野球マンガは実際よりもサヨナラゲームが多いのか

日本のメジャースポーツといえば、野球。
日本FP協会集計の「将来なりたい職業」ランキングでは、第3回の2009年度以降で小学生男子の3位以内から野球選手が落ちたことはありません(第1回、2回は男女混合集計)。
野球のニュースも、様々な媒体が一年中発信しています。

マンガの題材としてもポピュラーで、数多くの名作を生み出しています。
スタープレーヤーのずば抜けた実力。
訓練によって培われた連携プレー。
ベンチ間での緻密な情報戦。
様々な要素で、私達を楽しませてくれます。

中でも特に劇的なのが、拮抗した状況を打ち破るサヨナラゲームです。
サヨナラゲームとは、「後攻チームが、最終回または延長回の攻撃において、決勝点を上げると同時に終了する試合」(『wikipedia サヨナラゲーム』参照)を指します。
その特徴は、強烈なコントラスト。
勝った方は弾けるような喜びに包まれ、負けた方は呆然と肩を落とす。
そんなスポーツの残酷さを突きつけるような結末は、見る者を非常に惹きつけます。

そこで、私は思ったのです。
「野球マンガと実際の野球のサヨナラ勝ちの割合って同じくらいなのかな?」と。
実際の野球では、サヨナラゲームなんてそうそう見ない印象です。
様々な条件が揃わないとなりませんからね。
その点、マンガはそういった条件を作者が操作できる分、サヨナラ率も変わるのではないでしょうか。
現実ではありえないような逆転勝ちだって描けるわけです。

(『逆境ナイン』5巻 78p 参照)

実際に、『逆境ナイン』というマンガでは、9回表の時点で109点差あったのを引っくり返して主人公達が勝利した試合があります。
めちゃくちゃです。
ただ、不思議な感動がこみ上げてくるのも事実です。
そんな熱くなれる展開を、マンガ家はもしかしたら多用しているのかもしれません。
もしくは、大事な試合の演出に取っておくため、実際よりもサヨナラ率を少なくしているかもしれません。

今回は、野球の中でも高校野球に絞って、現実とマンガのサヨナラゲーム率を比較してみたいと思います。
高校野球だけにする理由は、高校野球を題材にしたマンガがプロ野球のものよりも豊富にあることで、比較しやすいという点が一つ。
2018年で全国高校野球選手権大会が100回を迎えるという、記念すべきタイミングだからというのがもう一つです。

現実の高校野球の集計

まずは、「野球マンガと高校野球のサヨナラ率は同じである」という仮説を立てて、これを否定できるか調べてみたいと思います。
アプローチは、それぞれの比率を比べる方法(母比率の差の検定※2つのデータに対応がない場合)を採ります。

そのために、現実の高校野球のサヨナラ率から集計します。
サンプルとして、第99回夏の地方大会と全国大会のデータからサヨナラ率を出します。
「ノーゲームはカウントしない」「引き分け再試合は2試合とみなす」ルールで計算しました。

結果は、地方大会のサヨナラ率が約5.9%(サヨナラ223試合、非サヨナラ3571試合)で、全国大会が約6.3%(サヨナラ3試合、非サヨナラ45試合)でした。
合算すると、約5.9%(サヨナラ226試合、非サヨナラ3842試合)になります。

次に、個別に野球マンガのサヨナラ率を見てみましょう。
試合数の多い方が統計上のブレが少なくなる関係で、試合数の多い長期連載を優先的にチョイスしています。
野球マンガでは、「サヨナラゲームか否か確定している試合のみカウント」「公式戦以外もカウント」のルールです。
中学野球、プロ野球と話の続くものは、高校野球の期間だけを集計しています。

タッチ・H2編

まずは、野球マンガの金字塔の一つ、『タッチ』から攻めました。

『タッチ』は、『週刊少年サンデー』に1981年から1986年まで連載された作品です。
野球の話ではあるのですが、双子とその幼馴染を中心とした人間模様の繊細な描写に大きな魅力があるため、野球のことを知らない読者も楽しく読むことができます。
アニメ化やドラマ化もされています。

