声に出して読む赤塚不二夫

声に出して読む赤塚不二夫

 わたしは1960年の生まれで、物心ついたときにはテレビアニメの『鉄腕アトム(1963)が始まっていた。いわゆるアニメ第一世代だ。少なくとも小学校低学年くらいまでは、原作のマンガよりも先にアニメを見るというのが普通だった。『リボンの騎士』も『ジャングル大帝』も『おそ松くん』も、まずアニメで知った。イヤミの「シェーッ」は、なんとなく家に遊びにくる大人がやるのでこちらも真似するようになり、アニメ版『おそ松くん』を見て、ようやくこれかと理解した。それまでは能天気にシェー、シェーと甲高い声で唱えていたのだが、アニメ版のイヤミの声はやけに低く震えており、ちょっと違うなと思った記憶がある。でも、「ザンス」はすぐに気に入って、喉の奥でちょっと響かせるような感じで無理矢理大人びた「ザンス」を真似るようになった。

 アニメよりも先に原作のマンガを読むようになったのはもっとあと、小学校二年か三年くらいからだ。といっても、家ではカッパコミックス版の『鉄腕アトム』を除いて、マンガをまるで買ってもらえなかったので、友達の家に行くたびにずっと座り込んで、そこにある少年誌を読みあさっていた。

 週刊少年サンデーの『もーれつア太郎(19671126日号~)もそんな風に出会ったマンガだったが、これは子供心にショッキングな内容だった。主人公ア太郎のたった一人の家族である父ちゃん×五郎が、近所の子どもの風船をとってやろうとして公園の木から落ち、たったそれだけのことで死んでしまうのである。そのあまりのあっけなさが割り切れなくて、中毒のように何度も読み返した記憶がある。

 『もーれつア太郎』には、やがてデコッ八、ブタ松、そしてニャロメやべし、ケムンパスといった、のちに赤塚マンガの主要キャラクターとなるものが次々と登場した。中でもわたしが好きだったのが、ココロのボスだった。

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もーれつア太郎「ブ太郎の恋の季節」(週刊少年サンデー1968.12.15)より。

 ボスのセリフはもう、マンガから音が出てくるようだった。まだ学校で漢字をあまり習っていない頃で、漢字にルビのついたマンガの吹きだしをたどるのは、判じ物を解読するようだったけれど、カタカナやひらがなの部分は、割合すらすらと読めるものだから、オタマジャクシを習いたての子どもみたいに、どんどん声になる。クラスでもココロのボスの言い回しはやたらと流行った。クーダラナイクーダラナイ。ぽーりょくはんたいのココロ!ハァーポックンポックン

 あれ?おかしいな、この記憶にはどこかあいまいなところがある。

 いま、わたしの頭の中で鳴っているのは、最初にアニメ化されたときにココロのボスをあてていた八奈見乗児の声だ。「クーダラナイ」は、クーが高くてダラナイで下がる。↑クー↓ダラナイ↑クー↓ダラナイ。八奈見乗児のコミカルなイントネーションは唯一無二のもので、彼の声によるココロのボスの言い回しは、強烈な印象で頭に刻み込まれた。のちに『タイムボカン』のボヤッキーの声をきいたときも、ああココロのボスの人だとすぐに判ったくらいだ。

 ところが、ここがあいまいなのだ。

 よく考えてみると、わたしはテレビアニメ版よりも先にマンガ版「もーれつア太郎」を読んでおり、八奈見乗児の声をきくより前にココロのボスが「クーダラナイ!!」と吹きだしの中で断言するのを見ているはずなのだ。試みに初出を調べてみると、ココロのボスが初めてマンガ版に登場するのは、1968113号、一方「もーれつア太郎」のアニメ化は19694月、ココロのボスがアニメ版に登場するのはさらに半年あとだ。では、1968年当時のわたしはどんな風に「クーダラナイ」を声にしていたのだろう。

