上田啓太さんによる、大人気シリーズ “『ドラゴンボール』に登場するベジータについての考察” 後編。これまでの考察については「前編」「中編」をどうぞ。
ベジータに関する話の後編である。
前編では、残忍な男として登場し、あらゆる命をゴミのように扱う初期ベジータを見た。そして中編では、悟空に敗北したことで劣等感をかかえ苦悩するベジータを見た。
今回は、作中最後のシリーズである魔人ブウ編を見ていく。前編と中編で提示したベジータの問題、すなわち残忍性と悟空へのコンプレックスは、ふたつの有名なセリフとして結実する。
「トランクス、ブルマを、ママを大切にしろよ」
「がんばれカカロット、おまえがナンバーワンだ」
どちらも名場面として語られることが多い。ベジータという男が葛藤の果てに辿りついた場所だからだろう。しかしまあ、あせる必要はない。まずは魔人ブウ編におけるベジータをゆっくり見ていくことにしよう。
魔人ブウ編の序盤、ひさしぶりの天下一武道会がある。悟空はセル編で死んでしまったが、武道会に出場するために一日だけ現世に戻ってくるという。当然ベジータも参加することになる。悟空と戦うチャンスだからだ。
パンチングマシンを叩くという茶番めいた予選もこなし、悟空との対決にそなえるベジータ。いよいよ悟空と決着をつける時が来たと期待している。しかし期待はすぐに打ち砕かれる。武道会の序盤で新たな地球の危機が発覚し、大会どころではなくなるからだ。ベジータとの対決を前にして、悟空はあっさりと大会を離脱しようとする。
前回、私はベジータの一方的なライバル視を「片想い」と表現した。ベジータは強烈に悟空を意識しているが、悟空はそれほど意識していない。今回もそれが明らかになる。ベジータは「オレたちの対決はどうなるんだ」と悟空に詰め寄る。地球の危機などどうでもいい、おまえと一対一の決着をつけたい、そのためにこんなくだらない大会にまで出たのだと。ベジータの執着は相当なものである。
しかし、これにたいする悟空の返答は、テキトーなものだ。
「わかったわかった
天下一武道会じゃなくても 後でぜったいに試合してやっから」
覚えておいてほしいことがある。人が本当に何かをわかった時、「わかった」を二度繰り返したりしない。面倒だからわかったことにしたい時だけ、人は「わかった」を二度繰り返すのである。悟空のこの発言はその場しのぎの思いつきにすぎない。それはベジータの指摘ですぐさま露呈する。
「くそったれ…
きさまは一日しか この世界にいられないんだろ……」
この瞬間のベジータは、たんなる口の悪い乙女である。ベジータは悟空以上に悟空の状況を把握している。そしてマイペースな悟空に振り回されている。悟空と戦いたい気持ちは空回りしてばかり。それが乙女としてのベジータだ。
しかし、乙女も度が過ぎれば狂気をはらむ。
ベジータの暴走と残忍性のゆくえ
コミックス38巻、ベジータは魔導師バビディにわざと操られることで、悪としての自分を取り戻そうとする。そのプロセスは鬼気迫るものである。ベジータは悟空たちの前で、武道会の観客をつぎつぎと殺しはじめる。すべては「悟空と戦うため」である。戦ってくれないなら観客を殺す。悟空はベジータと戦うことを了承するしかない。
荒野に移動して二人きりになった時、ベジータは悟空に言う。オレは地球でおだやかになっていく自分が気に入らなかった。昔のような残忍で冷酷な男に戻りたかった。バビディに操られることでその願いが叶った。残忍な自分を取り戻すことができた。おかげで今はいい気分だ、と。
悟空はニヤリと笑って切り返す。
「ほんとにそうか?」
悟空というのは不思議な人で、ベジータの気持ちに鈍感なわりに、肝心なところではあっさりと本質を突く。悟空はベジータの強がりに気づいている。今のベジータは「残忍な男」ではない。すでにベジータは優しさを知っている。ブルマという女と出会い、トランクスという子を持った。家族の存在がベジータを変えた。悟空はそのことを見抜いているのだ。
サイヤ人の王子ではなく一人の父親として
コミックス39巻、ついに誕生した魔人ブウに仲間たちはなすすべがない。ベジータはつぎつぎと攻撃をくりだすが、魔人ブウは傷ついた身体を一瞬で修復してしまう。このままではトランクスもふくめ、全員が殺されてしまうだろう。絶望的な状況のなか、ベジータは魔人ブウを倒す唯一の方法を思いつく。全エネルギーを凝縮して自爆することで、魔人ブウをこなごなに吹き飛ばしてしまうしかない。
自分が死ぬことを知った時、頭に浮かぶ相手がいるか。初期のベジータにはいなかった。「ほしいのにいない」のではない。「そんなものは平気でいない」のである。だからベジータは自分の命すらゴミのように扱うことができた。しかし今のベジータは違う。すでに彼には死の際に思いを寄せる相手がいる。自分の命は自分だけのものではない。自分の死後も愛する者が生きる。
「トランクス、ブルマを……ママを大切にしろよ」
