ほりのぶゆき インタビュー(代表作『江戸むらさき特急』『旅マン』『三大怪獣グルメ』) 人生を狂わせた伝説の「相原賞」から〝マゲモノ〟漫画道を往く。 我こそが〝侍ジャパン〟の祖ナリ! <後編>

↑大学漫研時代の冊子より。タイトルは『疑惑の窓』。社会の窓が開いてしまう話だ。

 

お侍はつらいよ! とばかりに、無理難題や世知辛い世相が城中、城下に襲いかかる。ちょんまげとはネクタイのことと見たり!ーー。あらゆる世事を”お侍フォーマット”に落とし込み、ツッコミを入れまくり、独自のアイロニカル喜劇を世に放ちつづける、ほりのぶゆき。スピリッツが産んだ謎の登竜門「相原賞」を足掛かりに、えっさほいさと走り続ける爆才の心中にすり足で忍び寄る110分ー。(お侍以外にも、怪獣や旅の話もあります!)

(取材/文:すけたけしん)

お侍漫画の原点は「スヌーピー」です。

__前編は、ほりのぶゆき先生が、元祖「侍ジャパン」だというところまででした。たいへんに盛り上がりました。

はい。ご精読ありがとうございます。

__先生が看破した、「見事に意味はないけれど、形だけはある。ちょんまげがあればいいのだ!」という侍の本質をもってして、歴史を批評し直す「ほりのぶゆき史観」。詳しい論は『まんが版 武士の歴史 お侍の隆盛と衰退』の前文に記されていますが、あらためてここで簡単に解説をおねがいできますか。

江戸時代が重要だということがあります。武士の原型は、野臥せり(のぶせり)がライバルを倒してのし上がっていくこと。野人が、番人となり、威圧を生業とした。その彼らは江戸時代に形骸化されます。「武士なのに徳川の言うことをよく聞く侍」をデザインし直した点が重要です。ここで、江戸の世の武士は、「見かけ(ちょんまげ)が先で中身が後」とリニューアルされたんです。その新たなお侍像が、現代を生きる我々にまで大きな影響を及ぼしている、ということです。

__はい。

わたしが世に問いたいのは、武士の真髄は「一旦、お侍を演じちゃったからしょうがない。始めちゃったからは後には退けない」という、”公共事業的やっかいさ”になり、ということです。

__この文脈で武士の歴史を捉え直したのが、大著『まんが版 武士の歴史』の2冊でございました。

武士ってる? と私は世に問いかけました。あまり流行らなかったけどな。

↑『武士の歴史』より。お侍は牙を抜かれ飼い慣らされていったのだろうか。 ©ほりのぶゆき/小学館

__(笑)。そして、昨今は、週刊誌の「アサヒ芸能」に『アサ芸お侍トピックス』、そして、毎日新聞の子供向けの漫画を連載中ですね。いまの活動としては、お侍漫画は、ジャーナル方向のヒキが強いんですかね。相性がいいといいますか。

毎日新聞はよもやの子供向け。読むのが子供だとは深く考えなくて引き受けました。はははははは。

__こないだチラッと見たらタイトルが『黄モンゲットだぜ!徳川光圀』でしたよ。

はい。

__最高ですね。なんといいますか、どちらも、ニュースのツボをときほぐす漫画ですね。それを”お侍節”で読むとやっぱり笑っちゃいますな。現代がよくわかる気になる、というのも最高にどうかしてますが(笑)。「アサヒ芸能」の連載は2015年のお正月号に始まって、かれこれ約10年も続いていますが、つくる勘どころはどこにあるのでしょうか。

人が読みたがるものは、知っていることを読みたがるという心理があるんでしょうね。ネットで沸くものもそうですよね。知ってることにコメントを書きたくなる心理。だから、読む人が知らないことを描いてちゃダメなんです、漫画は!

