マンガの中のメガネとデブ【第42回】花沢のこ(安野モヨコ『脂肪と言う名の服を着て』)

『脂肪と言う名の服を着て』

 

 マンガの中の定番キャラとして欠かせないのがメガネとデブ。昭和の昔から令和の今に至るまで、個性的な面々が物語を盛り上げてきた。どちらかというとイケてないキャラとして主人公の引き立て役になることが多いが、時には主役を張ることもある。

 そんなメガネとデブたちの中でも特に印象に残るキャラをピックアップする連載も、いよいよ最終回。フィナーレを飾るのは[デブ編]、ダイエットの呪いを描いた安野モヨコの衝撃作『脂肪と言う名の服を着て』(1996年~97年/原題『やせなきゃダメ!』)の主人公・花沢のこだ。

 とある会社に勤める花沢のこは、地味でぽっちゃり体型のルックスに加え、要領が悪く自己主張もあまりできない。それゆえ、上司からはパワハラ、同僚たちには見下され、いじられる日々。なかでもスリム美人の肉食系女子・橘マユミからの当たりは強く、「そーいえばのこがいるとナンパされないよね」などとバカにしたように言われたりする【図42-1】。

 

【図42-1】この段階ではまだそれほどデブでもないのだが……。安野モヨコ『脂肪と言う名の服を着て[完全版]』(祥伝社)p8-9より

 

 そんな彼女にも学生時代から付き合っている彼氏がいる。「そのままでいいよ のこは!! 言うほどデブじゃないって」と言ってくれる彼は、のこにとって心の支え。ところが、その彼がマユミと二人で親しげに歩いているところを目撃してしまう。そういえば、以前にも浮気を疑わせる言動があった。そこで彼女は、自分の中の不安や疑念をかき消すべく、ひたすら食べまくる。「食べてれば いい 何も考えなくてすむから」「おなかいっぱいになってみると さっきまで心配していたことは全て 私の妄想のような気がするのでした」と彼女は思う。が、そんなことをしていればますます太っていくわけで……。

 当連載でこれまで紹介してきたデブキャラは、基本的にデブをポジティブな個性としているキャラがほとんどだった。多少のコンプレックスはあっても、過度に気にせず前向きに生きる。周囲もその人を対等な人間として尊重していた。しかし、花沢のこの場合はそうではない。自己肯定感が低く、彼氏に依存している。約束を破られても邪険に扱われても、嫌われるのを恐れて何も言えない。あげくの果てはマユミとの浮気現場に遭遇しても怒りもせず、笑顔で「帰ろう」と言う。マユミはそんな彼女を「どこまでみっともないのよ? あんた見てるとイライラするわ デブ!!」と罵倒する。それらのストレスが全部、食べることに向かってしまうのだ。

 彼氏と連絡が取れないなか、寂しさのあまり電話したテレクラで出会ったのが、デブ好きの老人・藤本。会うなりのこをホテルに連れ込み、「太古の濃厚な海にとろんと巻き込まれているような強い回帰願望とやすらぎを与えてくれる ああ……至福……至福の時 あんたは幸福の結晶のようだ」と触りまくり、褒めまくる【図42-2】。

 

【図42-2】のこのふくよかな身体を堪能する藤本老人。安野モヨコ『脂肪と言う名の服を着て[完全版]』(祥伝社)p62-63より

 

 それでもやっぱり、のこは自分の身体が好きになれない。「やせたい こんな肉もういらない やせてキレイになりたい」と訴える。それに対して藤本は「やせたら幸せになれると思えるのかね」「もったいねえなあ…………こんなにいいお肉はなかなかないんだがなあ」と言いながら、のこの身体をさらに愛撫。そして、「お肉のお礼です やせるために使うも食事をするもあなたの御自由に」という書き置きと大金を残して立ち去るのだった。

