単行本1巻の前書きに御自身の言葉で、これが最後と書かれてます。
その単行本は全9巻。
1巻の奥付が昭和60年11月。
9巻の奥付が昭和62年8月。
昭和29年から物語は始まり、昭和30年代中盤(年度の特定はできませんでした)に『週刊少年マガジン』からプロレス漫画の原作を依頼されるところで終わってます。
オタク第一世代の私が生まれた頃に時代が進み、これから名だたる名作が登場する昭和40年代が描かれるはずだったと思うと残念ですね。
当時の漫画好きの子供に限らず10代から20代、もう少し上の世代も含めて、昭和40年代の梶原作品は多大な影響と功績を残しました。
あえて作品名を列記せずともいいでしょう。
数多くのアニメや実写作品が作られ、漫画原作者が漫画を読まない層にも浸透した高い知名度を誇るのは梶原一騎さんだけではないでしょうか。
その梶原一騎さんが最後の作品として『漫画ゴラク』に連載した『男の星座』。
リアルタイムでは私は読んでません。
お亡くなりになられた後、一度コミック全9巻を買って読みました。
一度手放して現在手元にあるのは、1、2、8、9巻の4冊です。
最終巻の9巻には実弟である真樹日佐夫さん原作で『男の星座』と同じ原田久仁信さんが作画された「さらばアニキ」と後書きに代えた追悼文が掲載されてます。
まず「さらばアニキ」を紹介しましょう。
病院の廊下で涙ぐむ真樹さんの描写から始まります。
続いて黒枠で囲まれた少年時代の回想へ。
いじめっ子と兄弟二人の喧嘩です。
梶原一騎さんの葬儀の場面を挟んでまた回想へ。
元世界チャンピオンのプロレスラーと兄弟二人で喧嘩した思い出。
そしてもう一つ回想を挟んで、通夜の後遺影と棺の前で一人酒を飲む真樹さん。
最後は斎場で空を見上げる真樹さんの姿で終わります。
実の弟である真樹日佐夫さんでなければ書けない、巨星との思い出と別れは大きく胸を打ちます。
その真樹さんも巨星なんですけどね。
真樹さんによる後書き(追悼文)は17ページに渡ります。
梶原一騎さんの生前の思い出や、作品のまつわる話などが語られてます。
強く感銘を受けたのが「絶筆の持つ意味」と題された部分です。
梶原一騎さんが亡くなられ、未完のまま中断した『男の星座』を真樹さんが引き継いで原作を担当して連載を続けて欲しいという強い要望があちこちからあったそうです。
しかし真樹さんは頑なに固辞します。
文を要約すると、『男の星座』は劇画原作者としての最後の作品として真剣に取り組んだもの。兄弟とはいえ別の書き手によって続けるべきではない。
物書きにとって絶筆とは、それが未完のままであれ、ひとつの立派な結果である。
ここはとても刺さります。
勿論全てそうあるべきなどとは思いません。
とにかく続きが読みたいという読者の要望もあるでしょう。
私もそう思う未完の作品はあります。
同じく作者の逝去によって未完となった『ベルセルク』は、あくまで三浦建太郎さんの構想に忠実にという考えのもと再開されてます。
また『ビッグコミックオリジナル』で連載されていた『あんどーなつ』という作品も原作者の西ゆうじさんが亡くなられて未完となりました。
この時『ビッグコミックオリジナル』誌上で「原作者の意向をくんで他の方の原作による連載続行は行わない」といった趣旨の追悼文が掲載されました。
商業主義ではないこの考えは漫画にとって良い事だと思いますが、ここは違う意見もあるでしょうね。
この追悼文では絶筆の意味の後、『男の星座』そのストーリー展開を推理すれば という題に続きます。
しかしここは、『週刊少年マガジン』から原作を依頼された後から没までの事実を簡単に振り返ってあるのみです。
この事実に沿って話が進んだのではないか、という推理というより予想ですね。
真樹日佐夫さんも2012年に亡くなられました。
梶原一騎さんは50年という余りにも短い生涯です。
時代は変わって令和となった今、御二人の名前も作品もあまり耳にする機会は無いように思います。
しかしこの兄弟が残してくれた多くの作品はリアルタイムで読んだ世代だけでなく、ずっと受け継がれて読まれていくと信じます。