不条理な恐怖。脳裏に焼き付いて離れない衝撃の結末。永井豪『ススムちゃん大ショック』

『ススムちゃん大ショック』

※衝撃作です。未読の方のために今回は内容に触れておりません。御了承ください。

先日1970年代の少年マガジンを20数冊ほど入手しましたが、その中に永井豪さんでなければ描けない怪作中の怪作がありました。

週刊少年マガジン 1971年10号

 

1971年10号。短編企画シリーズ6「ススムちゃん大ショック」。

 

週刊少年マガジン 1971年10号 目次

 

ええ、リアルタイムで読みましたよ。71年ですから小学四年生です。

もうすぐ還暦になろうというのにこの時の衝撃と読後の後味の悪さは今も忘れられません。

 

この号に掲載された後、色々単行本にも収録されてます(講談社『永井豪SF傑作集3 霧の扉』 、徳間書店『怖すぎる永井豪』、角川書店『切れた糸―永井豪自選作品集』、宝島社『このマンガがすごい!comics この「ホラー」マンガが怖い!』など)。

実はこの号のマガジン、入手は初めてではありません。しかしこれまで「ススムちゃん大ショック」はざっと目を通す程度でまともに読むのを避けてきました。

何とも言えない「どよーん」とした気持ちになってしまうのですよ。

良く出来た短編で面白いとは思うのですが、なるべくなら見ないで済ませたいという気持ちは今もあります。

 

10歳当時のこの頃はマガジン、サンデー、ジャンプ、チャンピオン、キング。少年漫画週刊誌5誌全て貸本屋さんで毎週必ず借りて読んでおりました。

一回借りて10円だったと記憶してます。5冊で50円。他にもコミックを借りてましたから一週間で100円程度でしょうか。

貧乏で共働き。休日に家族で遊びに出かける事などほとんど無い家庭でしたがせめてそれぐらいはとの思いだったのか、この貸本代だけは母親も渋々出してくれました。

借りて読んで翌日返す。そんな漫画を消化する日常の中、この「ススムちゃん大ショック」は現れます。

小学四年生だったとの明確な記憶はありませんが読んだ後まさに「水曜教授大ショック」状態です。

しっかりとトラウマを植え付けてくれました。

 

少年マガジンの競作短編企画シリーズとして「未来がまつ落し穴」と名うってあります。

作家さんには「未来」をテーマに原作付きの「課題作」と内容は自由な「自由作」の2つを描いてもらい、2作品への読者投票で票数が競われていました。

トップバッターがこの「ススムちゃん大ショック」。

次の11号は所持してませんが予告から川本コオさん。

12号と13号は所持してます。石森章太郎さんのヴァーチャルリアリティを彷彿とさせる秀作と山上たつひこさんの作品。

14号は予告からシリーズの最後だと思われますが松本零士さん。

 

少し当時を振り返ってみましょう。

 

「人類の進歩と調和」をテーマにし、同時に「未来」も多く語られた大阪万博は前年に終了しました。

私は残念ながらこの万博には行けませんでしたが、昭和45年は日本中が万博一色の年だったと言っていいでしょう。

全ての媒体がそうでしたがマガジンもグラビアや特集にかなり力を入れてます。

記憶を紐解いてもこの頃は「漠然とした希望あふれる未来」が世間に根付いていたと思います。

TVから流れるコマーシャルも未来につながる技術、あるいは未来はきっとこうなります、と子供にとってワクワクする内容だったのをおぼろげながら憶えてます。

21世紀まで30年ほど。この頃は皆が遠い未来だと思ってました。

21世紀ってどうなっているのか想像つかないけどきっと素晴らしいに違いない。

終戦から高度経済成長、解決されてない問題は山ほどあるのに現実逃避を含めて語られていた様に思います。

私もこの頃は「21世紀」という単語だけであれこれ想像してワクワクしましたよ。

 

そんな世の風潮に「ちょっと待った」と釘をさすこの企画。当時のマガジン編集部の決断に感服します。

このシリーズ、大人が読んでちょうどいい秀逸なSF的要素の作品だと思います。

この5作品、まとめて単行本で読みたいですよね。

この頃のマガジンは対象年齢が他の週刊誌よりかなり上だったと思います。私も読んではいましたがすべての作品の内容を理解していたかは怪しいです。

私が古書漫画の世界に浸るようになってから35年。現在までに昭和40年代のマガジンはほぼ全ての号に目を通しております。

昭和43年の終わり頃までは鬼太郎や怪獣などの子供向けグラビアが目を引く雑誌でした。世代的に今も昭和40年から43年のマガジンには心がときめきます。

しかし昭和44年になってから表紙のデザインも変わり明らかに対象年齢が上がった内容に。

個人的には団塊の世代と呼ばれる方々の成長に合わせていったのではないかと想像します。

その後団塊世代が社会に出て漫画から離れていく時期にマガジンは若いタレントをグラビアや表紙に使う様になり、また変わっていったのを見るとそうとしか思えないのですが確証はありません。

この時期のマガジンは古書漫画市場でもあまり人気が無くプレミア価格の物はそう多くありません。しかし時代を反映する貴重な資料なのは間違いないでしょう。

 

さて企画シリーズのトップを飾った「ススムちゃん大ショック」。

ちょっとしたコメディタッチの漫画かな、と想像してもおかしくないタイトルとは大違い。子供にとってとんでもない何かを残す内容です。

2色が16ページ、モノクロが14ページの全30ページで構成された程よい短編です。導入から展開そして結末、どこをとっても良く出来てます。

少し劇画調ではあるけど簡素な背景。その上に重なる永井タッチの登場人物。斜めに切られたコマ割りなど細かいところが作品の質を高めてます。

永井豪さんはこういう短編のまとめ方がとても上手いですよね。

 

最後のコマの下に書かれた文を一部紹介しておきます。

 

それは

明日

おこるかもしれない

いや….

明日

おこりつつある

未来の落し穴

 

そして1972年、デビルマンの連載が始まります。

 

 

マガジン連載時のデビルマンはあまり記憶にありません。テレビ放映のアニメ版に熱中していた為、アニメと漫画の内容の差についていけなかったのかもしれません。

「ススムちゃん大ショック」以前に少年チャンピオンで連載されていた「あばしり一家」も子供にとってはちょっとキツイ描写が多くまともに読めませんでした。

 

 

とはいえ多岐にわたる永井作品は漫画を読み始めた時から色々な雑誌に掲載されており、とても好きな漫画家さんでしたよ。

要は生々しい描写が苦手な子供だったという事です。

 

苦手な子供にとんでもないトラウマを植え付けた「ススムちゃん大ショック」。

興味を持たれた方、心してお読みください。

 

記事へのコメント

すごく面白かったけど、

ライターさんの

現在までに昭和40年代のマガジンはほぼ全ての号に目を通しております。

という文が一番おもしろかったかもしれない。

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