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世界に魅了され、翻訳で世界を繋ぐ ジャン=ガスパール・パーレニーチェク インタビュー

世界中の価値ある面白い本との出会いをクラウドファンディングで作るをコンセプトとするTHOUSANDS OF BOOKSの海外マンガのレーベル、THOUSANDS OF COMICSは、マンガ好きであればご存じなはず。2017年に立ち上がり、マンバ通信に寄稿するBD翻訳者原正人が編集主幹を務める。読んでいるうちにグングンと引き込まれる力強い作品群のラインナップが魅力だ。

その第5作品目としてチャレンジ中なのが、チェコ・コミックの『ペピーク・ストジェハの大冒険』(パヴェル・チェフ著)クラウドファンディング企画

発起人のジャン=ガスパール・パーレニーチェクは、チェコ以外では初となったチェコ・コミック史を総括する「チェコ・コミックの100年展」、東京都杉並区の何気ない日常をチェコのマンガ作家が描いた『Iogi 井荻』(日本国際漫画賞入賞作品)、高知県須崎市の古民家美術ギャラリーで「ヴァーツラフ・シュライフ展」をプロデュースした。海外と日本の架け橋として注目されることが多いマンガだが、その役割とあり方は成長を続けているという。

世界におけるマンガとは。パーレニーチェクにインタビューした。

 

ジャン=ガスパール・パーレニーチェク、ジル・パンサール撮影(2022年)、 豊田徹也画(2017年)

 

◇ ◇ ◇

──パーレニーチェクさんが脚本を手掛けたチェコ・コミック短編集『Iogi 井荻』が、今年、第15日本国際漫画賞で入賞しました。この企画はどのように生まれたのでしょうか。

この企画アイデアが生まれたのは2018年です。私が東京に住み始めてから1年半くらい経ったころになります。そのころ、チェコ・コミック史の展覧会を幾つか企画する機会に恵まれました。中でも2017年に明治大学米沢義博記念図書館 で(株)I.D.Fと企画した「チェコ・コミックの100年」展は、チェコ本国以外では他に類を見ない大きなものでした。530点にも及んだ展示作品の多さもそうですが、クオリティーの面でもこれだけのものを揃えるのは難しいです。米沢義博記念図書館が、解説文、作品映像の全てをアーカイブし、現在、ネット上で閲覧できるようになりました。図書館職員の素晴らしいお仕事には感謝しかありません。図書館のサイトでほぼ完全なチェコ・コミック史情報を入手できます。その展覧会監修者の1人でチェコ・コミック史研究者のパヴェル・コジーネクが、チェコ人コミック作家ヴァーツラフ・シュライフが武蔵野美術大学で交換教授として滞在中だと教えてくれたました。

シュライフの作品、特にマンガは興味深く、私も良く知っていました。細かく正確な線を持ちながら詩的な心も忘れない作家で、扱うテーマも幅広い。SFも描けば、ブラックユーモアに溢れたマンガもやる。社会的なものも描く。何より、以前、彼のマンガをフランス語に訳したこともありました。

 

画像01:『Iogi 井荻』(原作:パーレニーチェク)

 

──チェコ人のお二人は東京で会ったということですか。

そうです。会ったのは、シュライフがチェコに帰国する直前でした。日本滞在にとても満足していたようですが、一方で、様々な体験をどう消化しようかと足掻いていました。日本に出発する前に、外国人だからと家を借りるのがとても難しかったこと。日本滞在中に親しくなった人たちのこと。武蔵野美術大学での授業の様子、特に教師と学生の関係がチェコで彼が教える西ボヘミア大学ラディスラフ・ストナール美術学部との違いを、どう解釈したらよいのか本当に悩んでいました。日本文化と日本美術に魅せられて日本に来ることを決めた彼でしたが、日本人の言動や社会ルールなど、色々な違いの積み重ねが、心に大きく圧し掛かっていたのでしょう。日本に滞在中にも関わらず、チェコの出版社からの依頼があまりにも多かったために、日本で出来た友人と出かける機会が少なかったこともとても悔やんでいました。 

私自身、日本の完璧な理解者だとは到底言えません。日本人の妻との15年間に渡る結婚生活や、元編集者の義父との義父・婿の関係を超えた友情から学んだことなど、可能な範囲でシュライフの疑問に答えようと頑張りました。義父との思い出の場所、神保町にシュライフを案内し、新宿で追分団子を食べながら。 

──シュライフの個展が東京で開催されたのは、チェコに帰国される前?

