青山広美インタビュー前編 ギャグに始まり少女漫画、SF麻雀漫画まで多様な漫画家生活初期

 青山広美。麻雀漫画をある程度以上読んでいる人であれば、ほとんどがこの名前を知っていることでしょう……という青山氏についての説明は、インタビューに併せて書いた特集記事をお読みください。デビューしてから40年、数多の傑作もものしてきたというのに、インタビューは『ダイヤモンド』連載当初に小学館のウェブサイト上で小さいものがあったのみというわけで行ってきた次第。
 現在お住まいである仙台の喫茶店にて、現在連載中の『ストラグリング・ガールズ~一発逆転の頭脳決戦~』担当である秋田書店の小林氏を交え、デビューから最新作までじっくりお話を伺いました。

 

【デビューと「青山パセリ」時代】

——まずは漫画家になられたきっかけというところからお聞きしたいんですけれども。お好きな漫画家さんとかいらっしゃったんでしょうか。

青山 子供の頃から漫画は読んでいましたが、小学生の頃はジャンプとかマガジンとか普通の少年誌でしたね。友達が買ったの借りたりとかで。『ワイルド7』とか『ドカベン』とかそういう時代ですね。少女漫画も姉が買ってたんですが、意識して読むようになったのは中学か高校かぐらいの頃、『ポーの一族』とかあの辺りからじゃないかなと思います。少女漫画の最初の思い出っていうと、萩尾望都先生と大島弓子先生、山岸凉子先生、樹村みのり先生、やっぱりその辺ですよね。

——まさに70年代を代表する少女漫画家さんたちですね。

青山 その辺はコンスタントに読んでました。単行本も姉が買ったのを読んでましたね。

——もともと仙台のお生まれなんですよね。

青山 そうですね。高校まで仙台で、大学受験で東京へ。

——それで上智大学に。

青山 それまで漫画は全く描いてなくて、漫画家に絶対なりたいとかそういうことは特になかったんですけれども、大学に入った時に漫研に入ったんです。それで初めて漫画を描くようになりました。あまり一般的な漫画ではなくて、どちらかというとイラストのような不思議な感じのものを描いてました。

——在学中にデビューされたということですけれども、投稿をされたということでしょうか。それとも、編集部に漫研の先輩がいたとかになるのでしょうか。

青山 実は2年生の時に留年したんですよ。そのせいで奨学金を止められてしまったんですね。それでなんかアルバイトしなきゃいけなくなって、どうしようかなと思っていたんです。大学に入った頃は普通に卒業してサラリーマンになると思ってたんですけれども、その頃になるとこの方向はもうないなと思ってたんですね。それからですね、ちゃんと漫画家を目指すようになったのは。それで、たまたま漫研の知り合いで片山まさゆき先生を知ってる人がいたので、アシスタントをすることになりました。

——なるほど。

青山 アシスタントと別に自分でも漫画を描かないといけないとなと思ってたんですが、ちょうど同じぐらいの時期に、『漫画ゴラク』の編集部にいた漫研OBの人から「なんか描いてみないか」と話があったんです。その頃の私が描けたのは短いギャグ漫画くらいだったので、そういうのを描いて見せていたところ、「今度増刊号が出るのでそれ向けに描いてみないか」という話になったんです。それに向けてネームを描いたりいろいろやっていたんですが、その時ちょうどゴラク本誌でどなたかが病気で休まれて、穴が開いたので描いてくれないかという話が急遽やってきまして、急ごしらえなんでひどい話でしたけれど、デビューしてしまったんです。

小林 すごいですね、デビューそんな話だったんですか。

青山 「いいのかな」と思ったんですけれどね。

——「青山パセリ」というペンネームはどのようにしてつけたのでしょうか。ご本名と全然違いますよね。

青山 その編集さんがつけたんです。ギャグ漫画なんだからギャグ漫画っぽい名前がいいと。色んな案を出されて、その中から雰囲気的にこれでと。

——パセリという野菜に思い入れがあったとかそういうわけではないんですね。

青山 苗字はなんか色がついてる地名っぽいの、「青山」とか「赤坂」とかそういうので、下は野菜というのがキャッチーでいいだろうと、そんな感じの案がたくさんあって、それで適当につけた感じなんです。

