漫画に限らずフィクションというものには、悪玉を主人公にした作品というものが少なからず存在します。そういった作品では、主人公に悲しき過去があったり、悪ならではの美学が存在したりして、悪とはいえ読者が応援したくなったり憧れたりするような何かが存在するのがセオリーでありましょう。ですが、今回紹介する梶原一騎+中野喜雄『人間兇器』の主人公・美影義人は一味違います。この男、本当にいいところが何一つないんです。彼を象徴するコマを一つ引用しましょう。
「おれは勝てそうな相手にゃすぐトサカにくるんだ!」ですよ。こんな情けないことを堂々と言える主人公はそうそういません。そして言葉だけではなく実際に、自分より弱い相手には暴虐の限りを尽くします。では自分より強い相手に対してはどう出るか。
ご覧の通り、すぐ土下座し、泣きわめき、命乞いをします。そして、この2シーンがだいたい美影義人という男の全てです。中途半端な空手の腕を持つものの、それは女性を中心とする自分より弱い相手を征服することにばかり使われ、強い相手を前にすると速攻で靴を舐めに行きます。臥薪嘗胆で相手より強くなろうというような殊勝な考えは見られず、強い相手への対抗策は基本的に「強い別の相手をぶつける」か「相手の大事な女性(家族等)を襲い、その写真を使うなどして脅迫する」の二択です。性欲は人一倍旺盛(チンポはデカく、女がそれに惚れることはままあります)で、特に浣腸プレイを好み、「気の強い女はアナルが弱い」というミームを実践するかのごとく肛虐の限りを尽くします。
もっとも、プレイに夢中になりすぎて人質に逃げられたり、せっかく庇護者を得たのにその愛人とかに手を出してはバレて勝手に自分の立場を悪くしたりするなど、この強すぎる性欲が原因で失敗することも多いです。あと忠誠心がスタースクリーム並で、作中で何度も裏切り犬コロ助ぶりを見せつけます。本当ひどいですね。
主人公について基本説明をしたところで、いったん本作の情報に入りましょう。連載は『週刊漫画ゴラク』79〜83、84〜85年で、単行本は全23巻(電書では全6巻の合本版もあり)。作画の中野はこの時期のゴラク等で格闘技漫画などを何作か描いていますが、本作以外に目立ったヒット作はなく、現在は行方知れずのようです(電書版奥付には著作権者不明の裁定制度を使った旨書いてあります)。また、連載に中断があるのは、83年にカジ・センセが傷害事件で逮捕され、その直後に壊死性劇症膵臓炎で手術・入院となったため。このスキャンダルでカジ・センセの名声が地に落ち、『プロレススーパースター列伝』などほぼ全社の連載が打ち切りになった中、ゴラクだけは本作を再開・完結させ、さらに『男の星座』という花道まで用意したことは特筆されましょう。なお、筆者を含めた『プロレススーパースター列伝』の愛読者が梶原一騎のことを「カジ・センセ」と呼ぶのは、『列伝』中でアブドーラ・ザ・ブッチャーがそう呼んでいるからです。
まあ、このスキャンダルを除いても、漫画原作者としてのカジ・センセはこの時期うまく行っているとは言い難い感じでした。生活の荒みが作品にも表れてるというか、本作とともにこの時期のカジ・センセのある意味代表作である『新カラテ地獄変』みたいにバイオレンス描写ばかりが無闇に目立ったり、単行本化されてない「SP長い顎」(本作の作画でしか名前を見ないほり善明という人、すごく山松ゆうきちみたいな絵だけど実際何者なのか誰か教えてほしい)みたいに新しいことをやろうとして失敗してたりという感じで、確実に成功作と言えるのは『列伝』と本作くらいなんですよね。……そう、本作、こんな酷いやつが主人公なのに面白い成功作なんです(連載も5年続いてるわけですし)。というわけで内容紹介に入ります。