サヨナラ率は、約28.5%(サヨナラ6試合、非サヨナラ15試合)でした。
試合数が少ないとはいえ、現実よりも高い数字に着地しました。

(『タッチ 6巻』153p参照)

ハイライトとしては、やはりかっちゃんの最終試合でしょうか。
地区大会の準決勝で格上の西条高校相手に、健気な努力で勝利を掴み取っていく姿に心を打たれます。
このときのサヨナラ勝ちによって、「よかった、かっちゃんの夏はまだまだ終わらないな」と一旦読者を安心させるのが憎いです。

因みに、同じ作者のH2では、ぐっと現実に近づいてサヨナラ率は、約9.6%(サヨナラ5試合、非サヨナラ47試合)になります。
『タッチ』時代よりもさらに技術が洗練され、サヨナラゲームに頼らなくても面白い試合が描けるようになった印象です。
こちらも名作中の名作です。

(『H2 22巻』44p参照)

驚いたのは、2年生の夏に主人公たちが逆転での負けを喫しているところでしょうか。
しかも、甲子園二回戦という意外なタイミングで。
このとき私は、主人公のチームが徐々に追い詰められていって「まずいぞまずいぞ」とハラハラしつつも、
「でも、結局主人公たちが逃げ切って勝つんでしょ?」と高を括っていました。
そんな読者の思惑の裏をかくことで、作品に厚みが増しています。

甲子園へ行こう!・砂の栄冠編

次は、三田紀房の初期作『甲子園へ行こう!』を見てみます。

『甲子園へ行こう!』は、『週刊ヤングマガジン』に1999年から2004年まで連載された野球マンガです。
平凡な公立校のピッチャー、四ノ宮の成長を中心に描いています。
いわゆる「普通の高校生」が地道な努力で武器を磨き、徐々に力を付けていく姿に共感が生まれます。

サヨナラ率は、約18.1%(サヨナラ4試合、非サヨナラ18試合)でした。
連載開始直後に二試合続けてサヨナラ勝ちしたのが響いた格好です。
連載が打ち切られないために、初期に劇的なサヨナラ展開を投入して惹きつけるという作戦にも見えます。

(『甲子園へ行こう!』18巻 201p 参照)

この作品のショッキングなところは、最後の試合で完全試合で負けるという点です。
ある意味、サヨナラ勝ちよりも劇的な終わり方です。
登場人物と一緒になって甲子園を夢見ていた読者に、現実の壁を見せるような演出で、非常に興味深いです。
相手は春夏連覇を目指すチームのエースで、ほとんど付け入る隙を与えませんでした。

と同時に最終話は、そこからの立ち直りを含めて人生だぞということも示唆する終わり方になっています。

同作者の『砂の栄冠』のサヨナラ率は、なんと『甲子園へ行こう!』と同じ約18.1%(サヨナラ4試合、非サヨナラ18試合)でした。
巻数自体はこちらの方が多いので、1試合1試合が長くなったのでしょう。
『砂の栄冠』では、他の三田作品と通ずるテーマ(「常識を疑え」「戦略を立てろ」など)がより色濃く出ています。
主人公の性格も、純朴な青年風だった『甲子園へ行こう!』の四ノ宮と比べて、より強くなっています。

MAJOR編

野球の長期連載といえば、『MAJOR』は外せません。
『週刊少年サンデー』で1994年から2010年まで連載されました。
高校野球のみの適用で、今回はコミックス24巻〜47巻の範囲で集計します。
このマンガは、一言で表すと「天才が無茶をし続ける」マンガです。
野球の才能に溢れたピッチャーの茂野吾郎が、持ち前のエネルギーで次々と苦境を跳ね返し、それと同時に災難を呼び寄せます。
チームメイトや関係者も吾郎に振り回され続けるのですが、「まあ、吾郎だから仕方ないか」で許してしまえる不思議な魅力があります。

サヨナラ率は、約23.0%(サヨナラ3試合、非サヨナラ10試合)でした。

(『MAJOR』46巻 165p 参照)