——トマトとかになってた可能性もあるわけですね。

青山 それで結局、ゴラク本誌には1回か2回載ったんですよ。それから1・2ヶ月おいて、本来載るはずだった増刊号にも載って……。

『漫画ゴラク』83年11月18日号より。デビュー作か2作めのどちらかとのこと

——それから割とすぐに、『漫画サンデー』で『ジャンゴー・キッド』の連載ですかね。

『ジャンゴー・キッド』

青山 載った3本のやつのどれかを見て、実業之日本社から依頼が来たんです。月刊誌の方に「とりあえず読切」ってはずで1本描いたんですけれど、そのままズルズルと連載になっちゃった。

——あ、それが『サンデーまんが』(※1)の方の『ロンメル将軍』(※2)ですか。

(※1)83〜86年。『漫画サンデー』とめちゃくちゃ名前が紛らわしいが、当時実業之日本社が出していた月刊4コマ漫画誌。『ふんどし太郎ストーリー』の記事でも少し書きましたが、当時はマジで色んな出版社が4コマ誌を出していたのです。日本文芸社もゴラクの増刊扱いで『快笑まんが』(ウェブ上に情報がほとんどない)なんてのを出してたり。

(※2)単行本『フラクタル・パセリ』収録。上記のゴラク掲載「カンちゃん」をブラッシュアップしたような麻雀ギャグで(主人公の名前が「ロンちゃん」に変更)、戦車乗りのロンメル将軍とは特に関係はない。

青山 そうですね、多分そうだと思います。なので、片山先生のところにアシスタントに行って1・2ヶ月後にはもうデビューしちゃって、すぐに連載も始まっちゃって、さらに3・4ヶ月経ったら週刊のマンサン本誌の方でも連載始まって。アシスタントをやってたのは半年ぐらいだったと思います。

——あっという間のデビューという感じですね。

青山 とりあえず来た仕事やっていったっていう感じで。片山先生のアシスタントやってたからから、注文も思いっきりそんな感じの作品で(笑)。描いてるうちに、あの頃は麻雀漫画誌いっぱいあったので、あちこちから仕事が来るような感じでしたね。

——『傑作麻雀劇画』(※3)とか『劇画麻雀時代』(※4)とか。馬場裕一(※5)さんと組んで麻雀教室的な漫画もやられてましたよね。あとは徳間書店の『ガッツ麻雀』(※6)とか。そして『フラクタル・パセリ』の巻頭に入ってる描き下ろし作品、これなんかはストーリー漫画ですけれども、この辺りが最初のストーリー漫画っていう感じですかね。

(※3)実業之日本社刊。78年3月〜88年10月。竹書房以外の麻雀漫画誌の中では一番の老舗。主な掲載作に志村裕次+渡辺みちお海雀王』など。

(※4)笠倉出版社刊。84年?〜90年11月。青山氏は初心者レクチャーマンガ「馬場裕一の麻雀教室」を連載。主な掲載作に吉田幸彦+嶺岸信明『風牌に訊け』など。

(※5)プロ雀士。通称「バビィ」「ババプロ」。80〜90年代の麻雀漫画を読んでいた人なら全員知っているだろうというくらい麻雀&麻雀漫画界に深く関わった人で、片山まさゆきスーパーヅガン』には「ババプロ」というキャラとしてそのまま登場していたり(アニメ版での声優は玄田哲章)。今年『馬場裕一の見た夢』という麻雀界の歴史+半自伝的な本を刊行されております。

(※6)むかし書いた『ヴァラナシの牙』の記事参照

単行本『フラクタル・パセリ』(笠倉出版社)