美影義人は荒んだ家庭に育ったワルの少年。鑑別所に放り込まれた後、大元烈山(作中でも明言されていますがモデルは大山倍達です。なおこの頃、かつては蜜月だったカジ・センセとマス大山との関係は色々あって悪化しており、本作の連載中に絶縁状態となります)率いる空心会カラテの戦闘力に心を奪われ弟子入り……と、『あしたのジョー』+『空手バカ一代』的に話は始まります。空手家として一定の実力を身に着けた美影は烈山からの指令を受け、鹿児島へ赴くことに。ここは旭鷲拳という琉球古武術の流れをくむ流派が根付いており、空心会にとって邪魔な存在となっていたのです。旭鷲拳最強の実力者・桔梗十八郎は、かつて空心会でも最強クラスの存在でありながら、やむを得ない事情によって弟子を抜けたという経歴の持ち主。桔梗と一度戦ってボコボコに負けたことがある美影は、旭鷲拳宗家である若き盲目の美女・朝比奈薫子に目をつけ襲おうとしますが、まるで刃が立たず返り討ちに遭って病院送りにされます。そして当然のように激怒した桔梗に病室に乗り込まれ、最初の命乞い。
その後も旭鷲拳の人間に追われて、何の関係もない一般人女性たちを人質に取って逃げ切ろうとしたり、結局捕まってリンチに遭いながら命乞いをしたりと、ひたすら醜態を見せ続けます。
烈山が乗り込んできてなんとか助かった美影は東京へ戻りますが、桔梗の怒りは収まっておらず、決闘を申し込まれることに。三度目の戦いでも実力差は埋まらず殺されそうになりますが、「殺人をしてはいけない」と薫子が割り込んできたことによって生まれた隙をついて桔梗を倒すと、自分の代わりに桔梗の技を受けて気を失った薫子を拉致し、犯します。恩を即座に仇で返す最悪の人間です。おまけに、犯した薫子から子供ができたことを告げられると面倒くさくなってしまい、責任から逃れるためだけに空心会ニューヨーク支部へ指導員として赴任することを決める始末。
アメリカに渡ったものの、怒りに燃える桔梗の追及はとどまりません。こうしてニューヨークでもまた土下座。
そして追い詰められ「助けてくれえ〜〜〜!!」と泣き叫びます。シーンだけ見るとどっちが主人公か分かりません。
まあなんだかんだで助かり、さらに烈山の凄さをあらためて思い知った美影は、「館長のためなら死ねます」と『愛と誠』の岩清水くんみたいなことを言うようになりますが、
その舌の根も乾かぬうちに裏切り心が発動。「ヘビー級ボクサーくずれを集めて空手を教え込めば空心会に負けない格闘集団が作れるのでは?」と思い立って半グレ格闘集団を結成すると、完全に小悪党のセリフを吐きながら女性の中国拳法道場を襲撃するなどの乱行を繰り返した後、空心会に挑戦状を叩きつけます。
もちろんこの計画は無残に失敗し、美影は逃走しようとするも空心会に捕らえられてまた命乞いをすることに。
しかしここで殺されない生き汚なさが美影の恐ろしいところ。逃走中、万が一のための保険として通りがかりの女性を捕まえて下水道に縛って放置するということを行っており、「自分をここで殺せば何の罪もない女性が放置されて死ぬぞ」とメチャクチャな恫喝を行ってなんとか命を拾います。
こうしてアメリカにいられなくなった美影が次に向かったのはメキシコでした。覆面レスラー・カミカゼとしてメキシコプロレス界に潜り込んだ美影は、調子こいてたところをセメント(真剣勝負)で潰されそうになり例によって命乞いをしたりしつつ、大物プロモーターの娘を例によって脅迫することで、プロモーターに重用されることに成功。『タイガーマスク』ばりに「自分も孤児院出身だ」と嘘をついて孤児院を訪問したりするなどして人気者となることに成功します。
ですが、調子こき過ぎて、メキシコのレスラー軍団を使って空心会メキシコ支部の人間を半殺しにしたのがマズかった。完全な藪蛇行為により烈山がメキシコに乗り込んできてしまいます。烈山メキシコ入りのニュースを聞くなり旅支度を始めようとする美影。
そんな美影に対し、プロモーターと、メキシコマット界最強と言われる台風仮面サガトラは、公開の勝負で烈山を倒してメキシコマット界の名を上げようという奸計を立てていることを告げます。美影より遥かに高い実力と、覆面の中に隠した兇器によって烈山を追い詰めるサガトラでしたが、結局最後は逆転KOされます。その様子をスケと一緒に観客席から見ていた美影は「あたし逃げる!!」「お おれも逃げるう!!」と例によって主人公とは思えない醜態を晒します。
メキシコにもいられなくなった美影はどうするのか。以下後編へ続きます(美影の醜態を紹介するだけで楽しくなりすぎたので長くなりすぎてしまいました)。