法月理栄さん第9回。「屋根の上のセッちゃん」 《少女版おしげさん》のセッちゃん大活躍の巻

『月刊あすか』掲載の、法月理栄「屋根の上のセッちゃん」第2話「真珠の指輪」を紹介します。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

いつもの様に屋根の上で自分の世界に浸るセッちゃん。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

着物姿の御婦人が慌てる様子が見えます。

大事な指輪をどぶに落とした御婦人の周りに、町の男衆が笑顔で集まります。

御婦人を仕事に行かせて指輪を探す男たち。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

勝手にダイヤの指輪と決めてしまいます。

当然お母さん方は良い気持ちがしません。

御婦人がお妾さんで夜の仕事をしているのもあり、美人にデレデレする旦那さん方に不満たらたらです。

見つからなかった指輪を夜になって、泥で汚れながらもどぶの中を探す御婦人。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

そこへ御婦人の娘が来て、指輪を探すのを諦めさせます。

その様を見ていたセッちゃん。

後日駄菓子屋のくじで当たったおもちゃの指輪を御婦人にあげようと思い、家を尋ねます。

しかし出てきた娘に「こんなおもちゃで。バカにしないで」と大きくなじられ、大泣きするセッちゃん。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

御婦人がとりなして泣き止んだセッちゃんに、娘は謝って家まで送ります。

そこで語られた御婦人の事情。

指輪は娘の実の父親である前夫が買ってくれたもので、すでに他界。

今のお父さんは御婦人が働くお店によく来るから、仕事へ行く前に指輪を外していた。

前のお父さんの事は忘れた方がいいからあの指輪は無くなってよかったと娘。

そして指輪は真珠だと判明します。

家に帰り、セッちゃんの母がやっている日用雑貨店でおしゃべりしている町の母方衆に事情を説明します。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

妾で夜の仕事の御婦人に勝手な偏見を抱いていた奥方たちは考えを改めて、明日はドブさらいをしようという事になります。

指輪がダイヤでなく真珠だったのも心象が変わった大きな要因です。

翌日の夕方、バスに乗るためにやってきた御婦人。

セッちゃんがあげたおもちゃの指輪をしていると見せてくれますが、「似合わないよ」とそれを外すセッちゃん。

見つかった指輪をはめてあげると、「どうしたの」と驚く御婦人。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

バスの中から何度も頭を下げる御婦人と、泥で汚れた母方衆の後ろ姿で終わります。

法月さんのストーリーテリングの上手さとさりげない描写が素晴らしく感心せざるを得ない、まさに法月節というか法月ワールドというか。

実に心温まる話です。

登場時に着物姿で艶やかな御婦人の名前は最後まで明かされません(娘の名前は文子です)。

この艶やかな御婦人がお店の仕事を終えて、夜遅くにドブをさらい指輪を探す場面。

モンペ姿に着替えているのは当然として、ここで描かれた前かがみの不格好な御婦人のコマ。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

個人的にですがこのコマにはとても惹かれました。

前のページでは立ってスコップを持っている姿が描かれてます。

しかし見つからないからと手でドブをさらっているのを、あえて前かがみの後ろ姿で追加する。

この不格好さから御婦人の必死さがよく伝わってきます。

こういうさりげない描写の追加、法月さん本当に上手いですね。

我々世代にとって共感する、昭和を感じる描写もいいんですよ。

先述の御婦人が立ってスコップを持つコマのページで、セッちゃんがトイレに行きます。

そこでドブをさらう御婦人と娘とのやり取りを目撃するのですが、トイレが外なのが当時というか田舎あるあるなんですよ。

私の母方の実家は農家で子供の頃は夏休みや冬休みに預けられてたんですが、まさにトイレは外です。

セッちゃんと同じく、夜に行くトイレが本当に嫌でした。

電球の周りに虫が飛び交い、もちろん水洗ではありません。

現在はどうなんでしょう。

子供にとって怖いだけですからね、外のトイレは。

よほどの旧家でもなければ家屋内にあると思うのですが、そこは検証してません。

 

また、男衆が御婦人に「指輪は探しておくからバスに乗って」とデレデレの場面。

やってきたバスはボンネットバスです。

そしてバスガールも描かれてます。

私はボンネットバスもバスガールもリアルタイムでは経験してませんが、この描写もいいですね。

更にセッちゃんがくじを引く駄菓子屋さん。

『月刊あすか』(角川書店)1985年9月号

「月光仮面」と書かれた商品がぶら下がってます。

第1話に挿入された「快傑ハリマオ」と同じく昭和30年代を代表する冒険活劇です。

法月さん、冒険活劇がお好きでよく見られてたのでしょうか。

 

最終のコマでバスの中から何度も頭を下げる御婦人。

バスの後ろの広告が「林永 ココア」です。

森永でなく林永。

実名を避けるのならこうなるのはわかりますが、妙な可笑しさがあるんですよね。

私だけでしょうか。

 

指輪がダイヤでなく真珠だったのが、奥方たちに親しさを覚えたと作中に書かれてます。

あくまで私の記憶ですが、昭和40年代は宝石は庶民の身近にはありませんでした。

その中でもダイヤモンドは宝石の頂点に君臨する高嶺の花です。

まして昭和30年代にそんなものを所有しているなんて、と嫉妬混じりに御婦人に冷たく接したのは無理もない事です。

といっても男衆が勝手にダイヤと言っただけなんですけどね。

それが実は真珠だった。

重ねてお断りしますが私の記憶だと真珠は宝石として扱ってなく、高価ではあるものの庶民にとって身近な装飾品でした。

冒頭で男衆がダイヤと勝手な事を言う。

それが最後に回収され結束する、見事な話づくりですね。

第2話はセッちゃんの思いやりと行動が町のみんなの誤解を解き、最後は全員が笑顔で終わる展開です。

時代背景は違いますが『利平さんとこのおばあちゃん』のおしげさんと同じです。

御婦人の娘になじられてセッちゃんが大泣きする場面は読んでいて切なくなりますが、すぐに仲直りして笑顔。

悲しい場面を長く引きずらないのも法月さんらしいですね。

法月さんが生みだした少女版おしげさんのセッちゃんにとても癒される第2話を紹介しました。

 

 

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