青山 そうですね。実業之日本社でやった連載を他社で出すという感じで編集部に持ち込んで、ストーリー漫画もやりたいって言ったらなんか通っちゃったんですよね。自分ではストーリーの方もやりたかったんで、その頃から少女誌の方にも投稿は始めてたと思います。『ぶ〜け』(※7)に2・3回投稿してたはずなんですよ。ただ、だんだん忙しくなってきたので、その後しばらく投稿のブランクがあったと思うんです。あんまりはっきりと覚えてないんですけれど。

(※7)集英社刊。78〜00年。主な掲載作に松苗あけみ純情クレイジーフルーツ』、内田善美星の時計のLiddell』など。

——麻雀漫画の方でも、『傑作麻雀劇画』の最後の方で連載されていた「サイコロ兄弟」シリーズの辺りからシリアスをやられるようになった感じですよね。絵柄的にも等身が上がって。

モノクロコピーでちょっと分かりづらいですですが、青山氏の「サイコロ兄弟」が表紙の『傑作麻雀劇画』最終号

青山 そうですね。あの頃は、麻雀漫画でやりながらどうやって絵柄を少女漫画に近づけるかっていう感じで、すごく試行錯誤してましたね。どうしようかと。あまり少女的な絵柄にしてしまうと今の仕事に差し支えがあるかもしれないと思うし、その辺の様子も見つつ色々考えて……。

——ギャグ麻雀漫画と少女漫画の同時は大変ですね……。『パワーボムTHEATER』が『ジャックポット』(※8)で88年スタートですから、それもちょっと重なる感じですよね。

(※8)リイド社刊。88〜98年。『ヤングリイドコミック』→『ジャックポット』→『コミックマイティ』→『コミックD』と誌名変更してのリニューアルを何度もしている。主な掲載作に『ふんどし太郎ストーリー』、石川賢爆末伝』など。『キッチンぱらだいす』連載は誌名が『ジャックポット』時代の最末期で、マジで他の作品が全部エロorバイオレンス。

『パワーボムTHEATER』

青山 その頃ってもう原作もやってたはずなんですよね。一番色んなことに手を出してた時期なんですよ。すごい大変でした。ギャグもやりつつストーリーも視野に入れつつという感じで。

——『パワーボムTHEATER』も、ギャグではありますけれども絵柄的には『ジャンゴー・キッド』とかの頃とは違って、等身も上げてシリアス目でも使える絵柄になってますよね。

青山 そうですね。これに関しては雑誌自体がいわゆるエッチ系寄りの雑誌だったので、そういうシーンを描いておけばネタは割と何でもいい、時々変な話が入ってもOKというという感じだったんですよね(笑)。

——背表紙の惹句は一応「エッチ&ブラックギャグ」ってなってますけど、内容的にはSFとかホラーの話も多いですよね。環境の変化で人間が胎児ではなく卵を産むようになる話とか。

青山 麻雀漫画と同じですね。あれも麻雀さえやってれば後はかなり設定を自由にしてもいい。

——そもそも『ジャックポット』で描かれたきっかけは。

青山 最初は『リイドコミック』からの依頼だったと思います。そっちで単行本になってないやつがあるんですが、その後で「今度新しい雑誌ができるんでそっちでも」っていう感じで。

——この頃、原作仕事で『THE HEAVY』も始まっていますよね。後に何本か手掛けられることになる格闘ものの一番最初っていうことになると思いますが。

青山 あれは何で依頼が来たんだったかな。その前に他の原作を何本かやってたと思うんですよ。

——そもそも原作をやられるようになったのはどういうきっかけだったのでしょうか。

青山 その頃、映画とかテレビドラマとかのシナリオを読みまくってた時期だったんです。高校の終わりぐらいからほとんどテレビ見てなくて、東京に出てからもテレビのない生活をしてたんで、あの頃話題になってた『北の国から』とかそういうのを、どういう話か確認しようと思って図書館に行ってシナリオ読み始めたんです。そうしたらなかなかそれが面白くて、倉本聰、山田太一、向田邦子、あの辺りを全集で読みましたね。あと日本の昔の映画だったり、海外の脚本だったり。それでシナリオも自分で書きたいなとなったんですね。編集者に話したら「書いてみないか」となって、なんか読切で書いたんですよ。2本ぐらい書いてたんじゃないかと思います。『THE HEAVY』の開始はどうだったかな、あんまり前後ははっきり覚えてないですね。

