写真:池ノ谷侑花(ゆかい)
突然でありますが、『マンバ通信』では、編集部一丸となって推していきたいマンガを、ムキになって推すという企画をやっていきたいと思っています。
心の底から面白いと思っているマンガを猛烈に応援していきたい。それが、
「マンガを読むキッカケを作るサイト」
ってものだと思うからであります。
さて、そんなわけで月刊モーニング・ツー(創刊時の名称は「モーニング2」)で連載中の堀尾省太さんの『ゴールデンゴールド』を猛烈な勢いで推していきたいと思います。なぜならマンバ編集部全員が待ち望んだ待望の2巻が発売されたから!
堀尾省太さん、マンガファンには説明するまでもないですが、あの名作『刻刻』の作者です。時間が停止した世界で繰り広げられる緊張感がパンパンのストーリー。もし読んでないとしたら、まずはこれを読むことをオススメいたします。
というわけで『ゴールデンゴールド』の作者の堀尾省太さんのインタビューです。
まだ2巻が出たばかりのタイミング。中身についてあまり突っ込んだ話もできないので、まずは外堀から、ってことでこの<前編>マンガ家堀尾省太さん自身についていろいろとお聞きしました。
担当編集者の講談社田渕さんにも、同席をお願いして堀尾さんの世界の秘密に迫ります。
大好きなアニメを3年かけてマンガ化
──『ゴールデンゴールド』の2巻発売おめでとうございます。
とにかくこのマンガを読んでもらいたいなと思っているのですが、その前に堀尾さんご自身のことをいろいろ教えてください。
『マンバ通信』に「あなたはマンガで作られる」という連載がありまして、その人がこれまでどんなマンガを読んできたのか話してもらうものなんですけどね。
堀尾さんにも、マンガの原体験をお聞きしたいんです。一番最初に読んだマンガって覚えてますか?
堀尾:どれが最初かわからないですが、うちは『ドラえもん』を置いていない家でした。その年頃の子供が欲しがるようなマンガがなくて、その代わりに、白土三平がおいてあり、基本マンガは買ってもらえませんでした。
──白土三平!
堀尾:それは親の持ち物ですね、自分用に買ってもらったマンガで言うと、『はだしのゲン』が最初だと思います。
──『はだしのゲン』があったのはご実家が広島だから?『はだしのゲン』って、子供が 自分からは「欲しい」って言わない感じがしますけど。当時の堀尾少年に響いたんですか?
堀尾:いえ、不謹慎な感想を言ってから、マンガ全般が禁止になってしまいました。
──ああ、かなり厳しいご家庭だったんですね……。
堀尾:こちらが欲しがるようなマンガを買ってはもらえないので、親が持っているものを仕方なく、親がいない間に読んでいました。
──白土三平さんの作品だとなんでしょう?
堀尾:うちにあったのは『カムイ伝』と『忍者武芸帳(忍者武芸帳 影丸伝)』。そのあたりだったと思いますけど。白土三平先生のマンガは勉強になったなと思う部分もあります。
──マンガ家になってからそう思ったってことですか?
堀尾:はい。忍者って、ありえない身体能力を見せますよね。それがちゃんと描写されているんです。紙という平面の中でも空間移動が流れるように感じられて、それは今見てもすごいなと。子供の頃は農民と支配者の戦いの部分とかの難しい話はわからなかったですが。
──技術的な部分で勉強になったと。ちなみにその頃、同年代の友達たちは何を読んでいたんでしょう?
堀尾:『ドラえもん』あたりから始まって、まぁコロコロコミックですね。ちょっと年齢が進むと、『リングにかけろ』とか、その辺だったと思います。
──白土三平さんとの落差がすごいですね。 逆に言うと、コロコロとかその辺の児童マンガの影響は受けていないってことですよね。その後、自由に自分のお金でマンガが買えるようになるのはいつくらいでしたか?
