マンガの中のメガネとデブ【第37回】町田一(安藤ゆき『町田くんの世界』)

『町田くんの世界』

 マンガの中の定番キャラとして欠かせないのがメガネとデブ。昭和の昔から令和の今に至るまで、個性的な面々が物語を盛り上げてきた。どちらかというとイケてないキャラとして主人公の引き立て役になることが多いが、時には主役を張ることもある。

 そんなメガネとデブたちの中でも特に印象に残るキャラをピックアップする連載。第37回は[メガネ編]、第20回手塚治虫文化賞新生賞受賞作『町田くんの世界』(安藤ゆき/2015年~18年)の主人公・町田一(はじめ)の登場だ。

 物語は、町田くんが目覚まし時計のアラームで起きて、まずメガネをかけるところから始まる。メガネキャラとしての町田くんを強く印象づける描写であり、視力の悪い人なら大いに共感できる場面だろう【図37-1】。その澄んだ瞳も印象的だ。

 

【図37-1】町田くんが起きて最初にするのはメガネをかけること。安藤ゆき『町田くんの世界』(集英社)1巻p7より

 

 町田くんは5人きょうだい(のちに6番目が生まれる)の長男で高校1年生。身重の母に代わって家族の朝食を作る姿も凛々しいが、料理は目玉焼きしかできない。それでも妹や弟に慕われ、母親からも信頼される立派な“お兄ちゃん”である。

 物静かでオシャレ度ゼロの髪形にメガネというルックスはいかにも優等生っぽい。が、小テストで64点だった隣の席の女子が「抜き打ちだったもんなー やべー」「ね 町田くん この問題ちょっと教えてほしいんだけど」と覗き込んだ町田くんの答案用紙に記された点数は、なんと38点! 「なんか…ごめん? 見た目で判断しちゃったね」と謝る女子に「いや こっちこそ見かけ倒しでごめん」と返す町田くん。メガネだからといって勉強ができるとは限らないのだ。

 一方、体育の短距離走で12秒4のタイムを叩き出した町田くんに「すげえ! はえー」「おお! 見かけによらねーな メガネだからって」とクラスメイトたちはざわつく。が、実は100mではなく50m走のタイムだった【図37-2】。

 

【図37-2】カッコよさげだがタイムは激遅の町田くん。安藤ゆき『町田くんの世界』(集英社)1巻p22-23より

 

 つまり町田くんは、勉強できない、運動できない、ついでに要領も悪く不器用で機械類も苦手という残念男子なのである。体育教師に「人には得手不得手がある 町田は町田の体育以外の! 得意分野を伸ばせばいいだけだからな!」と慰められるも、「俺に得意分野なんてあるのかな」と思ってしまう町田くん。サボりまくりの不良ではなく真面目にやって全科目追試という偉業をも成し遂げるのだから、ある意味すごい。普通に考えれば、とても少女マンガのヒーローにはなりえないタイプ。しかし、彼にはとんでもない能力があった。

 それは、出会った人すべてを虜にしてしまう“ナチュラルボーン人たらし”の力。ダメなところが母性本能をくすぐるとか、そういうことではない。むしろ正反対で、みんなが彼に救われるのだ。とにかく彼は人のことをよく見ている。困っている人、落ち込んでいる人、悩んでいる人を高感度のアンテナで察知して、躊躇なく手を差し伸べる。そして、普通なら恥ずかしくて言えないようなストレートな言葉を投げかける。

 指にバラの棘が刺さった女子にスッと絆創膏を差し出すなんてのは朝飯前。駅の階段で足を滑らせたおねえさんを受け止め、青年が駐輪した拍子に将棋倒しになった自転車を本人よりも素早く元に戻し、少女が散歩中にリードを放して脱走してしまった犬を捕まえ、出産間近の母のサポートに来ていた叔母に「髪の色 少し変えたね 似合うよ」と真顔で言う。無事に生まれた赤子を公園に連れて行けば、普通に仲良くなったママ友たちに「お母さんって大変ですね みなさんも無理をしすぎないように困ったことがあれば頼ってくださいね」と言ってのける。思春期の高校生には通常ありえないジェントルマンだ。

 説明が長くなるのでシチュエーションは割愛するが、「何を幸せとするかはその人の自由だから」「友達を作るのに資格なんていらないよ」「人も自分も気持ちを大事にして初めて愛せるんだ」「価値や本質は見かけだけで判断してはだめなんです」「時間は決して戻らない 進むんだ だから俺たちも進むんだよ」など、名言も連発。セリフだけ聞くときれいごとにも思えるが、町田くんは本気で言っているのだ。しかも口先だけでなく、自分にできることなら労をいとわず実行する。その底抜けの優しさに、老若男女を問わず誰もがキュンとなりファンになる。そう、町田くんは、まったく新しいタイプの“王子様”なのである。

 その王子様ぶりを遺憾なく発揮したのが、第18話「引越してきた魔女」のエピソード。 ひょんなことから、近所の小学生たちに「魔女」と呼ばれる年配女性の家を訪ねた町田くんは、家の中が荒れているのに気づく。4年前に男に逃げられてから何もする気が起きないと言う女性に町田くんは「片付け 僕しましょうか」「それにこの家は少し暗すぎます」とカーテンを開けながら、「そんな元気のない女性 ほっとける男はいませんよ」と絶品の笑顔を見せる。これには海千山千っぽい女性も虚を突かれ、「君 見かけによらないわね…」と彼の善意を受け入れるしかないのだった【図37-3】。

 

【図37-3】ナチュラルボーン人たらしの本領発揮。安藤ゆき『町田くんの世界』(集英社)5巻p108-109より

 

 見た目と裏腹に勉強はできないがバカじゃない。人の気持ちに敏感で、誠実すぎるほど誠実に人に寄り添う。町田くんと話をすることで、多くの人が心の澱を浄化させる。それはまるで、臨床心理士のようでもある。が、恋愛関係にはすこぶるニブい。「どういう女の子が好き?」と聞かれて「健康だといいなって思う」と答える。そのココロは「不健康は心配だから」というんだから、朴念仁にもほどがある。

 そんなふうに誰にでも優しい町田くんの特別な人となるのがクラスメイトの猪原(いのはら)奈々だ。愛のない家庭と中学時代のいじめ体験から、高校では友達も作らずやさぐれていたが、保健室でサボっていたところにケガをした町田くんが来たのがきっかけで交流が始まる。何しろ相手は町田くんなので、恋愛とはまるで違う文脈ながら「君がいてくれてほんとに良かった」「僕の大切な人なんです」「俺は猪原さんにいてほしいよ」「もっと猪原さんのことを教えてほしいんだ」なんて言われれば、凍っていた彼女の心がみるみる溶け出すのも無理はない。夏祭りに浴衣を着てきた彼女に「かわいい! ずっと見てたいくらい!」と何の衒いもなく言う町田くんは、もはや魔性と言ってもいいだろう。

 ゆっくりと進んでいく二人の関係はぜひ本編でご確認いただきたいが、ラブコメとか学園ものとかいう既成の枠に収まらない滋味がある。町田くんのメガネを通して見た世界はどこまでも美しく、人間はみな愛おしく見えてくる。

 

 

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