尋常じゃないくらいタイミングを逃してしまったのですが、山田参助さんの『あれよ星屑』がこれ以上は考えられない形で見事に完結しましたので、マンバ通信としては近所から苦情がくるような大声(心の中の)で推しに推していきたいと思います。タイミングは思いっきり外しておりますが! すいません!
『あれよ星屑』は控えめに言って、歴史に残る大傑作なので、もしまだ読んだことがないのであれば、まずは読んでいただきたい。日中戦争の戦中戦後を描いた物語の豊かさもさることながら、これまでになかったマンガ表現が堪能できます。
マンバ通信では、このマンガに投入されたあまりにもオリジナルな表現を中心に、作者の山田参助さんにインタビューしました。お手元に『あれよ星屑』全巻をご用意の上お読みください。
かつての日本映画にあったような男同士の人間関係を描きたかった
──まずは完結おめでとうございます。すごかった……しかし、実はひとつ前の6巻が出た時に次で最終巻だと聞いて、えー、これはあと1巻でまとめるのムリでしょう〜。尻切れトンボに終わってしまうのかッ?? と不安になりました。しかしフタをあけてみると、もう、凄まじい内容でグイグイと物語の中に引きずり込まれました。読み終えた時にはもう疲れ切っちゃって。
体力が奪われますよね(笑)。
──クタクタになりました。ところでね、このインタビューは基本的には『あれよ星屑』読み終わった人がより楽しめるようにしたいのだけど、しかし、これだけ推してもまだマンガ読んでないでインタビュー先に読むヤカラがいると思うのですよ。どうにかその人達にも読んでもらいたいわけですが、参助さん的にはこのマンガのウリをどう説明してるんですか?
ウリですか(笑)一見さんのような方にですよね。ウリ……。
──まず、この本のキャッチコピーにも使われている「ブロマンス」という言葉があるじゃないですか。性的ではない男同士の関係、あり方。そこはひとつのきっかけになるのかなとは思ったのですが。
それに関しては「なんとか女性の読者を取り込みたい! 読んで欲しい!」ということで、編集さんと相談して出てきたポイントです。
──BL的な関係じゃない男同士の関係は、この物語のとても素敵な要素だなと思うんですね。こういう物語、最近全然見かけなかったなあと。ここら辺は意識されて描いた感じですか?
BLとして読んでいただいてももちろん構わないのですが、BLという言葉が影もカタチもない時代に映画の中で、ナチュラルに描かれていたようなことが、今はあまり描かれてない気がしていたので、それをマンガでやりたいと。
──かつての日本映画にはそうした関係性たくさんありますね。
はい。ただ、昔の映画を観たりする体験がなくても、女性は、BLアンテナを駆使することによって、そうした関係性の存在を感じとることができている気がします。だけど男性は……。
──むかしは自然に持っていたそうした感覚を男の方が失ってしまっているかもしれないと。
ちょっと前まではマンガでもあったような気もするんですが。
──それが途絶えてしまった。
ですから、もう一度マンガでやっておくと、また次の世代に繋がったりするんじゃないかなと。
──参助さんは、そういう失われたものを掘り起こす作業というのを意図的にしていると。かつて日本映画にあった男同士の人間関係が、マンガの世界ではごっそり忘れられているというか、手つかずの状態になってしまっているわけですね。
その手つかずのところについて考えるのがけっこう好きで。「こういうのがあればいいのに」っていう妄想をするのが昔から好きだったので。
──読者の立場で妄想してたんですね。
はい。それまでは妄想だけで済んでいたんですけど、40歳を過ぎて連載の話をいただいて、実証しなきゃいけない立場にうっかり立ってしまった(笑)。
『あれよ星屑』を描く以前、口では散々「こういうコンセプトのものがあればいいのに」って色んなところで話していて、それを編集の青木さんの前でもしたら「じゃあ、やりましょうよ!」と言っていただいて(笑)。
戦中と高度経済成長の話はあっても「その間」を描いたマンガはなかった
──もうひとつ、舞台設定についてもお聞きしたいのですが、終戦直後の話というのも最近珍しいですよね。
そうですね。なぜかというと『三丁目の夕日』や『ちびまる子ちゃん』がマンガとしてヒットする、映画としては特攻隊ものがヒットする、でも「その間」が無い。
──戦中からいきなり高度成長期になってしまう。
だけど自分は昔の日本映画を観ることで「その間」を描いた作品がたくさんあることを知っている。そのあたりのことは、今の日本のエンターテイメントでは拾われないけど、名画座に通っている人はみんなそれを観ているし、あたりまえのように享受しているものなんですよね。
──その目でこの世の中を見ると「なぜこの部分が抜けているのか」と。
そう思うし、「そこがそれだけごっそり抜けてれいれば、そうなるよね」って思うこともたくさんあるんです。
──今の世の中の状況が、戦後の状況をすっ飛ばして考えると、こうなっちゃうよねってことですか?