 うーん。

 うまく思い出せない。

 なにぶん小さいときのことで記憶がはっきりしない。

 しかし、思い出そうとした結果、新たな疑問が浮かんだ。これは何も、わたし一人の問題ではないのではないか。アニメ化される以前、『もーれつア太郎』の読者はどんな口調、どんなイントネーションでココロのボスのことばを頭の中で鳴らしていたのだろう。手がかりは吹きだしの中の「クーダラナイクーダラナイ!!」というカタカナだけ。そして、読み方はさまざまな可能性に開かれている。くだらない、に長音を素直に忍ばせるなら、クーダラ↓ナイ。語尾上げするならクーダラ↓ナ↑イ。それとももっとヘンテコにクー↑ダ↓ラナイか。

 「クーダラナイクーダラナイ!!」は、武居俊樹『赤塚不二夫のことを書いたのだ』(文藝春秋)によれば、当時フジオ・プロでアシスタントをやっていた土田よし子の妹の口癖からきたものだったという。しかし、これは後になって知ったことだし、そもそもわたしは(そして当時の読者も)土田よし子の妹という人に会ったこともなければその声をきいたこともない。手がかりとしては使えない。

 それにしても、どうも最初から「↑クー↓ダラナイ」だった気がするのだ。これは八奈見乗児のイントネーションと同じだから、記憶が後から作り替えられている可能性はあるのだが、それにしても、もしこれ以外のイントネーションで口ずさんでいたとしたら、最初にアニメを見たときに「あ、これはぼくのいってたのとちがう!」という違和感を感じたはずだ。その違和感の記憶がない。

 さて、頭の中で考えている分にはすでに手詰まりだ。ここは原作をあたってみることにしよう。

 先に書いたように、ココロのボスが『もーれつア太郎』に初めて登場するのは「ブタ松一座」(『サンデー1968113日号)のことだが、のちの決めぜりふとなる「クーダラナイ!!」が初めて用いられるのは、次の回「かわいいピーヨコちゃん」(19681110日号)である。子ども好きにもかかわらず子どもがいないココロのボスは「ボクは子どもがいないからサビシイのココロなのだ!!」と二人の子分に言う。子分は「子どもよりかわいいのがここにふたりもいるじゃない!!」と胸を張るのだが、これに対してボスは「クーダラナイ クーダラナイ!!」と指をさす。

もーれつア太郎「かわいいピーヨコちゃん」(1968年11月10日号)より。
もーれつア太郎「かわいいピーヨコちゃん」(1968年11月10日号)より。

 では、このクーダラナイの初出を、当時の人はどんなイントネーションで読んだだろう。

 最大の手がかりは、同じ頁に突然現れるヒヨコだ。ボスはヒヨコを見るなり「ホヒー!!かわいらチい~のココロ!!」と一目惚れしてしまい「この子ボクの子どもにきーめた!!」と宣言する。次のコマでボスはこう言う。「ピ ピー ピーヨコちゃんの ココロでピ~」。

もーれつア太郎「かわいいピーヨコちゃん」(1968年11月10日号)より。
もーれつア太郎「かわいいピーヨコちゃん」(1968年11月10日号)より。

 このフレーズたぶん30代後半から40代以上の人なら、聞き覚えがあるのではないだろうか。そう、これは、TV番組「オレたちひょうきん族」で片岡鶴太郎がやっていた「ピヨコ隊」のフレーズだ。

 そして、わたしと同じかそれより上の世代の人は、さらにそれ以前にオリジナルがあることを知っているだろう。「たまごの親じゃ、ピーヨコちゃんじゃ。ぴっぴっピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃがぁがぁ」。この頭にこびりつくフレーズは、もともと獅子てんや・瀬戸わんやのわんや得意のギャグだった。「ピー」を高めに言ってから「ヨコちゃん」で音程をぐっと下げ、「↑ピー↓ヨコちゃん」。これが瀬戸わんや独特のイントネーションだった。獅子てんや・瀬戸わんやはテレビの寄席番組によく出ており、1960年代後半から「家族そろって歌合戦」の司会者としてさらに人気を博した。当時は多くの人が「ピーヨコちゃん」のイントネーションを獅子わんやの声で即座に再現できたのである。ちなみに、このギャグを獅子てんや・瀬戸わんやが「ぴよこちゃん」としてレコード化したのは、『もーれつア太郎』のエピソードの前年、1967年のことだ。