特にコミックス46巻のサヨナラボークが印象的です。
因縁深い(勝手に因縁を作った)海堂学園高校が相手でした。
足の痛みを隠して、無茶な当番を続ける茂野吾郎は、延長12回にしてとうとう力尽きます。
これが吾郎の高校編最後の試合となってしまいますが、本人は全く後悔していない様子でした。

ダイヤのA(エース) ダイヤのA act2編

今、最も中高生の人気を集めている野球マンガの一つは、『ダイヤのA』でしょう。
『週刊少年マガジン』で2006年から2015年まで第一部が連載され、完結。
その後、同年から第二部にあたるact2が連載中です。
スポーツものによくある精神的な部分の重要性を描きつつも、
理論的な裏づけのあるトレーニングや選手起用もバランスよく盛り込んであるのが特徴です。

サヨナラ率は、第一部が約13.5%(サヨナラ5試合、非サヨナラ32試合)で、二部が約3.0%(サヨナラ1試合、非サヨナラ32試合 ※2018年4月時点の既刊11巻まで)でした。
リアル志向だけあって、他の作品よりもサヨナラ率は低めに抑えられています。
特に二部の低さが際立ちます。

(『ダイヤのA』 22巻 46p 参照)

ただ、ストーリーのターニングポイントになる試合では、サヨナラゲームの劇的な効果をうまく使っています。
主人公の沢村が1年生のときの夏の試合では、今後最大のライバルになると思われる稲城実業に残りアウト1つからサヨナラ負けを喫しました。
このときにプレッシャーに飲まれてデッドボールを与えた経験が、一時沢村の壁となりましたが、同時に新たな武器を獲得する機会にもなりました。

周りの先輩や監督がよく選手のことを観察していて、適切にサポートしてくれるんですよね。
長期に渡って野球の強豪校として名を馳せているだけあって、優秀なスタッフが揃っているなと感じます。

プレイボール編

『プレイボール』は、『週刊少年ジャンプ」で1973年から1978年まで連載された野球マンガです。
同作者の『キャプテン』のスピンオフとして、初代キャプテン谷口タカオの高校時代を追った作品になります。
素朴で暖かい絵のタッチと、70年代の街並みが相俟って、味わい深い雰囲気を醸し出します。
私の好きな作品の一つであり、マンガの重箱でもピックアップしたことがあります。

サヨナラ率は、約18.1%(サヨナラ2試合、非サヨナラ9試合)でした。

(『プレイボール』15巻 141p 参照)

コミックス15巻の聖陵高校との試合は、『プレイボール』の特徴を顕著に現しています。
格上の相手にボロボロになりながら粘りまくって、相手のプレーに綻びを見つけ、そこから執念で勝ちに持っていくスタイルです。
あまりに壮絶な試合に応援を通り越して、「もういいでしょ、休みなよ」と声をかけたくなります。
最初は余裕だった相手のエース岩本が、焦燥させられて心のゲージをガンガン削られていく様子がリアル。

最強!都立あおい坂高校野球部編

『最強!都立あおい坂高校野球部』は、『週刊少年サンデー』で2005年から2010年まで連載された野球マンガです。
少年野球時代の恩師を甲子園に連れて行くために、教え子たちが恩師のいる高校に入って奮闘するというストーリーです。
監督に感情移入して読むと、主人公達が非常にいじらしく、可愛く見えてきます。
こんなことされたら泣いてしまう。

教え子の中に、野球の腕を高めたくて強豪校に入った子がいて敵役として描かれるのですが、監督視点だとその子すら応援したくなります。
恩義を忘れて自分の利益を優先したみたいに言われていますが、技術に向上心を持つことは素敵なことですし、
自分と敵のチームでもその子が活躍してくれたら指導者として本望だよなと私は思ってしまいます。

サヨナラ率は、約22.2%(サヨナラ4試合、非サヨナラ14試合)でした。

(『最強!都立あおい坂高校野球部』21巻 128p 参照)