——大関がヘビー級ボクサーに転向するという話ですが、相撲は見られてたんですかね。『パワーボムTHEATER』1巻のあとがきでちょっと相撲の話もされてますけど。

青山 そこまで相撲見てたっていうわけでもなく、ボクシングも実は連載が始まるまで見たことなかったんです(笑)。でも連載が始まるっていうので後楽園ホールまで行きました。まあたまたまですね。ちょっと細かいところは忘れちゃってるんですが。

——これは単行本が最終回まで入ってないですよね。

青山 そうなんですよ。『ジャックポット』が路線変更になったり休刊になったりとかいろいろあって。

——はしもとみつお先生と組んだ『キッチンぱらだいす』につきましては。

『キッチンぱらだいす』

青山 確か編集者と話していて、私が料理好きだという話になって「じゃあ書いてみないか」となったんだと思います。あの頃はノートに鉛筆で原作書いてましたよ。

——単行本の巻末に栄養学の参考資料とかすごいたくさん書いてありますね。

小林 あ、これ作品は結構古かったんですか。最近廉価版で出たのは本当に何年越しでのっていうレベルなんですね。びっくりしました。

青山 相当古いです。あの時の一番最後の担当さんがずっと気にかけてたらしくて、それで廉価版が出たんです。雑誌が休刊になった影響で未発表の回があるんですよね。それで廉価版は、雑誌に載ってないやつもまとめて載せましょうと。最後の方の話とかは載ってなかったはずです。

小林 じゃああれが初出なんですか。

青山 だからちょうど良かったですね。

小林 あの単行本頂いて、家に置いてたら娘が好きですごく読んでます。

青山 あれはエロと暴力しか乗ってない雑誌の唯一の良心と言われてました(笑)

 

【少女漫画デビューと『トーキョーゲーム』】

——『パワーボムTHEATER』連載中の90年に、『プチフラワー』(※9)のコミックスクールで「箱舟の朝」が佳作入選されてますね。

(※9)小学館刊。80〜02年。現在の『フラワーズ』の前身。主な掲載作に吉田秋生河よりも長くゆるやかに』、萩尾望都残酷な神が支配する』など。

『箱舟の朝』

青山 やってる最中でしたか。これもかなり久々に描いた少女漫画で、『プチフラワー』への投稿は初めてだったんじゃなかったかな。

——やっぱり萩尾さんとか描かれてた(※10)雑誌だったから『プチフラワー』に投稿されたんでしょうか。

(※10)この頃同誌では萩尾氏が『ローマへの道』を発表中。

青山 自分で描いてて、雰囲気的にもう『ぶ〜け』じゃないなと。もうちょっと青年誌寄りというか。

——ささやななえさん(※11)が選評で、「絵がすごい達者」って褒めていらっしゃいました。

(※11)現・ささやななえこ。いわゆる「24年組」の一人であり、当時の『プチフラワー』では新人賞の選考委員の一人も務めていた。

青山 そんなこと書かれてましたっけ(笑)

——それで受賞発表の次の号で掲載。この時に青山広美のペンネームも使われてますね。

青山 そうですね。そろそろもうパセリじゃないなと。原作での使用が最初だったかもしれません。その頃は同じ雑誌に載るっていうと別の名前にする習慣がありましたから、原作名は別の名前にしたのだったのかも。それでそのまま使ったんだと思います。

——しばらくは『プチフラワー』掲載が何本かありますが、読切の依頼が何本かあったっていう感じなんですかね。

青山 『プチフラワー』は依頼という感じじゃなくて、持って行って採用になったらすぐ載るんですよ。ボツになったらそのまま。だから描き直しも何もないんです。結局5本載ったんだったかな。それでボツになったのは2本だから、割と打率は良かったんです。