そうです。高度成長期と戦中しかない感じ。それを基準にみんなが語っていて、日本全体がすっころんでどうやって立ち上がってきたかを踏まえて発言している人がいない気がするんです。
──戦後の話って、朝ドラでは執拗に毎回描かれているじゃないですか。なんだけど、あれは今の倫理観にそって漂白されたものになっている気がします。そういうものに対する不満ってないですか?
なるほど。朝ドラはあまり追っかけてなかったので、そこに対して思うことは特になかったですけど、確かにそう言われてみると子どもの頃に観た朝ドラはそういうことが描かれていたし、ディテールも細かかったように思いますね。
例えば原爆の話だったら、広島から避難してきた親戚の子が避難先の家にたどり着いたときに、爆風でまるでドリフの爆発コントみたいな頭になってて、訪ねられた親戚がビックリするみたいな……そいういうことが普通に描かれていたと思うんですけど、今はもうその描写にリアリティを持ってもらえないのじゃないか。ギャグと思われてしまうのではないか。
──危ないネタだから触れておかないでおこうっていうのとは、また別の理由ですかね。
そういうエピソードに対して1972年生まれの自分が感じるのは、70~80年代のなおばさんたちの戦中の思い出話感、なんです。「あの時は顔もススだらけでわからないし、頭もバクハツしてるし、まさか親戚の○○ちゃんだと思わなくてビックリして笑っちゃったわよ~!でもよく助かったわよねえ~」みたいな。
──ああ……そういう逞しさが
もちろん笑い話にできるぐらいの話だからしているだけで、言いたくない、言わないことだってあるという人も当然いるに決まってるんですけど。
で、自分の身近にいるまだまだ元気なおじさんおばさんが戦争にからめていつも話しているようなこと、という前提でなされていた演出が、今だと老人が語る思い出話になっちゃうから、ニュアンスが漂白されてしまうんですよ。激動の昭和の荒波をよくぞ乗り越えられてきましたね、という老人に対する敬老の思いが演出に表れて、若い役者が当時の人間を演じても敬老ムードが漂ってしまう。
──それに対して、どういう態度で戦後すぐの話を描こうと思ったんですか?
そうですね。それこそまさに「若い肉体が回想する戦中」という感じで、戦後30~40歳代になった人が昨日のことのように肉体感覚で思い出す戦中の追体験をマンガで読みたい。「僕はそういう映画や読み物を観たり読んだりしてきましたよ」、というのを投入したエンターテイメントをやりたいなあと。
70年代、中年の戦中派たちによって書かれたエッセイが物語のソースに
──最初に1巻が出て、「このマンガがすごい」とかあの辺で高評価だったでしょう? いきなりドーンといった感じで。僕も最初に1巻読んだ時に、すごくビックリしました。「この感じ、忘れてたな~」って思って。ただ、今回取材のために全部読み返してみたら、一番最初に読んだときのようなショックはなくなっていて、逆にこの戦後の描かれ方が僕のなかで上書きされたんだなと思いました。
そうだとしたらとてもありがたいです。伊藤さんは体験として過去の戦争の描き方や演出を知ってらっしゃるので、思い出すという感じもあるんでしょうね。
──僕の年齢だと、両親は戦争に行ってないけど、終戦時に中学生とかだから記憶は鮮明なんですよね。両親から話を聞いた時に感じた、当時の息づかいみたいなものが蘇ったのかもしれません。あと、日本映画を見て知った戦後のバカバカしくてハレンチ、猥雑さみたいなものをしばらく忘れていたのを『あれよ星屑』で思い出した感じです。
「猥雑さ」というものが演出としてあまり人気じゃない感じがしますよね。敬老と相性が悪いから。
──このマンガはそこを描いてるのが大きな魅力だと思いました。戦後の人間のたくましさとも言えるし。本当にくだらないじゃないですか(笑)主人公たちと、踊り子たちとの関係も本当にだらしないというか。みんな穴兄弟になっちゃったりして。
そういうエピソードの元になってるのは、60年代後半から70年代の新宿文化が華やかなりし頃にゴールデン街あたりで呑んでいた作家の田中小実昌とか俳優の殿山泰司とかが、その頃に書いていたエッセイなどが僕、大好物で。そのあたりの戦中派が中年にさしかかってきた頃に過去を振り返って書いたものから想像していってたどり着いた表現だと思うんですよ。
──アー、なるほど。
僕は焼け跡を一生懸命描いているようで、結果的にこれは70年代のノリを描いてしまっているんじゃないかっていうところもあって、70年代のフリーセックス文化と焼け跡のだらしない感じが混ざってしまっているかもしれない。
子どもの頃から昔のモノが「イケてる!」って思ってたんです
──つまり70年代製の戦中戦後みたいな。その辺の資料とか、今回のためにもけっこう集められたりしたんですか?