印象深いのは、甲子園準決勝で大阪淀宮を相手に延長11回でのサヨナラ勝ちを収めたシーンです。
もう片方の準決勝では、天才ピッチャーがノーヒットノーランで勝つという展開になったため、
決勝の相手とのカラーの違いが色濃く出る形になりました。

ドカベン編

最後を飾るのは、野球マンガのレジェンド、『ドカベン』の高校編です。

『ドカベン』は、『週刊少年チャンピオン』で1972年から1981年まで連載された作品です。
主人公の山田太郎を中心に、里中、殿馬、岩鬼らアクの強い面々が力を合わせ、甲子園の頂点を目指します。
ストーリーにツッコミどころは多々ありながらも、個性的なキャラクターに彩られ、マンガ史の中でも唯一無二の魅力を放ちます。
初期には柔道が中心のマンガであったり、30巻前後でやっと殿馬や岩鬼の本格的な掘り下げがあったりと、腰の据わった構成も楽しめます。

サヨナラ率は、脅威の約30.5%(サヨナラ22試合、非サヨナラ50試合)でした。
圧倒的に多いな。
特に、コミックス20巻から30巻の区間に限れば、サヨナラゲームの方が多い(サヨナラ8試合、非サヨナラ7試合)という有様です。
念のため言っておきますが、第99回夏の高校野球のサヨナラ率は約5.9%ですからね。
先ほど野球マンガと言ってしまいましたが、これはもしかしたらそんなスケールに留まらない、ドカベンという独自ジャンルのマンガなのかもしれません。

(『ドカベン 40巻』165p参照)

サヨナラゲームの中で特に驚いたのは、コミックス40巻にして初めて明訓高校が負けたところです。
山田達が3年生になった春の選抜まで無敗だったのに急に。
作者は、ずっと明訓のキャラクター達を可愛がって、ある意味特別扱いし続けてきてたんです。
だから私も、主人公側を負かす選択肢があるなんてすっかり忘れてしまっていました。

ただ、後になって考えると、最後の夏の大会をよりドラマチックにするためにここで負けさせるしかなかったんでしょう。
非常にいいスパイスになっています。

まとめ

今回集計した野球マンガのサヨナラゲーム率を合計すると、約18.6%(サヨナラ56試合、非サヨナラ245試合)でした。
これは、「野球マンガと高校野球のサヨナラ率は同じである」という仮説が正しいとすると、0.01%以下の水準でしか起こらないほど、現実と開きのある数値です。
よって野球マンガと高校野球のサヨナラ率には差があると結論付けます。

現実と比べて、有意にサヨナラゲームは多いみたいですね。
実際の高校野球でこれだけポンポンサヨナラゲームがあったら、監督の神経がもたないでしょう。

個別のマンガに関して言えば、『H2』、『ダイヤのA』、『ダイヤのA act2』の3作品は、
現実の野球マンガと有意にサヨナラ率が違うとは言えませんでした。
つまりサヨナラ率に関して、より現実に即しているということになります。

その他では、どうもマンガでは試合が長くなるほどサヨナラゲームになりやすくなる傾向がありました。
「これだけ話を引っ張るからには、劇的な幕引きを用意しないといけない」という心理が働くからでしょうか。

最後に、ドカベンの世界でしか許されない行動をお伝えし、野球に勤しむ高校生がマンガと現実を混同しないように釘を刺して終わりたいと思います。
その行動は…。

(『ドカベン 33巻』211p参照)

飲酒です。

参考資料

小学生の「将来なりたい職業」集計結果』日本FP協会 
Wikipedia サヨナラゲーム
日刊スポーツ 夏の地方大会2017
日刊スポーツ 夏の甲子園2017
逆境ナイン』5巻 島本 和彦 2005 小学館
タッチ』1巻〜25巻 あだち充 1981〜1986 小学館
H2』1巻〜34巻 あだち充 1992〜1999 小学館
甲子園へ行こう!』1巻〜18巻 三田紀房 1999〜2004 講談社
砂の栄冠』1巻〜25巻 三田紀房 2010〜2015 講談社
MAJOR』24巻〜47巻 満田拓也 1999〜2003 小学館
ダイヤのA』1巻〜47巻 寺嶋裕二 2006〜2015 講談社
ダイヤのA act2』1巻〜11巻 寺嶋裕二 2015〜2018 講談社
プレイボール』1巻〜22巻 ちばあきお 1973〜1978 集英社
最強!都立あおい坂高校野球部』1巻〜26巻 田中モトユキ 2005〜2010 小学館
ドカベン』1巻〜48巻 水島新司 1972〜1981 秋田書店