小林 完成原稿持っていったんですか。

青山 そうです、ネームじゃなくて完成原稿。直しも何もないんです。「ここはこうした方が良かったね」とか言うんだけど、でも直すも何もないんです。マルかバツかなんです。

——この辺りの作品、今はもうない携帯コミックサイトで配信されてましたが。

青山 あれは向こうから話があって、「単行本未収録のものとかがあればこちらで扱いたい」と。向こうで契約書とか見て「この辺は大丈夫そう」とかそういう感じだったと思います。

——『プチフラワー』の掲載作と「真剣師MARIA!」、あと完全に初出がわからない短編が1本……。

『真剣師MARIA!』

青山 それの掲載は何かの雑誌の創刊号だったと思うんですよ。ワニマガジンだったかな。何かの創刊号の巻頭だったはずで。雑誌の中ですごく浮いてたんですけれど、編集長か誰かで私の作品を好きだった人がいたんでしょうね。それも続けて描いてほしいっていう話だったんですけれど、その頃はスケジュールがいっぱいで、創刊号だけで縁が切れてしまって。そのあと早々と休刊したんじゃなかったかと。この頃は『パワーボムTHEATER』もあるし原作もあるし少女漫画もあるし、ギャグ漫画もストーリー漫画もあるしで、ストレスでけっこう体壊してましたね。どうしようかなっていう時期でした。で、まずギャグの方は『パワーボムTHEATER』を最後に手を引いて、青山パセリ名義も終わりという感じで。

——『パワーボムTHEATER』が92年に終わって、入れ替わるように93年から『トーキョーゲーム』ですね。

『トーキョーゲーム』

青山 『トーキョーゲーム』が始まったあたりで忙しくなりました。少女漫画の方は手が回らなくなってそのままっていう感じです。

——確かに『トーキョーゲーム』とギリギリかぶってる時期に一番最後の『プチフラワー』掲載作が載って、それで終わりですね。

青山 『トーキョーゲーム』はなし崩しに連載になったんですよ。最初は短期集中みたいな感じの話を編集としたような気がしたんですが、気がついたら実は連載になってて(笑)

——その頃の竹書房、そういうのが多いですね。

青山 忘年会に出たら「次の締め切りをどうのこうの」っていう話になって、「あれっ? 終わったんじゃなかったでしたっけ?」って言ったら「連載ですよ」って。それで慌てて描いた記憶があります。

——そうすると、連載の最初では最終的な結末とかは決めてなかったという感じになりますか。

青山 決めてないですね。そもそも『トーキョーゲーム』の着想は、単行本にもちょっと書きましたけど、夢で出てきた「椅子の男」っていう単語だけなんですよね。なんか上の方にそういう名前の強いやつがいて、それを倒しに行くっていうだけ。「椅子の男」って言葉がかっこいいなと思って、それで描いたんです。

——「アンゴルモア・クラッシュ」とかの設定などは。

青山 それは、その頃そういう時期ではあったんで。ノストラダムスの予言とかもまだ生きてた時代ですし、世紀末的なものがいいんじゃないかなと。細かい設定は描きながらです。基本的に私は先まで決めて描くことはないんです。伏線とかはだいたい描きながら途中で作ってます。「椅子の男」って言葉の意味も、最後の方になって明かさなきゃいけない回が来てから考えた感じです。

——全然そうは思えないぐらい綺麗にはまっていたので驚きました。最初からかなり計算して描いてたのかとばかり。青い星もすごいキャラが立ってますし、サムライとかゴッド・ウルフとかの敵もしびれる設定だなと思いました。

青山 全体的なイメージは、世紀末の時代っていうのもあるんですけど、色々SFの小説とかからイメージを持ってきてるところもありますね。

——あ、やっぱりSFは読まれてたんですか。『トーキョーゲーム』にはサブタイトルで「復活の日」(※12)とかありますし、あと「ゲルニカ・オーバードライブ」は『モナリザ・オーヴァドライヴ』(※13)ですよね。