一応少しは集めたりもしたんですけど、新しい知識を詰め込んだというよりも、今までずっと読んだり、観たり、聴いたりしてきたなかで熟成されたものをとりあえず描いたっていう感じですね
──そうなったキッカケはなんでしょう。
子どもの頃から昔のモノが「イケてる!」って思ってたんですよね。現代よりも過去のうち捨てられた文化の方に惹かれて、図書室とか行くと明治時代の写真集とか、『一億人の昭和史』とかがあると、そういうのを見てシビれちゃう。
──その世界にトリップする感じ?
トリップしますし、そもそも、物語との出会いがそういうものだったって感じですね。それこそ連ドラとかもあるし、自分の祖先のこととか昔のことってドラマになったり映画になったりするじゃないですか。
──まあ、そうですが。
子どもの頃は児童文学が好きだったんですね。僕の世代の学校の図書室にあった児童文学は左翼文学的なものがたくさんあって、作家でいうと例えば松谷みよ子だったり斎藤隆介だったり。
民話を書いている作者が戦中のことも物語にしていて、民話の世界と戦中の話が横並びで一緒にあったんです。
──児童文学を読んでいるつもりで実は、左翼文学や戦中モノなんかに浸かってしまっていたという。
だってもう、いきなり百姓一揆で一家全員磔になる話だったりするんだもん。それに絵を描いているのが70年代のトップイラストレーター、長新太とか田島征三、井上洋介とかなわけですよ。それがまとめてやってくるって感じですね。ドバーンと。イコール、サブカルって感じだったんですよ。
──なるほど、確かにそれは感化されずにいられないかもしれません。でも、友だちはそうじゃないですよね。学校の友だちなんかは普通にロボットアニメとか観てたんじゃないですか?
ああ、そうかもしれないですよね。
──そっちは興味なかったですか?
