#1では、椛島さんの生い立ちや『週刊少年ジャンプ』編集部に入ってからの事柄について、#2では荒木飛呂彦さんの担当編集としての思い出について聞いてきました。最終回となるこの#3では、椛島さんがすすめるマンガ9作品を紹介していただきました。往年の名作から最近の作品まで、名編集者としての慧眼が光る選定とコメントをお楽しみください。
椛島 私が読んできた限られた作品の中で、強く印象に残ったり、今現在、読み返してみて、あらためてその魅力を再認識した作品を偏愛的に選びました。おすすめというと、ちょっとおこがましい気がします。また、自分が担当した作品はあえて取り上げませんでした。
『サスケ』白土三平
1961年7月号から1966年3月号まで「少年」(光文社)に連載された白土三平の代表作の一つ。徳川方の刺客達との戦いを通じて、甲賀流の少年忍者・サスケの活躍と成長を描いた作品。かわいらしい絵柄とは裏腹に情け容赦のない展開で登場人物が簡単に死んでいくさまは、同時代の漫画とは一線を画した。作中で使用される忍術に科学的な解説による種明かしをすることによって忍者・忍術が実在するかのようなリアリティを与え、当時の読者層である子どもたちを熱狂させた。
椛島 子どもの頃に読んで以来でしたが、今回読み返して思ったのは、けっこう覚えているものですね。幼い頃の記憶は意外に永遠だなあ、と思いました。白土三平作品はもう、全部読むべきなのでしょうけど、私が最初に読んだ白土作品が『サスケ』だったので、一番思い入れが深いです。
――白土三平さんは、マンガ史的にも本当に大きい存在だと思います。
椛島 白土三平作品の入門としても『サスケ』はすごくいいのではないでしょうか。忍術の解説などに引きこまれるようにして読んでいましたが、なによりも絵的表現の説得力がすごい。例えば、晒し首が並んでいる中に父親がいなくてホッとするシーン。このときにサスケにはセリフがないのです。何も言わせない。絵だけで、表情だけで見せる。少年忍者が生きている過酷な世界というものを、ここで読者は強く実感させられます。こういうシーンにやっぱり上手さがでてますね。また、人間に冬虫夏草の巨大なものが取りついているシーンなどは、ちょっとトラウマで一生忘れられないです。
『伊賀の影丸』横山光輝
1961年から1966年に「週刊少年サンデー」(小学館)に連載された横山光輝の作品。多くの忍者マンガを描いた横山光輝の中でも最初期の作品に当たる。徳川幕府に仕える服部半蔵の命を受け、主人公の影丸が、さまざまな忍者たちと忍術合戦を繰り広げていく物語。山田風太郎の小説『忍法帖』シリーズから大きな影響を受けており、「固有の特殊能力を有する者たちが入り乱れて戦う」という形態をマンガで描いた先駆的な作品。忍者の黒装束に帷子というヴィジュアルイメージを定着させた作品でもある。
椛島 白土さんの忍者ものほどリアルでない印象があるかもしれませんけど、これはこれですごく説得力がありました。臨場感とかアイディアとか、ワクワクして読んでいましたね。ある忍者が催眠術をかけるんですけど、相対峙する敵方の忍者も同じポーズをとり、術をかけている方が実は逆にかけられていたという展開など、子ども心に強く印象に残りました。こういうやり取りは、今読んでもいいなあと思えます。頭脳戦になっているというか。
――マンガにおける頭脳戦の元祖を辿ると横山光輝さんに辿り着くという説がありますね。荒木飛呂彦さんも『バビル2世』が大好きと仰ってましたね。
椛島 絵もとても魅力的です。キャラの動きにスピード感があって、なおかつシーンの状況が明快で分かりやすい。固唾をのむような感じで読めます。横山さんの数ある作品のなかでも個人的にはやっぱり『伊賀の影丸』ですね。
『魔太郎がくる!!』藤子不二雄A
1972年から1975年に「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)に連載された藤子不二雄Ⓐの作品。陰気で容姿もパッとしないいじめられっ子の主人公・浦見魔太郎が、「うらみ念法」を使って彼をいじめる者たちや周囲に危害を加える者たちへ復讐を行っていく物語。決め台詞の「こ・の・う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か」は有名。途中からは復讐だけではなく、スケールの大きなダークファンタジーへと展開していく。1970年代のオカルトブームとも非常にマッチして人気を博した。