(※12)小松左京作のSF小説(64年)。ウイルス兵器と核ミサイルによって人類がほぼ死滅する中で、生き残りとなった南極基地観測隊員たちが人類を存続させようとする様子を描く。80年に深作欣二監督で映画化。『パワーボムTHEATER』内にもパロディ回があります。

(※13)ウィリアム・ギブスン作のSF小説(88年)。『ニューロマンサー』『カウント・ゼロ』に続く「スプロール三部作」と呼ばれるシリーズの3作め。

青山 そうです、ウィリアム・ギブスン(※14)から借用しましたね。あの辺のサイバーパンクのイメージをやりたいなと思ったんです。わかる人はわかるだろうなと思って色々入れてあるんですが。

(※14)1948〜。アメリカのSF作家。84年に発表した初の長編小説『ニューロマンサー』が世界的な大ヒット作となり、「サイバーパンク」という新たなジャンルの旗手となる。この人がいなかったら『マトリックス』も『ニンジャスレイヤー』もないです。

——サイバネティック・ローザなんてのはまさにサイバーパンクの系譜ですね。

青山 ただ、ギブスンは実はそこまで読んでないんですよ(笑)。『モナリザ・オーヴァドライブ』も本はあるんですけど内容覚えてないんです。ブルース・スターリング(※15)の方が好きだったんですよ。あとグレッグ・ベア(※16)ですね。『トーキョーゲーム』はあの辺のイメージですね。色んなものがなんかこう破壊と融合を繰り返して突き進んでいくような。『スキズマトリックス』はもう何度も読みましたね。

(※15)1954〜。ギブスンと並び称されるサイバーパンクの旗手であるSF作家。『スキズマトリックス』は代表作となる長編で、宇宙進出にあたり遺伝子工学で肉体を改造する方向に行った集団と機械と融合する方向に行った集団との対立を軸とする「機械主義者/工作者」シリーズの一つ。

(※16)1951〜2022。ハードSFの書き手として知られるが、『無限コンチェルト』などファンタジーの作品もあり。『鏖戦/凍月』は追悼として今年に刊行された、中編ハードSF2本をカップリングした一冊。

トーキョーゲーム』1巻144ページよりサイバネティック・ローザと
ハヤカワ文庫SF『スキズマトリックス』カバー

——今すごく繋がった感じが。ベアも追悼でこの前『鏖戦/凍月』が出ましたね。

青山 読みましたよ。今読んでもめっちゃハードですよね。むかし読んだ時はなかなかついていけないものがあったけれど、読者をある程度置き去りにしたような世界観っていうのは今読んでも全く古びないですね。何年経ってもイメージ的には最新のところを行っている。昔ほどSFは読めなくなっちゃったんですけれども、評判になってる話題作は目を通しています。

——『トーキョーゲーム』といえば、青天井ルールでの378京点も今までの麻雀漫画でなかったようなネタでしたし、全体に斬新な麻雀漫画だったと思います。

青山 まあ編集さんがよくやらせてくれたという感じですね。自由にやらせてくれました。内容ほとんどタッチしてないですね。竹書房はいつもそうですけど(笑)。ありがたいといえばありがたいんですが。

——単行本収録のエピローグはグラフィックノベルみたいな感じになってますよね。

青山 そんなの書いてましたっけ。全く覚えてないですね。あまり自分の作品読み返さないタイプなんですよ。連載中は必要があれば読み返しますけど、終わっちゃうともう内容も忘れますね。

——あとこの頃、日高トモキチ(※17)さんとか現代洋子(※18)さんとかと「メトロリーグ」って麻雀リーグをやられてたそうですね。このメトロっていうのは新宿の東口にあるあそこでしょうか。

(※17)漫画家・ライター・小説家など様々な方向でマルチに活動。90年代は近代麻雀系列で『パラダイス・ロスト』や「イタカ」など何本も作品を連載していたほか、企画ページのイラストや麻雀大会のルポ漫画などもよく手掛けていた。

