最初に結論を言いますね。
「ドカベン」31巻は、「ドカベン」シリーズ史上最高の巻である。
自分と「ドカベン」との出会いは高校生のとき。古本市で32巻セットを買って、そのときはそれが全巻セットだと思っていたんですけど、32巻は殿馬が世界的な指揮者アルベルト・ギュンター氏のもとへ旅立つところで終わり。調べたら、チャンピオンコミックスの「ドカベン」って全48巻なんですよ。「古本売った人、中途半端なところで買うのやめたんだなー」と思いながら、続きを買い足し、48巻まで読み切ったとき。
とつぜん売り主の気持ちがわかってしまったのです。
「31巻だ。31巻があまりにもよすぎたから、それ以降のストーリーが色あせて見えて、買う気がなくなってしまったに違いない」と。
売り主の気持ちというか、つまりは僕の気持ちなんですけども。
もちろん31巻以降も白熱した試合・面白い試合はありました。でも31巻を超える巻はなかった。続編の「大甲子園」も読んだけど、やっぱり同じ。他の巻がダメなんじゃない。31巻があまりにも特別すぎるんだ。
……という話を「ドカベン」を知らない人に話すと、たいてい「またマニアックなことを言ってー」みたいな反応をされて、まあ自分でもちょっと「そうかもしれない」と思っていたのです。
しかし。
ものすごーく久しぶりに31巻のことを思い出し、Twitterで「ドカベン 31巻」で検索してみたら、出るわ出るわ。31巻を称えるファンは、自分以外にも大勢いた。「ドカベン31巻至高説」は異説ではない。むしろ定説だった。
しかも驚いたことに、あの井上雄彦もドカベン31巻を推していました(「ドカベン ドリームトーナメント編」3巻所収の水島新司・井上雄彦対談)。
というか、もともと井上雄彦は大の「ドカベン」ファンで、マンガ家を志すきっかけになったのも「ドカベン」だったんですね。で、その井上雄彦いわく、もっとも盛り上がったのが31巻であると。しかし、31巻があまりに盛り上がりすぎたために、後のストーリーが余計なものに思えてしまった……とも。
ここで質問です。
井上雄彦の代表作といえば「SLAM DUNK」。では、その巻数はいくつでしょうか?
31巻!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! (ジャパネットたかたのイメージで)
巻数だけの話じゃない。31巻が最高潮の盛り上がりという点でも「ドカベン」と同じです。井上雄彦自身もそのことを示唆していますが、「SLAM DUNK」は「ドカベン」の……いや、「ドカベン」31巻の影響を色濃く受けているのは間違いない(というか「花は桜木 男は花道」というフレーズも「花は桜木 男は岩鬼」から来ていますよね)。
前置きが長くなりましたが、ここから31巻の話に入っていこうと思います。
で、まず考えたんですよ。なぜ「ドカベン」31巻にこれほどまでに惹かれてしまうのかと。
まず試合がものすごい死闘。
ここで描かれている試合は、春のセンバツ決勝戦。山田たちの明訓高校と、前年夏の甲子園でも明訓と死闘を繰り広げた土佐丸高校との試合です。だいたいどの試合でも明訓は何かしら追い詰められるのですが、この試合ではもうかなりのところまで追い詰められてしまう。
そして、土佐丸高校に追い詰められる中で回想される、山田・里中・岩鬼・殿馬の過去。これが試合にさらなる感情移入をもたらすのです。
大前提として言いますけど、山田・里中・岩鬼・殿馬の「明訓四天王」って、なんだかんだ言ってちょっと特別じゃないですか。山田は超高校級のスラッガーだし、里中の変化球は一級品だし、岩鬼のパワーは人間離れしているし、殿馬の守備は鉄壁レベル。4人とも、登場したときからすごかった。1年生で明訓高校のレギュラー……というか主戦力となり、夏の甲子園で優勝を果たしています。
