『週刊少年サンデー』創刊号から連載。テラさん渾身の子供に夢を与えるマンガ 寺田ヒロオ『スポーツマン金太郎』

『週刊少年サンデー』創刊号から連載。テラさん渾身の子供に夢を与えるマンガ 寺田ヒロオ『スポーツマン金太郎』

1959年、昭和34年に『週刊少年マガジン』と『週刊少年サンデー』が創刊します。

創刊号に掲載される漫画で手塚治虫さんを獲得したのは『サンデー』です。

その手塚さんの『スリル博士』が載る『サンデー』創刊号、寺田ヒロオさんの『スポーツマン金太郎』も連載開始です。

私が生まれる2年前。漫画を読み始めた5歳頃には『サンデー』での連載は終了し、後に同じ小学館の学年誌に掲載されてます。

『サンデー』連載当時は勿論ですが、学年誌の掲載を読んだ記憶はありません。

学年誌の掲載時期を調べてみると私の小学生時期と同じです。

実際に当時読んでないのか、読んでいて忘れてしまったのかはもうこの歳になるとわかりません。

しかしこの『スポーツマン金太郎』は、私の記事で何度も登場してもらってる貸本屋さんで虫コミックスを借りて何度も読みました。

漫画が子供に夢を与えた時代の作品です。

『サンデー』の連載から10年程経った時代の子供だった私にも面白く読めました。

『黒い秘密兵器』の記事で書きましたが、私が子供の頃の野球漫画と言えばとにかく巨人軍だったんですよ。

セ・リーグだけでなく日本シリーズまで9年連続で制するというV9真っ最中。

当然巨人ファンでした。

といってもテレビの野球中継は見てません。

まず漫画です。

そしてグラビア、お菓子など子供向けの商品の広告に起用された巨人軍の選手たち。

野球に限らずスポーツ選手ってカッコイイですよね。

今はアスリートというんでしょうか。

子供の頃も歳を取った今も、その感覚は失われません。

その憧れのプロ野球に子供が超人的な才能を持って参加する。

これは児童向け昭和野球漫画の王道と言っていい展開でしょう。

しかしその子供が金太郎と桃太郎というお伽話の二人を登場させてライバル関係にし、プロ野球の世界で活躍させる。

当時の子供にとって、これは魅力的な設定だったと思います。

寺田ヒロオさんは『スポーツマン金太郎』の前に「スポーツマン佐助」という猿飛佐助をモチーフにした野球漫画を描いてます。

残念ながら私は雑誌付録の物で少し見た程度で未読なのですが、猿飛佐助の次が金太郎になったのは自然な流れだと感じます。

金太郎と桃太郎がプロ野球で活躍する。金太郎とずっと一緒の熊のクロちゃん。

昭和40年代に子供だった私はこの設定を漫画として受け入れ面白く読みました。

では連載当時の昭和30年代後半の子供たちにとってはどうだったんでしょう。

テレビが多くの家庭に普及する直前です。

想像するしかありませんが、漫画が娯楽の大きな割合を占める時代に子供に夢を与える役割を充分に果たしたのではないでしょうか。

 

特徴的なのが、嫌な大人がほとんど出て来ない事です。

出てはきますが金太郎と桃太郎を少し困らせるくらい。

漫画は子供にとって夢がなければならないから不快な思いをさせてしまう登場人物を出さない。

寺田さんの作品を全部読んではいませんが、きっと意識して創作されていたと確信します。

途中からターザンというアメリカからの天才少年が新たにライバルとして加わる展開もいいですね。

勿論ジャングルの王者『ターザン』がモチーフです。

版権など気にはなりますがまあそんな時代ですし、その辺をスルーするのも昔の漫画を読む際には大事です。

そして常に金太郎に寄り添い、親代わりのような立ち位置の熊のクロちゃんがまたいいのですよ。

作品全体にほんわかした雰囲気がまとうのは、このクロちゃんの存在が大きな要因でしょう。

『スポーツマン金太郎』(寺田ヒロオ/虫プロ商事)より

 