(※18)集英社の女性向け漫画雑誌での作品が多いが、『ビッグコミックスピリッツ』で連載のノンフィクション漫画『おごってジャンケン隊』(芸能人等と当人オススメの飲食店で対談する内容で、最後にジャンケン勝負をして負けた方が領収書なしの自腹で全額を奢らなければならないというのが特徴)で男性読者にも知られるようになる。

青山 そうです。あそこは利便性が良くて場代が安かったんですよね。よく行ってました。現代さんも「メトロリーグ通信」っていうのをずっと描いてましたね。漫画家さん、プロ雀士の方、編集者の方、いろいろ出入りしてました。あの頃が一番麻雀やってましたね。

——『トーキョーゲーム』が終わった後で、単行本になってないですけれど、『ビッグコミックオリジナル増刊』で「真剣師MARIA!」が始まりますが。

青山 『トーキョーゲーム』を見て「何かやってみないか」という話が来まして。

——将棋をテーマにされたのは。

青山 私、実は高校の時は将棋部だったんですよ。それでやろうと思ったんです。忘れてたけど将棋部で、しかも主将だったんです(笑)。いやでも弱いですよ。この作品の頃が一番将棋の勉強してましたね。

——監修に先崎学(※19)さんが入ってますけれども、これはやっぱり麻雀関係でお知り合いになったっていうことになりますか。

(※19)『3月のライオン』の監修でも漫画ファンには知られる棋士。将棋界でも屈指の麻雀好きとしても知られ、『近代麻雀オリジナル』→『近代麻雀ギャンブルCOM』でエッセイ風漫画「リーチ飛車とり!」(作画:東海林秀明)を連載していたこともある。

青山 そうですね。麻雀の方とか竹書房の方でちょっと顔見知りで。ちょこちょこと話したりするぐらいの関係だったんですが、気さくな方なんでお願いしたらやってくれるんじゃないかなと思って勝手に当てにしてやったんです(笑)。ありがたいことにやって頂きました。

——主人公に相手を叩き潰さずにはいられないような獣性が眠っているとかのキャラクター造形なんかが、後のバードにも通じるようなところがあるかなと思います。

青山 これは、ストーリーはすごく評価されたんですけれど、絵は散々文句言われましたね……。残念ながら単行本にならなかったですね。

——「真剣師MARIA!」と並行する感じで『九蓮宝燈殺人事件』。単行本のコメントで「ミステリはそれまでそんなに読んでなかったけれども、たまたま面白いミステリを読んだことがきっかけで、飲み会の席で『今度は九蓮宝燈殺人事件というのをやろうと思います』みたいに言って始まった」という旨を書かれてましたが。

『九蓮宝燈殺人事件』

青山 きっかけになった作品は覚えてます。ただこの書き方だと「これぐらい自分でも描ける」みたいな感じに思われかねないんで、名前は伏せますが(笑)。ミステリについては、アガサ・クリスティとかエラリー・クイーンとかその辺の本当に有名な海外のやつを何冊か読んでたというぐらいで、特に国内は本当あんまり読んでなかったんですよ。で、思いつきで「行けるんじゃないか」って気軽に始めた企画ですけれど、やってみたら大変でしたね。これはさすがに完結まで考えてやらないと描き始められないですから。ネームに相当時間かかりました。

——ミステリ的な麻雀漫画は今まで他にもありましたが、本作は本格ものとして非常にしっかりしていると思います。『本格ミステリ漫画ゼミ』(福井健太著)っていう本格ミステリ漫画の紹介書でも取り上げられてましたし。

青山 実は九蓮宝燈から始まって、全部の役満シリーズやろうと思ってたんです。でも、途中で「あー、無理だな」って(笑)

——それは無茶ですね(笑)。あと、本作はシリアスな作品ではありますものの、能面警部っていう変な顔のキャラクターが出てきますが、これはどういったところから。後の『ダイヤモンド』でも敷田監督なんかがそういうキャラですが。

『九蓮宝燈殺人事件』11ページより能面警部
『ダイヤモンド』9巻117ページより敷田監督

青山 これもたまたまですね。まあでも、歌舞伎とか能はもともと好きで、よく見に行ってたんです。20代の頃は日本芸能をよく回ってたんですよ。それと本作の頃は地唄舞を習ってたんですよね。