いってみれば「天才」なんですよ。もちろん日頃から練習はしているけれども、練習というだけなら「打倒明訓」「打倒山田」に燃えるライバル校だって、それをしのぐ猛練習を重ねている。なのに、どの高校も明訓に勝てない。一度も勝てない。
天才集団・明訓高校。
いつの間にか、それが前提のようになっていた。その前提が激しく揺さぶられるのです。31巻で。
さて、30巻から始まる土佐丸と明訓の決勝戦は、4対3で土佐丸が1点リード。追いかける明訓高校の5回裏の攻撃から31巻は始まります。エース里中はヒジが限界で思い通りの投球ができない状態。山田も土佐丸の秘密兵器・犬神のトリッキーな投球に完全に抑え込まれ、4対3のまま9回裏の攻撃を迎えます。
ここから一人ずつ、明訓四天王の知られざる過去が明かされていくのです。
岩鬼正美、育ての親との別れ
9回裏で同点のランナーが出たところで、岩鬼に打席が回ってきます。大振りするばかりでまったく打てない岩鬼に、観客からはブーイングが。その観客の中に、岩鬼はある女性の姿を見つけます。彼女の姿を見るなり、様子が一変する岩鬼。
彼女の名はおつる。岩鬼家の元・家政婦です。上の3人の兄たちは皆エリート然とした佇まいなのに、末っ子の正美(岩鬼の名前です)が異端児なのは、正美だけがおつるに育てられたから。ケンカを始めても途中で止めず、徹底的にやらせるのもおつるの教育方針。大阪出身でもない岩鬼がやたら大阪弁を使うのも、おつるの影響。おつるがいなかったら、岩鬼は今のようなたくましい人間にはなれていなかった。
やがておつるは家政婦をクビになり、二人は離れ離れになるのですが、岩鬼にとっては育ての親同然の大切な女性なのです(「夏子はん」がおつると似ているのは、つまりそういうことなのだと思われ)。
バットをバックネットに飛ばすほどの大振りをして、土井垣から注意される岩鬼。このときのセリフが実にいい。明訓ナインには「いつもの岩鬼」にしか見えないのかもしれませんが、生い立ちを知ってしまった読者にはこのセリフが響く。生き様さえ感じさせる。
なんとかしておつるに活躍を見せたい岩鬼は、珍しく考えに考えを重ねて、「度の強いメガネをかける」というアイデアを思いつきます。これで岩鬼お得意の「悪球打ち」に持ち込むのですが、このコマをよく見てほしい。
悪球打ちする岩鬼から飛び散る、ほんの少しの汗。いつもの「豪快な一発」ではなく、「必死にくらいついての一打」という感じがしませんか。細かい描写ではありますが、「おつるの前でどうしてもヒットを打ちたい」という岩鬼の強い思いが表れているコマだと思います。
岩鬼のヒットでランナーが生還、9回裏の土壇場で明訓は同点に追いつきます。しかし岩鬼がベンチに戻ってきたとき、おつるはもう観客席から姿を消しているのでした。
おつるの姿を探すシーンと、過去の別れのシーンが重なっていく。この「回想が現実にかぶさっていく感じ」は、このあとも大事なところでたびたび出てきます。
山田太郎、少年時代の大事故
試合は延長戦に突入。この試合での山田は、1回に犬飼武蔵から3ランホームランを打ったものの、それ以降は土佐丸のワンポイントリリーフ・犬神に完全に抑え込まれています。
最初の打席では「球を投げる瞬間、腕が伸びる」というトリックに翻弄され、手も足も出ず。次の打席ではそのトリックを見破るのですが、裏をかいた「背面投げ」に完全にタイミングを狂わされます。
そして三度目の勝負。もう「腕が伸びるトリック」も「背面投げ」も山田には通用しない。まともな勝負なら犬神はもはや山田の敵ではない。今度こそ、今度こそ山田が犬神を打ち砕く!……という絶好の場面。テレビの視聴率もグングン上がります(瞬間視聴率80パーセント)。
しかしこの場面で犬神が投げたのは、なんとデッドボール!