__おお。それこそが先生が会得した漫画の真髄的フォームでしょうか。

ええ。コロナの時期があったでしょ。私は、コロナになったタイミングに漫画のコツを掴みました。なんでしょうね。もともと「アサヒ芸能」からは、「老人が読むからネーム(セリフ)を少なくしろ」と散々言われていて、「オレの入魂ネームをなんだと思ってやがんだいっ!!」と最初は鼻息荒く思ってたんですよ(笑)。それが、コロナで力がふっと抜けたようになり「そら、吹き出しの中を簡単にしたほうがゼ~ンゼン楽だわ」と、4コマ漫画のフォルムってものが突然見えてきて。このとき、初めてわかったんです。外に出るなが徹底されていた2020年くらいに。

__開眼…ですか。

開眼です。コロナと4コマ漫画の相性みたいなものがあって。世の中が大変になったら、途端に4コマ漫画が描きやすくなったんですよ。「不謹慎な漫画だ!」というやつがいなくなりましたしね、あの時代は。

__背に腹はかえられぬ、と市民が追い込まれたときにこそ漫画が威力を発揮したんでしょうか。

いま思うとそうかもしれない。

↑モテない男から金品を騙しとる「頂き女子」の事件が「頂き夜鷹」としてお江戸に登場。
「アサヒ芸能」令和6年6月4日発売号より  ©ほりのぶゆき/徳間書店

__毎週毎週の「アサ芸」の連載ネタはどうやって決めてるんですか。

ヤフートピックスを見ざるを得ない。「アサ芸」の漫画にはとても役立っていますよ。”世の中の雑なトップ5”な感じ。みんなが雑に知ってる感じ。とにもかくにも、用意してたものは、水原一平さんで全部飛んだしね。水原さんは、回収率70パーは高すぎ! (博打うちとして)優秀なんだと思った。ゼロの数が一般人とは5つ違うだけで。そこの5つ分の感覚が消えるんだなとわかりました。あの件は。60億は6万円くらいの感覚というか。

__えーーーーっ。

しかし、基本、大谷ですよ。もうそれ。いま、日本でネタといえば。でも、大谷のニュースは、「アサ芸」で漫画にするまでに全然遅れちゃって。全部の展開が早すぎて。その週に水原さんのことが起こってるのに、まだ大谷の嫁のことを描いてたくらい、ずれました。週刊誌を超える速度。しょうがないけど。

__週刊誌もネットも追いつけない大谷でした。特に今年の春ごろはね。さっきのコロナもそうですけれど、お侍フォーマットの中に令和の事件が入ってくるのは、漫画誌じゃなくて、一般週刊誌ならではなんですかね。

そう。『江戸むらさき特急』のころは、このフォーマットはまだやってなかったです。でもね、週刊誌でやるのは、異常なことだと思いますよ。土日で決めなくちゃいけなくて。全部。昔は、土日も編集者は会社にいましたから、これ(週刊連載)がなくなったら、人生はどれだけ楽になるんだろうとばかり思ってたけど。

__週刊誌は大変ですね。

言ったってそんなに長いページを描いてるわけじゃないんだけどね。長くても8ページとかね。そうですね、平均して、3誌はずっとやってたって感じかな。

__4コマ漫画を含むショートギャグは、俳句や短歌のような「ショートギャグの様式美」があるじゃないですか。それが美しいし、作るのは難しそうな感じ。ショートギャグ作家の矜持はどこにありますか。

ピーナッツですね。

__ピーナッツ?

私の漫画は、チャーリー・ブラウンから来ているから。

__超意外。そうなんですか! チャールズ・M・シュルツさんの、いわゆる『スヌーピー』ですね。

アイロニカルなコマの割り方なんですよ、あれ。子供のころは全然意味がわかってない。けれど染み込んでいるから。谷川俊太郎さんの訳文で割と難しいんですよ、大人になって読んでも。

__先生の原点?

子供のころに読むと、「なんとなく面白くなった気分」や「大人になった気分」がしたんです。よくほら、元ネタ知らなくても、モノマネ芸人さんを見て面白いと思うことってあるでしょ。
大人がああいうことやると面白いなと思っていて。元ネタを知ってるかどうかではなくてね。元ネタはわかんなくていいんですから。雰囲気で。

__そういうエネルギーをたんまりと受けられたんですね。

ええ。チャーリー・ブラウンはいまだにいっぱい実家や手元にありますよ。最初は誰が買ってきたんだろう。僕が好きだって言うんで、ばあちゃんが誕生日に買ってくれたんでしょうね。一冊400円くらいで、ペーパーバックみたいなものを。