椛島 こういうダーク系の路線はやっぱり安孫子さん。F先生にも短編でかなり捻っている作品はありますけど、ダーク系はやっぱりA先生。それゆえにかどうかアニメ化されていませんね。
――単行本になったときに、残虐過ぎると変えられてしまったエピソードなどもありますからね。
椛島 いじめ問題とかに配慮されているのでしょう。毎回ラストで、太い黒枠で囲ったコマに、魔太郎の決め台詞があって、これが実に効果的です。安孫子さんのセンスの冴えを感じます。魔太郎を描くときの安孫子さんのノリが伝わってくるようです。
コミックス2巻目の終わりあたりから、切人という赤ちゃんキャラクターが登場しますが、この存在がまたいいのです。要するに魔太郎の好敵手ですが、それが赤ちゃんというのがいい。赤ちゃんだから手強いのです。さすがの魔太郎も可愛さと不気味さを使い分ける切人に、まず敗北を喫するじゃないですか。「こんどの勝負はぼくの負けだ! だがこの次はきっとお前を降参させてやるからな!」とか、最高です。その昔、「スーパージャンプ」にいたときに、この切人が主人公の『切人がきた!!』を連載していただき、とても嬉しかったのを覚えています。でも今思うと、魔太郎あっての切人、切人あっての魔太郎で、どちらかを欠いてもいけなかったのかもしれないですけど。
直接担当したわけではないのですが、たまにご一緒に飲む機会があり、「昨日も遅くまで飲んで、今朝は早くに起きてゴルフだったからほとんど寝てない」と仰るので、それなら今夜は早く終わるのかなと思ったら、夜中の2時、3時になってもぜんぜんお元気でした。若い私たちの方が先にダウンしてしまった、なんてことがありました。マンガもすごいですけど、ご本人もすごい方でした。
『デロリンマン』ジョージ秋山
1969年から1970年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載され、1975年から1976年には「週刊少年マガジン」にてリメイク版として再連載されたジョージ秋山の作品。容姿端麗なサラリーマンだった主人公・平三四郎が自殺未遂の末に醜い容姿と無邪気な精神で「神」・「魂のふるさと」を自称し愛と正義により人々を救おうとするデロリンマンとなるも、世知辛い社会に冷遇され続ける哲学的悲喜劇。端々から筆者の人間社会への深い洞察が滲み出ている。
椛島 ジョージ秋山さんが「ジャンプ」で連載した『シャカの息子』と『海人ゴンズイ』を担当しました。『デロリンマン』は1969年から1970年に「ジャンプ」で連載され、その後1975年から1976年に「マガジン」でリメイク版が連載という珍しい作品です。独特の味わいがありますね。
ジョージさんは、この頃『アシュラ』や『銭ゲバ』など、とにかく攻め過ぎというくらい攻めていました。ジャンプ版の終盤の展開(通称「黒船編」)はぶっ飛んでいますね。『E.T.』よりこっちが先だったんだなと。どんどんエスカレートしてしまって、かなり読み味は変わってしまう。私はやはり「黒船編」より前の『デロリンマン』がいいですね。そういえば家庭で疎外されて居場所がないお父さんって、けっこういたなあ、と。古谷三敏さんの『ダメおやじ』も同時期に連載が始まっていますよね。当時がその走りだったかもしれないです。その前の世代では、家での父親の地位は揺るぎないものでしたから。
――星一徹的な父親像ではなくなっていった時代ですね。
椛島 1960年から70年頃になって出てきた居場所のないお父さんとか、そういう存在を反映したりしていますね。遠景に登場して一言発するオロカメン*1がまた効果的です。デロリンマンがちょっといいことを言ったり、やったりしても、それをオロカメンがひっくり返して行くじゃないですか。“愛”とか“正義”とか言って、子供にまでバカにされている姿は、ある種少年誌のヒーローに対する想い、アンチなのかなと思うんですけど。オロカメンによる相対化によってメッセージを強調し過ぎないというか。読んでる方にいろいろ思いを渡し、考えさせてくれる。またオロカメンも、デロリンマンが体を張った行為をしているときには、冷や水を浴びせない。その塩梅もいいですね。愛蔵版が出続けているので、根強いファンがいるんでしょう。
