2月20日、松本零士氏の訃報が入りました。いずれ避け得ぬこととはいえ、『聖凡人伝』が座右の作品の一つである筆者にとってショックはショックです。そんななので、『聖凡人伝』の記事の中で「自分の中では双璧」と書いたもう一つの作品『ガンフロンティア』について紹介しようと思います。
本作の連載は秋田書店の『プレイコミック』。72年11月11日号に第1話が掲載され、毎号掲載ではない飛び飛びの形で74年12月14日号まで連載が続けられました(『プレイコミック』をはじめとした70年代の秋田書店青年誌、国会図書館に全然入ってないのでこの辺の細かい確認がしづらいんすよなー)。単行本は最初秋田漫画文庫から全3巻(70年代には「第一次漫画文庫ブーム」と呼ばれる漫画文庫が出まくった時期があり、最初から文庫で単行本が出るケースもあったのです)、後に愛蔵版2巻、90年代の秋田漫画文庫で全2巻(本記事の出典はこれです。90年代は「第二次漫画文庫ブーム」が起きており、これは現在につながっています)が出ています。
話の舞台は南北戦争後のアメリカ西部となっておりまして、チビ・近眼・ガニ股で銃の腕はド下手だが仕込み刀の腕は抜群なトチローと、
銃の腕が抜群で見た目は白人だが日本人の血も混じっており、アイデンティティーは日本人である相棒・ハーロックというコンビが主人公です。
本作、後に同じ『プレイコミック』で連載され、松本ロマンSFの代表作の一つとなった『宇宙海賊キャプテンハーロック』でも無二の親友である二人(松本作品はスターシステムと作品が直接リンクしてるのが両方あるんでややこしいんですが、『ガンフロンティア』と『キャプテンハーロック』の場合は前者です。まあ『キャプテンハーロック』だとトチローは故人ですが)が初めてコンビを組んだ作品なんですね。この二人、ゴダイゴの主題歌が知られる劇場版『銀河鉄道999』にも出てるんで、そっちで知ってる方も多いかもしれません。
で、自分たちと同じ日本人の仲間(作中では「幽霊西部人(ゴーストウェスターナー)」と呼ばれています)を探して旅するこの二人に、「組織」(詳細は不明)のエージェントとして「幽霊西部人」の調査を命じられている(が、すぐに二人、特にトチローに惹かれてしまう)シヌノラという松本美女がついてきて、三人で西部のいろいろな街に行くというのが毎回の話となっております。構図としては、後の『銀河鉄道999』のプロトタイプとも言える感じですね。
ただ、シリアスで物悲しさをまとっていたSFである『999』とは違い、本作はギャグを基調としたマカロニ・ウェスタン風作品です。金の単位からして基本的にドルじゃなくて円(ドルが300円の頃なんで”1000$・30万円”って書かれてたりします)ですし、脇役人物や町の名前も「ウンチシター」「ネタラエーヤンカ」「リトルビッグペニス」「マゾタウン」などといったふざけたものばかり。
出てくる白人は、基本的に有色人種差別主義者かつ男は殺し女は犯す蛮族で、何かとすぐトチローたちをしばり首にしたがりますし、シヌノラのことは裸にしたり犯したりします。
『キャプテンハーロック』だと物静かで達観した無敵の大人な男という感じであるハーロックも、本作だとだいぶ軽薄かつマヌケな所も多くて、強い相手にはころっと負けたりします。
これに、当時でも怒られるんじゃねえかこれという感じな描写のインディアン(不適切な表現であることは承知ですが、作中に従います)なんかも加わって、テンポよくひたすらセックスと暴力が乱れ飛びます。
エロスとタナトスという点では『聖凡人伝』と同じなんですが、死が基本的に自殺でダウナーめいていた『聖凡人伝』に対し、本作での死は基本的にしばり首&銃殺と他殺なので、全体にアッパーな感じなのが異なりますね。
……と、ここで一つ言っておきますと、本作は「完成度が高い作品」かと言われると正直困ります。そもそも設定からして「なんでハーロックが日本人なんだ」という感じですし(第1話の時点では白人として設定してたんじゃないかなーというフシもあります)、メイン二人が日本人で目的が同じなので、キャラ分ける物語上の必然性も薄いんですよね。実際、本作連載の直前に『少年サンデー』に掲載されたプロトタイプ的読切「西武長屋人別帖」(コミックスに「ガンフロンティア外伝」として収録)や、本作の後に『Apache』(77〜78年、講談社)という半年で潰れた雑誌で連載された『大草原の小さな四畳半』といった作品ではハーロックは出ず、主人公はトチロー一人です。また、本作の前に『高一時代』(旺文社)にて連載された『思春期100万年』(眠っている間、微生物から未来人までさまざまな生命の「死」を追体験するという体質になってしまった少年・足立太の物語)の第2話サブタイはずばり「ガンフロンティア」ですが、ここで登場するのは見た目はトチローで名前はハーロックという一人の人物です。
ヒロインたるシヌノラの造形も歪なところがあり、明らかにトチローのことが本命ではあるんですけど、それはそれとしてサービスシーンがマンネリに陥らないようにするためかハーロックやモブとの性行為の方が圧倒的に多いため、読者が「この人、好きな男がいるところで別の男に抱かれることが快感なのでは?」という疑念を抱いてしまう感じで、メーテルとかエメラルダスとか一本気なタイプが多い松本美女の中では異彩を放つ魅力を持っております。世が世ならビデオレターとか送っててもおかしくない。
作品全体を通しての話だけでなく、各話の中でもじっくり読むと「あれ、ここ展開どうなってるんだ?」となる時がなくもない(例えば「ガニマタ讃歌」の回とか、登場人物の行動に全然筋が通ってなくて困惑します)。ただまあ、『闘将!!拉麺男』(読むと「『キン肉マン』はめっちゃ整然とした話だったな……」ってなりますよ)あたりと比較したら困惑度は全然かわいいもんですし、作中でも「世の中は筋の通った話ばかりだと思ったら大間違いだ 筋が通らなくてもムリヤリ通してしまうのが特に西部のいい所だといわれているのだ」とか、
「とにかくこのごろの西部はおかしな話が多い ワケがワカラン」「ワケがワカラなくても話が進むところが西部のいいところだトチロー」とか言われたりしているので、筋が通らなくても面白いから気にするべきではないのでしょう。
あれですよ、例えば映画の『男たちの挽歌II』だって、シナリオ(無印で壮絶に死んだチョウ・ユンファを「実は双子の兄弟がいた」で再登場させる安直ぶり)も編集(当初2時間半だったのを会社の要求で105分に切り詰めたそうですが、それなのにアメリカでのルンさんの拒食症を治すとことか「こんなに尺割く必要なくない?」というシーンが多いのはどういうわけなんだ)も全てがハチャメチャな完成度の低い作品ですけど、メチャクチャ面白いじゃないですか。そういう作品はそういう作品でいいのです。男らしくない男は死に、男らしい男も死ぬ。それでいいじゃあありませんか。今日も明日もオレの胸の中でガンフロンティアの風が男の歌をうたいつづけるのだ。