毎年8月になると戦争関連の番組や記事が増える。まるで季節の風物詩のような扱いにはちょっと微妙な気持ちにもなるけれど、終戦から80年近くが過ぎ、戦争体験を持つ人も少なくなるなか、どんな形であれ歴史と記憶の継承は必要だろう。というわけで、当連載でも戦争を描いたマンガをご紹介したい。
戦争マンガというと、水木しげる『総員玉砕せよ!』や松本零士の戦場まんがシリーズ、最近では武田一義『ペリリュー 楽園のゲルニカ』などを思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし、今回はそういった戦場が舞台のものではなく、いわゆる「銃後」の庶民から見た戦争の姿を描いた作品にスポットを当てる。
■怖いのは原爆だけじゃない
何といってもまずは、中沢啓治『はだしのゲン』(1973年~85年)を挙げねばなるまい。広島出身の作者が自身の被爆体験をベースに反戦・平和を訴えた歴史的作品だ。原爆投下時、塀の陰にいてかろうじて生き残った少年・ゲンは、何が起こったかわからぬまま焼け野原の街をさまよう。その一連のシーンは地獄絵図と言うしかない。
爆風で割れたガラスが体中に刺さってハリネズミのようになった少女、焼けただれた皮膚を引きずりながら水を求めてゾンビのように歩く人々、防火用水の水槽に飛び込んでそのまま焼け死んだ親子……。川に浮かんだ大量の死体はガスで腹がふくらみ、破裂して悪臭を放つ。「もうたくさんじゃ 死体ばかりみてるのは」「アメリカのばかたれ! どうしてこんなおそろしい爆弾をおとしたんじゃ」というゲンの言葉は作者の心の叫びでもあろう。
しかし、そういった原爆被害の残酷描写も怖いが、戦時下の生活も恐ろしい。食べるものもろくになく、ノミやシラミにたかられ、何かというと殴られる。非国民のレッテルを貼られたゲンの父は官憲に捕まり拷問され、近所からは石を投げられる。ゲンの姉は非国民の子ということで泥棒の濡れ衣を着せられ裸にされる。敵国からの攻撃よりも、むしろこうしたファシズムの暴力のほうが今の時代にはリアルに怖い。この作品が広島市の平和学習教材から外されたというニュースは、まさに「新しい戦前」の予兆のようだ。
同じく広島を舞台にした名作が、こうの史代『この世界の片隅に』(2007年~09年)。大ヒットしたアニメ版のほうをご覧になった方も多いだろう。広島は広島でも軍港のあった呉が主な舞台であり、原爆は遠景でキノコ雲が見えるだけ。『はだしのゲン』とは対照的に、被害の悲惨さは直接的には描かれない。中心となるのは戦時下の庶民の日常だ。配給、代用食、住所と血液型を記した名札、千人針、建物疎開、竹やり訓練、愛国かるた、防空壕づくり……。そうした当時の当たり前の事物を当たり前に描くことで、逆に批評性がにじみ出る。
物資不足の苦労はあっても、庶民はたくましく暮らす。日々の生活の中には笑いもあれば、ささやかな幸せもある。しかし、そうした日常は、ある日突然断ち切られる。一発の爆弾が幼い命を奪い、絵を描くことが好きだった主人公・すずの右手を奪う。彼女の心象風景を表した〈左手で描いた世界〉には胸が締め付けられる。
■飛行機乗りとその妻の物語
『この世界の片隅に』は、戦時下における夫婦の絆の物語でもあった。その点では、滝沢聖峰『東京物語』(2015年刊)が、よりストレートに夫婦愛を描いている。
1943(昭和18)年末、ビルマ戦線から帰還した陸軍大尉・白河知之は、福生の陸軍航空審査部にテストパイロットとして勤めることになる。久しぶりに帰った自宅の玄関を開けようとした瞬間、中からガラッと引き戸が開き、「お帰りなさい」と出迎える妻・満里子。「よくわかったな 軍から連絡があったのか?」と聞く知之に「靴音でわかったのよ」と事もなげに満里子は答える。
そんな冒頭シーンだけ見るとひたすら夫に仕える従順な妻のようだが、軍人である夫を立てつつも、味噌だけは夫の好みに合わせなかったり、譲らないところは譲らない。ちょっとしたケンカから弁当にいたずらを仕掛けたりもする。レコードをかけていて、たまたま通りかかった町内会長に「ジャズは適性音楽として禁止されております!」と咎められても、「これはワーグナーです」「ドイツの作曲家です 日本とドイツは同盟関係にあるのではなかったですか?」とごまかす。本当はベニー・グッドマンだったが、「わかりゃしないわよ」と涼しい顔。そんな大らかでありながら向こう気は強い満里子のキャラが魅力的だ。