そっちも観てたんですけど、やっぱり『仮面ライダー』を観るよりは、『遠山の金さん』とか『大江戸捜査網』とかの方がグッとくる感じでした。
──なんでだろうなぁ(笑)
子ども向けの特撮ものって、子どもが出てくるから嫌なんですよ。「○○助けて~」とかたどたどしい芝居で喋ってるの観ると、「あっもういたたまれない」って感じで(笑)。
──アー。
あと、人のいない遊園地で子どもがさらわれたりするじゃないですか。あれがもう……ねずみ色のコンクリートの風景のなかで黒い人たちが暴れていたりしてると、もう色彩的に「無理!」って感じで。
──ええっ、色彩的に?? じゃあアニメ・特撮系には興味持たずに……。
アニメは好きで、子供の頃放映していた『はいからさんが通る』とか好きでした。昔の話だし、着物を着てるし。
──え〜〜〜〜、そういう理由で?? だいぶ浮世離れしてるというか、時代とマッチしてないというか。
そうですね。それが今こういう形に(笑)。あ、「はいからさん」あとから考えたら好きなアニメーターで演出家の芝山努さんの仕事ですし。芝山さんは「まんがこども文庫」の中の「雪のはとば」という焼け跡ものの演出をされていて、それがまた……ナレーションが岸田今日子さんで……。
──とにかく子供の頃に、自然に摂取してきたものが実は今の作風の礎となっていると。
子どもなりに触れてきた児童文学系の戦争の記憶みたいなものが、自然に入ってきていたんでしょうね。それがだんだん大人になってくると、自分にとっては児童文学のモチーフでしかなかったものが普通に文学とか映画のモチーフだったんだって気がつくわけですね。しかも映画では、それが熱く2時間枠で描かれているじゃん! って。大学生の頃はそれに夢中になりましたね。
「ひさご」の姐さんは乙羽信子、踊り子たちは超美人とまではいかない脇役感をイメージ
──そうやって体の中に取り込んでいったものが血となり肉となって……肉といえば、女の子たちの可愛さ、エロさもこのマンガの大きな特徴だと思うんです。いまのエロさとは少しちがうエロ。踊り子さんたちもいわゆる「お色気」だけじゃなく、あっけらかんとした健康的なエロさがありますよね。あのへんは参助さんが、好きなモノが詰め込まれているのでしょうか?
あっけらかんとしたエロはもちろん大好きなんですが、それにも増してそれがどうやったら伝わるかなってことを考えていますね。
──当時の雰囲気を?
どんな風に描いたら時代性を受け取ってもらえるかというのを考えてデザインしています。たとえば昔の男が女をセクシャルに褒める「おれはあんたみたいなぽちゃぽちゃ~とした女やないとアカンねん」みたいな台詞を書きたいとおもったらそういう女を「魅力的に」描かざるをえない。結果的にぜんぜん形としては変わってしまったけれど、この作品に出てくる「ひさご」という酒屋のお姐さん(菊子)は乙羽信子みたいなニュアンスで描けたら、名画座通いしている人には伝わるはず……みたいなところから始まってます。
──日本映画を見ている人たちには伝わる。
そういう人たちに伝わったらそれは伝播して、名画座とか行かない人にも伝わるだろうという思いというか、確信があって。実際に昔の映画を観てる人たちが「ハズしてないな」と思ってくれたらマンガのマーケットでもなんとかなるだろうと。
──踊り子たちはどうですか?
最初に飲み屋のお姉さんというキャラクターを出したので、踊り子の場合は「違う女」というのを意識して作っていきました。とにかくみずみずしい若さあふれるアプレ娘だ(笑)と思って。
──「アプレ」って言葉も読者のほとんどは知らないかもしれないですね。アプレはいわゆる戦後派みたいに呼ばれるけれど、どっちかっていうと戦後のムードの中で生まれた明るくてあっけらかんとした子たちのことですよね。
当時の報道写真に写っていそうな人を想像したかもしれない。映画だったら「超美人」の女優ではない、ちょっとした脇役感のある感じ。
──ストリップ小屋のシーンで、楽屋も含めて描かれる時に出てくるような。
そうですね。もちろんその中には黒澤明の『野良犬』に出てくる淡路恵子のイメージも入っています。すごくおおざっぱに戦後世代的なニュアンスとして考えていますね。
──お姉さんはどうですか? また違うベクトルというか、ある意味70年代のマンガ表現的な感じというか。それこそ、林静一さんとかの感じを受けましたけど。
主人公の少年期に出会った「初恋の人」というニュアンスなので、戦前の豊かだった時代のロマンチックな美女っていう風に作りました。それが、戦争があって、どんどん酷い目にあう感じですね。
──踊り子さんとかは参助さんのマンガ表現にすごく馴染んでいるんだけど、お姉さんは逆にフィクションの中のフィクションという感触がありますよね。
なんとなくモードが違う感じ。昔のひたすらかわいそうな女性の表現っていうのをわざとやっている感じですね。
──川島が子どもの時に現実感を持てないまま受け止めたという体験が、そのまま絵にも出ている感じがしたんです。川島のフィルターがかかっているというか。
そうですね、あまり性の匂いがしない感じだけど、憧れの人ではある。
──なるほど、、、すごく納得しました。次に戦争そのものの描写について伺いたいのですが、ちょっとここらでいっぺん一休みさせてください。
(後編はこちらです)
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