つい最近手に入れた『週刊少年マガジン』昭和43年50号。
昭和41年から43年の前半までは特撮やテレビ番組の特集グラビアが大きな魅力のマガジンですが、イラストによる特集も多く企画されてます。
翌年の44年からは読者層の成長に合わせたのか、グラビアも掲載漫画も少し大人びた内容に変わっていきます。
何か所かページの下部が欠けている為安価だった事もあり、43年終盤の号ですがグラビアが魅力で入手しました。
カラーイラストの『世界大終末』、なんと全て「小松崎茂」さんの絵なんですよ。
普通は名うてのイラストレーター複数名で構成されてます。
それが挿絵画家第1人者である「小松崎茂」さんのみのグラビア。
贅沢ですね。
企画・構成は「大伴昌司」さん。
言わずもがな、怪獣ブームの立役者です。
資料が「野田宏一郎」さん。
野田昌弘名義でも有名ですが、創世期の日本SF界で重要な役割を担った方です。
そして「世界大終末」というタイトル。
『ノストラダムスの大予言』出版前です。
この当時は「滅亡」「怪奇」「幽霊」「不思議」等々子供心に興味深々の特集が少年漫画週刊誌を賑わせておりました。
『ウルトラQ』や『ウルトラマン』を幼少期にリアルタイムで見た私はこの手のグラビアが大好きで、漫画より楽しく見てたかもしれません。
特撮や怪獣の特集グラビア号はかなりの高額プレミアがついてなかなか手が出せませんが、イラストグラビアだってまた違った魅力が十分です。
では全15ページですが、抜粋して内容を紹介しましょう。
海に埋もれた国会議事堂の前まで豪華客船が流されてくるタイトルページから発想力満開です。
見開きカラーイラストのタイトルは「TOKYO大火山」。
東京タワーに避難する様子が描かれてます。
そして「霞が関ビル」が描かれているのが懐かしいですね。
調べたところ完成がまさに1968年です。
この頃の少年誌や学年誌で組まれた「日本一」の特集で、日本で一番高いビルとして紹介されてました。
当時に刷り込まれた日本一の冠。
還暦過ぎた今でも「霞が関ビル」の名前は私の頭に刻まれてます。
見開きの下部がカラーの広告なのも、この頃の雑誌ではよく見られます。
ガムのおまけのシールはキャラ物が多く、私も家具に貼ったりしてました。
実家にはまだ貼られた家具が残ってます。
見開き2色ページは「海底さばく」。
タンカーの迫力が凄いですね。
調査員が風船を背負って空中にいます。
風船って、と思いますがこういうのが古い特集の面白さです。
見開きカラーの「地球大脱出」。
巨大宇宙船で地球から脱出する様が描かれてますが、何故か動物から乗り入れてます。
「ノアの箱舟」を意識したのでしょうか。
2匹ずつ乗り込んでいるのはおそらく「つがい」で、種の存続の為でしょう。
最後は2色見開きで「そしてだれもいなくなった」。
人類はひとり残らず滅亡。
最後を締める言葉は「ここには人間はひとりもいない!」。
続いてモノクロページの特集を紹介しましょう。
この頃の少年誌は巻頭のカラーグラビアと、巻中のモノクロ記事の2本立てが当たり前でした。
タイトルは「日本の妖怪総探検」。
こちらは4人の挿絵画家で構成されてます。
その中でも私が大好きな「石原豪人」さんの「くもん火」と「船ゆうれい」の画を。
「石原豪人」さんはリアルで迫力があるのは勿論ですが、苦悶して恐怖に喘ぐ人間の表情がとんでもなく上手いんですよ。
画を見るこっちまで苦しくなる描写は子供心に焼き付けられました。
もっとも当時は挿絵画家が誰なのか考えて見てません。
大人になって「あぁ、この絵を描いてたのはこの方なのか」と意識するようになりました。
いずれ資料が揃ったら「石原豪人」さんのカラー画を紹介します。
ではせっかくなので、この号唯一のカラー扉絵である『あしたのジョー』と隣の広告の画像もお届けします。
「サイコロキャラメル」の広告は『水曜どうでしょう』好きにはたまらないですね。
最後に目次ページを。
所有する1971年の『マガジン』は目次のトップは漫画からですが、この1968年の号では特集記事や読み物から書かれてます。
この辺の目次構成も気になります。
雑誌内における漫画の地位の変動が伺えると思うのですが、もっと多くの年代の物が必要ですね。
いずれ検証出来ればと思います。
世代的に昭和40年代前半の週刊少年漫画誌は思い入れが強く、巻頭グラビアに力を入れた『サンデー』や『キング』も入手出来ればまた紹介したいと思います。