__いやしかし、お侍漫画の原点がスヌーピーだったとは。

はい。あとは、砂川しげひささんの『テンプラウェスタン』は好きだった。それとやっぱり、いしいひさいちさんです。
いしいひさいちさんは後にピーナッツの装丁を参考にして『ドーナツブックス』を作りましたけど、『Oh! バイトくん』は最初から家にありました。ネタが面白いというのもあるけど、ただかまして終わる、みたいな発想は、いしいさんが最初だったんじゃないかな。びっくりした。新しかった。
漫研時代に、出版社や新聞社に呼ばれることがあって、日刊スポーツに行って、その日の試合を各大学漫研が描くってのがあったんですよ。その時は、私は、いしいひさいちさんの絵をそのままパクって描いてましたね。結構好きだった。あの人は上手い。かっこいい。

__いしいひさいちといえば、『がんばれ!!  タブチくん!!』を思い出します。

そうね。(急に遠い目になって…何かが降りてきたように…)朝潮、死んじゃった。曙も死んじゃったなあ。高見山は生きている。高見山のサインはうちにあるよ。高見山はこないだ(曙の葬儀の姿が)、かっこよかった。賢人になっていた。安仁屋(元広島の投手)と同じ感じだった。読者にわからないかもしれないけど、サンタクロース状態というか。高見山と安仁屋とサンタクロースは似てる。

__こういうところから、4コマ漫画がまた一本できるんですね(笑)。

ちょんまげを乗っけたまま、ますます仕事をください!

__先生は、怪獣の漫画もたくさん描いてらっしゃいます。最近の『三大怪獣グルメ』(原作:河崎実/監修:久住昌之)も、もう匠の技がふんだんに詰まってました。

結局、自分の中に入っているものですよね、描くのは。構造を知っているから小ネタいじりもできるし。
怪獣漫画は侍に比べると、ウケなかったんじゃないですかね、自分ではいちばん好きだったですけど。一峰大二さんの絵が大好きだったから、そっちに近い絵で描いていたんですけどね。あれが間違いだったのかな、あまりに古かったかな(笑)。「怪獣漫画として絵だけでもう面白い」というのをしたいと思って描いていました。まともに怪獣を描くのは大変だし。
怪獣は、意外と(読者と自分の)共通体験がなかったかな。時代劇ならみんな知ってる。怪獣はそこまではいかないのかな。戦隊いじりもちょっとやってたけど…。

__新しい怪獣を考えて描く楽しみは格別だったんでしょうか。単行本『怪獣人生』に登場する怪獣ですとか。

小学生レベルの喜びは、ありますよね。あの当時、こだわっていたのは、「ウルトラQ」に出てきたゴメスは、「モスラ対ゴジラ」を改造した元ゴジラだから、”ゴメラ”というのを出して。またあるときは、「キングコング対ゴジラ」に出ていたゴジラをベースに改造したのを、一峰大二さん風に描いたりしてたんだけど。

__マニアックですねぇ。それとふれなくてはならないのは、前編のドーハの話もありましたけれど、先生は「旅物」も得意とされてきた。新幹線の車内誌に連載されていたこともあります。

旅マン』を描いているとき、作家が身を削るようなことをしなきゃいけないのかなと思ってました。

↑『旅マン』より。描きながら旅するか、旅しながら描くかの境地に颯爽と迫る。 ©ほりのぶゆき/小学館

__芸人のバラエティみたいな?

旅先で漫画を描くってのを考えてたんです。

__体を張って移動する漫画家ですね。もう、ユーチューバーの先駆者と言ってもいいんじゃないでしょうか…。

旅マン』は、好きな人にはすごいウケてるけど、鉄道ファンからはツッコミどころが多かったですね。

__ははははは。細かいところが。

旅マン』連載時は、旅は唯一の楽しみっつーか。2日空いたら、どっか行ってました。何をするわけじゃないけど。本州を出ようというくらいの感覚で。すごい(遠くに、何回も)行ってる気もしてたけど、いま読み返してみると、そんなにも行ってない。
思い出しました。『店もん』という漫画が終わったときに、ちょっと時間が空いた気がして。「ひまは初めてだなあ」と思って始めたんだったかな。
ますます思い出してきました。あのころ、結婚しようかってころだった。あんときは、朝まで仕事して夕方起きてまたやるって感じだった。こういう生活が続いていくのかなあと思ってた30半ばですね。だから、旅に飛び出たのかもしれませんね(遠い目)。

__先生は野球も描いてきましたね。阪神タイガースの大ファンでらして。『猛虎はん』ですとか。

そうですね。神戸の須磨で生まれて。子供のころにすぐに鎌倉に引っ越したので、名残惜しくてね。どうにか鎌倉で阪神戦を中継する関西のラジオが入らないものかと、電波を探して、材木座海岸の砂浜を端から端まで走ってましたね。小学生のころは。

