“ジャンル:翔丸”としか言えない漫画界の孤立峰—ハッタリ100%で構成された純・能條純一漫画『翔丸』

『翔丸』

 能條純一という漫画家がいます。71年にデビューし、70年代は主に成人向け劇画(当時は「三流劇画誌」などと呼ばれました。この頃は「農場純一」名義も使用)で活動するなど「女性を艶かしく描く漫画家」として認知されていましたが、85年に『別冊近代麻雀』(現・『近代麻雀』)で連載開始された麻雀漫画の金字塔『哭きの竜』で大ブレイク。

以後は『月下の棋士』『ゴッドハンド』『Dr.汞』など、カリスマ性を持った主人公を中心とした、男たちの物語を描くのが主となります。

2010年代以降は、現在連載中の『昭和天皇物語』など原作付き作品が多く、これはこれで普通に漫画力の高さが発揮されまくっている(伊集院静の同名小説をコミカライズした『いねむり先生』なんかは本当に良作です)のですが、やはりこの人の真骨頂はカリスマ性を持った男たちを描いたオリジナル諸作にあり、中でも今回紹介する『翔丸』(『モーニング』87〜89年連載)はその頂点に位置すると言ってよい大傑作にして大怪作です。

 本作のあらすじは、コミックス3巻ソデの登場人物紹介による主人公・竹田翔丸の紹介文がほぼ全てを表しています。引用しましょう。

“竹田翔丸 ずばぬけた頭脳と知略をもとに、暴力による社会制覇を狙う。日本の政財界の黒幕・神堂一とのゲームを楽しむがごとく、神堂一を翻弄する。ついには神堂を手に治め、事実上日本を己のものにする。”

 これだけ読むと、フィクションとしてはよくありそうな作品に思えるかもしれません。しかし本作が恐ろしいのは、このストーリーが、「ずばぬけた頭脳と知略」という言葉から想像されるような頭脳ゲームの類ではなく、ほぼ純然たるハッタリのみによって構成されているところにあります。翔丸が人々を自分の軍団・翔丸組の傘下に収めていくのに使う手は、身につけているカッターナイフで切りつけることによる「洗礼」と、「今なら間に合う 翔丸組に入るんだ!」というセリフ、本質的にはこの2つだけなのです。

『翔丸』2巻91ページより
『翔丸』2巻32ページより

 「何じゃそりゃ」と思われることでしょう。しかし翔丸はこれだけで、高校のクラスメイトからヤクザ、高級官僚に至るまでのあらゆる人を、「これ(翔丸にカッターナイフでつけられた傷)は私の宝です」と言わしめたり、「きみ達にとって翔丸組とはなんだ!?」と問われ「愛すること」「戦うこと」「……生きること」と答えさせたりするほどに心酔させます。

『翔丸』3巻127〜128ページより

 無茶苦茶です。ロジックもなにもない。しかし、この作品は恐ろしいことに、絵の力、多用される「——翔丸 後に語る」といったナレーション(ちなみに作者の言葉によれば、”翔丸の語る「後」とは、事件の起こった数時間後でも、数年後でもありません。カッターを持った天才は、一般的な時間を超えた地平に立って、物語を見おろしているのです”だそうです)、「それより一時間後 正確にいえば五十八分二十四秒後」というような際立ったネーム、それらが合わさって生み出される驚異的なハッタリ力によってわれわれ読者にそれを受け入れさせてしまうのです。

『翔丸』2巻119ページより
『翔丸』2巻151ページより。ちなみに、コマに映っている「神堂駅」というのは、ボス的存在である神堂一の本拠地である神堂市の駅で、彼は年に一度この街で「神堂祭」という祭典を行います。たぶん天理市みたいに後から街の名前を変えたんだと思う

 先述の通り、能條純一がブレイクしたのは『哭きの竜』という作品です。同作は、連載当初は方向性の定まっていない見切り発車的なものでした(第1話など読むと、竜は鳴かずにアガっていたりして、キャラがまだ定まっていません)。しかし同作の途中で、能條は突然漫画界でも屈指と言ってよいハッタリ力に目覚めるのです。例えば、竜の決め台詞である「あんた背中が煤けてるぜ」というもの。同作の闘牌原作を務めた土井泰昭(麻雀漫画には、大枠のストーリーに合うような麻雀シーンを作る闘牌原作という役職があり、同作では第2話以降、クレジットはありませんが土井が務めています。あとここでついでに書いておきますと、「能條は本作執筆時、麻雀のルールを知らなかった」という説が膾炙してますが、能條は本作以前にも『わたしは雀』といった麻雀漫画を2、3年連載しており、麻雀に詳しいわけではなかったことは間違いないとはいえ、ポン・チーも知らないようなレベルであったとは考えにくいです)によれば、これは土井が書いた時点では「あんた手牌が透けてるぜ」という麻雀漫画としてはオーソドックスなものだったそうです。それが原稿では「あんた背中が煤けてるぜ」に化けた。能條がカラオケで歌う十八番だという内山田洋とクール・ファイブ「東京砂漠」の歌い出し「空が哭いてる 煤け汚されて」にインスパイアされた(そもそもタイトルからしてこれが由来)ものではありますが、「よく分からないがとにかく異常にカッコいい」感を出すことに成功しており、これが作品の成功にもつながったと言ってよいでしょう。そしてこのハッタリ力を極限まで煮詰めた純・能條純一漫画とでも呼ぶべき作品が『翔丸』であり、読んだ人間は作中人物が「あんたも翔丸組に入ればわかる!!」「今なら間に合う 翔丸組に入るんだ」と言うのと同じように、「今なら間に合う、『翔丸』を読むんだ。あんたも『翔丸』を読めばわかる」と繰り返すよりなくなってしまうのです。

『翔丸』2巻30ページより

 本作、あまりに特異な作品故に後継作と呼べるようなものも存在せず、現在ではあまり知名度が高いとは言えません。ただ、小林まことが『What’s Michael?』で「ニャー丸」というパロディをやっていたり、片山まさゆきが『スーパーヅガン』で「唇組に入るんだ」というパロディをやっていたり、喜国雅彦が『Mahjongまんが大王』で「跳丸」というパロディをやっていたりと、同時代にはかなりのインパクトを与えていたことが伺えます。

 あと、本作の単行本には最初に出たモーニングKC版(全3巻。電書版もこれが底本)、分厚い全1巻のKCDX版、全2巻の講談社漫画文庫版の3種類がありますが、紙で集めたいという方にはモーニングKC版をおすすめします。なぜなら、裏表紙が最高だから……。

 

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