防空訓練に駆り出され、件の町内会長に「軍人の妻としての心構え 防空訓練へのご助言を頂きましょう!」と壇上に引っ張り出されたときも、開口一番「空襲があったらさっさと逃げましょう!」と言い放つ。そして「米軍の焼夷弾は強い可燃性の化学物質でできています ムシロや水をかけて消えるようなものではありません」「消火作業で命を落とすことなど以ての外! ですから敵の空襲があった時は一目散に逃げる事をお勧めします!」と続ける。実際、10万人もの死者を出した1945年3月10日の東京大空襲以後、同規模の空襲があっても死者が比較的少なかったのは、多くの人が「さっさと逃げた」からだという(とはいえ多数の死者が出てはいるが)。
航空機の描写に定評ある作者だけに、テストパイロットである知之がさまざまな機体の試験飛行に挑むシーンは見ごたえあり。そうした夫の仕事と家を守る妻の仕事をクロスオーバーさせながら物語は進む。最初のうちはまだ、陸軍士官という立場もあってか、食糧事情も含めて生活そのものは余裕があるように見える。しかし、徐々に戦局が悪化していくにつれ、物資も窮乏していく。夫のほうもB-29が東京上空に現れると、もはや太刀打ちできないことを思い知らされる。そして東京にも本格的に空襲が始まり……。
戦争という死と隣り合わせの状況で、お互いを思いやる夫婦の姿は美しくも切ない。満里子の妹が知之の知人でもある海軍パイロットと結婚することになるエピソードにもグッとくる。正月に満里子の実家にみんなが集まり、記念写真を撮る場面で「こうしていると戦争じゃないみたい」という満里子のセリフと、その後に起きる戦争の狂気としか言いようのない事件とのギャップが何とも悲しい。
■名古屋に暮らす少女が見た戦争
おざわゆき『あとかたの街』(2014年~15年)は、名古屋に暮らす少女と家族の暮らしが戦争により圧迫され、破壊されていくさまを描く。いかにも少女マンガ風の可愛らしい絵柄が、少女視点による体験の過酷さをむしろ強調しているように感じられる。
語り手は、四姉妹の次女で国民学校高等科に進学したばかりの12歳の少女・あい。初っ端に登場するのは、食事シーンだ。味噌汁の具が、お芋さん(サツマイモ)と玉ねぎ→お芋さんだけ→お芋さんと芋がらの半々→芋がらだけ……と、日に日に貧弱になっていくことから食糧事情の悪化が見て取れる。そんななか、家長である父の食卓に卵焼きが出て、娘たちは驚愕&垂涎。父は、覗き見していた娘たちを叱りながらも「どうも腹の具合がようない」とわざと半分残す。大喜びで貴重な卵焼きを分け合って食べながら、あいは昔食べた鶏鍋の思い出を反芻する。とにかく誰もが常にお腹を空かしているのである。
足りないのは食糧だけでない。学童疎開する三女に持たせる上着もなく、着物をバラして仕立て直そうにも、すでに箪笥は空っぽ。衣料切符の点数もほとんど残っていない。さらには国防婦人会の面々に「国債買ってないのはこの辺じゃお宅だけなんです!」「お宅は金属供出でも賛助されんかったですね」と責められる。その場は何とかお引き取り願ったものの婦人会のボスは「出征してお国に貢献できるような男の子の一人も生まんと ようお天道様の下 堂々と歩けますなあ」と捨てゼリフを残していく。
学校に行けば、1時限目はグラウンドで畑作業。午後は竹やりを使っての軍事教練だ。少女にとっては「なんでこんなことせないかんの」と思うことばかり。しかし、夏休み明けにはそんな学校の授業すら中止となり、学徒動員で工場労働を強いられる。愛知県には航空機関連を中心に軍需工場が数多くあった。あいは航空機に使われる鋲の選別作業を受け持たされる。長女は軍服などの縫製工場に送られ、ミシンで指をケガしてしまう。しかし、「大事な針は折るな 指なんぞほおっとけば治る」と言われ、ろくに手当てもされない。それこそ究極のブラック企業であり、ブラック国家なのだった。