 そのお金でのこは怪しげなエステに通い始める。更衣室で鏡に映った自分を見て、「これが今のあたし 目に焼きつけておくんだ この姿…… 太ってて みじめで 会社でもどこでも嫌な思いして それだけで生きてる値打ちもないような目で見られる毎日」「だから……2度と戻りたくないから 絶対忘れない」と決意。30㎏減を目標にダイエットを開始する【図42-3】。

 

【図42-3】エステで30㎏やせを誓うのこ。安野モヨコ『脂肪と言う名の服を着て[完全版]』(祥伝社)p128より

 

 一方、会社では他人のミスを押し付けられ、懲罰部屋送りに。彼氏との関係もうまくいかない。あれやこれやのストレスからのバカ食いがやめられず、そのことをエステティシャンに責められるのが嫌で吐くように……という悪循環で、過食嘔吐に陥ってしまう。こうなるともう止まらない。食べては吐くの繰り返しで、どんどんやせていくのこ。本人はやせてよかったと思っているが、周りからは半病人にしか見えない。彼女が行くべきはエステではなくカウンセリングか病院だったのだ。

 ダイエットの呪いに囚われたのこだけでなく、彼氏も過干渉な母親に毒された歪な精神の持ち主だった。女王様のように振る舞うマユミはサディスティックな感情に支配されているし、のこに接近する同僚の田端はスピリチュアルにハマっている。藤本老人のデブ好きも病的だ。要するに、登場人物みんなが病んでいる。こういう業の深い人間を描かせたら、安野モヨコは抜群にうまい。美に囚われる女という点では、師匠である岡崎京子の『ヘルタースケルター』(1995年~96年)の整形を繰り返すモデルや、山岸凉子鏡よ鏡…』(1986年)の女優の母と小太りの娘を彷彿させもする。

 のこはやせても幸せになれなかった。「身体じゃないもの 心がデブなんだもの」とエステティシャンは言う。なんとも手厳しいセリフだが、これが「週刊女性」に連載されていたというのが驚きだ。女性読者は、のこというキャラクターをどのように見ていたのか。太っている人はもちろん、そうでない人にも相当グサグサ刺さったのではないか。

 多くの人は何かしらのコンプレックスを抱えている。仕事やプライベートの悩み、ストレスもあるだろう。すべてが順風満帆なんてことはめったにない。そこで、のこは食べることと彼氏に依存してしまったわけだが、同じように酒やギャンブルやホストなどに依存してしまう可能性は誰にもある。そういう意味で、のこは貴重な反面教師とも言える。彼女の姿を見ていれば、少なくとも無理なダイエットはやめようと思うはずだ。

 というわけで、2年近くにわたってメガネとデブキャラを紹介してきた当連載も、これでおしまい。単行本化の予定はありますが、とりあえずはお別れです。ご愛読ありがとうございました。

 

 

記事へのコメント

最終回はどの作品なんだろうと楽しみにしていたのですが、納得のセレクションでした!書籍になるとのことでそちらも楽しみです。

「『マンガの中のメガネとデブ』の最終回がこれって…」と複雑に思ってしまいますが、読み応えのある記事を掲載してくれてありがとうございます。

テレクラのご老人まで病的とは思わなかったけど(主人公を無理に肥らせようとしていないし、痩せるのも自由と言うし、金払いが良いので)まあ概ね他の登場人物は未熟でイライラしていてそのストレスを主人公にぶつけてくるのでだいたい同じ感想を持ちました。 読み応えのあるコラムをありがとうございました!

伝えたいメッセージは記事の通りだとは思うのですが、「やっぱりデブだとこんな嫌な目に遭うんだ、ぽっちゃり好きの男ってこういう異常な人間なんだ、そんな男に捕まったりデブだと言われていじめられないようするために痩せなきゃ」とか変な風に読める所あるし、実際この漫画見てぽっちゃりやぽっちゃり好き男性に偏見を持ち始めた人間を見たことあるのであまり好きにはなれない漫画ですね…
あまりにも太っている事での不幸描写が多すぎて肝心のメッセージが逆に伝わってしまっている所があるというか。

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