マンガの中の定番キャラとして欠かせないのがメガネとデブ。昭和の昔から令和の今に至るまで、個性的な面々が物語を盛り上げてきた。どちらかというとイケてないキャラとして主人公の引き立て役になることが多いが、時には主役を張ることもある。
そんなメガネとデブたちの中でも特に印象に残るキャラをピックアップする連載。第5回は[メガネ編]、昭和の名作『愛と誠』(作:梶原一騎・画:ながやす巧/1973年~76年)の名脇役・岩清水弘の登場だ。
黒縁メガネに七三分け、詰襟の学生服はきっちり上まで留める。その外見どおり性格は真面目で思考は論理的。名門・青葉台学園でトップの成績を誇る秀才だ。単なるガリ勉ではなく、女子生徒にちょっかいを出す不良グループに「いいかげんにしたまえ/みぐるしいぞ!」と注意する正義感と度胸もある。かといって、お高くとまるのではなく謙虚に自分を見つめる目もあり、本当にいいヤツなのである。
そんな岩清水弘が想いを寄せるのが、同級生の早乙女愛。早乙女財閥の一人娘で、才色兼備、スポーツ万能。人を疑ったり憎んだりすることを知らないピュアな性格でありながら芯は強い。都内の一等地に建つ大豪邸(敷地内にプールやテニスコート完備!)に住み、学校にはお抱え運転手付きのリンカーン・コンチネンタルで送り迎えされている。まさに絵に描いたようなスーパーお嬢様なのだ。
しかし、彼女には心に秘めた“白馬の騎士”がいる。幼い頃にスキー場で危険を顧みず自分を助けてくれた男の子。ところが、ひょんなことから再会した彼=太賀誠は、そのときに負った眉間の傷が原因で、札付きの不良になっていた。あみだにかぶった学帽にボタンを留めずに羽織った学ランを腕まくりし、インナーは黒の長そでシャツという着こなしからして、こちらも絵に描いたような不良である。
この運命の再会から、二人の壮絶な愛と宿命のドラマが展開されることになるのだが、その物語において岩清水弘が果たす役割は大きい。青葉台学園に転入することになった誠が次から次へと起こす事件に巻き込まれ……というより自分から飛び込んで傷つき泥まみれになっていく愛を、全身全霊をかけて守ろうとする。なかでも、腕力では到底かなわない誠に対し、文字どおり命がけの決闘を挑むシーンは序盤の見せ場だ。
どんな決闘かというと、地面に立てたナイフに向かって後ろ向きに歩き、よりナイフに近い地点で倒れたほうが勝ちという一種のチキンゲームである。もし倒れた場所にナイフがあれば串刺しで一巻の終わり。ケンカなら百戦錬磨の誠でさえ冷や汗をかくようなシチュエーションは、もちろん岩清水だって怖くないはずがない。それでも彼を駆り立てるのは「岩清水弘はきみのためなら死ねる!」という早乙女愛への熱い想いだった【図5-1】。
この「岩清水弘はきみのためなら死ねる!」は、マンガ史上に残る名セリフだ。小林まこと『1・2の三四郎』(1978年~83年)に登場する岩清水健太郎をはじめ、パロディネタにもなっている。もともとは中3の夏休みの終わりに愛に送ったラブレターに書かれた言葉で、さすがに面と向かって口にしたわけではないが、実際のところ愛のために何度も死にそうな目に遭っているのだから、口先だけのセリフではない。彼自身にとってもそれが勇気の呪文となっている。なのに、そんな岩清水について愛いわく、「りっぱだわ/メガネをかけていて青白くても男らしい男だわ!」って、ほめてるつもりですか、お嬢さん?
頭がよくて誠実で思いやりがあり、肉体はひ弱でも精神は強靭、そのうえ料理も上手という岩清水は、間違いなく優良物件だろう。それがわかっていても愛の眼中には誠しかない。青葉台学園を退学になり“悪の花園”と恐れられる花園実業に転校した誠のあとを追って同校に転入した愛は、いろんな無理がたたってダウンする。そんな彼女に滋養をつけさせようと甲斐甲斐しく料理を作っているときに、寝言で誠の名を聞かされる岩清水がカワイソすぎ!【図5-2】
それでも眠っている愛に変な気も起こさず、〈わざとシチューは八分目だけにこんである 目がさめて火をとおすとパーフェクト〉なんて書き置きを残して立ち去る岩清水こそパーフェクトな紳士である。
その後、岩清水は自らも花園実業に転入する。もちろん愛を守るためだ。しかし、愛は誠のためならどんな危険にも飛び込んでいく。その愛を守ろうとする岩清水もまた危険にさらされる。高所恐怖症なのに教室の窓から突き落とされそうになったり、ヤングマフィア(今でいう半グレ集団)の緋桜団に捕らわれ拷問を受けたり、そりゃもう散々な目に遭う。しかし、そんなときでも「きみのためなら死ねる!」と心の中で唱えながら、ひたすら耐える精神力には頭が下がる【図5-3】。
活劇的要素も多いとはいえ、テーマはやはり純愛だ。その原作が『巨人の星』『あしたのジョー』などスポ根もので知られる巨匠・梶原一騎というのはちょっと意外だが、『梶原一騎自伝 劇画一代』(小学館クリエイティブ/2011年)によれば、当時の「週刊少年マガジン」編集長・宮原照夫が〈なにもスポコンだけが男の戦いの場にあらず、たとえば異性との一途な愛も峻厳にして苛烈なる戦いのはず〉と企画を持ちかけたという。
物語冒頭に引用された〈愛は平和ではない/愛は戦いである/武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで/それは地上における/もっともはげしい きびしい/みずからをすててかからねばならない戦いである〉というネール元インド首相の娘への手紙にちなんだタイトルとキャラクター名について、梶原は同書の中で次のように語っている。
〈あえて古色蒼然の逆用の新鮮さをねらったつもりである。内容また然り。このスピーディにくっつき合うインスタント・ラブ横行の世の中に、わが誠クンと愛チャンは実に延々四年余も週刊誌に連載された“大河ロマン”の作中において、たった一度、それも最終ページの二ページ手前ではじめてのキスを交わすのみなのだ〉
実にもどかしいほどの純愛劇。が、そのキスシーンを黙って見ているしかない岩清水弘の早乙女愛への想いこそ、最もピュアな純愛だろう。報われない愛のつらさに耐えながら、誰よりも間近で愛と誠の関係を見つめている岩清水の視点があったからこそ、二人の絆の強さが一層引き立つことになった。優等生ながら内に秘めた情熱は激しく思い込んだら命がけという点では、岩清水と愛は似た者同士でお似合いだと思うのだが……。これほど「幸せになってほしい!」と思わせるキャラクターもなかなかいない。