*1 ^ 愛と正義によって人々を幸福へと導こうとするデロリンマンに対し「力こそ正義」を信条とし、デロリンマンを「おろかものめ」と否定し続ける存在
――ジョージ秋山さんを担当されていたときに思い出に残っているエピソードなどはありますか。
椛島 『シャカの息子』も『海人ゴンズイ』も短く終わってしまったんですけど、どちらの作品も、ジョージさんの中に大きな構想があったようで、もっと続きが読みたいなと思うような話でした。
ジョージさんご本人はデロリンマンとは真逆で、スタイリッシュで格好いい人なんですけど、事前にネームとか何もくれないんです。初めて担当した時、締切前日に行っても何もできていなくて、「明日夕方くらいに原稿が上がらないと厳しいです」といったら「明日夕方、同じ時間にいらっしゃい」と言われて。でも今何もないしなあ、って(笑)。普通は数日かかるものだし、ネームもできていないし、不安になるじゃないですか。なので「明日まず午前中に寄ります」と言うと「好きにしたら」と。それで翌朝に行くと、ネームなしで原稿用紙に直に下書きを描かれている。「私もここにいていいですか」と言ったら「好きにしたら。変わったやつだな」と(笑)。居場所もなかったんですけど、その日はずっとそこにいました。アシスタントの皆さんには昼にお弁当が届くんですけど、ジョージさんは基本的に食べないので余って、「お前食べれば」といただいたこともあります。ジョージさんは朝からずっと飲まず食わずで描いていて、それだけなら分かるんですけど、トイレすら一度も行かない。ずーっと集中して、座って描いている。それで夕方までに描き終わるんです。最後の原稿をアシスタントに渡すと、こちらに向き直ってブランデーなんかをチビチビやっている。それでアシスタントが仕上げたものをパラパラと確認すると「それじゃ、お疲れ」となる。
ときどき、月に1、2回くらい「じゃ、飲みに行こうか」と銀座の高い店に連れて行ってくださったりもしました。こういう時は、普通は出版社が取材費で出すんですけど、そういうことは一切なくて、いつもジョージさんの奢りでしたね。だからどこでも人気でした。そうそう、先ほどお話しましたように、ジョージさんはネームを描かかずに、いきなり原稿用紙に下書きを始めるのですが、「何かが降りて来て、あたかも誰か他の人が描いていて、こんな面白いことを考えているんだと、それを自分が読んでいるような感覚になることがある」と仰っていました。
『DEATH NOTE』小畑健、大場つぐみ
2003年から2006年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載された大場つぐみ原作、小畑健作画の作品。名前を書かれたら死んでしまう「デスノート」を手に入れた高校生・夜神月(やがみらいと)と、世界最高の探偵Lたちの戦いを描いたサスペンス。映画、ドラマ、アニメ、小説、舞台など幅広いメディアミックス展開がされ、世界的に大人気を博す。「ジャンプ」作品としては異色ながら高密度な頭脳戦を描いた金字塔的な作品であり、後世の作品にも大きな影響を与えた。
椛島 『DEATH NOTE』は、とにかく独自の世界がしっかりと構築されている作品です。作品世界のルールがけっこう複雑なんですけど、無駄なく、手際よくエピソードで見せくれるので、スッと入ってくる。込み入っていても明解で分かりやすい。また、主人公・夜神月とその好敵手のLのキャラクターのやりとりが凄まじい。二人がキレキレの頭脳戦を繰り広げるんですけど、お互いの心理の読みあいとか、見事としか言いようがないです。
――それこそ、『DEATH NOTE』も『ジョジョ』が切り拓いていった「ジャンプ」における頭脳戦の系譜にある作品ですね。
椛島 主人公・夜神月が「神になる」と言って正義のために人を殺したりしますが、死神とかが出てきて寓話的で、一見荒唐無稽な感じもありますけど、実はものすごく今日的・普遍的でもあります。“平和を守るための戦争”とか、現実によく言われてたりしますし。よくアメリカのドラマなんかでも、テロを防ぐためだったら拷問してもいい、みたいな展開があったりする。そこまでいかなくても、社会正義のためには検閲も許されるとか。目的が手段を正当化する…そういう議論に、ついつい人は引き込まれてしまう。そんなダークヒーローを主人公にして、この作品を少年誌でエンタメとして成立させている。「ジャンプ」でよく連載しましたね。とにかく設定といい、頭脳戦といい、極限まで突きつめていて、しかも物語としての面白さが際立っている作品です。
