昭和40年代前半に子供時代を過ごした私にとって赤塚不二夫さんと藤子不二雄さんの作品は、あって当たり前の空気の様な漫画でした。
当時人気の『おそ松くん』と『オバケのQ太郎』は、漫画もアニメも当時の暮らしや生活がそのまま舞台になってます。
どちらも昭和30年代後半の作品ですが、地方都市の場合は都会と違って昭和40年代に入っても生活様式があまり変わってませんでした。
つまり自分の日常と同じ世界で楽しめたという事です。
この頃の定番描写である「空き地の土管」はそこら辺に普通にありましたし、土管の中に入って遊んでましたよ。
そんな昭和40年代前半に子供が漫画の雑誌や単行本、コミックスを購入するなど一部の裕福な家庭を除いてまず出来ませんでした。
高度成長も進み「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」の三種の神器と呼ばれた家電製品も家庭にいき渡ってはいましたが、まだまだ貧乏が当たり前の時代です。
まして頭が悪くなると大人が嫌う漫画、小学館の学年誌は買ってもらえても漫画のみの本はとても買ってもらえる物ではありませんでした。
貸本屋さんで漫画を借りられた私はまだ恵まれていた方かもしれません。
そんな当時、何歳だったか何年生だったか全く思い出せませんが、一度だけ漫画コミックスを買った事があります。
「今日は漫画の本を買うんだ」だったのか「買えるんだ」「買っていいんだ」だったのかも思い出せません。
お金を握りしめて近所の本屋さんへ行き、吟味に吟味を重ねた結果選んだのがこの『おそ松くん全集第20巻 オトギばなしのデベソ島』です。
何故この本を買えるお金を持っていたのか、そして何故この本を選んだのかは記憶にありません。とにかくかなり長い時間をかけてこの本に決めたのは憶えてます。
そりゃあもう大事に大事に、何度も何度も読みましたよ。
なんといっても貸本ではなく返す必要が無い自分の本なのです。ずっと手元にある訳ですよ。
この違いはとても大きくて、確実に光り輝く宝物でした。
この短編集には13編のお話が収録されています。今読んでも赤塚節が炸裂する面白い短編ばかりですが、表題作の「オトギばなしのデベソ島」は異色です。
物語性が強いこの作品を特に気に入って繰り返して読みました。
「オトギばなしのデベソ島」の舞台は昭和の街中ではなく、広い海の中にある小さな小島。ここにおそ松くんのキャラクターが総出で住んでます。
デカパンとハタ坊の二人だけが働き、他のキャラは怠けて遊んでばかり。
島の中央にはデベソの様な山があり、頂上に神様(石像)が祭られてます。
デカパンとハタ坊は神様にお供えする為に毎日身を粉にして働きます。そしてそのお供えを神様のフリをした六つ子やイヤミ、他の住人が持ち帰り毎日の食事にする。
ひどい話です。
やがて神様の怒りをかって島は沈みますが、神様からのお告げを信じて舟を作っていたデカパンとハタ坊は海に逃げ新しい島を探すというのが大まかなストーリーです。
デカパンの、神様を信じ過ぎるくらい信じる善人ぶり。それはもう、そこまでっていうくらい頑なです。
他のキャラとの対比でしょうが、この徹底したデカパンの善人設定が物語の核と言っていいと思います。
一緒に暮らすハタ坊は自分達の毎日や神様に疑問を持つこともありますが、デカパンは神様の為に働いてお供えを欠かさないから神様に守ってもらう事が出来ると聞く耳を持ちません。
それに比べて六つ子やイヤミ、チビ太、ダヨーンらは全員が働かないで怠けて遊んでばかりの上、デカパンとハタ坊を馬鹿にすると言うクズっぷり。
このクズさは物語の最後まで続き、結末も容赦無いです。
ノアの箱舟をモチーフにしているからなのか作品全体の雰囲気もどこか遠い場所のおとぎ話としての魅力があり、それがこの本を選んだ理由なのかもしれません。
特に神様が怒りを表す描写は私に刺さりました。何気ないコマ割なのですがページの最後にひとコマだけ差し込まれる神様の顔のアップ。
石でできた神様は一貫して無表情です。しかしこのページの最後のコマの神様は何かを語っているようにしか見えません。
子供時代の私もこのコマの神様からは確実に何かを感じました。深読みなど出来ない読者の子供を引き付けるに十分な描写とコマ割です。
ギャグのちりばめだけでなく漫画としての表現も忘れない赤塚さんのお仕事が素晴らしい。
13編収録されてこの「オトギ話のデベソ島」が第20巻の表題作になった理由は不明です。しかもコミックの表紙は別の短編の絵。
今なら表題作と表紙の絵が違うなど無いでしょうが、ゆるい時代の事ですし細かい事を気にしないのが長く漫画を読み続ける大事な要素です。
今回久しぶりに他の短編も読みましたが、悪さをした奴は最後に痛い目にあうという勧善懲悪の話がほとんどでした。
残念ながら他の巻を所有してないので全てがそうなのかわかりませんが、子供向けの漫画に対する赤塚さんの姿勢を感じます。
このおそ松くん全集は後に全ての巻がピンク色のカバーに変わりますが、当時は各巻毎にカバーの色が違う装丁でした。
そして自分で買った漫画としてこの20巻の青色は今も鮮やかに心に刻まれたままです。
しかし時は流れていきます。あんなに大事にしていた筈なのに成長すると新しい事に興味は移りますよね。子供ってそういうものです。
この本もいつしか自分の元からは消えてしまいました。
大人になっても時折また読みたいなと思う事はありましたがなかなかそういう機会は訪れず、とある古書店でこの本を買い戻すのは30歳をとっくに過ぎてからでした。
それ以降蔵書の整理で手放した本は数知れませんが、この買い戻した20巻は現在に至るまで大事に保管してます。
もうすぐ還暦を迎える今、あの時の宝物の輝きを感じる事は出来ません。しかし薄れていく色々な子供の頃の思い出を繋ぎ止めてくれる大切な作品です。