野球そのものの描写も上手いですね。

御自身が都市対抗にも出場された本物の野球人である証明とも言えます。

子供の頃に読んで強く印象に残った場面を紹介しましょう。

新しく開設された少年野球場のこけら落としに呼ばれた金太郎と桃太郎。

模範プレーとして桃ちゃんが投げて金ちゃんが打つ。

金ちゃんは弾丸ライナーのファールを打ちますが、打球は金網のフェンスをぶち抜きます。

いくら何でも金網を突き破るのはおかしいと調べたら、一か月前に起きた金塊強奪事件の犯人が奪った金を金網に変えて隠していたことが判明。

『スポーツマン金太郎』(寺田ヒロオ/虫プロ商事)より

ここで「金はやわらかい金属」というセリフが入ります。

金というと子供の私にとって豪華の象徴であり、その金が実は柔らかいのは知りませんでした。

弾丸ライナーが事件解決になる展開も面白かったですね。

この場面が当時読んだ記憶の中で一番強く残ってます。

 

さて寺田ヒロオさんといえばトキワ荘です。

藤子不二雄Aさんの『まんが道』。

手塚治虫さんは当然ですが、テラさんの存在がトキワ荘の面々にとても大きな影響を与えた場面が幾度も描かれてます。

個人的な感想ですが、テラさんについて書かせてください。

藤子さん両名はトキワ荘入居から1年程して、過酷なスケジュールから少し休むつもりで故郷の富山へ帰省します。

そして原稿を多数落としてしまったのは有名な話です。

私が強く記憶しているのが昭和61年と、翌年に続編が放送されたNHKのドラマ『まんが道』での場面です。

帰省して家の窓辺に座り、のんびりと故郷の空を見上げる二人。

その後の展開を見据え、あえて緩んだ気持ちの二人を強調した演出が竹本孝之さんと長江健次さんの演技も重なりとても記憶に鮮明です。

原稿を落としまくった後東京へ戻り、もう僕たちはダメだと弱音を吐くお二人。

その二人を「バカー!!!」と怒鳴るテラさん。

原作で描かれたテラさんの怒りあふれる様を、河島英五さんがとても忠実に演じられました。

最初の放送では別の方でしたが、続編の青春編で河島英五さんを起用されたのはとても上手くいったのではないかと思います。

原作の『まんが道』そのままと言ってもいいですよね。

少し話はそれますが、私は中学生の時に河島英五さんを生で見てます。

地元デパートで行われたイベントのゲストに呼ばれた、ホール内でのミニコンサートでした。

何曲か歌われましたがサービスでしょう、有名な地元の子守唄を情感たっぷりに歌われたのは良く憶えてます。

『酒と泪と男と女』でブレイクされる前後だったと思いますが(ちょっと記憶があやふやです)、今思い返しても『まんが道』のテラさんそっくりでしたね。

 

さてもう御一人、テラさんを演じられた方に触れましょう。

映画『トキワ荘の青春』の本木雅弘さんです。

河島英五さんのテラさんと違い、本木さん演じるテラさんは物静かで温かく後輩漫画家たちの面倒を見ていく。

感情表現も抑えめです。

私はどちらもテラさんを表していると思ってます。

想像ですがきっとテラさんは物静かな側面もあり、後輩の為に怒ってくれる側面もありだったのでしょう。

トキワ荘に絡んで語られることが多い寺田ヒロオさんですが、子供に夢を与える漫画を信条にした多くの作品もずっと語り継がれていく事を願います。

 

では最後におまけと言っては何ですが、私が所有する珍しい物の画像をお届けします。

『まんが道』で『漫画少年』への投稿の話がありますよね。

『まんが道』(藤子不二雄(A)/小学館)より

採用の常連で「寺田博雄」の名前が描写されてます。

才野と満賀は大人雑誌への投稿も始め、『アサヒグラフ』のマンガ学校に採用される場面があります。

実はテラさんも『アサヒグラフ』に投稿して採用されてます。

昭和28年2月25日号。

お題は「怪物」。

採用されているにも関わらず酷評されているのが何とも言えません。

寺田博雄さんは他の号でも採用されていた筈です。

 

もう一冊、昭和27年6月4日号を所持してますがこちらには藤子不二雄さんの投稿作品が採用されてます。

お題は「虫歯予防デー」、名前は手塚不二雄。

おまけのおまけでこの藤子さんの投稿作品画像で今回の記事を終わりたいと思います。

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