『ストップ!!ひばりくん!』江口寿史
1981年から1983年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載された江口寿史の作品。2010年に刊行された「ストップ!! ひばりくん! コンプリート・エディション」(小学館クリエイティブ)の3巻に、連載終了から27年を経て最終話が掲載された。極道の家に世話になることになった主人公・坂本耕作が、そこで美少女にしか見えない大空ひばりと出会いドタバタな日常を繰り広げるラブコメディ。女装に対する社会的な認知度も低かった時代に魅力的な「男の娘」を描いたパイオニア的な作品。
椛島 江口さんの「彼女展」*2というのをやっていて、昨年秋に観てきたんですけど、とてもよかったです。イラストレーターでかわいい女性を描ける人はいくらでもいるでしょう。でも、江口さんの描くそれは、他とまったくちがうというか、段違いですね。その理由は二つあると思います。ひとつは、あくまで漫画家による絵だということです。一枚絵のイラストなんですけど、その中に物語が感じられる。前後の物語が浮かんで来るような絵なのです。たとえば『Real Wine Guide』表紙のワインを持った女性の絵なんかも、この子は学校や職場ではこんな感じで、どんなアパートに住んでいて…、と、つぎつぎにイメージ、エピソードが浮かんできます。そこが、江口さんがやはり漫画家なんだなと思うところです。
*2 ^「企画展 江口寿史イラストレーション展 彼女 -世界の誰にも描けない君の絵を描いている-」。全国を巡回し、全会場で合計12万人超を動員した。2023年3月14日〜4月23日には、東京ミッドタウン日比谷にて、新たに描き下ろされた新作も加え、イラストレーション展「東京彼女」が開催される。
もうひとつは、江口さんが何かのインタビューで「女性に生まれたかったくらい。…自分が女性だったらこうなりたいと意識しながら描いている」と語っていましたが、単に男目線でかわいい女性を描いているのではないということですね。男目線と同時に、かわいい女性になりたいという自分の目線があり、その両方で描いている。だから絵の説得力が他の人とまるで違う。絵を描きながら、“かわいい女の子っていいな、いろんなファッションを楽しんだりできて…”、みたいな感覚を純粋に味わっているのでしょうか。だから男性だけでなく女性からも絶大な人気がある。自分が一人の女の子になって、お洒落して人生を楽しみたいという願望をどこかにもって女性を描いている人は、江口さんしかいないと思います。唯一無二でしょう。そしてそれは40年前の『ストップ!!ひばりくん!』から続いている。イラストの話ばかりになってしまいましたが、とにかく「彼女」展は素晴らしいので、まだの人はぜひ。
――少女マンガであれば、かわいい女の子への憧れや変身願望を満たしてくれる作品はたくさんありますけど、それを少年マンガのカテゴリーで、しかも「ジャンプ」でやっていたというのは画期的ですよね。
椛島 主人公がひばりくんと夢の中でキスをしてしまうシーンとか、これはもちろん主人公が女の子になりたいというわけじゃないですけど、けっこう複雑な感情が入っていますよね。つい深読みしながら読んでしまいます。
――今はVTuberなども流行ってますけど、まさに男性がかわいい女の子になりたいという願望を叶えて、それが認められるようにもなって来ていて、時代がようやく追いついて来た気がします。
『ゴールデンカムイ』野田サトル
2014年から2022年に「週刊ヤングジャンプ」(集英社)に連載された野田サトルの作品。日露戦争に従軍し「不死身の杉元」と謳われた杉元佐一が、アイヌ民族の少女アシリパと協力しながら死刑囚が隠した埋蔵金を追う物語。累計発行部数は2,300万部を超え、アニメ化や東京ドームでの展覧会開催なども行われた。歴史ものでありながらバトルやグルメなど万人に解りやすい人気ジャンルの性質も有する高いエンターテインメント性、非常に濃いキャラクターたちも見所となっている。
椛島 懐かしい作品が続いたので、ちょっと新しいものも。最近初めて読んだんですけど、実に面白かったです、これは!