その場ではなんともない顔をして立ち上がった山田でしたが、延長10回の表で異変が起きます。
二塁へ盗塁する犬神を山田が刺そうとした瞬間、肩に激痛が……! 犬神は続けて三盗を狙いますが、またしても同じ結果に。山田の腕は、犬神が投げたデッドボール「死神ボール」によって自由がきかない状態になっていたのです。
だが、その様子をテレビで見ていた山田の祖父は「これは死球の痛みではなく、6年前の悪夢の後遺症ではないのか」と考えていました。
6年前に起きた悪夢。それは家族で旅行に出かけた際に起こった、バスの転落事故でした。当時10歳だった山田は、その事故で両親を失っています。転落するバスの中、山田はまだ赤ん坊だった妹のサチ子をふところにしっかり抱いたまま、見事なブロックで傷一つ負わせませんでしたが、本人はあちこちに激突しており、その後遺症が出ているのではないか……祖父はそのことを危惧していたのです。
三塁に出た犬神は、そのままホームスチールを敢行。ホームベースを守る山田とのクロスプレーになります。サチ子の悲鳴が響きわたり、犬神のスパイクが自動車のイメージとかぶった瞬間、あの温厚な山田が感情をむき出しにし、鬼神のようなブロックで犬神を吹き飛ばし……というかノックアウトします。
山田に返り討ちにあい、ボロボロになった犬神。その次の山田の打席では犬神はマウンドに立てる状態ではなく、犬飼武蔵がそのまま続投。しかし山田も山田で、死神ボールの痛みで握力がまったく出ないまま、三球三振に倒れます。
明訓と土佐丸、互いに一歩も譲らぬ死闘はまだ続きます。
里中智、投手はあきらめろと言われた中学時代
回は進んで12回表。
ツキ指をかばいながら投げていた里中のヒジはとうに限界を迎えていました。迎えるバッターはこの試合ですでに2本のホームランを打っている犬飼武蔵。土佐丸ベンチからの「チビ」というヤジから、里中の過去がフラッシュバックしていきます。
中学時代、里中は名門・東郷学園の野球部に入部していました。ポジションはもちろんピッチャー(当時はオーバースロー)。しかし当時の東郷学園野球部には、「リトルリーグ世界大会優勝投手」小林慎司が所属していました。というより里中は、その小林と争うためにこそ東郷学園を選んだのですが。ところがそのピッチングを目の当たりにして、あまりの実力差に里中は愕然。監督は里中に「投手をあきらめて内野手になれ」と告げます。
それでもピッチャーをあきらめきれない里中は、オーバースローからアンダースローに転向、変化球投手として生きることを決意します。ところが練習に付き合ってくれるチームメイトは誰もいない。里中はただ一人、空き地で変化球の練習に打ち込むのでした。
そしてこの場面。変化球を猛練習していた過去の記憶と現在が重なるシーンなのですが、「まがったー」「やったー」と来たら、現実でもそのまま抑えそうなものですが、これがあっさり打たれるのです。この描写の、何気ない残酷さ。とはいえこれは大ファールで、里中は九死に一生を得ます。
しかし変化球が打たれた今、もはや何を投げればいいのかわからない。途方に暮れる里中に、山田はストレートを要求します。もともとストレートに威力がないから変化球投手になったのに、なぜストレートを? いぶかる里中に山田は「ストレートはストレートでも、ボールになるストレートだ」と告げます。つまりは振らせるためのストレートだと。
山田の的確な指示に、里中は「おれの選んだキャッチャーに狂いはなかった」と過去を振り返ります。里中と山田の出会いは中学時代。東郷学園の対戦相手だった山田のプレーに里中は驚かされ、山田を追って明訓高校に進学したのでした。
山田のサイン通り、高めのボールになるストレートを投げる里中。狙い通りのコースを、狙い通り振ってくれて、凡フライになるはずだったその打球は。
無情にもホームランとなってしまいます。
過去の努力シーンが回想されるとき、それはたいていの場合「過去に努力したからこそ報われる」という方向で使われるものですが、31巻ではそんなご都合主義にはならない。どれだけ過去に努力を重ねても、いま投げている里中はボロボロの状態。強打者・犬飼には打たれるべくして打たれるのです。こういうところが水島新司はすごい。
