寿司過渡期の作品だからこそ味わえる元祖寿司漫画の味—大林悠一郎+たがわ靖之『鉄火の巻平』

『鉄火の巻平』

 「寿司漫画」というジャンルがあります。料理漫画が好きな人なら、このジャンル内ではいちばん有名だろう『将太の寿司』を筆頭に、現在連載中の漫画でも『江戸前の旬』『寿エンパイア』など、様々な作品を挙げることができましょう。

今回は、このジャンルの開祖と呼ぶべき作品を紹介しようと思います。その名は、大林悠一郎+たがわ靖之鉄火の巻平』。……とこう言っても、「もちろん知ってるぜ!」となる人はそこまで多くはないと思います。たがわは芳文社や日本文芸社などの劇画雑誌で主に活躍していたため、評論などの俎上には上がりづらい人でした(唯一の例外が、インタビューなどを収録した97年発刊の『マンガ地獄変2』)。また、00年に病気のため53歳で急逝してしまい、それから20年以上が経っているというのも、現在での知名度低下に繋がっているとは言えましょう。
 しかし、たがわ作品は今読んでも面白く、そして本作の場合は「寿司漫画」&「青年向け漫画誌での料理漫画」という二重の意味でジャンルの草分けとなったという漫画史的な意義もあるのです。そんな本作(全部のプラットフォームでではないですが電書化もされています)の魅力を紹介しましょう。
 本作の連載は『コミックmagazine』(芳文社、66〜88年。現代ではかなり忘れ去られていますが、『漫画アクション』や『ビッグコミック』『プレイコミック』などよりも早く創刊された青年向け漫画誌の草分けとして漫画史的には超重要な雑誌です)76年8月5号から。メインのストーリーは、岡山の田舎から父親の遺言に従って上京した主人公・倉持巻平が、さまざまなライバルと勝負しながら日本一の寿司職人を目指すという王道なものです。ただ、今から見ると新鮮なのは、「味」のみが勝負のメインになっていないこと。例えば、序盤で巻平が参加することになる若手寿司職人の登竜門「全国すし技術コンクール」の採点方法を見てみましょう。

 

『鉄火の巻平』3巻90〜91ページより

 

 見ての通り、すしダネが統一されていることもあって包丁さばきなどが味よりも配点が高く、そして一番配点が高いのが飯台への盛り付け方になっております。これは近年の寿司漫画だとあまり見られないポイントでありましょう。ですが、このコンクール、実は現実にあるものでして(https://sushi-all-japan.com/contest/)、材料は統一されていて盛り込みなどの技術が競われるというのも本当なのです。そういう意味ではリアリティ度は地味に高いと言えましょう。巻平はここで、一見すると古典的で初歩的な「山水水引き」という型に見えて、実はただの「山水水引き」ではない……という盛り込みを見せて優勝します。

 

『鉄火の巻平』3巻162〜163ページより

 

 また、先程の採点基準で「笹切り」という項目があります。これは、寿司の間仕切りに使う「せきしょ」の細工技術を競うというものです。現代だとプラスチック製で「ばらん」と呼ばれるやつ、アレはもともと笹や葉蘭(はらん)を職人が細工して作っており、その技術を競うのです(これは現実の「全国すし技術コンクール」でも競われます)。プラ製のやつは「人造葉蘭」と呼ばれていたのが、連濁して「人造ばらん」と呼ばれるようになり、そして「ばらん」とのみ呼ばれるようになったという歴史があるんですね。

 

『鉄火の巻平』7巻160〜161ページより。笹切りはこのコンクールだけでなく後の勝負でも重要視されます

 

 また、寿司というともっぱら江戸式の握り寿司にばかりフォーカスが当たりがちですが、バッテラなどで知られる関西寿司にフォーカスした対決もありますし、

 

『鉄火の巻平』6巻148〜149ページより
『鉄火の巻平』7巻146ページより

 

 飾り巻き寿司の技術なんかを競う場合もあります。

 

『鉄火の巻平』7巻184〜185ページより

 

 また、明治や大正といった古い時代の寿司の盛り込み方を競うなどという場合もあれば、

 

『鉄火の巻平』3巻222〜223ページより

 

 「座敷ずし」という形式での勝負もあったりします。

 

『鉄火の巻平』7巻196ページより

 