大変なことをやっていますよね。歴史的なことや民族学・アイヌ学的なことを北海道の自然を背景に織り交ぜて、いろいろな陣営が入り乱れてストーリーは展開していく。明治末期の北海道、樺太を舞台にした時代物ですけど、複数の複雑な要素を上手に消化していて感心しました。
まず、連載ストーリーマンガってストーリーを追いかけちゃ駄目なんです。ストーリーを追いかけると、どんどん先を読みたくはなるんですけど、言ってしまうと最後に至るまで過程になってしまう。場合によっては、そのストーリーの説明ばっかりの回もあったりする。コミックスで一気に読めるのならいいですけど。だから、ストーリーを描くというよりも興味深いエピソードを描いていって、その背景にいつの間にかストーリーが自然に流れているぐらいでいいと私は思っています。必ずしもストーリーは進展しなくてもいい。この回はコーヒーを飲むだけとかでも、面白く読めればいい。逆に、ストーリーを決めてストーリーを追いかけると、ストーリーの説明になってしまって、キャラクターの魅力だとか大事なことが疎かになりがちです。『ゴールデンカムイ』にも刺青人皮による金塊探しという大きな筋はあるけど、それを追いかけ過ぎない。今日は熊と戦って、今日はリスを食べる回とか。感心したのは、事件の鍵を握るであろう謎の人物・のっぺらぼうの姿をはっきりと描かないことですね。描きすぎるとそこに読者の気がいってしまい、今現在の物語に集中できなくなる。途中でほんの少しだけ、暗示的に出てくるんですが、それだけなんです。それでまた個々のエピソードに戻って、オソマ*3を食べる話とかになる。アシリパのようなヒロインも、かわいいだけで終わっておらず、馬を潰して食べてしまおうとか、厳しい大自然の中で生き抜いてきた人物としてしっかりと立てられている。さらに、19世紀末のアメリカに実在した殺人ホテルにインスパイアされたと思われるエピソードや、怪しいはく製屋などかなり猟奇的な展開もあり、これは一驚でした。野田さんの守備範囲の広さは相当なものですね。敵味方、登場するどのキャラクターにも一癖二癖あって、しかも魅力的です。その強烈なキャラクターを複雑にからませながら、掘り下げながら、上手に動かしていく手腕は実に見事です。
*3 ^アイヌ語で大便(うんこ)のこと。味噌を見たことがなかったアシリパはそれをうんこだと思い、食べるのを拒否する。
『孔子暗黒伝』諸星大二郎
1977年から1978年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載された諸星大二郎の作品。前作に当たる『暗黒神話』とも繋がっている。赤気と共にそれぞれ中国とインドで生まれた赤(せき)とアスラのふたり、そして古代中国の思想家・孔子を中心とする壮大な物語。中国思想に中国神話、インド神話、日本神話などが入り混じった複雑で独特な世界観が大きな魅力で、当時の「週刊少年ジャンプ」の中でも異彩を強く放っていた。
椛島 この作品を描かれた当時は、諸星さんはまだ20代ですか、吃驚です。主人公は孔子で、この作品で孔子は思いっきり怪力乱神を語っています。今回読みかえして思ったのは、まず絵がいいこと。上手いとか下手とかではなく、この世界を描くには、この絵しかないだろうという絵ですね。諸星さんの呪術的な世界観を絶妙に表すタッチです。もっとも印象に残ったのは、最後に孔子の野望がついえて「天 われを滅ぼせり! 天 われを滅ぼせり!」と連呼するシーン。強く明確なイメージがあったんでしょう。何十年も、ずっと記憶に残っています。