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影絵が趣味
影絵が趣味
2019/09/28
だから野球マンガは面白い!
当初は柔道マンガとして始まり、いくつものシリーズを経由しながら、ひじょうに長い年月を経て、とうとう『ドカベン』に終止符が打たれた。最終巻の最終話では、第一巻の第一話における山田と岩鬼の出会いをそのまま回想としてなぞり、このあまりにシンプルでありながら、これしかないという演出には言うにいわれぬ感慨を憶えたものだった。 『大甲子園』を含めたドカベンシリーズの本流だけで全205巻。それ以外の支流からドカベンシリーズの本流に合流してきたものを合わせれば300巻に迫る勢いである。じつは、こち亀の200巻の記録をゆうに超えてしまっているのだ。 この途方もない事態は、おそらく『ドカベン』にのみ関わるものではない。すべての野球マンガに、野球マンガというジャンルに関わるものであると思う。マンガには様々なジャンルがあるが、そのなかでも野球マンガというジャンルは、マンガという体系に対して、ある特権的な位置を占めていると思うのだ。これはハリウッドが西部劇というジャンルとともに映画産業を発展させてきたのとよく似ているような気がする。すなわち、ここでは映画が西部劇を撮るのではなく、西部劇という土壌が映画を撮らせているというある種の逆転現象が起きている。映画においてもっとも重要な光線の処理の問題、これをハリウッドはその近郊の年中天候の変わりにくい荒涼地帯で西部劇を撮ることで解決してきたのだ。天候がほいほい変わればそのたびに撮影を中断せねばならないが、西部劇ならばそんな心配はしないでどんどん撮影をすすめ、作品を量産することができる。つまり、こうした西部劇の量産で興行した潤沢な資金を次の撮影にまた注ぎ込むというサイクルがハリウッドにはできていたということだ。 では、マンガはどうかといえば、マンガ制作に天候はあまり関係がなさそうだが、やはり手塚治虫の登場いらい体系の整えられてきたコマと記号の処理という問題が"大友以降"のマンガにおいても頭をもたげてやまないはずなのだ。というより、マンガにおける諸問題はコマをいかに処理し、記号をいかに処理するかに集約されるはずだ。あれだけマンガというものに抗ってみせた『スラムダンク』の井上雄彦もけっきょくはコマからは逃れられないし、記号には頼らざるを得ないところがあった。そもそも井上がマンガに抗わざるを得なかったのはマンガ家という身分でありながらバスケが好きだったという不幸に由来する。マンガでバスケの動きをどう表現するか、それは文字通りマンガへの過酷な抵抗であったことだろう。『スラムダンク』の美しさは、このマンガへの過酷な抵抗と山王への果敢な挑戦がダブるところに集約されるだろう。ただ、あくまでも井上に許されていたのはマンガへの飽くなき抵抗という姿勢までで勝利ではなかった、だからこそ湘北が山王に奇跡のような勝利をおさめたときに連載を止めねばならなかったのだ。その点で、マンガは野球に愛されていると言わざるを得ない。愛に守られてスクスクと育ち、野球マンガに特有の素晴らしき楽天性でもって『スラムダンク』とはまたちがった豊かさを随所で花開かせている。そのことは近年ますます豊饒となった野球マンガのひとつ『おおきく振りかぶって』にもよく描かれている。すなわち、打者のほとんどが打ち上げてしまう三橋くんのまっすぐ、打者はボールの運動をじっさいに目で正確に追っているのではなく、その軌道を経験的な記号として捉えてバットを振っている、と。このことは野球を外からみる側にもいえる。投手が構えて、ボールが投げられる、打者が構えて、バットが振られる、この一連の運動を隈なく目で追っているひとなどいないはずなのだ。