堀尾:中学くらいですね。読んでいたのは、親の影響がないもので言えば『釣りキチ三平』とか。
──え、『釣りキチ三平』ですか!? それも堀尾さんの世代にはリアルタイムじゃないのでは?
堀尾:そうですね、リアルタイムのものに疎かったんじゃないですかね。あと自分も釣りやってたんで。
──実用的に読んでたんですね。 ではマンガ以外、たとえば小説とかは?
堀尾:二十歳すぎて読みました。
──じゃあ、子供の頃は何していたんですか?
堀尾:何していたんですかね(笑)。 ただ、言えるのは、数少ない読めるマンガを何回も繰り返し読んでいましたね。今考えるとそれがマンガの勉強だったのかもしれませんね。
──同じマンガを読んだり、映画を繰り返しみたりして、そのジャンルのエキスパートになった人の話はよく聞きます。再読ってすごく勉強になるのかもしれませんね。
マンガ家になろうと思ったのは、いつぐらいですか?
堀尾:大学の途中で、どうもこれは就職が難しそうだという状況だったので。
──それまでは描いてなかったんですか?
堀尾:高校の時に、自分で作ったストーリーじゃなくて、大好きなアニメをマンガ化してたんです。
──あ、、、それ過去のインタビュー読んでものすごく驚いたんですよ。『銀河鉄道の夜』(杉井ギサブロー監督)ですよね。
堀尾:とても好きでしたね。あの世界に行きたいと思っていました、常に。
──しかも、アニメを見ながら描いたのではなくて、1度見たアニメの音だけを頼りに描いたって話ですよね。音だけっていったいどういう……。
堀尾:一度レンタルビデオか何かで1週間くらいうちに置いてあることがあって、それを録音したんです。映像の方はどんどん記憶から薄れていってしまうんですが、音だけ残っていて。本当はもう一度見たかったんですが、ビデオを買おうと思ったら7000円とか8000円して高かったですし。
──音だけを頼りに描くって、どういう感じなんでしょう。絵がどうなってるかわからないところは想像で描くんですか?
堀尾:そうですね。映像を忘れているのをいいことに好き勝手に絵を描けるっていうところも楽しいんですよ。
──それもまた、いつの間にかマンガの基礎体力作りに影響してそうな気がします。ちなみに想像で描いたところって、実物とは一致してたんですか。
堀尾:その後、DVDで見直したらだいぶ違ってました。
──いい話……。でも、そこまでアニメに心惹かれたのなら、アニメの道に進むという選択肢もあったのでは。
堀尾:行きたかったんですよね。けど、親や親戚から猛反対されて、結局大学に行くことになりました。代々木アニメーション学院のパンフレットをもらってきて、電話して聞いてみたりということもやりましたよ。親からは「本気だったらしょうがないけど、ちょっとでも受験から逃げるっていう要素があるんだったら反対だ」って言われました。
──それで諦めたってことは。そこまでの覚悟じゃなかったっていう話なんですか。
堀尾:そうですね、全然アニメーションの仕事というものを把握できていたわけでもないですし、ただ漠然と、ジブリ映画の背景の仕事をできたらいいなっていうリアリティのない感じで。
──中高生の頃から絵は描いていたんですか?
堀尾:はい、そうですね、ただ、絵を描く種類の人間の中ではかなり描いていなかった方だと思います。
──美術部とか?
堀尾:いえ、美術部には入っていませんでした。絵は好きだけど、職業っていう意識はなかったですね
──でも『銀河鉄道の夜』を丸々描くって大変な作業ですよね。最後まで描ききったんですか?
堀尾:ページ数は数えたことがないんですが、大学ノートの分厚いのがあるんですが、裏面は使わずに、おもて面を描いたら裏は描かずに、次の紙の裏側を描いて、それを張り合わせるんですよ。それが4冊くらいになりました。
──裏写りしないように1見開きおきに描いていって、貼り合わせるんですね。それを毎日?