ラジオから流れる戦意高揚フレーズが空虚に響くなか、ついに1944年12月13日、三菱発動機の工場などが爆撃される。さらに「正月三が日はさすがに敵も襲ってこんだろう」という根拠のない楽観を嘲笑うかのように、明けて1945年1月3日にも空襲があり、3月12日には大規模な市街地空襲が行われた。
そして主人公はもちろん多くの人にとって悪夢となった3月19日の大空襲。雨あられと降り注ぐ焼夷弾が街を焼き尽くしていく。家族の思い出が詰まった家も燃えてしまう。一緒に避難していた少女の髪が火に覆われ、御真影を取りに行った校長が黒焦げになる。四方から迫りくる猛火。防空壕も満杯で入れてもらえない。みんな自分のことで精一杯で、他人を助ける余裕もない。単行本1巻分を費やして描かれた迫真の空襲場面は、読んでるほうも精神と体力を削られる。
作者が自身の母の実体験をベースに、入念な取材や資料を駆使して再現した太平洋戦争末期の名古屋の街とその焼失。繊細な少女の心理描写と衣食住のディテール描写から、戦争の理不尽さが身の丈サイズで伝わってくる。と同時に、国家レベルの理不尽さを容赦なく描く骨太さもあり。3月12日の空襲シーンで見開きいっぱいに描かれた空を覆う巨大なB-29の群れは、彼我の圧倒的な国力の差を強烈に印象づける。
■一人の女と医学生の皮肉な視点
空襲といえば、坂口安吾の小説を近藤ようこがマンガ化した『戦争と一人の女』(2012年刊)には、夜の空襲に美と官能を覚える女が登場する。女郎から酒場のマダムを経て、客の一人だった脚本家の男と便宜上の同棲を始めた女は、空襲で燃える街を見ながら興奮し、男に抱かれる。淫蕩でありながら不感症の女は「地上の劫火だけが私に満足を与えてくれる」「戦争は美しく豪奢だ 私は家や街や生活が失われていくことも憎みはしなかった 失われることを憎まねばならないほどの愛着が何者に対してもなかったのだから」とうそぶく。
彼女の言動は時節柄からすれば不謹慎で、時に矛盾もしているが、人間にそういう一面があることは否めない。たとえ戦時下であろうと、生きるということには猥雑な部分も含まれている。男と女の暮らしぶりは、庶民というにはいささか浮世離れしているが、安吾自身の戦時中の生き方、考え方も反映されているのだろう。彼女らの花札仲間である「社長」と呼ばれる男が空襲の焼け跡を見て回るのを趣味としているのも、下衆ではあるが人間くさい。他人の不幸は蜜の味。『あとかたの街』の隣組の組長もそういう人だった。
一方、山田風太郎の『戦中派不戦日記』を原作としたのが、勝田文『風太郎不戦日記』(2019年~20年)である。安吾より16歳下の風太郎は、肋膜炎により徴兵を免れたのち1944年に旧制東京医学専門学校(現・東京医科大学)に入学する。そして医学生として過ごした1945年の1年間を克明に日記に綴った。
ここでもやはり物資の不足がまず語られる。「かつおぶしが一本70円!?」「水飴は石油缶に千円で売っとりました」「とにかく物がないのに あってもその値段 どうやって生活しろって言うのよ」。風太郎(当時はそう名乗ってはいないが)と下宿先のおかみさんの会話である。「野菜の配給は一日に10匁ぽっち 米は一日に2合3勺… 闇で買わなきゃ生きてけないわ」とおかみさんは嘆く。
物の値段や食事内容、街角の貼り紙、買い物や配給の行列、電車やバスの混雑に車内での会話など、当時の暮らしぶりが詳細かつリアルに描かれる。それはもちろん原作の日記の記述あってのことだが、作画面でも精緻でありながら写真のようではなく“マンガで描く甲斐のある絵”にほれぼれする。
戦時中が舞台の作品であまり見た覚えがないのが銭湯のシーン。青年は兵隊に取られ、年寄りと子供ばかりがドブのような汚い湯に浸かっている。「工場の油 防空壕の土にまみれ 極度の燃料払底のため自宅で風呂をたてられず 何ひとつ娯楽がないからみんなせめて銭湯に来る だから湯は汚れる まともな石鹼もない 俺のタオルは布団の敷布のきれっぱし」という有り様。脱衣場や下駄箱からシャツや履物が盗まれるのも日常茶飯事だ。
