法月理栄さんの作品紹介記事も10回目となりました。
「屋根の上のセッちゃん」最終話の第3話「冬のお祭り」をご紹介しましょう。
セッちゃんの家に友達の女の子が人形を持って遊びに来ます。
女の子の名前は「星野ひろみ」。
カールちゃんと呼ぶ洋風の人形と、お母さん手作りの洋服を羨ましがるセッちゃん。
セッちゃんはママに自分の人形の洋服を作ってくれと頼みますが、忙しいと断られます。
それを見ていた曾祖母が作ってくれたのは地味な着物。
ドレスじゃなきゃ嫌だと駄々をこねるセッちゃんはママにぶたれます。
ある日ひろみちゃんの家に遊びに行ったセッちゃんは、お人形の衣装に使う布をひろみちゃんのお母さんからもらいます。
レースのような布の綺麗さに喜ぶセッちゃん。
ママにこの布でドレスを作ってと頼み、ママも承諾。
何度も指切りをして眠りについたセッちゃんは、翌日友達を連れて家に帰りますがドレスは作られてません。
出来てから言えばいいのに、と友達も冷たい反応です。
ママが切り盛りする日用雑貨の店は、秋が終わり冬を迎える準備で一年で一番忙しい時期です。
人形のドレスを作る時間が取れなかったのは仕方ありません。
「ママのうそつき」とすねたセッちゃんは屋根に上り、一緒にお祭りに行く約束のひろみちゃんの訪問も無視します。
お店を閉めたママはセッちゃんの落ち込みぶりを見て、今からお祭りに行こうと言います。
一転して機嫌を直したセッちゃん。
ママと祭りの締めくくりの儀式である「火渡り」を見る場面で終わります。
繁忙期のお店、人形のお洋服、そして荘厳な火渡りの儀式を上手く絡めたとてもいい短編に仕上がっていると言っていいでしょう。
冒頭で星野ひろみちゃんが登場する場面。
名前を見てパーマン3号の星野スミレを連想しました。
何の関連性も無いのですが女の子で星野とくれば、藤子不二雄ファンとしては致し方ありません。
この星野ひろみちゃんはセッちゃんとの対比で洋風に描かれてます。
持ってきた人形もセッちゃんの持っている物とは違う西洋人形。
更にたった1ページですが、描かれたひろみちゃんの家の中も和を感じる描写はありません。
なのにひろみちゃんがお母さん呼びなのは、法月さん意図しての事だと確信します。
私の想像ですがひろみちゃんの家はお母さんが働いてなく、少しばかり裕福な家庭に思えます。
というのもちょこっとだけ描かれたテレビがブラウン管の両側にスピーカーがついた種類だからです。
これはなかなかの高級品ですよ。
私はリアルタイムでこの種類のテレビを見た記憶がありません。
ただ作品の時代背景である昭和35年頃にこの種のテレビが家庭に普及していたのかの考証は出来ませんでした。
和洋の対比はセッちゃんの曾祖母が作ってくれた人形の服が着物だった場面でも見られます。
セッちゃんが「こんなのやだ」と駄々をこねる部屋は典型的な日本家屋の部屋です。
曾祖母の悲しそうな顔と、おそらくとても丁寧に仕上げられた人形用の着物は旧家の部屋で描かれてこその場面でしょう。
ママがドレスを作ってくれず、すねて屋根の上に隠れたセッちゃんは屋根裏部屋へ移動します。
そこで見つけた「セツ」と書かれた箱。
セッちゃんが赤ちゃんの頃に使用されていたおもちゃが仕舞われていた箱です。
そこで描かれた写真の絵は私の琴線に大きく触れました。
私の妹は昭和41年生まれです。
この作品とは6年くらいの差がありますが、描かれている女の子用のおもちゃが正にこれでした。
まだ赤ん坊の妹のそばに寄り添う私の母も、当時はセッちゃんのママと同じくらいの年齢です。
寝ている赤ちゃんの目に入る、天井から吊るされた物(何という物かいまだに名前を知りません)もありました。
私が6歳くらいの時、生まれたばかりの妹に寄り添う母の姿を突然蘇らせてくれたこの写真の絵。
ただの偶然です。
それでも「法月さん、あんたなんちゅうものを描いてくれたんや」と『美味しんぼ』の京極さんのように涙ぐんでしまいました。
話の最後を締めくくる「火渡り」の儀式は調べたところ、静岡県でも行われてますね。
ずっと機嫌を損ねていたセッちゃんは読んでいてちょっと切なかったのですが、「火渡り」を見に行くことで元気を取り戻します。
話の途中、要所で祭りについて触れてあり最後にその祭りで全体の出来事が心地よく繋がって、とても法月さんらしい話の収束に感心です。
「屋根の上のセッちゃん」はお借りした方によるとこの第3話で終了だそうです。
もっともっとセッちゃんの活躍や、昭和35年に触れたいところですがこれは仕方ありません。
それにしても『月刊あすか』は豪華な執筆陣で、創刊から2年分くらいは揃えて読みたいですね。
また新たに古書店へ通う楽しみが増えて、嬉しい限りです。