 このあたりの多様さで、本作は例えば『将太の寿司』等の寿司勝負とは違った趣の面白さが生まれているわけです。

 それと、本作のもう一つの魅力は、日本における「寿司」の変革期の最中に連載されていたという時代背景にあります。本作の連載期は、「小僧寿し」チェーンが年商531億円を計上して外食産業日本一の企業となった(79年)り、回転寿司が世に広まるなど、寿司をめぐる状況が大きく変化していた頃だったのです。なので、現在の視点からは新鮮な描写があります。例えば、「現代の新しい寿司」をテーマでの対決の際に巻平が作ったのは、「これまで握りのネタに使われてこなかった新しい材料の握り」なのですが、それは白魚(白魚は江戸前でも使ってたはずなのでこれは勘違いな気もしますが)、あん肝、ハモ、なまこ、サーモン、グリーンアスパラです。サーモン、今では回転寿司などのド定番ですが、生食が一般的になったのって80年代以降なんですよ。

 

『鉄火の巻平』3巻240ページより。筆者はむかし、神田の回転寿司屋で「鮭皮の握り」という安くてえらく美味いのをよく食っていたのですが、見た目が残飯みたいという欠点のせいかメニューから消えてしまって悲しかった思い出があります。また食いたい

 

 本作にはストーリー面で一つ欠点があり、巻平の行動原理が”3巻終盤で「高級品になってしまった寿司を、元の『庶民の味』に戻す」と東北の田舎で安くて美味い寿司屋を始めたが、4巻以降で「安い寿司ではなく、流行りでなくとも江戸前寿司に賭ける」と考えを変える”というように途中でブレてしまっています。これは、3巻分で一回完結した後、単行本の売上がかなり良かったためか(筆者の手元にある本は、初版から11年経ったところで21刷されています)連載を再開したという経緯があるためです(これに際して単行本のページ数に合わせるために削られた部分があるそうで、未収録が1巻分くらいあるそう)。しかし、塞翁が馬と言いますか、このことがうまく時代背景とマッチしていい味わいを出しています。
 途中で巻平は、別の職人に「安いがなかなかに美味く、サラダやデザートなどのメニューもあって若い女性客も多い」というチェーン店に連れていかれ、

 

『鉄火の巻平』4巻262〜263ページより

 

 「安く手に入る材料をうまく使っての大衆料理としての寿司屋を一緒にやろう」と持ちかけられます。巻平はそこで、その考えを否定しないながらも「自分がやりたいのは江戸っ子のヤセ我慢の寿司だ」と答えるんです。

 

『鉄火の巻平』4巻268〜269ページより

 

 この辺の、「時代が変わっていく中で、滅びゆくものにこだわってしまう哀愁」みたいなのは、終盤で「手間がとてもかかる昔ながらのバラちらしを作って妻のために持って帰る巻平と、賑わう安い持ち帰り寿司の店の対照」というような形でも描かれたりして、対決対決で進む本筋にアクセントを加えています。

 

『鉄火の巻平』8巻52〜53ページより
『鉄火の巻平』8巻56〜57ページより

 

 それと本作、「かつぎ屋」(大きな荷物を担いでの行商人)や「地見屋」(駅などで落ちている小銭や未使用切符などを拾って生計を立てている人。競馬場なんかだとまだ居ると思いますが)といった、現代だとなかなか見るのが減った人たちが描写されているのもよいところ。こういう風俗描写ってのは昔の作品読む時の面白いところですね。

 

『鉄火の巻平』7巻32〜33ページより。米のかつぎ屋
『鉄火の巻平』2巻258ページより。地見屋のようす。切符が硬券なのも時代ですね

 

 ちなみに、原作の大林については名前を聞いたことがある人ほとんどいないと思いますが、先述のたがわインタビューによれば、『コミックmagazine』編集長の編集仲間で、田村魚菜(1914〜91。料理研究家として著作多数の他、自由が丘に今も残る料理学校・魚菜学園を設立)の著作の編集に携わっていたことなどから料理に対する造詣が深かった人だそうです。というわけで基本的には漫画原作者ではなく(本作以外には、やはりたがわと組んだ「鮨平喧嘩にぎり」全2話(単行本『立合い料理人 勝手に膳次郎』に収録)くらいしか作品がない)、最後のほうは原作が箇条書きくらいになってたくらいで、本作のストーリーは全体的にたがわがかなり自由にやっていたとのことです。

 


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記事へのコメント

たがわ先生作品は晩年のスッシーンとか出てくるようなトンデモ料理漫画しか読んだ事なかったです
こういった正統派な料理漫画も描かれてたんですね

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