『SCATTER あなたがここにいてほしい』は2009年にコミックビームで連載開始。既刊7巻。
この漫画を読んでいると本当に色々なことを考えるんだが、文章にするのはむずかしい。なのでひとまず、今回は「童貞」というテーマを取っ掛かりにしてみたい。というのも、この漫画には四人組の童貞が登場するんだが、その描き分けが本当に見事で、全員がたしかに童貞でありながら、それぞれがそれぞれにまったく別の人間として、リアルに描かれているのである。
これが四人の童貞である。右上から時計回りに、牧野、拓、ベビ、久保。全員23歳で、牧野以外は無職。四人は「B4M」というグループを結成している。女性器にバツ印を付けた缶バッジを自作し、メンバー証にしている。活動報告のためのウェブサイトも運営している。グループの目的は「人類からセックスを無くすこと」だ。
以下、四人の童貞をひとりずつ見ていきたい。なお、記事の性質上、ここからは序盤の展開について多少のネタバレを含むことになる。ご理解いただけるとありがたい。それでは一人目の童貞から。
一人目の童貞:牧野
最初に片づけておくべきなのは牧野という男だ。牧野は「ネタ派」である。B4Mとして活動しながらも、それをネタとして割り切っている。そして、工場のバイトで知り合ったフィリピン人女性と、ひそかに付き合っている。牧野を象徴するのは、「人類からセックス無くすって、本気なの拓だけだろ」というセリフだろう。あるいは、「性欲は性欲、B4MはB4Mだろ」でもよい。
要するに、この男は童貞としての活動に本気で取り組んではいないのだ。こんなものは仲間内の遊びにすぎないと考えている。そして実際に、他のメンバーに内緒で、あっさりと童貞を捨てているのだ。もちろん牧野は一般的な「モテる男」ではない。しかし四人の中では相対的にモテる。だからこそ、現実とあっさり折り合いをつけられる。そこに童貞であることの切実さはない。
二人目の童貞:ベビ
二人目はベビである。ベビは「ヤリたい」と叫ぶだけの童貞だ。この男には「語彙」がなく、「思想」もない。ただただ満たされない性欲だけがある。ベビはデパート屋上のトランポリンで「ヤリたい」と連呼しながら飛び跳ねて、係員に注意されてしまう。自分の内にある欲望をうまく制御できず、断片的な叫びとしてすぐに表出してしまうのである。
そして物語の中盤、ベビはある出来事をきっかけに、アイドルの「すすき希」と知り合う(本題とは関係ないが、このネーミングはいつ見ても笑う)。ベビは、すすき希に手コキされることで、あっさりと友人を裏切る。同時に、あからさまに外見が変わる。革ジャンをはおり、アクセサリーを身に付け、髪型を変える。年明けの挨拶は「あけおめ~~!」になる。
「モテない自分」としての劣等感が裏返り、「一流アイドルに手コキされた男」としての優越感に変わっているのだ。その意味で、ベビはもっとも単純であり、まさに「赤ん坊」と呼ぶにふさわしい男である。
三人目の童貞:拓
三人目は拓である。拓はベビほど単純ではない。この男は、ヤレない自分を「思想」の力で何とかしようとするからだ。どういうことか? 拓は「女は汚い」と主張し、女体を「汚体」と言い換えるのである。
男たちは女を求める。いい女とヤレているかどうかで男たちは価値づけられる。このルールを信じているかぎり、童貞は最下層に位置するしかない。だから拓はルールそのものを書き換えようとする。そのために導入されるのが「思想」である。「女体とは汚体である」と言い換えたとき、既存のピラミッドは転倒し、「女にふれない童貞こそが偉い」という世界が生まれるのだ。
物語の進行とともに、B4Mは瓦解する。拓以外のメンバーがさまざまなかたちで「女」と関わっていくからだ。孤立した拓は、思想を過激化させる。拓は、「富士山で勃起しろ」と言いだすのである。「女」を完全否定したうえで、「性的興奮」を別口から侵入させること。欲情の対象を、「女」から「国家」へうつすこと。それが拓の「進化した思想」である。
結局、B4Mは解散する。拓は別の童貞たちをしたがえると、新たに「勃ての会」というグループを結成する(ふたたび余談だが、この三島由紀夫パロディもくだらなすぎて笑う)。
「ネタでしょ」と割り切る牧野。「ヤリたい」と叫ぶだけのベビ。「女は汚い」と価値そのものを転倒させる拓。以上をふまえて、四人目の童貞である久保について考えてみたい。久保こそが、この物語の主人公だからだ。
四人目の童貞:久保
久保は「性欲」を「愛」に変える方向に進んでいく。『SCATTER』には副題が付けられている。「あなたがここにいてほしい」である。注意してほしいのは、これは「女がここにいてほしい」ではないということだ。この漫画では、「誰でもいいからヤリたい」という性欲を、「あなたがここにいてほしい」に変えられるかが問われている。「不特定多数の女」と「あなた」の間にある溝を飛び越えること。それがこの漫画を貫くテーマである。そして、久保にとっての「あなた」は、女性編集者の沢田和美だ。
物語の冒頭において、久保は女に「ぶっかける」ことばかり考えている。ぶっかけるとはどういうことか? 遠距離から女に精液をかけるということだ。そこに「物理的な距離」が許されるということだ。肌をふれあわせずにセックスすることはできない。しかし精液をかけることは可能だ。久保は「女体」を求めているが、「女」そのものには怯えている。だから無意識のうちに、折衷案として「女に精液をかける」ことばかり妄想しているのだ。それが物語の冒頭における久保の位置だ。
そんな久保が沢田和美に出会い、物語がはじまる。沢田に出会うことで、久保は人生ではじめて、「女」ではなく「あなた」を見つける。『SCATTER』の最初の三巻では、沢田和美という存在が久保にとって「あなた」となっていく過程が描かれている。そして第三巻のラストに、美しいシーンがある。
久保はここで、はじめて人と「喜び」を共有する。久保は実家に住みながら、家族とは心理的に断絶していた。そしてB4Mでの結びつきは、童貞であることの劣等感を根拠にしていた。しかしここで、久保ははじめて、「何かを成し遂げたことの喜び」を人と共有するのだ。沢田和美に「私は今…同じ気持ちでいていいか?」と問われ、久保は何も答えることができない。ただジッと沢田を見つめるだけだ。そしてしばらく二人は見つめあう。やがて沢田は照れて目を逸らす。この時、久保は「不特定多数の女」ではない「あなた」としての沢田和美を知るのだ。
もっとも、本人はそのことを自覚していない。久保が自分のなかに生まれた感情を自覚するには、四巻以降の展開を待たねばならない。その意味で、『SCATTER』の最初の三巻は、長い序章のようなものである。四巻以降、久保の前には「敵」が登場し、物語は本格的に動きはじめる。このあたりの話については、また別の記事で書きたい。
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