れない この分量の配分がむずかしい」「朝2合 昼2合 夜5合 このペースで行こう!」って、合計したらほぼ一升だ。それでも飲み足らず、ホームレス時代のようにパックの底に残った酒をかき集め、結局、深夜にコンビニで買った酒を公園のベンチで飲んで寝てしまう。

 ここまでくると、もう後戻りはできない。手の震えを酒で止めて、道端で寝込み、幻覚に脅える日々。完全にアルコール依存症であり、ついには家族に連れられ入院することになる。状況としてはシャレにならないが、それを飄々とした笑いに昇華させるところが、ギャグ漫画家としての吾妻ひでおの真骨頂だ。多士済々な患者たちに対する観察眼が冴えわたり、病棟がまるで集団コントのように見えてくる。

 医師いわく「アルコール依存症とは不治の病気です 一生治りません ぬか漬けのきゅうりが生のきゅうりに戻れないのと同じです」。なるほど、うまいこと言うものだ。続編の『失踪日記2 アル中病棟』は、アルコール依存症の実態をさらに詳細に描く。併せて読めば、「飲み過ぎはやめよう」と心の底から思えるに違いない。

 酒は百薬の長というけれど、薬も飲みすぎれば毒。適量を楽しみましょう。

 

 

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