法月理栄さん第8回。舞台を昭和35年頃に移した新作全3話。法月理栄『屋根の上のセッちゃん』第1回「菊ちゃんのこと」

先日とある方の御好意から、法月理栄さんの作品が載っている『月刊あすか/ASUKA』を3冊お借りしました。

1985年9月号(創刊2号)と11、12月号です。

作品名は「屋根の上のセッちゃん」。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

「セッちゃん」という小学生の女の子が主人公です。

セッちゃんの家は祖父が工場経営、父が電気屋、母が日用品を扱うよろず屋と大所帯。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

連なる家の屋根に上るのが大好きなセッちゃんを中心に話が進みます。

では早速第1話の内容を紹介しましょう。

母が営むよろず屋に、住み込みで働く菊ちゃんがやってきます。

無口で仕事も上手くこなせない菊ちゃんは、屋根の上に上ってよくさぼります。

同じ屋根好きのセッちゃんと仲良くなり、菊ちゃんも少しづつ明るくなって仕事もこなせる様に。

菊ちゃんには故郷に恋人がいますが、親の反対から遠くへ離されたという事情があります。

そして菊ちゃんを迎えに来た恋人。

セッちゃんは菊ちゃんと別れたくないと大泣きします。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

菊ちゃんと恋人が故郷へ帰るときに屋根の上から見送るセッちゃん。

切ない別れの場面で終わります。

実に法月さんらしい作品です。

『利平さんとこのおばあちゃん』は連載された時期と同じ昭和最後の10年が舞台ですが、こちらは昭和35年頃が舞台です。

おそらくですが法月さん御自身の子供時代に重ねて創られたのではないかと思います。

法月さんの実家がセッちゃんと同じなのかはわかりませんが、創作にしては妙にリアルなので実在していたと考えていいでしょう。

皆さんは子供の頃に屋根の上に上った経験はおありですか。

セッちゃん家の様に大きな家ではありませんが、私はあります。

たった数メートル高くなった場所から見える景色は子供にとって全く違うもので、セッちゃんの気持ちはよくわかります。

ただし瓦がずれて雨漏りの原因になる為か、見つかるとこっぴどく怒られて屋根に上ったのは1、2度ですけどね。

さて私が生まれたのが昭和36年です。

まさにこの作品と同じ時期。

勿論記憶に残っているのはその5年後の昭和40年くらいからですが、それでも「うんうん」と頷く描写があります。

セッちゃんが両親の事を「パパ」「ママ」と呼び、それを友達に笑われるというコマ。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

これは私の世代でもそうでした。

信じられないでしょう?

でも昭和40年代ではパパママと両親を呼ぶ家庭は少なかったんですよ。

「おかあさん」「かあさん」「かあちゃん」と母親を呼ぶのが普通なのに「ママ」と呼んでいると、甘えている様な外国かぶれの様な感じを持ちました。

あくまで当時ですよ。

ママと呼ぶと笑われるのは、「ちばあきお」さんの『キャプテン』にとても印象深く描かれてます。

現在は絶版ですが、ジャンプコミックス『キャプテン』第8巻。

丸井キャプテンの元、青葉学院との地区予選決勝戦前の選手控室で車座になって弁当を食べる墨谷二中の面々。

『キャプテン』(ちばあきお/集英社)8巻

近藤の小さな弁当を見た丸井が「おおぐらいのおまえがそんなかわいい弁当でまにあうのかよ?」と聞きます。

「試合まえやからかるうにしときってママにいわれたんや」と近藤。

「あの顔でママだと」と全員が大爆笑します。

一度はたしなめたイガラシさえ我慢できずに吹き出し、「イガラシさんまで」とショックの近藤。

この第8巻の発行が1975年です。

つまり昭和50年くらいまでは世間的に「ママ」と呼ぶのはまだ一般的ではなかったという事の証明だと思います。

にしてもこの場面、その後の青葉学院との死闘の前振りとして実にいい描写だと思いませんか。

話を「セッちゃん」に戻しましょう。

お客さんにお釣りを渡す際に手を握られ、驚いて平手打ちしてしまう菊ちゃん。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

100円札が落ちるのが描かれてます。

私が育った九州の地方都市では、小学校の低学年くらいまで普通に使用してました。

昭和44年頃ですね。

小学校入学くらいの頃に、東京では100円玉というのがあるらしいと他の子に聞いたことを憶えてます。

高校卒業後大阪へ移り住んだ際に100円札の話を同い年の友人にすると、見たことないと返されて地方と都会の差を感じたのもいい思い出です。

参考までに古い物好きの私が所有する100円札の画像を載せておきます。

裏面が単色なのは古いお札では普通です。

ではもう一つ。

学校帰りに菊ちゃんと一緒に帰るセッちゃん。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

お店の自転車の荷台に乗ってはしゃぐセッちゃんが可愛いですね。

何故かここで『快傑ハリマオ』の歌が挿入されてます。

昭和世代としては有名な冒険活劇です。

調べたところまさに昭和35年に放送されていて、法月さんきっと観ていたんでしょうね。

私は生まれた頃で馴染みがなく、石森章太郎さん作の漫画が虫コミックスで出ていましたが読んだ記憶はありません。

ここでこの歌を入れた法月さんの意図は不明ですが、第1回という事もあり昭和35年を強調したかったのではないかと推察します。

25年後の昭和60年。

『月刊あすか』を読む少女たちに伝わったのでしょうか。

参考までに目次ページの画像もお届けします。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

何とも豪華な執筆陣ですね。

柱にもありますが法月さんの近況が書かれてます。

また巻末にある「今月のマンガ家エクスプレス」というコーナーには法月さん御自身による作品紹介が。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

ここに描かれたセッちゃんのコマは作中にはありません。

ちょっと贅沢で嬉しい気がします。

本編は屋根瓦の一枚一枚に細かく線を入れてあり、とても法月さんらしく丁寧に丁寧に描かれてます。

『利平さんとこのおばあちゃん』の連載開始から6年ほど。

同じ昭和60年9月には『ビッグコミック』で「パテーの映写機」(電子版第3巻20話)が掲載されてます。

小学館で『利平さんとこのおばあちゃん』を連載中にもかかわらず、依頼した角川書店の編集部には感謝ですね。

扉ページに書かれた「待望の法月ワールド少女漫画誌初登場」の「屋根の上のセッちゃん」。

第2話と第3話も紹介しますのでお待ちください。

 

 

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