ぴよこちゃん

 この「ピーヨコちゃん」のイントネーションを頭に浮かべたまま、同じページの上にある「クーダラナイ」に目をやるとき、読者は、「ピーヨコちゃん」と「クーダラナイ」が同じ音数であり、しかももともと「ひよこちゃん」「くだらない」という単語の、同じ箇所に長音を挿入して出来上がった語だということに気づく。いや、実際にはそんなしちめんどくさい理窟をいちいち頭に浮かべなくとも、直感的に「ピーヨコちゃん」と同じイントネーションで「クーダラナイ」が発音できることに気づいただろう。かくして「↑ピー↓ヨコちゃん」は「↑クー↓ダラナイ」へと変換される。

 つまり、赤塚不二夫は、まず当時流行していた「ピーヨコちゃん」のイントネーションを読者の頭に灯らせ、同じ構造をもった文字列を同じページに配置することで、その文字列を替え歌ならぬ替え句として読ませるという手続きをとった。この、説明すると非常に複雑な手続きは、実際には意識せずともすぐに理解できるもので、読者は「クーダラナイ」と「ピーヨコちゃん」という二つの文字列だけを使って、ありうべきイントネーションにたどりつくことができたのである。

 小学生だったわたしが、アニメ体験以前にどのような声を発していたかは、あいかわらずはっきりしない。だが、少なくとも、獅子てんや・瀬戸わんやの「ピーヨコちゃん」ははっきりと覚えており、「家族そろって歌合戦」で司会を務める彼らの姿や、解説者席の笠置シヅ子や高木東六の姿もまた、はっきり思い出すことができる。おそらく、赤塚不二夫の記したカタカナの文字列から「クーダラナイ」を鳴らすことは、難しくなかっただろう。

***

 「ピーヨコちゃん」に限らず赤塚不二夫とフジオ・プロのマンガには、このように当時流行していたギャグや歌があちこちに埋め込まれていた。そこにはもちろん、流行を取り入れることで時代の気分をまとう意味もあっただろう。しかし、子どもにとって重要だったのは、それをいかにして声にするかだった。そして『もーれつア太郎』は極めて音読性の高い作品であり、声にすることを誘う作品だったことだ。赤塚不二夫が吹きだしに「-」と長音を書けば、そこに通常の語にはない捻れを感じ、「~」と波線を書けば、よろよろと声を波打たせる。赤塚不二夫の記す文字列は、いわば音符であり、読者は、あらゆる知識と手段を使ってその音符のイントネーションを読み解き、頭の中で声に出して読んだ。

 赤塚不二夫作品を読み進めると、あちこちでことばが波打ち、歌が鳴る。当時流行のフレーズの数々は、読者が赤塚音符を読み、そこから声の抑揚を引き出すための手がかりだったのである。

赤塚音符の例として、もーれつア太郎「デコッ八大いにぐれる」(週刊少年サンデー1968.9.8)を見てみよう。

赤塚音符の例として、もーれつア太郎「デコッ八大いにぐれる」(週刊少年サンデー1968.9.8)を見てみよう。主要キャラクターの一人、ブタ松二度目の登場の回。「ブタ松でたぞこわいぞイッヒッヒ」「だめなのよーだめなのよ~~~~~」というセリフは、どこか音楽的な感じがするが、当時の読者は、その文字列から、水虫薬「ポリック」のCMソング「水虫でたぞ水虫でたぞ かゆいぞイッヒッヒ」「だめなのよー、だめなのよー」を即座に思い浮かべ、その節回しを使ってブタ松の声を再生することができた。それはさておき、街頭でレコードを回して踊るライバルのサイケ一家がうらやましい。

主要キャラクターの一人、ブタ松二度目の登場の回。「ブタ松でたぞこわいぞイッヒッヒ」「だめなのよーだめなのよ~~~~~」というセリフは、どこか音楽的な感じがするが、実はこれには元ネタがある。当時の読者なら、その文字列から、水虫薬「ポリック」のCMソング「水虫でたぞ水虫でたぞ かゆいぞイッヒッヒ」「だめなのよー、だめなのよー」を即座に思い浮かべ、その節回しを使ってブタ松の声を再生することができただろう。もっとも、流行のCM調で粋がるブタ松も、街頭でレコードを回しながらフリースタイルに興じるサイケ一家にはかなわないのである。

ポリック1966

なつかしのCM 「明治製菓 ハイポリック」

文 / 細馬宏通

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