殿馬一人、出られなかったコンクール
ホームランを打たれ、そのまま一気に崩れるかと思われた里中でしたが、殿馬の好守備に助けられ、そのまま12回表を抑えます。
そして12回裏、1点を追いかける明訓の攻撃。岩鬼がデッドボールで出塁し、殿馬に打席が回ってきます。アナウンサーの「天才児・殿馬くんの登場です」という言葉を聞いて、天才児として持てはやされた過去を思い出す殿馬。
ピアノに打ち込んでいた中学時代。そのセンスは一級品だったものの、殿馬にはどうしても克服できない弱点がありました。 それは指の短さ。
日本音楽アカデミー賞の課題曲「別れ」の第3楽章で、どうしても指が届かないところがある。普段の演奏はプロ並みといっていいレベルなのに、その部分だけ演奏が稚拙になるため、本来の実力で劣る北大路くんにコンクール出場を譲らざるを得なかったのです、
コンクール出場を逃した殿馬が取った行動。それは医者に頼みこんで、指の根元を切る手術をしてもらうことでした。
そしてコンクールの当日。中学の音楽室にやってきた殿馬は、課題曲「別れ」を弾き始めます。
見事に「別れ」を弾ききった殿馬。しかし彼は学秀院中学を中退し、公立の鷹丘中学へ転校します。そこで出会ったのが、山田と岩鬼でした。
その運命的な出会いがきっかけで、音楽を中断して野球をやることになった殿馬。「そいつらと今こうして野球をやってるづらとはなァ こういう青春もまたよかろうづらぜ」というセリフは、殿馬自身の感慨なのですが、これまでの回想を見てきた読者の感慨でもあります。ここまで描かれてきた数々の回想は、選手本人の頭の中だけで展開していた話。チームメイトはお互いにそのことをまったく知らないのです。それを読む我々だけが、彼らの過去を次々と知っていく。
過去と現在が交錯する中、殿馬はなんとバッターボックスのいちばん外側でかまえます。小さい体・短い腕の殿馬にとって、もっとも不利だと思われるポジションです。当然、ピッチャーの犬飼武蔵はアウトコースに投げ込んできます。
ところが。
長いバットを隠して打席に立っていた殿馬は、狙い通りにやってきたアウトコースのストレートを、ライト方向へ流し打ちするのです。
中学時代、「届かない指」で栄冠を逃した殿馬が、 いま「届かないはずのバット」で栄冠を勝ち取りにいく!
その名も、秘打・円舞曲「別れ」!
説明の都合上、流れだけ説明してますけど、ライトに上がった打球を犬神が追うシーンも本当に素晴らしいので、とにかく単行本を読んでほしい。
で、この秘打に付けられた「別れ」という名前ですけども。
直接的には打球の行方を描写した名前であり(読めばわかります)、もちろん殿馬が過去に弾いた曲名でもあるわけですが、たぶんそれだけではないと思うんですよね。殿馬にとっては「栄冠を逃したあの日」との別れでもあるし、そしてここまでずっと見てきた岩鬼・山田・里中たちが背負った「過去の忌まわしき記憶」との別れをも意味しているように思うのです。
31巻で描かれる数々のエピソードは、「ドカベン」にしてはかなり暗い。でもこの秘打「別れ」によって、まとめて一気にそれらが浄化されるような感覚を覚えます。過去と現在との違いは、もちろん優勝したこともそうですが、何より素晴らしいチームメイトがいること。これに尽きるんじゃないかと。
正直、31巻は「野球を超えたものを描いている」といっても過言ではないのですが、でも表面上はしっかり「野球を描いている」んですよね。いろんなエピソードはキャラクターの内的世界で起こっていることで、外的世界ではしっかりと「野球の試合」になっている。
内的世界と外的世界をクロスさせて描く、それも明訓四天王を立て続けに描く、さらにそこへ試合展開を絡ませながら描く。読み終わった後、「明訓がなぜ強いか」というのが体感的にわかった気持ちになるし、何より明訓のことをもっと好きになる。
「ドカベン」31巻は、そういう巻だと思います。
甲子園で盛り上がってるこの夏、いや夏じゃなくてもいいんだけど、とにかく「ドカベン」31巻を読んでみてほしい。できれば試合が始まる30巻から。本音をいうと中学時代の出会いから始まる1巻から。
私からは以上です。