許斐剛の描くかっこよさは、いつも微妙にズレている。その微妙なズレが、読者をますます夢中にさせる。「微妙なズレ」というのがポイントで、自覚的にズレたものを描くならば、ギャグ作家になるわけである。
許斐剛は「自分がかっこいいと思うもの」を読者にむかって投げる。それは受け手の出したミットの位置から少しズレている。受け手のミットの位置を予測して、ズレたところに放り投げるのがギャグ作家だとすれば、許斐剛は、全力で投げたボールがミットから少しズレているのである。
許斐剛の代表作といえば『テニスの王子様』だが、今回は『レンタルボディーガード COOL』という作品によって、許斐剛的かっこよさとは何かを考えてみたい。『COOL』は1997年に週刊少年ジャンプで連載された作品だが、短期間で打ち切りにあってしまう。そして1999年、次作である『テニスの王子様』が始まる。
その意味で、『COOL』は「ジャンプ打ち切りマンガ」ではあるのだが、同時に、大ヒット作である『テニスの王子様』の前身としても読むこともできる。そして許斐剛的なかっこよさ、許斐剛的としか言いようのないセンスは、この作品ですでに全開になっている。
『COOL』はどのような作品か?
『COOL』の連載当時、私は中学生だった。毎週、楽しみにジャンプを読んでいた時期である。当然、この作品もリアルタイムで読んでいた。いまでも覚えているが、友人たちとの間に「このマンガはなんなんだ?」という問いが生まれていた。それは「ざわめき」とでも呼びたくなるような反応だった。
「ラジカセでしゃべる」という設定は、はたしてかっこいいのか? バイクに乗りながら「クール! クール! クール!」と絶叫している姿は、はたしてかっこいいのか? 「クールがホットになっちまった」という決めゼリフめいたものは、はたしてかっこいいのか?
しかし、先走りすぎてはいけない。まずは簡単に内容を紹介しておこう。
主人公のクールは「レンタルボディーガード」である。料金は「時価」である。肩書は「トリッキー」であり、戦闘能力の高さではなく、機転やトリックを利用することで問題を解決していく。そして大きな特徴は、会話のすべてをラジカセで行うことである。クールが原則的に、作中で口を開かない。常にラジカセを使い、事前に録音したテープを再生して人と会話をする。この非常にぶっとんだ設定が、『COOL』という作品を妙に印象深いものにしている。
なぜクールはラジカセでしゃべるのか?
許斐剛の考えるかっこよさとはどのようなものか。それを「中学生男子が妄想する理想人格」としてみたい。「興味がない」と言いながら、あっさりと何かをやってのけること。「態度」と「結果」が完全に分裂していること。具体的に言えば、「全然勉強してないわ」からの「テスト100点」である。あるいは、「全然勉強してないわ」からの「テスト98点」からの「ふーっ、ケアレスミス」である。それが中学生男子の「なりたい人格」だとすれば、主人公のクールは、まさにそのような男として描かれている。
なぜ、クールはラジカセを使ってしゃべるのか? むずかしく考える必要はない。「そのほうがかっこいいから」である。基本的に、『COOL』という作品の設定は「だって、そのほうがかっこいいじゃん」のひとことで説明できる。
男子中学生は無口でありたい。しかし、ただの無口はたんなる暗いやつだ。無口でありながら、同時にすごいやつだとも思われたい。そんな複雑な欲望をみたすことができないか? 声帯をふるわせることなく自己アピールする方法はないものか? 許斐剛は知っている。ラジカセでしゃべればいいのである。
しかし、「この人、事前にセリフを録音してるんだよな」と思ってしまうのも事実。相手との会話を想定しながら、自分の部屋でラジカセ相手にぶつぶつとしゃべるクール。その光景を想像してしまうと、いまいちかっこよさを確信できない。これが許斐剛的な「ズレ」であり、中学生だった私と友人のあいだに生まれた「ざわめき」の正体である。
設定に見る男子中学生の欲望
どんどん設定を見ていこう。レンタルボディーガードには「パワー」や「スピード」もいる。ではなぜ、主人公のクールは王道に見えるこの二人ではなく、「トリッキー」という肩書を与えられたのか? もちろん、それがいちばんかっこいいからである。喫茶店のマスターは、クールを評して言う。
「人をビビらせて楽しんでるんですよ!! あいつもの凄い洞察力持ってるし……頭の回転速いから屈強な男でも手玉に取られちゃうんだよ」
短い説明に男子中学生をぞくぞくさせるキーワードが散りばめられている。男子中学生は手玉に取りたいし、洞察力をほめられたい。パワーとスピードの対立は小学生の世界である。たとえばパワーとは、うでずもうであり、スピードとは、かけっこである。中学生はその両方を卒業したい。中学生は頭脳の価値を知りはじめた存在だ。いいかげん、わんぱくの四文字は卒業したい。そこで評価されるのが「トリッキー」なのである。
なぜ、クールの料金は「時価」なのか? それがいちばんかっこいいからである。料金が高いほどかっこいいと考えるのは大人である。1万円よりは10万円、10万よりは100万円。これが大人だとすれば、「時価」にふくまれるニュアンスに興奮するのが中学生である。価格は「オレの気分しだい」なのである。
気に入らない相手には1000万だろうが1億だろうがふっかけるかもしれない。しかし、タダでいいと言うこともある。「おまえのことが気に入っちまった」からである。このスタンスが男子中学生を興奮させる。たんに高額を要求するのは銭ゲバである。しかし過度の低料金はたんなる卑屈だろう。高くても安くても納得いかない。このジレンマを解決し、カネに関する主導権を自分のもとへ引き戻すための設定こそが「時価」なのである。
なぜ、クールは物語が盛り上がってくると、ホットになっちまうのか? 「根っこのところでは熱いヤツ」だからだ。男子中学生は冷静さを獲得した。しかし、いまだ小学生的な熱を秘めた存在でもある。自分はもう、ただのホットではありたくはないが、たんなる冷たい人間になりたいわけでもない。ここぞという場面では、内側で燃える炎を出してしまいたい。すなわち、ホットになっちまいたいのである。
こうした様々な設定が、男子中学生の欲望をヒットする。「トリッキー」であり「時価」であり、「クールがホットになっちまった」である。
では最後に問おう。なぜ、クールはバイクに乗りながら「クール! クール! クール!」と絶叫しているのか?
これに関しては、わかりません。許斐剛のセンスです。さすがにお手上げ。