「ブルマを……」と言ったベジータは、すぐに「ママを」と言いなおす。それは「トランクスの頭の中にあるだろう呼び名」である。この言い換えの自然さに、私はベジータの成長を見る。ブルマという女は、自分にとっては愛する妻であり、目の前のトランクスにとっては大切な母親だ。その関係のなかに自分はいる。関係のなかで、はじめて命は命としての価値をもつ。それを知ったベジータは、もう残忍であることができない。
ベジータはトランクスに対し、「一度も抱いてやらなかったな」と言う。「本当は抱いてやりたかった」ということだ。それを邪魔していたのは、サイヤ人としてのプライドだろう。死を覚悟したベジータは、サイヤ人の王子ではなく、ブルマの夫、トランクスの父として自己を定義する。だからこそ、トランクスに素直に言うことができる。「抱かせてくれ」と。
そしてベジータは、自分以外の者を避難させ、魔人ブウもろとも自爆するのである。
もっとも、この感動的な場面のあと、魔人ブウはあっさりと復活する。このあたりの展開は、いかにも鳥山明的なドライなものだ。ベジータが強い想いを背負って自爆しようが、勝てないものは勝てないのである。気持ちじゃ力の差を埋められない。それが『ドラゴンボール』という作品の、ミもフタもないところだ。
初期にあったベジータの残虐性は、こうしてひとつの結末を迎えた。では、中期に芽生えた悟空への劣等感は、どのように着地するのか。
長い片想いの終わり
コミックス42巻、悟空とブウの最後の戦いがはじまる。激闘を見つめるベジータは、ゆっくりと語りはじめる。そこで語られるのは、ベジータによる「自己分析」である。なぜ自分は最後まで悟空に勝つことができなかったのか。自分と悟空は、いったい何が違っていたのか。
ベジータの出した結論は、「勝つこと」と「負けないこと」の違いである。
ベジータには「最強の証明」が必要だった。「オレは誰よりも強い」と証明するためにベジータは戦い続けた。だからこそ悟空を敵視した。ベジータは悟空もまたそのように考えているはずだと思っていた。悟空も自己の強さを証明するために、自分が優れていることを知らしめるために戦っているのだろうと。
しかし、そうではなかった。悟空はそもそも、「勝つこと」にこだわっていない。ただ「負けないため」に戦っている。そのことに気づいた時、ベジータは「片想い」の理由を知る。自分のライバル心が一方通行にしかならないのは、悟空が自分を軽視していたからではなかった。戦う理由そのものが、自分と悟空ではちがっていたのだ。
強くあることと、相手を支配することは別だ。作中における「悪」とは、この違いを見失った存在のことである。「力」が「支配」に直結した時、「悪」が生まれる。ベジータが最後に気づいたのは、そのことである。強くあることと相手を支配することは関係がないのだと、誰よりも強くありながら「支配」という発想をまったく持たないのが、自分が勝つことのできなかった孫悟空という男なのだと。
こうして、長く続いた一方的なライバル関係は終わる。同時に、かかえこんだ劣等感も消える。
「がんばれカカロット、おまえがナンバーワンだ」
この言葉は、戦いの渦中にある悟空には届かない。それでいいのだろう。悟空はそもそも「誰がナンバーワンか」など気にしない男だ。この言葉は、ベジータが自分自身のために、言う必要があったものなのだろう。
その後、ブウに苦戦する悟空に、ベジータは元気玉を使うことを提案する。地球の人間たちからエネルギーを集め、そのエネルギーで魔人ブウを倒せばいい。この戦略は過去のベジータには絶対に浮かばないものだっただろう。ベジータは最後の最後で、すこしだけ「別の戦い方」を身に付ける。もっとも、地球人にたいする頼みかたが異常に下手であるところは、いかにもベジータらしいのだが。
そしてベジータは大人になった
最終回近く、ベジータはサイヤ人なりに老けた顔で、ブルマの隣に当たり前のように立っている。そして、あれだけ敵視していた悟空に、「おたがい我が子の軟弱ぶりには苦労するな」と自然に話しかけている。これはまさに、ひとつの「成熟」だろう。ベジータは大人になった。ライバルのすごさを受け入れ、妻と子を愛する自分を認めた。そこにもはや、初登場時の残忍な姿はない。
最後に、完全版での修正についてふれておく。
完全版では、コミックス版からいくつか修正されたコマがある。とくに大きな修正は、最終話の最後のコマだろう。コミックス版では鳥山明のコメントが入っていたコマが、完全版では武道会場におけるベジータのつぶやきに差し替えられている。そのセリフは「そのうちかならず勝ってみせるからな、カカロット」である。完全版では、すこしだけ「ベジータらしさ」を取り戻した姿が描かれているのだ。未読の方は、コミックス版と読み比べてみると面白いかもしれない。
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