美術の世界の光と影を描いたマンガ|テーマ別に読む[本当に面白いマンガ]第9回

 美術の世界を描いたマンガといえば、細野不二彦ギャラリーフェイク(1992年~2005年、12年~不定期連載)、羽海野チカハチミツとクローバー(2000年~06年)、山口つばさブルーピリオド(2017年~連載中)が三大ヒット作と言えるだろう。

 今さら説明するまでもないが、『ギャラリーフェイク』は贋作専門の画廊を経営する藤田玲司が、さまざまな美術品にまつわる謎や事件に挑むミステリー風味の娯楽作。『ハチミツとクローバー』は、美大生たちの痛切な青春群像劇。『ブルーピリオド』は、藝大受験をテーマに創作の喜びと苦しみを描く。

 しかし、それらのほかにも芸術を志す若者たちの苦悩や美術界の光と影を描いた作品はたくさんある。京都精華大学に日本初のマンガ学科が創設されて約四半世紀。美大出身の漫画家も増えてきて、自身の体験をもとに描くケースも少なくない。今回はそんな美術系マンガから選りすぐりの8作をご紹介しよう。

■美大生たちの悩み多き青春の日々

 相澤いくえモディリアーニにお願い(2014年~20年)の舞台は、東北の山の中にある小さな美大。熱血バカの千葉(壁画専攻)、内向的な藤本(洋画専攻)、天才肌の本吉(日本画専攻)の3人組を中心に、日々の授業や作品制作、バイトや恋愛など、美大生たちの生態を丁寧に描く。

 環境的にも資質的にも浮世離れした彼らの日常は一見のんき。しかし、その裏には、才能の残酷さを見つめ、迷いと嫉妬に悶え、将来の不安に震える複雑な感情が渦巻く。素朴なタッチに時折挿入される生々しい手と大写しになる瞳が、彼らの抱える現実と、それに立ち向かう覚悟を象徴しているかのようだ。

相澤いくえ『モディリアーニにお願い』(小学館)2巻p58より

 作者自身も美大出身。スクリーントーンを使わず完全手描き、背景もほぼフリーハンドで細かい線を重ね合わせた画面は工芸品の味わいだ。それはまさに作中の先輩が発する「手間暇かけた作品は、それだけで強いからね」「下手でも一生懸命作ったものは、心を動かすし雑なだけのものは分かっちゃうよ。変なものでも、何だこれって思わせたら勝ちだよ」というセリフを体現している。

 すでにいくつもの賞を獲り作品も売れている本吉、不器用ながら思い込んだら一直線の千葉に比べて、藤本は自信がなく悩みがち。それでも絵を描くことはやめられない。本吉は本吉で、描けなくなった時期があった。その理由を知ったときには思わず落涙。千葉の教育実習先の美術教師が抱える後悔、個展に一人も客が来なくても次に描く絵のことを考える在野の画家のエピソードにもグッとくる。

 何かを作ったことのある人、作りたいと思ったことのある人、誰かが作ったものに感動したことのある人、すべての人の胸に刺さる美しく優しい光に満ちあふれた珠玉の作だ。

 同じ美大生の青春を描いても、山本和音星明かりグラフィクス(2016年~18年)はスタイリッシュでリアリスティック。主人公は、非凡なデザインセンスの持ち主だが潔癖症でコミュ障の吉持星(よしもちせい)、絵の才能は凡庸ながらコミュ力が高く策略家の園部明里(そのべあかり)という対照的な女子二人だ。

 人づきあいが極端に苦手な星は、大学生活を乗り切るための相方として明里に依存している。一方の明里は星の才能に乗っかってクリエイターとして世に出ることをもくろむ。「私 最近気付いたんだ 美大って才能を磨く所じゃなくて本当に才能のある人間とコネをつくる所だって」と明里は言う。そんな二人がチーム「ほしあかり」を結成、学内はもちろん外部からのデザイン依頼も受けるなど、活動の場を広げていく。

山本和音『星明かりグラフィクス』(KADOKAWA)2巻p19より

 ポップな絵柄とグラフィカルな画面構成が主題とマッチして説得力あり。テンポのいい会話と展開でぐいぐい読ませる。純粋な自己表現としての芸術ではなく、依頼者ありきのデザインゆえの難しさは、他分野の仕事にも通じるところだろう。