__昨年の日本一はおめでとうございます。「阪神タイガース優勝記念本」(小学館)に、『シュレディンガーの虎』をお描きになった。

野球漫画は、阪神がめちゃくちゃ弱いころに竹書房でたくさん描いていたんです。(阪神の試合に漫画で)向き合いたくねえなあと思ってましたね。

__公私混同感覚に悩まれた?

そうですね。弱い、負けた、ってことから目を逸らせないので。目を逸らしたいのに。巨人は巨人で選手をどんどん集めて、「ナガシママンセー」って感じの時代でしたからね。「クライマーーックス!」つって。でもまあ、世間一般に広く野球ネタが通じる時代でしたね。あれから野球選手の顔を勝手に描いちゃだめ、って時代になりましたしね。いま思えば、阪神弱いのは、心底辛かったですけど、ネタにはしやすかったですよ。

__贔屓が弱いと、漫画がたくさん生まれるんですか。ふと思い出したのは、『野球短歌:さっきまでセ界が全滅したことを私はぜんぜん知らなかった』の池松舞さんも、「阪神タイガースが負けてるほうがいい短歌が生まれる」とおっしゃってました。

んー。勝てば勝ったで居心地の悪さがあるからねえ。我が世の春よ三日月を見上げる、なんてね。…ほら!   いま、ほらね、望月と間違えちゃったよ!   勝つのに慣れてないから。でも、自分のことでもないしね。と、やり過ごすのがいちばんいいですね。

__自分のことではない、とおっしゃいますけれど、「俺が野球中継を見たら負けるなら、俺は見たいけど見ない」という、ほかにナンピトもいない、特別な必殺フォームをお持ちじゃないですか(笑)。

ええ、まあ。そんな感じを、『シュレディンガーの虎』では描きましたけれど。

__さて、そろそろこのインタビューもおしまいに差し掛かりました。織田信長とともに、『人生五十年』で漫画シーンに飛び出して、漫画家四十年、を迎えられて、そしてコロナきっかけでフォームが固まってきた、ほりのぶゆき先生。最後にもう一度、デビューのきっかけになった「相原賞」を振り返ってください。

新進気鋭の人は「ガロ」や「宝島」。そっちの人は小学館で描かない。逆に価値を落としちゃう。そういう空気がありましたけれど、その空気が壊れ始めたのが、自分らの時代だったと思いますね。「スピリッツ」だけがそういうところがあっ た。「スピリッツに載るんだ」は価値がある。そのときに、私の漫画が入ってる。優良物件に乗ったんでしょうね。
「スピリッツに書いてる作家です」というヒキは、「AKB48です」みたいなものがあるんだろうね、他社に。そこの連載がなくなると、ほんとあれですよ、AKBから消えた人みたいになる。ピンになったら、全然弱いっていう。輝いてたのに。って(笑)。

__よもや、最後の最後に、ショートギャグ作家=アイドル説、ですね(笑)。いやもうアーティストとしてつっ走ってらっしゃいますので、この調子で、日本の歴史と現在と未来をWow Wow Wow Wowと照らしていただきたいです。ちょんまげを乗っけたままで。危機の時代の市民には、先生の漫画が必要です。

ちょんまげを乗っけたまま、ますます仕事をください! って感じです。

 

ほりのぶゆきプロフィール
1964年10月16日、兵庫県神戸市生まれ。幼少期より漫画に親しみ、大学では漫画サークルに所属。会長を務めるが、学業は後手を踏み、留年を繰り返す。そうしていた1989年、「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)のギャグ漫画新人賞「相原賞」で「金のアイハラ賞」を受賞。これをきっかけに『人間五十年』で漫画家デビュー。時代劇を舞台とした武士のペーソスや、怪獣、特撮、旅などを主戦場に、ショートギャグ漫画を描き続ける。画業は40年を迎えた。現在は「アサヒ芸能」(徳間書店)で『お侍トピックス』を軽快に連載中。NOTEで綴る『猫道 -NEKO  DOH-』も美味。

 

記事へのコメント
名無し

ほりのぶゆき、『旅愁マスク』で沖縄戦のガマ(防空壕)の話題になったとき、主人公に「すぐ霊とかって言う奴は面白がってるだけ。場の空気を読め」と怒らせていたので、倫理観をかなり信頼している。

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