堀尾:そうですね。試験勉強をしなきゃいけない時にやっていたので、そのおかげで捗るというか、苦じゃないというか。
──家で毎日机に向かって勉強しているみたい体勢で、毎日マンガを描き続けていると(笑)。しかも録音したアニメーションの音を聞きながらずっと描いている。それって残ってるんですか?
堀尾:実家にあります。ただ見せられるレベルのものでもありませんから。
──ちなみに画材は?
堀尾:最初はピグマ、ミリペンから入って、徐々につけペンっていうのを使ってみようと思って、最終的にトーンも貼ってみました。
──大学ノートにトーン。最初がミリペンからっていうのもとてもいいですね。敷居が低いところからじわじわいく感じが。これ描いてたの何歳くらいの話ですか?
堀尾:16才か17才の頃です。
──オリジナルを描くようになったきっかけは?
堀尾:吉開かんじさんっていう、後に講談社で作家として活躍する人がいるのですが、彼が同級生で、学生寮で同じだったんですね。
──そうだったんですね。大学は東京ですか?
堀尾:福岡です。吉開さんは熊本の人で、共通の知人に紹介されたんです。それで『銀河鉄道の夜』の続きを描くために持ってきてたものを見せたり。
──大学入ってもまだ『銀河鉄道の夜』描いてたんですね……。
堀尾:3年がかりで描いてたので。なので、画力は変わらないですけど、画面観は変わってきているかなと思います
──吉開さんと学生寮で一緒になって「マンガ道」みたいに、切磋琢磨してマンガを描いていったりしたのでしょうか?
堀尾:最初にあったのは1年生の時だったんですが、再会して影響を受けたのはそこから4年くらい後になります。
──え。すごくブランクありますね。でも大学に入ってからは、親からも離れたし、自由に、コンスタントにマンガを描いていられたのでは?
堀尾:全然描いていないです。卒業の頃になって、本格的にマンガを描きはじめました。
──卒業間近になってからマンガ家を目指すってかなり飛躍がありますよ。ギャンブルのような。
堀尾:賭けるっていう感じでもないんですよ。元から何もない状態なので失うものもないし。むしろマンガの方に進んで足場が作れれば儲けものって感じですね。
──それでマンガ制作に向かったわけですか。
目が高すぎてデビューまでに12年
──その成果として、96年にアフタヌーンが主催する新人登竜門である『四季賞』を獲られていますよね。これはオリジナルを描き始めてどのくらい経った頃なんでしょう?
堀尾:2作目ですね。
──早い! 2作目で獲ってしまったんですね。
堀尾:1作目も描いて送ったんですけど、当時の担当の編集さんが、「これは審査の場に出すのは心象的にマイナスになるかもしれないから」といって、2作目だけを出すことになったんです。
──そういうことあるんですね。2作同時に描いて応募して…。編集の田渕さん、こういうことはままあることですか?
田渕:それは新人賞だと結構あるんです。最終選考だけは作家の先生がいらっしゃるんですが、その時までに担当が付きます。最終選考にはたくさん出すよりも選りすぐった一本を出そうという。審査員の先生はこっちの方が好きだろうみたいな戦略もある。きっと当時の担当の判断だったんでしょう。
──送った段階から編集さんとのやりとりがは始まるんですね。
田渕:そうです。それでどんな人か?なんでこれ描いたのか?というのを聞いて、最終選考に挑む。
──それはまだ学生の時ですか?
堀尾:そうですね、22歳の頃です。
──持ち込み経験もなく、いきなり四季賞獲ったんですねえ。しかしその後、長編連載スタートまでに12年かかるわけなんですが、そこには何があったのでしょう。
堀尾:四季賞を獲って、他の作品と並んで一緒に自分の作品を見たんですよ。その時になって初めて、自分のマンガというもののレベルが見えた気がして……これはまだ届いていないなってなりました。
──真面目!! 自分のマンガのレベルが達していないから、このままマンガ家になるとマズいんじゃないか、力をつけなければいけないんじゃないか、と思ったということですか?