孔子が周王の墓に行って視肉*4を食っている少年・赤(せき)と出逢いますよね。視肉って中国には伝説だけでなく、実際にもあるとされて、太歳とか肉霊芝とか様ざまな呼び方があるらしいんですけど、肉霊芝について調べたら粘菌、変形菌の一種ではないかという説もある。『山海経』とか、拠り所となる文献などを読みこんだうえで、そういった伝説等をうまく作品世界に取り込んでいる。いろいろと掘り下げて読むことができ、興味は尽きないです。
*4 ^『山海経』などの古代中国の古文書にその存在が記される、手足がなく牛の肝臓のような形で真ん中に2つの目がある妖怪。食べても減ることがなく、食したものは不老不死になるという伝説があり仙薬の材料とされる。聚肉、太歳、封などとも呼ばれる。日本では『孔子暗黒伝』によりその存在が広く認知された。
――諸星大二郎さんもまた、たくさんのインプットをしてこうした壮大な世界観を描いていそうですね。
椛島 そうなんです。資料、史料を自在に使って、まったく独自の世界を創り上げていく。古代中国から始まって、古代インド、日本にまで話が及び、最後は20世紀の宇宙船で締めくくる。……宇宙の循環論ですか。ビッグバンがあって宇宙が生成されて、膨張して行って、また縮小に入って、繰り返していく。最新の宇宙論なんかと重ね合わせて読み返してみると、また新しい発見があります。逆に言うと、一度読んだぐらいでは、物語の全体がすんなりと頭に入ってこず処理できないでしょう。この機会に諸星作品を全部きちんと読み返してみるべきだと思いました。
『定本 エリノア』谷口ひとみ
1966年の「週刊少女フレンド」に掲載された、谷口ひとみの第4回少女フレンド新人まんが入選作。当時、弱冠18歳だった作者はこの作品ただひとつを遺してこの世を去ってしまった。ヒロインはかわいいのが当たり前の少女マンガの世界で、あえてブサイクな少女をヒロインに据えて描いた短編の完成度は非常に高い。詳細な解説は「超絶ブサイク女子の切なすぎる末路──『定本 エリノア』の巻」を参照。
椛島 いろいろな人に語られていますし、読切作品なので一読してもらえればと思いますが、とにかくラストの余韻、深さですね。私は読み終えたときに『フランダースの犬』を真っ先に思い浮かべました。『フランダースの犬』は日本では人気ですが、お膝元の西欧では“負け犬の話”とか言われ、あまり人気がないそうです。“滅びの美学“だったり、判官びいきとかを日本人は好きだからなのでしょうか。
『エリノア』で特に素晴らしいのは、「でもエリノアは世界一しあわせな少女だったのではないでしょうか」で終わるところです。もちろん安易なハッピーエンドにはしていなくて、過酷な人生を生きるエリノアで最後までいく。でも、ただ悲惨なままでは終わらせない。余韻のある一言で、読んでいる方の感情も複雑になりますよね。『フランダースの犬』も”かわいそうなふたり“というだけではないでしょう。少年と犬に真の友情があり、そして願いが叶ってルーベンスの絵に光が差すことで、ふたりは死んでしまうのですけど、天国の門が開かれたような暗示があります。世界一幸せなふたりだった、とまでは言えないかもしれないですけど、そういう両義性があります。『エリノア』の作者は若干18歳で亡くなってしまい、この作品がデビュー作であり遺作になってしまいましたが、その価値は永遠でしょう。