 学園祭での展示バトルなど学生ノリの盛り上がりも楽しいが、圧巻は卒業後の進路についての二人の葛藤と決断だ。チームほしあかりとして活動していくのか、別の道を選ぶのか。成長した二人が一歩を踏み出す姿に希望を感じる。

■持てる者と持たざる者の幸福と不幸

 美大を出ても作家として食っていけるのは一握りだ。多くは企業に就職したり、美術教師や美術予備校の講師など、給与所得者として生活する。しかし、信濃川日出雄fine.(2006年~07年)の主人公・上杉は、どちらでもない。

 美大を中退後、バイトと小さなイラストの仕事で食いつなぎながら売れない絵を描き続ける27歳。それでも自分はイラストレーターではなく「絵描き」であるというプライドだけは高い。かといって本気で勝負することもなく、インターネットラジオのDJ(今ならユーチューバーか)でストレスを発散させる日々。

信濃川日出雄『fine.』(小学館)1巻p21より

 そんな彼が6年ぶりに学生時代の仲間が集まる飲み会に出席すると、仲間たちはデザイナー、美術教師、プログラマーなど、一人前の社会人となっていた。しかも、海外留学から帰ってきた元カノには「まだ描いてたんだね――絵」と言われてしまう。

 夢と現実の狭間で焦り、惑い、空回りする上杉の姿は痛々しい。が、彼のドン・キホーテのような無謀さは、仲間たちにとって憧れでもあった。アートレンタル会社を起業した元カノも彼の才能を信じている。上杉が毎回自費で個展を開く画廊のオーナーも可能性だけは認めている。しかし、自分の頑なさが足かせとなっていることに彼はまだ気づかない。

 死後に評価されたゴッホのように、才能があっても売れない者はいる。自分の才能を信じて愚直に描き続ける者を「バカじゃねえの?」と斬り捨てるのは簡単だ。が、よほどの才能の持ち主か、そもそも夢など追ったことのない人を別にすれば、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」と歌った石川啄木の如く、何者でもない自分への焦燥感や寂寞感に焼かれた人は多いはず。そんなやり場のない感情が赤裸々に描かれる。

 創作とは縁もなく過酷な肉体労働で妻子を養う激安引っ越し屋のおっさんの言葉に上杉が圧倒されるシーンも秀逸だ。こうした描写があるからキャラクターや物語に血が通う。「現実に向かい合ってまっとうに生きてるオトナに、俺は何が見せられるだろうか」という自分への問いに答えが出せるのは最後の最後。主人公以外もそれぞれに煩悶を抱えた青春群像劇は、鮮烈な残像を脳裏に刻む。

 上杉とは逆に、自分には本物の才能がないと自覚しつつ、それでも描かずにいられなかったのが、文野紋ミューズの真髄(2021年~23年)の主人公・瀬野美優(せのみゆう)である。子供の頃から絵を描くことが大好きで、それだけは褒められた美優だったが、美大受験に失敗。失望した母親の言うがままに、今は一般企業の事務職として働く。

 満たされない日々を送るなか、合コンで知り合ったイケメン・鍋島に自分の感性を認められた(と思った)のをきっかけにもう一度絵を描こうとするが、それは単なる口説き文句にすぎなかった。自己嫌悪に加え、過干渉な母親にも嫌気が差し、衝動的に家を飛び出す美優。

 大きなキャンバスを盾のように抱えて走り出す姿は勇ましいが、彼女の行く手には現実社会のさまざまな壁が立ちはだかる。そこに手を差し伸べたのが、調子のいいバーのマスター。彼の店の空き部屋を間借りして、再び美大受験をめざす美優の運命やいかに……!?