——ああ、『プチフラワー』の執筆者コメントのところで「日舞を習い始めた」と書かれてましたね。

青山 京都の吉村流というやつです。大学の友達が名取になっていて、たまたま歩いて行けるような近くに越してきたんです。それでせっかくだから始めたんですよ。さっきも言ったように歌舞伎とか能とか好きだったんで、面白そうだなと思って。まあその後引っ越しちゃったんで、そんなに長く習っていたわけではないんですけれどね。でも、おかげで着物を着れるようになりましたね。その頃はちょっと改まった席になると着物を着て行ってました。「青山広美と言ったら着物だろう」というような感じで。着物って新品で買うと高いですけど、中古だと普通にスーツ並の数万円ぐらいで買えるんで、それを一通り買いました。あんまり作品には直接は生きなかったけれど、細かいキャラクターなんかにちょくちょく出てる感じですね。あと、自分で着物を着るようになると、人が着物をいい加減に描いてるのとかがすごく気になっちゃうようになりますね(笑)。「違うだろう。これじゃあ歩けないだろう」って。

——「真剣師MARIA!」『九蓮宝燈殺人事件』が終わったところで『ダイヤモンド』が始まりますが、これは最初は原作をやられるつもりだったと以前に小学館「ナマズの巣」のインタビュー(※20)で仰ってましたね。

(※20)https://web.archive.org/web/20010208174621/http://bigcomics.shogakukan.co.jp/salon/room_19.html

『ダイヤモンド』

青山 ずっと作画の方を探してたんですけどね、うまく描ける方がいなくて。自分で描くと言ったら編集が嫌がったんですよね。「描けるんですか」って言われて。まあだいぶ先行して描き溜めて進めておきました。最初は大変でしたね、野球そこまで詳しくないですから。

——でも、全く見てなかったってほどでもないんですよね? 『パワーボムTHEATER』のあとがきに中日のことをちらっと書かれてましたし、『ダイヤモンド』でも宣銅烈(※21)っぽいキャラとかが出るんで、中日ファンかなと思ってたんですが。

(※21)96〜99年に中日ドラゴンズでプレーしていた韓国人投手。韓国プロ野球でのシーズン防御率・通算防御率のレコードホルダーであり、日本でも抑えの切り札として最多セーブを獲得する活躍をした。

青山 中日は、まあ強いて言えばというぐらいですね。落合博満が好きだったんですよ。でも野球を実際にやったのは子供の頃ちょこちょこっと程度、プロ野球もしっかり観戦するようなタイプではなかったんで、やるとなってから色々取材やなんやで大変でした。分からないことが多いので。球場にも取材行ったし、周りの人たちにも取材に行って、始まるまでに随分かかりましたよ。

——それは以前のインタビューでも仰ってましたね。最初は主人公も素人だからバッティングフォームがちゃんとしたものじゃなくても大丈夫、描くのに慣れてきた頃にちゃんとしたものになってればいいっていう感じでやっていると。

青山 でも主人公以外も出てきますから、それはちゃんとしてないとダメですからね(笑)。スポーツ漫画は大変だなと思いましたよ。

——絵を描くのがそんなに速い方じゃないと仰ってましたが、週刊連載は大変だったというような感じでしょうか。

青山 10話ぐらい描き溜めて始めたんで、描くの自体は大丈夫でした。ただ、急にアシスタントをたくさん雇わなきゃいけなくなったんで、うまく仕事場を回すのが大変でしたね。

——それまではアシスタントさんはあまり使われていなかったんでしょうか。

青山 使ってましたけれども、いて1人っていう感じだったので。1人使うのと常時3〜4人いるのだと全然違いますからね。大きな背景を描ける人とかモブの上手い人とか、誰にどの仕事を割り振るのかを全体の流れを見て考えていくのがなかなか慣れなくて。

 

後編へ続く

 

 

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