『はだしのゲン』の歌

 歌の持っている時間の力はおそろしく強い。すでにこの「マンバ通信」の赤塚不二夫の回でも論じたように、マンガというメディアに、よく知られた曲の歌詞が書き込まれたとたん、それは音のない音楽の時間となって、読書の速度を乗っ取ってしまう。読者は通常、コマからコマ、フキダシからフキダシへと黙読しながら移動するとき、音読よりもずっと速いスピードで読み進めているのだが、そこに歌の文句が引用されたとたん、その文句によって想起されるメロディの引力に引き込まれてしまう。

 では、このような歌の引力は、マンガの物語にとってどんな意味を持っているのだろう?

 この問題を考えるときに、まずわたしが思い出すのは『はだしのゲン』だ。『はだしのゲン』が論じられると、どうもイデオロギーの是非や描写の凄惨さばかりが強調され、マンガとしてのおもしろさがまともに扱われていない気がするのだが、もし、わたしが『はだしのゲン』をなぜ読み進めてしまうかときかれたら、それは歌のおかげだと答えるだろう。通読すればわかるのだが、『はだしのゲン』では、毎回、いや、多いときには見開きごとに、次々と歌がうたわれる。

 そこで、今回は、はだしのゲンのフキダシに表れる歌について考えてみよう。

*****

 『はだしのゲン』は、その冒頭から、すでにして歌だ。物語の舞台は昭和二十年四月の広島市、遠くから荷車を引きながらやってくる親子が描かれており、フキダシいっぱいにこんな歌がうたわれている。

朝だ/五時半だ/弁当箱さげて

家をでていく/おやじの姿

昼めしは/ミミズのうどん

ルンペン生活/なかなかつらい

月月火火(かいかい)/ノミがいる

【図1 中沢啓治『はだしのゲン』(1)中公文庫コミック版より】

 フキダシのまわりに音符があり、「月月火火」ということばが付されていることから、多少軍歌に通じている人ならすぐにこれが「月月火水木金金」の替え歌だなとぴんと来る。するととたんに「朝だ五時半だ」ということばが、「朝だ夜明けだ」という歌い出しと一致していることがわかり、このフキダシすべてを「月月火水木金金」のメロディで歌い切ることができることにも気づく。ご丁寧にも、コマの左側にはなぜか、兵隊たちの足もとがアップで描かれ、軍靴の響きが配されているので、「ザクッザクッザクッ」があたかも歌の伴奏をとるように見える。この遠近法で描かれた「ザクッザクッザクッ」というリズムとともに「げつげつかいかいノミがいる~」というメロディを思い浮かべるともう、たまらないおもしろさなのである。

 このように歌をなぞりきったあと、わたしは思いがけずこのコマに滞留してしまったことに気づく。通常のマンガなら、もっとさくさくと読み飛ばせるはずの一コマに随分と長い時間をかけてしまった。そこにウウウウウ~と空襲警報がくる、というのが、『はだしのゲン』の読書時間なのだ。

 『はだしのゲン』の歌の場面でもう一つ印象的なのは、ほとんどの場合、歌は歌いきられるということだ。近年のマンガで歌が引用されるときは(著作権に配慮して、ということもあるだろうけれど)、ほんの一節が引用され、ある歌を歌っているということは記号的に示されることが多い。ところが、『はだしのゲン』では、いったん歌われると、ほぼワンコーラスがまるまる歌われる。黙読に急ぐわたしたちの読書時間を完全に振り切ってしまう長さだ。歌のフキダシを見て、うっかりメロディを思い浮かべてしまうと、もう視線はそのコマに長くとどめられ、読書時間は停滞する。

 そして、『はだしのゲン』の歌は、鼻歌まじりで歌われるのではない。「ないた顔でかえるとかあちゃんが心配するから歌をうたって元気をだそう」と言っては声をあげて歌い、「バーカこの歌の気持ちが女にゃわからんのじゃ」と言っては相手にきけとばかりに歌う。たとえ「故郷の空」や「燦めく星座」のようなしみじみと歌われがちなものであっても、それはあくまで大声で歌われ、マンガ読書の時間を、歌の時間で覆ってしまう。この、圧倒的な歌の時間の専制こそが、『はだしのゲン』のおもしろさではないだろうか。

 だから、『はだしのゲン』を読むとき、そこで歌われている歌を知っているかどうかは、読書の時間に大きく影響する。

 たとえば、図2を見てみよう。

【図2 中沢啓治『はだしのゲン』(1)中公文庫コミック版より】

 ゲンの一家が食べものを欠いて、イナゴを取りに行った帰りの場面だが、「元寇」という軍歌を知っているかいないかで、そのおもしろさは大きくちがってくる。もし知っていたら、「八百余州の」という文句を見ただけで、そのメロディが頭に浮かぶだろうし、その元歌に含まれている漢語の大げさな節回し、「こくなーんここにみるー」とか「こうあんよねんなーつのーころー」(この、「こうあんよねん」というところが実に早口でへんてこりんなのだ)、というフレーズを思い出すだろう。そして、「国難」という漢語が「おっさん」に、「弘安四年」が「はらいっぱい」に変換される替え歌のおもしろさを、何度もなぞりたくなってしまうはずだ。若い人は原曲をご存じないと思うが、いまならYouTubeなどで簡単に検索してきくことができるので、一度きいてみてから、このコマに戻ってみて欲しい。

 『はだしのゲン』で繰り返し歌われる歌のひとつが、「さよなら三角」だ。「さよなら三角」のおもしろさは、しりとりのようにことばを次々と継いでいくところ、もしかするとずっと終わらないのではないかという奇妙な錯覚にとらわれるところにある。実際、わたしがこどもの頃は、同じような歌を「いろはにこんぺいとう」で歌っていたが、「白いはうさぎ、うさぎは白い、白いはうさぎ」という風に、途中で針飛びしたレコードのように歌い続けて、その終わりのない繰り返し性に浸ったものだ。このような繰り返し性を知っているなら、「さよなら三角」を歌うとき、それがループに陥って、いつまでも別れがたくなってしまう感覚に思い至るだろう。

【図3 中沢啓治『はだしのゲン』(1)中公文庫コミック版より】

 ゲンが田舎に疎開する昭あんちゃんと別れるとき、ゲンはその「さよなら三角」を歌い始める。もちろん一節では終わらない。さよなら三角、四角はトウフ、トウフは白い、白いはうさぎ、うさぎははねる。ゲンはこのことば遊び歌を、足を踏みながら歌い続け、あんちゃんはさらに、符丁を交わすように遠くで、はねるはカエルと、その続きを歌い続ける。二人のフキダシは、「ウウウウウウ」という禍々しい空襲警報によって分断されているのだが、この非常事態にあっても、ゲンの足は歌の繰り返し性に捉えられたよう踏みとどまっている。ここには、マンガの冒頭で刻まれていた「ザクッザクッザクッ」という軍靴の進行するリズムはない。ゲンの「はだし」は、音にならぬ煙をたててこの場に留まり、別れを踏み鳴らしている。わたしの目はコマに留まり、「さよなら三角」とともに、そのはだしの音が繰り返されるのをきいている。

(このテキストは20157月に ブログcomics & songsに掲載したものを改訂したものです。)


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