  毒親、承認欲求、自己肯定感といったテーマは、いかにも現代的。そうしたテーマに鍋島やマスターとの関係を絡めた恋と自立のドラマであり、「絵を描くこと」はあくまでも添え物か……と最初は思った。しかし、2巻以降、様相が変わる。

 美術予備校で改めて自分の才能と向き合う美優の苦悩は、本気で美術に魂を捧げた人間のそれだ。いくら頑張っても平凡な絵しか描けない。自分を好きになれないから、何を描いていいかもわからない。「なんで私は絵を描きたいんだろう」「美術の神様(ミューズ)に愛される人と愛されない人の違いってなんなんでしょうか?」という彼女の悲痛な叫びが、低温火傷のような疼きを残す。

文野紋『ミューズの真髄』(KADOKAWA)2巻p115より

 見開きを絶妙のタイミングで挿入するビジュアルは、マンガ的であると同時に絵画的でもある。作者自身も美大浪人の経験があるとのことで、美術予備校での講評や美大受験のシーンは真に迫る。美優だけでなく、周囲の人々の人生もきっちり描く手際も見事。美術の毒に侵された人々の生きざまに震撼せずにいられない。

■芸術の価値を決めるのは誰なのか?

 工業製品であれば、材料費、開発費、設備費、人件費、流通費などから計算して、適正価格を決めることができる。しかし、美術品の場合はそうはいかない。同じ(ように見える)絵でも、そこに誰のサインがあるかで値段が何桁も違ってくる。ぱらりいつか死ぬなら絵を売ってから(2022年~連載中)は、そんなアートとお金の関係にスポットを当てた意欲作だ。

 ネットカフェで暮らしながら清掃員として働く青年・霧生一希(きりゅうかずき)にとっては、1300円のランチも高嶺の花。人並みの生活への憧れはあるが、怪しい儲け話には乗らず、地道に生きることを心がけている。遊ぶカネも相手もない彼の唯一の趣味は、小さなスケッチブックにサインペンで絵を描くこと。

 ところがある日、仕事の合間に絵を描いていたら、若い男に声をかけられる。スケッチブックをパラパラと見た男は、その絵を買いたいと言う。バカにされてるのかと思いきや、どうやら本気らしい。翌日、男の豪邸に呼び出された一希は、目の前で自分の絵が売れるところを見せられる。

「きっと君はほっといたって絵を描くんだから どうせなら金にしよう」。売り上げ金を差し出しながら、笑顔でそう言う男。そこから二人は手を組んで、「売れる絵」をめざして創作に戦略に奮闘することになる。

ぱらり『いつか死ぬなら絵を売ってから』(秋田書店)1巻p43より

 一希の才能に惚れ込みパトロンとなった男、嵐山透(あらしやまとおる)いわく、「絵画の値段は美術史的価値と市場価値に左右される」。その説明のために透が一希に見せた絵の値段は、なんと1億2000万円。まったくピンとこない一希に、透は美術市場のシステムをレクチャーしたり、美術館で他人の作品を見せたり、美大を見学させたりする。それはもちろん読者への解説にもなっているわけで、情報マンガの側面もある。

 児童養護施設育ちで欲しいものを我慢してきた一希と、資産家の家に生まれ何不自由なく育った透。対照的な人生を送ってきた二人が絵をきっかけに結びつき、徐々にお互いを理解していく展開は、バディものとしても胸アツだ。

 一方、梅サト人生最大の嘘ついた(2023年~連載中)では、本人の意図と関係なく、たまたま高評価を得てしまったアーティストの悲喜劇を描く。

 30代半ばにして画家として芽が出ず、一念発起してニューヨークに渡ったものの、そこでも結果が出ない凡才・前田薫。絶望に打ちひしがれ、「最後の手段」として「いいアイデアが浮かぶまで、絶対にここを動かないぞ!」と砂浜に突っ伏したはいいが、うっかり寝落ちしてしまう。その姿が、なぜかオリンピック開会式演出家の目に留まり、大舞台でパフォーマンスする羽目に。それが世界中で評判となり、無名の男がいきなり天才芸術家として注目を浴びてしまった。

梅サト『人生最大の嘘ついた』(小学館)1巻p7より

「他人があれを傑作アートというなら乗ってやる。俺はどんな手を使っても、この美術界で生き残ってやると決めたんだ!」

 そう心に誓った彼は、帰国後母校の美大で非常勤講師の職を得るが、芸術に対する熱が冷めてしまっている自分に気づく。そんな折、学食で働く女性に一目ぼれ。さらに、訳あってもともとシェアハウスとして使っていた彼の家に同居することになる。しかし、結婚詐欺師に騙されたことがトラウマの彼女の「私、嘘は嫌いです。嘘はひとの心を殺すから」という言葉がぐさりと刺さり……。