わたしたちが見ているのは、投手が構えて、次の瞬間には、構えていた打者がスイングし終えていて、マウンドの投手はまるでバレエでも踊るみたいな不可思議な格好になっている。この野球をみるときの呼吸はマンガの呼吸とぴったり合いはしないだろうか。コマからコマのあいだの欠落を敢えて埋めようとはしなくてもマンガは野球を経済的に語る術をはじめから心得ていた。つまり野球マンガは、あるいはバスケマンガのように、マンガそのものに抵抗する必要があらかじめなかった。この追い風を受けてマンガは野球という物語を幾重にも変奏して量産することができたのではないかと思うのだ。
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2019/07/20
ちばあきお漫画を動揺させる御馳走という存在
夏の甲子園の県予選がはじまっているので、性懲りもなく『プレイボール』を読み返している。 語弊を恐れずにいえば、ちばあきお漫画の魅力は味気のなさにあると思う。野球に熱心すぎるあまり、ひたむきすぎるあまり、本気で打ち込むあまりの味気のなさである。「勝利の味をしめる」という言葉があるが、『キャプテン』にしても『プレイボール』にしても、負け試合はもちろんのこと勝ち試合においてもどこか苦い雰囲気が拭えないのである。『キャプテン』のイガラシ時代の夏の決勝戦、西の強豪・和合中との雨の決戦はどうだったか、全国制覇を成し遂げたというのに不思議なまでのあの味気のなさは。 ところが、そんな試合に勝ってまで味気のないちばあきお漫画において、奇妙に味気のある数コマがおよそ一巻に一度ぐらい落とし穴のように潜んでいる。それすなわち御馳走の時間である。 田所先輩の代こそは元々が弛んでいるので、まだ御馳走はみられないが、まさしく田所先輩たちが引退して谷口が次のキャプテンに指名される日から落とし穴のような御馳走がひっそりと潜んでいる。薄汚い部室にテーブルを囲い、それぞれの席には簡易的ながら紙のナプキンが敷かれて、その上に可愛らしくお菓子やフルーツやジュースの瓶が乗っている。野球一筋のこのマンガにおいて、なんと奇妙で戦慄さえ憶えかねない一コマであることだろう、淡々とただひたすら野球に打ち込むばかりのコマの連なりのなかで不意に挿入されるこの紙ナプキンの上の御馳走たちはスリリングとさえいえないか。 この送別会の御馳走を先がけに、新入生の歓迎会ではふたたび囲んだテーブルに紙ナプキンが敷かれて、出前の兄ちゃんが蓋付きのカツ丼を運んでくる。大会の谷の日には田所さんが激励にアイスクリームを紙袋にたくさん詰めてもってくるし、鰻丼かと思いきやカツ丼の上を御馳走してくれるし、熱戦の翌日の休養日には丸井が谷口家を訪ねるさいのお土産として鯛焼きを持参して、しかもそれらは丁寧に紙の上にあけられる。そして極みつけにはOB会の発足パーティー、またしても薄汚い部室にてテーブルを囲み、もはや簡易的な紙ナプキンではなくテーブルクロスが敷かれ、御馳走に加えて瓶ビールまでが用意され、スリリングはさらに加速する。ここで注目したいのはこれらが単なる食事ではなく、それ以上に丁寧に格式張っているということにある。ちばあきお的マンガ世界において、彼ら野球少年たちは基本的には野球という社会のなかに閉じた存在である。その閉じた世界に不意に出現するイロモノめいた別の社会(すなわち御馳走という格式)はあまりに滑稽であり、その場を動揺させずにはいられない。しかも、その御馳走が部活の聖地ともいうべき部室にひろげられたさいには事尚更である。 味気のないちばあきおマンガが不意に彩りをみせるとき、その場は途端にスリリングに動揺しはじめ、物語に緩急と躍動とをもたらしているらしい。