『天牌』黄金タッグの原点にして麻雀漫画の新時代を開いた狂気の傑作—来賀友志+嶺岸信明『あぶれもん』

 『天牌』(原作:来賀友志、作画:嶺岸信明)という麻雀漫画があります。

『週刊漫画ゴラク』に99年から連載され、22年に原作者の来賀が急逝するまで四半世紀近く連載が続き、話数にして1141話、単行本は116巻を数えるという麻雀漫画史上空前の大河作品です。今回紹介するのは、その来賀・嶺岸コンビの初期作である『あぶれもん』です。連載は『別冊近代麻雀』(現『近代麻雀』。当時は『近代麻雀』という活字雑誌が別に存在しておりました。この活字近麻は87年に休刊しています)の85年12月号〜89年2月号。来賀・嶺岸の両者ともにデビューしたてという時期です。

『あぶれもん 麻雀流浪記』

 本作の舞台となるのは、横浜市の弘明寺という街。京浜急行と横浜市営地下鉄の駅があるので鉄道マニアなら知っていましょうが、横浜市の中でもそこまで有名な街というわけではありません。しかし本作では、第1話の冒頭で「一度でも牌の魔力に魅かれ深みに落ちた者達は”弘明寺”の響きに羨望と恐怖で屏息する」と、麻雀打ちにとっての伝説の街のように描かれています。

『あぶれもん』新装版1巻8ページより

 麻雀漫画での大勝負の舞台となる場所といえば歌舞伎町などが多いものですが、本作ではなぜ弘明寺なのか、不思議に思う人もいることでしょう。それは、本作の主人公・新堂啓一とライバル・轟健三には青柳賢治と古川凱章という実在のモデルがおり(「実在する人物・団体等とは一切関係がありません」と書かれてはいますが)、実際にその二人がブイブイ言わせていたのが弘明寺という街だからです。原作の来賀という人は、自分の会った人や実体験をモデルにして作品を書くことが多い人でして(例えば『天牌』も、主人公・沖本瞬の初期エピソードのモデルは実在の麻雀プロ・金子正輝)、本作では最も敬愛していた麻雀打ちである青柳をモデルにしているんですね。
 ただ本作、登場人物と舞台こそ実在のモデルがあるものの、ストーリーは実在のモデルがあるとはとても思えないものです。何しろ第1話の最初の展開からして、雀荘に血まみれの包丁を持ったずぶぬれのオッサンが入ってきて、「頼む、オレと麻雀を打ってくれ この世の最後の極楽を見せてくれ〜」と土下座するところから始まるのです。

『あぶれもん』新装版1巻16〜17ページより

 オッサンいわく
「オレはこの年になるまで好きなギャンブルを控え 仕事に命を賭けてきた やっと手に入れた家と工場 それがT商事の甘い言葉に引っかかり この三十年間で築きあげたものはすべてがパア 残るは二千万の借金だけ」「もう生きてたってしょうがねえ」「子供とカカアはこの手でもう先に逝っている」
 とのことで、要は無理心中の最中だったそうなんですね。それがなんで雀荘に来たのか。
「オレもその場でハラカッ斬ろうと思ったが 最後にどうしても麻雀がしてえんだ」「健三さん あんたとだ」
 だそうです。

『あぶれもん』新装版1巻18〜19ページより

 そしてオッサンは、朝まで健三と麻雀を打ってきっかり100万円負け、思い残すことはないとばかりに便所で首を吊ります。のっけから完全に狂った、完全に神話の世界の話です。
 以降も話はこのテンションで続きます。第4話では、麻雀で生きていくと誓った啓一が、大岡川の河川敷で拳を地面に叩きつけながら強くなりたいと嘆きます。ここまではまあ普通です。

『あぶれもん』新装版1巻114ページより

 しかしここから啓一は、「神様どうすりゃいいんだ教えてくれよ この草を喰えば強くなるっていうんなら喰うぜ」と言って草をむしると、

『あぶれもん』新装版1巻115ページより

 何も言われていないのにものすごい勢いで草を喰い始めるのです。そしてその様子を橋の上から見ながら「ヤツは今にきっと天下を取るぜ」と言い出す啓一の兄貴分たち。

『あぶれもん』新装版1巻116ページより

 このシーン、今見ると完全に異常な絵面ですが、当時の『別冊近代麻雀』の読者投稿コーナーなどではよくネタにされており、当時でも面白いけど異常は異常だとは思われていたらしいです(そりゃそうだ)。まあ後の『天牌外伝』でも、第1話で黒沢さん(「麻雀職人」と呼ばれる、『天牌』本編で最強レベルの麻雀打ち。『外伝』は彼が主人公です)が泥を食べていたりするので、来賀さんの中には何かそういうのがあるんだと思います。

『天牌外伝』1巻30ページより

 とにかく本作は全編にわたってこのような異常かつ面白いシーンが連発されます。個人的に一番好きなのは、修行の旅の途中で高知は桂浜を啓一が訪れるところ。啓一は二昼夜まんじりともせず岩間に座り込んで麻雀について考え込んでいたのですが、

『あぶれもん』新装版3巻301ページより

 そこへ突然野生の土佐犬が襲いかかってきます(?)。

『あぶれもん』新装版3巻303ページより

 しかし啓一は土佐犬の喉を締め上げると、「苦しいか! しかし俺の敵はお前ではない 健三でもない 麻雀だ!!」と叫ぶのです(???)。

『あぶれもん』新装版3巻304ページより

 何言ってるのか常人には全くわからないですし、土佐犬もいい迷惑なのですが、しかしこんなシーン見せられたら「こいつが麻雀異常に強くてもしょうがないな……」と納得するよりない。常人には想像のできない行動と台詞回しで読者の首根っこを掴んでキャラの麻雀の強さを納得させる、これが来賀節です。とにかく凄まじいパワーがあり、クライマックスの勝負ではそれが最高潮に達します。実際、本作が連載中の『別冊近代麻雀』では、同時にあの『哭きの竜』が連載されていたのですが、アンケートの順位はずっと『竜』1位-本作2位のワンツーが続いていたのが、本作がクライマックスに近づくと順位が『竜』を抜くようになり、『別冊近代麻雀』自体の部数もそれに伴いどんどん上昇していったそうです。

 なお本作、単行本は最初に出た全5巻のものと、後に出た新装版全4巻のもの(電書版もこちらが底本)がありますが、紙で欲しい人は最初の全5巻版を集めたほうがいいです。なぜなら、全5巻版には5巻の巻末に、来賀デビュー作にしてこのコンビが初めて組んだ前後編読み切り「牌のレクイエム」が併録されているので。これは、麻雀打ちの父親の「お前も牌を握って育ってきた。俺と同じだ。俺が死んだあともお前は麻雀をやるんだ。いいな!!」「しかし『なんで麻雀を打つのか』この答えが解るまで決して他人と打つんじゃない。自分ひとりで練習しろ。一日でわかるかもしれない。一生かかるかもしれない」という遺言を守って、建設現場で働いているとき以外は部屋で一人麻雀の練習をするという生活を10年間続けてきた青年が主人公(前後編の前編は主人公が麻雀を打たないまま終わる)という、「作家はデビュー作に全てが詰まっている」という言葉がピタリ当てはまるような来賀原液100%の異常傑作です。

『あぶれもん』5巻236ページより

 

 

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