 偶然とはいえ嘘で成り上がってしまった彼は、本物の芸術家になることができるのか。「才能はあるのに認められない」というのが美術ものの定番だが、「才能がないのに認められてしまった」という逆転パターン。才能とは何か、評価とは何かという問題も、これから掘り下げられるに違いない。

 嘘という点では、夏目靫子アンタイトル・ブルー(2020年~連載中)はさらに罪深い。かつては日本画界の神童として将来を嘱望された荻原(おぎはら)あかり。しかしスランプに陥り絵をあきらめ、今は美術予備校の事務員として働いている。そんなある日、海で死のうとしていた謎の男を拾う。臣(おみ)と名乗る男は、彼女の家に残されていた画材でいきなり絵を描き始める。その絵は、一目で「これが天才だ」と思い知らされるものだった。しかも、それを「荻原あかり」の名前で売りに出せと彼は言う。

夏目靫子『アンタイトル・ブルー』(講談社)1巻p49より

 売れるわけがないと思った絵はすぐに売れた。神童が新たな画風で復活のニュースに画壇は沸く。テレビでも特集され、もはやあとには引けない状況に。世間を騙しているという後ろめたさに加え、彼我の才能の差に複雑な想いを抱えながらも、なりゆきで再び筆を執ることになったあかりは、絵を描く喜びに打ち震える。

 臣の正体をめぐるサスペンス、もう一人の天才ゴーストペインターの登場など、ジェットコースターのようなドラマは読み応えあり。そのなかでもやはり強烈にあぶり出されるのがアーティストの業だ。描きたい、評価されたい。その気持ちに嘘はない。

■美術モデルが見た芸術家の卵たち

 最後は異色中の異色作、チ川ユポHonorable[オナラブー](2002年~03年)を紹介しておきたい。おそらく本邦初のプロ美術モデルマンガである。

 主人公・友長美奈子(ともながびーなす)は、美大生たちの間で人気のモデル。トイレを我慢する表情を求められれば、繊維質のものをたくさん食べて朝のトイレにも行かずにポーズをとる。ギリシア神話の妖精ダフネのイメージに近づくためにアンダーヘアを剃ってしまう。「定規で測った正確なデータを使って人体を表現したい」という学生のためには、体中に経線と緯線みたいなラインを引いてみせる。

チ川ユポ『Honorable[オナラブー]』(双葉社)p57より

 そのプロ根性は立派だが、むしろ注目すべきは芸術の持つ意味や面白さを、モデルという触媒的な立場から卑近な表現で読者に伝えてくれることだ。キャラクターやストーリー展開は、かなりハチャメチャ。が、ナイーブでエキセントリックな芸術家の卵たちに対する彼女の視線は、とても優しい。

 自分でも絵を描いてみることにした彼女の「美術にはやっちゃいけないことって…?」という問いに、相棒の画学生は「ないです」「少しでもやりたいことがあれば…もう絶対やりますよね!!」「やりたいことをしっかりやらないと誰かのせいや何かのせいにする人になってしまうから」と答える。

 タイトルは「名誉ある」「高潔な」「尊敬すべき」といった意味。発音を「オナラブー」と表記するのは、第1話で彼女がポーズ中にオナラをすることにちなんでいるが、お高くとまった美術界への皮肉とも取れる。20年以上前の作品ながら、今読んでも題材、表現方法とも斬新かつ独特で、不思議なオーラを放っている。

 

【今回ご紹介したマンガの一覧はこちら!】

作品名 / 著者 作品詳細 試し読み ストアでみる
ギャラリーフェイク / 細野不二彦 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他
ハチミツとクローバー / 羽海野チカ 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他
ブルーピリオド / 山口つばさ 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他
モディリアーニにお願い / 相澤いくえ 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他
星明かりグラフィクス/ 山本和音 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他
fine. / 信濃川日出雄 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他
ミューズの真髄 / 文野紋 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他
いつか死ぬなら絵を売ってから / ぱらり 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他
人生最大の嘘ついた / 梅サト 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他
アンタイトル・ブルー / 夏目靫子 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他
Honorable[オナラブー] / チ川ユポ 詳細 試し読み Kindle ebookjapan その他

 

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