堀尾:はい。
田渕:今でもそうなんですが、堀尾さんは、目が高い人なので。ここまで描きたいんだけど、手が追いついてないと思うタイプで。
──他の作家さんと比べても、堀尾さんの設定する自分向けハードルは高いんですか?
田渕:高いですね。
堀尾:自分のちょっと前の先輩に遠藤浩輝先生がいます。遠藤先生は賞に出す段階を過ぎていて、読み切りを載せ始めていた時期なんですが、その作品を見たときに、自分とのレベルの高さに打ちのめされたというか突き放されたというか……それが自分の中で基準になってしまったところはあります。
──『EDEN 〜It’s an Endless World!〜』や『オールラウンダー廻』などで有名な遠藤先生ですね。ああした確かな画力をつける期間が欲しいということでしょうか。
堀尾:そうですね、アフタヌーンって当時カラーが決まっていなくて、なんでもありな雰囲気があったんですよね。そういう意味では自分にとっては敷居の低い雑誌だったんですが、敷居をまたいだら奥にあるレベルの高さというのが初めて見えて、うわってなっちゃった。
──それで実力をつけるために、そこから長きに渡るアシスタント生活が始まるわけですね。どなたのアシスタントをされたんですか?
堀尾:最初は高橋のぼる先生です。その頃は『クライシス』っていうミスターマガジンで連載していました。その後は能條純一先生ですね。
──ミスターマガジン!
田渕:はい、ミスターマガジンで弘兼憲史さんが審査員の「弘兼賞」に応募していただいて。最初は入選でしたっけ?
堀尾:次も入選でした。
田渕:最後が大賞だよね?
堀尾:最後は大賞該当者なしだったので、入選で最後です。
田渕:二回目に出した賞の入選でも掲載が決まっていたんです。ただ、その直後くらいに雑誌がなくなることが決まって、載らなかったという不幸な。
堀尾:まぁよくある話です(笑)。
──アシスタントしながらもオリジナルを描いて掲載を目指していて、あと一歩というところで雑誌がなくなってしまったと。
田渕:当時から私が担当編集で雑誌がなくなってしまって。それで私がモーニングに移動して、そこでも引き続き連載を狙おうと頑張ったんですが、いかんせん自分の目が高い人なので、ネームのちょっとここ変えてみようかっていうと、1箇所変えるのに2、3ヶ月かかるんですよ。リズムとかが納得いかないみたいな。
──完璧主義なんですね……。
堀尾:いや、マンガには、なんとかうまくごまかしている部分というのがあるんですよね。それが、「ちょっと変えようか」っていうのはごまかしによって分かりにくくなっている部分を分かりやすくしようということなんですよ。
田渕:そうですね。
──うわ〜。
堀尾:そこを分かりやすくしちゃうと、幼稚なのがバレちゃうから、こっちはそうしたくないんだっていうのがあって。
──編集者の言うことも一理あるから譲らないというわけにもいかず……そうすると解決策が思いつくまで作業が止まってしまうとか?
堀尾:そうですね
田渕:もっと催促すればいいんでしょうけど、あんまり催促するのもアレなので。
──そうこうしているうちに連載デビューが延びたということですか。でもアシスタントで磨いたスキルが、連載で爆発した感じもします。アシスタント時代のお話をお聞きしたいのですが、高橋のぼる先生のところはどんな環境だったんですか?
堀尾:一言で言うならアットホームなところだったかな。
田渕:堀尾さんは技術が高いので、あっという間にチーフクラスになって、先生方が手放してくれなくて。
堀尾:そういうんじゃないですよ(笑)。
田渕:高橋先生とかはそんな風に言ってたよ。
堀尾:大げさに言ってただけじゃないですか?
田渕:堀尾さん自身、アシスタントが性に合っているところもあったよね?
