挿絵付きの読み物とは違う「絵物語」は児童誌にとって欠かせない要素だった。小松崎茂 熱血科学冒険絵物語『南極の聖火』

以前『週刊少年マガジン』のグラビア記事で書いた、「小松崎茂」さんの「絵物語」が手に入ったので御紹介しましょう。

『少年』という月刊誌の昭和30年6月号付録です。

ちなみに『少女』という月刊誌もあります。

どちらも出版社は光文社。

『少年』は昭和31年に『鉄人28号』の連載が開始され、『鉄腕アトム』と並んで絶大な人気を誇りました。

現在も月刊誌の中で一番と言っていい蒐集対象で、特に昭和30年代後半の『少年』は一際高いプレミア価格で販売されてます。

昭和30年代の月刊誌には多くの冊子付録がついてました。

この『南極の聖火』はA5サイズです。

『少年』(光文社)昭和30年6月号付録

挿絵画家である「小松崎茂」さんは画集などはあるものの、作品が書籍として出版された物は少なく付録とはいえ単独名義のこの本は貴重ではないかと思われます。

戦前から昭和30年代まで「絵物語」は雑誌構成に欠かせないジャンルでした。

手元には資料が少ないので断言できませんが簡単に説明すると、絵に合わせて文章が区切られて且つ絵の比率が多い読み物でしょうか。

調べましたが定義は曖昧な様です。

以前『のらくろ』の記事で紹介した『少年俱楽部』昭和8年1月号。

冒険絵物語「孤島の秘密」という作品が掲載されてます。

『少年俱楽部』(大日本雄弁会)昭和8年1月号

漫画『のらくろ伍長』より目次での扱いは大きいですね。

『少年俱楽部』(大日本雄弁会)昭和8年1月号

線が綺麗でモダンな美しい絵柄はこの時代の特徴なのか、画家さん特有なのかはわかりません。

戦前の「絵物語」ももっと入手して比べてみたいところです。

他に「絵ばなし倶楽部」というのがあります。

「絵物語」とどう違うかというと、こちらは低年齢向けの絵と文といった感じです。

以前朝ドラで取り上げられた「村岡花子」さんが見開きページの文を書いており、こういう発見が嬉しいですね。

『少年俱楽部』(大日本雄弁会)昭和8年1月号

のらくろ」の時代から戦争終結を経て10年後の昭和30年。

手塚治虫さんは活躍されてましたが、所謂「トキワ荘」の面々はまだその花を咲かせる前です。

『マガジン』も『サンデー』も創刊されてません。

漫画は子供にとって絶大な人気だったのでしょうが、雑誌の大半を占めるのはもう少し先になります。

『南極の聖火』奥付ページは次号の付録紹介ですが、次号も『少年宮本武蔵』という「絵物語」が第一別冊付録となってます。

『少年』(光文社)昭和30年6月号

この順列の意味はどうなのか何とも言えません。

しかし『鉄腕アトム』が第二別冊付録となっている以上、当時の雑誌における「絵物語」の地位が伺えるのではないかと思います。

ちなみに第三別冊付録の原作が「梶原一騎」さんで、ちょっと「おぉ」となりました。

 

私は昭和36年生まれで、月刊誌全盛の昭和30年代を過ごしたわけではありません。

5歳の頃から漫画を読み始めますが、「絵物語」は載ってはいるものの雑誌の中では脇役的存在でした。

今回『南極の聖火』を読みましたが、少し子供には難しい内容かなとの印象です。

場面転換がとても早く、子供には理解出来無さそうな用語も多く使われてます。

漢字も全てにルビが振ってあるものの、多いですね。

『少年』(光文社)昭和30年6月号

これは『少年俱楽部』掲載の「孤島の秘密」も同様です。

それで思ったのですが、「絵物語」は大人と一緒に楽しむ物ではないかという事です。

物語の内容を想像しやすく絵を多くして、文章は大人が読みやすいように漢字を使う。

子供はわからないところを大人に聞く。

それを大人が解説し、子供の疑問に答える。

そうやって読み進めていく。

いや、あくまで私の想像ですよ。

でもそう考えると物心付いた時から両親は共働きで、一人で過ごすことが多かった子供時代の私が「絵物語」にあまり興味を示さなかったのは納得できます。

もっとも漫画が隆盛を極め出す時代です。

「絵物語」そのものが無くなっていった時期なのも大きな要因ではあるでしょう。

 

前置きが長くなってしまってすいません。

作品の紹介に移りましょう。

大まかにあらすじを説明すると、日本人の少年が南極で「ウラニューム」採掘に関して大活躍する話です。

ニューヨークから始まり、オーストラリア経由で南極へ移動。

南氷洋の捕鯨船団、南極探検隊、そして「ウラニューム」強奪を狙う謎の組織「レッド・スペード団」。

SFとまではいきませんが、陸海空のメカもふんだんに登場する大活劇です。

『少年』(光文社)昭和30年6月号

グラビアで描かれた絵柄とは違う、デッサン調というかラフスケッチのような画が良いですね。

これは小松崎茂さんに限らず「絵物語」全般だと思うのですが、資料不足で断言できません。

いずれ検証したいと思います。

この『南極の聖火』はおそらくですが、付録の為に80ページを描き下ろした作品だと思われます。

これは凄い事ですよ。

更に柱文に「小松崎茂」さんは本誌でも別の「絵物語」を連載されていると書かれているではないですか。

『少年』(光文社)昭和30年6月号

そして振ってある最後の番号が198!

いくら仕事はいえ、これだけ描くのは大変だと思いませんか。

しかも月刊誌の描き下ろしですよ。

その上単独名義ですから文も書いている筈です。

依頼から締め切りまでどれくらいだったのか。

「小松崎茂」という画家の凄さを感じると同時に、当時の「絵物語」という存在がどれほどだったかも想像できますね。

手塚治虫さん以降「トキワ荘」の面々が活躍を始め、雑誌の中で漫画が多くを占めるようになり何時しか消えていった「絵物語」。

また資料を入手して検証していきたいと思ってます。

 

 

記事へのコメント

「なくなる卵」は今でいう絵本に似た構成を感じました。絵本の雑誌版ということだったのでしょうか。「南極の聖火」は絵柄と文が一対一になっている点、紙芝居に近い展開なのかなーと想像しました。読み進めるテンポ感が気になりました。いずれにせよ198枚はすごい。。。

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