「物量の不足、科学の水準、政治の朦朧、国民の水準―― わが祖国 現時の大苦戦を招きしものは何ぞや…」「かくて日本に不機嫌と不親切と不平とイヤミ充満す。みずから怒り、みずから悲しみつつ、国民はみずから如何するとも能わず。人間は、実に馬鹿なり」と戦時下の日本と日本人を評す。そこにはもちろん自虐も含まれている。
クールでシニカルな風太郎にも、当時の人間なりに愛国心らしきものはあった。しかし、空襲が激しくなるなか、戦況の悪化は庶民にも明らか。「日本が勝った方がいいに決まってる それは本当だ! しかし…そんなことは無理だと本当は思っている 俺の愛国の情は嘘なのか…?」という葛藤は、多くの日本人が抱えていたものだろう。
「数十年後の人、本戦争に於て、われらがいかに狂気じみたる自尊と敵愾の教育を受け入れ また途方もなき野心を出だしたるを奇怪に思わんも、われらとしてはそれ相当の理由ありしなり」とは、終戦後2カ月ほどして疎開先の飯田から帰京する日のモノローグ。令和の世を生きる我々も、後世の人に同じことを書き残さずに済むようにしたい。
■マンガの神様・手塚治虫の戦争体験
終戦時に16歳だった手塚治虫も自伝的短編『紙の砦』(1974年)で戦争体験を綴っている。マンガの神様も当時は一介のマンガ好き少年。しかし、戦意高揚目的のものを除けば、マンガを描くこと自体が非国民とされた時代である。自身をモデルにした主人公・大寒鉄郎は、軍事教練や勤労奉仕をサボってはこっそりマンガを描く。
バレたら大変と知りつつも「マンガってのは読んでもらわなけりゃ意味がないんだよ」と考える鉄郎は、教官らに見つからず安全に、みんなに読ませる方法はないか友人に相談する。そこで友人が提案したのが学生用トイレの個室の壁に貼り出すことだった。首尾よくみんなに読んでもらうことはできたものの、不心得者に破られ尻を拭かれたりもする。
空襲警報が鳴ってもひたすら描き続ける鉄郎。しかし結局教官にバレて、「非国民」と殴られたうえ、原稿はビリビリに破られてしまう。以来、要注意人物として目を付けられた鉄郎は、高いやぐらの上で敵機の見張りをさせられる。視力が悪くメガネをかけた鉄郎は見張り役には不向きだと思うが、そういう合理的判断はないのであった。
大阪大空襲で悲惨な場面を目の当たりにしながらも、どうにか生きて終戦を迎えた鉄郎は「これからだれにもえんりょせずにマンガをかいてやるぞっ」と大喜び。しかし、恋心を抱いていた少女に「きみもオペラ歌手に……」と言いかけて、彼女が空襲で顔に大火傷を負っていたことを思い出し、黙ってうつむく……。
フィクションの部分もあるにせよ、マンガへの情熱と終戦時の喜びは手塚の本心に違いない。手塚の自伝的短編には、戦後の食うや食わずの時代を描いた『すきっ腹のブルース』、そこから売れっ子漫画家になって仕事に追われる過程を綴った『がちゃぼい一代記』などもある。それらの作品には、戦争で多くの若者が夢を奪われたのに自分は生き残って好きなマンガを描いていることに対する一抹の後ろめたさも感じられる。だからこそ、そこで描かれるマンガへの情熱と覚悟には、空恐ろしいほどの迫力が宿るのだ。
【今回ご紹介したマンガの一覧はこちら!】
作品名 / 著者 | 作品詳細 | 試し読み | ストアでみる |
はだしのゲン / 中沢啓治 | 詳細 | 試し読み | Kindle ebookjapan その他 |
この世界の片隅に / こうの史代 | 詳細 | 試し読み | Kindle ebookjapan その他 |
東京物語 / 滝沢聖峰 | 詳細 | 試し読み | Kindle ebookjapan その他 |
あとかたの街 / おざわゆき | 詳細 | 試し読み | Kindle ebookjapan その他 |
戦争と一人の女 / 近藤ようこ・坂口安吾 | 詳細 | 試し読み | Kindle ebookjapan その他 |
風太郎不戦日記 / 山田風太郎・勝田文 | 詳細 | 試し読み | Kindle ebookjapan その他 |
紙の砦 / 手塚治虫 | 詳細 | 試し読み | Kindle ebookjapan その他 |