堀尾:性に合っているというか苦痛じゃないというか。
田渕:1日10数時間机に向かって描き続けているというのは、プロの人はみんなそうだとはいえ、苦痛じゃないというのは……。
堀尾:最近は結構きついですよ(笑)。
──自分の作品も並行して描いていたんですか?
堀尾:あんまり描いていなかったんですかね
田渕:いや、ネームは結構描いていたと思います。
堀尾:ネームは描いていましたね。ただ、原稿にしたものは少ないですね。
田渕:ただ、描いていないと鈍っちゃうので、ネームの段階でいわゆる代原、誰かが落としちゃった時の代わりにペンを入れてもらったことはあります。
堀尾:それがですね…2ページくらい描いた時に「ちょっと見せて」と言われまして、本当に久しぶりのペン入れだったので、自分でもペンの扱い方を完全に忘れていていたんですね。やっぱり背景と人物は全然違うので。ただ、見せてと言われたので、仕方なく見せたところ、かなり深刻に「やる気はあるか?」と言われました。
田渕:え! そんなこと言ったっけ? どんな意味で?
堀尾:絵がやばすぎるって……実際かなりやばかったと僕も思います、あの絵は。
田渕:実際、もし掲載されたら、一番お客さんが付いてくれるのは、絵についてくれることが多いので、せっかく女の子のキャラが出てくるのに可愛くなかったらお客さんを逃してしまうので。
──アシスタント経験は、背景の技術はどんどんあがっていくけど、人物については腕が鈍る環境でもあるんですね。
次に、能條純一先生のところでもアシスタントされていると思うのですが、それぞれどれくらいの期間されてたんですか?
堀尾:高橋先生のところに3年。能條先生のところに6年です
──絵的な影響で言うと、能條先生の影響が強い?
堀尾:そうですね、自分では受けているつもりですが、人物の描き方ではなくて、背景の描き方とか、コマの使い方とかですね。そういうのは読んでいる人にはバレないというか言われないですね。かなりパクっているんですが。
──そうなんですか(笑)。
田渕:パクリに対してもかなり意識が高いというか。それは誰もパクリって言わないよっていうのも、参考にしているのが嫌なので自分でOKが出せないというものが結構ありますね。
──どう考えてもパクリじゃないんだけど、影響を受けて描いた部分に、自分ではパクリ疑惑を感じてしまうんでしょうか。自分に厳しいですね。
堀尾:芯の部分がない分、そういうところばっかりに自分ツッコミが入る。
──「マンガ家さん自身を題材にしたマンガ」って過去にたくさんあるじゃないですか。そうしたマンガではアシスタントを長く続け、夢破れて去っていくみたいなことが描かれることが多いですよね。そういう長いアシスタント経験からどのように自分のマンガへと気持ちが向かったのでしょうか。
堀尾:アシスタントでずっと背景を描いているわけですけれど、そのうちに自分のマンガの背景が描きたくなってきたんです。
──おお、背景を描くのは嫌いじゃないけれど、それが今度は自分のマンガの背景が描きたいという風に変化していったんですねえ。
「もう連載させちゃえ!」で始まった『刻刻』
──そうして長い期間アシスタントで暮らしていっている仲で、どのように連載第一作の『刻刻』が生まれていったんですか?
堀尾:「なんでもいいから、はじめようか」っていうモードになっていた時期で、当時ハマっていた『SIREN』というゲームがあって、こういう世界観が作れたらいいなっていうところから、閉鎖空間のバトルに持ち込んで、なんとか連載に持ち込めないかと考えて作りました。
──『SIREN』はかなりやりこんだんですか?
堀尾:もうあの世界に自分がいたことがある気がするまでやっていました。
──閉鎖空間というところもそうですが、日本の土着的なところが舞台になっているところとかも、堀尾作品との共通点があるかもしれませんね。
堀尾:そうですね、馴染みのある風景の方が楽しいかなという。
──『刻刻』は2008年から2014年まで連載されたわけですが、展開はスタート時にどこまで決まってたんですか?
堀尾:最初の段階では、止まった時間帯に入って、その先で敵と鉢合わせて。最初はその場で爺さんが殺されるっていう構想で、2話目までネームを描いて持って行きました。けど、そこが無しになりました。
──全然決まってなかったんですね。でも状況設定とキャラクターで「いける!」と判断されてってことですよね?
田渕:そうですね。それもあるんですけど、堀尾さんはとにかく余裕があるとどこまでも考えちゃう人なので、ちょうどモーニング・ツーという雑誌が創刊されるタイミングだったというのもあって、「もう連載させちゃえ!」的なところもあって(笑)
──準備万端になるのを待ってたらいつになるかわからないという……。
田渕:完璧主義者なので。作品の完成度をあげる作業って、50から90にするのと90から100にするのと比べると、90を100にする方が労力は倍くらいかかるんですよね。
──本人はこだわりたいところだけど。
田渕:ええ、それに多少の粗さはマンガのダイナミズムにとって必要だなっていう部分があって。いい意味で粗くなっているなって思っています。粗いって言い方はあれですが、読者が想像できる余地が生まれているというか。
──なるほど。
田渕:ただ、当時は、モーニング・ツーが年三回発行で、スケジュール的にも余裕があるから「とりあえず連載しちゃえ」って感じだったんですけど、1号か2号出たところで、隔月になるって決まって、あれよあれよと月刊になってましたね
堀尾:連載の話をしてる時は隔月だったんですけど、載る時には月刊になって。
──隔月ならイケる!と決めたのに倍のペースで描かなくちゃいけなくなったんですね。アレだけ描き込みの多いマンガですから大変ですね。アシスタントは何人ですか。
堀尾:5話目から来てもらっていました。
──そこまではあの描きこんだ背景まで自分ひとりで……。
田渕:それもアシスタントを入れろ入れろとものすごい言った覚えがある。
──嫌だったんですか?
堀尾:いやあ………そうですね……。
田渕:背景を自分で描きたいって。描きがいのある世界だし、面白いとは思うんですけどね。それとこの「止まっている世界」の雰囲気を、堀尾さん以外が描けるのか、という問題もありました。
堀尾:雰囲気って一番人に再現してもらい辛いところなんですよね。言葉でどう伝えていいか未だにわからない。
──今はどうしているんですか?
堀尾:なんとかやってます(笑)。ただ、今来てもらっている人はすごく上手い人なんですよ。自分よりも上手い人なので、そこらへんは苦労がなくなった感じなんですが。
──要求されるレベルが高そうですね。これは完全に個人的な興味の質問なのですが、『刻刻』というのは時間が止まった世界の話じゃないですか。その世界に入り込んで6年にも渡って描くというのは、どういう感覚なんだろうと。現実世界の認識にも影響でてくるんじゃないかなと思っているんですが。
堀尾:いや、実は案外、止まっているとはいえども、止まっているっていう描写はたくさんはやっていないんですよね。1巻2巻あたりで、情報として見せていって、もうそろそろ馴染んでもらっただろうなっていうところでは、あんまり描いていないですね。
──あ……そう言われてみると、町中の人が凍りついたように止まっているシーンは後半あんまり出ていないかも?
堀尾:はい。意識して読んでもらうとわかるんですが、後半、恐ろしく街に人がいないマンガですよね(笑)
──冒頭で止まっている世界を描いて、読者は共有しているから、その後はそういうシーン出さなくても大丈夫なんですね。
堀尾:そうですね。まぁ所沢近辺の夕方ってあんまり人がいなんですけどね(笑)。資料写真を撮りに行ってバシャバシャ撮って、後から見返すとほとんど人が写っていなかったです。
──『刻刻』の話ももっとお聞きしたいのですが、本題に入らないとまずいので、このへんで!
次回、後編はこちら。いよいよ『ゴールデンゴールド』の話です。
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