帰国後です。日本滞在中、シュライフは木板に油絵で描いた一連の作品を制作したのですが、帰国前に一日だけ武蔵野美術大学で展示したんです。一日だけだったので、あまり多くの人に観ていただけなかったんです。帰国してからチェコで展示しても良かったけれど、日本で制作した作品なので、日本の方に観てもらいたいと相談されました。でも、もう帰国まで後何日というタイミングだったし、作品をチェコまでどうやって持って帰るかだとか、全てが分からないごちゃごちゃ状態でした。私が東京のチェコセンター館長に話をして、展覧会と作品のチェコまでの輸送を引き受けてもらいました。こう言う事情から、個展はシュライフの帰国後、2019年春に開催しました。シュライフの帰国が2月で、個展は3月だったんです。とんぼ返りになるのに、シュライフは、チェコから日本に駆けつけてくれて、その時、彼と少し東京を散歩しました。前回と同じように神田を歩きながら日本についての話の続きをして、それから喫茶店ミロンガ・ヌオーバに入りました。コーヒーを啜りながら、シュライフがこんなにもすぐ日本に戻ってきたがったのは、この前の滞在中、彼が住んでいた小平かどこかに意中の人でもできたのかななどと、野暮なことを考えたりして。私は国際結婚については経験があります。私自身もそうですし、私の両親も国際結婚。父はチェコ人で、母はフランス人です。表向き、国際結婚は豊かな経験だと常々言われていますが、正直に言えば、特有の難しさもあります。分かり合えない感覚の違いや、自分にとってはごく普通の行動が相手を驚かせてしまうことも。そう言った文化の違いを、日常生活の中でのシーンを例に、幾つか面白おかしくシュライフに話して聞かせました。 それから何週間か経って、チェコに戻ったシュライフから連絡がありました。

「この間話してくれたことなんだけど、日本の普通の生活、あれはすごく面白かった。ガスパールは詩人だからかな。僕じゃ気付けないことに気付くよね。映画好きなだけに、ビジュアル的思考を持ってる。この間話したようなことを脚本に書いて欲しいんだ。学生に描かせたいんだ。誰かが書いた作品から制作するのは、良い勉強になるよ。自分たちが慣れ親しんだ世界とは違うものを描くというのも。」

と、言うことでIogi 井荻」企画が始まりました。その2年後に単行本化し、日本では数か所で展覧会を開催することができました。

シュライフが誰かに恋心を抱いていたかどうかは、分からず終いです。

──『Iogi 井荻』の雰囲気がつげ義春と比較されることもあったと聞きます。個人的には谷口ジローの作品、特にセリフが殆どないマンガにストーリー展開のリズム感が似ていると思いました。谷口ジローはフランスでも評価が高いですよね。

そう言っていただけると嬉しいですね。つげ義春谷口ジローも、私が尊敬するマンガ家です。でも、お恥ずかしいことに、谷口ジローの『歩くひと』を読んだのはつい最近になってからなんです。とても心に響いた作品でした。シュライフと学生の為にマンガの脚本を書いた時点では、『孤独のグルメ』でしか谷口を知りませんでした。つげ義春では『ねじ式』と『げんせんかん主人』、それから他の短編数作ですね。幻想的で少し怖いエロティシズムが面白かった。つげ義春と『Iogi 井荻』の空気感は違うと思うのですが、比較していただいて光栄です。

Iogi 井荻」プロジェクトでは、脚本以外にも、学生が日本の日常、日本人にとってごく当たり前のことを調べるのを助けて奔走しました。日常生活を海外から調べようとすると意外と難しくて。それに、資料だけがあっても、誰からの助けもなくきちんと理解するのは来日経験のない学生には不可能に近かった。ヨーロッパの常識に捉われて、勝手にヨーロッパ的に解釈してしまったり、また反対に日本はこうだろうと端から思い込んでしまったり。 一つのことを結論付けるとき、学生はなぜその答えに至ったのかを常に意識しなくてはいけなかったし、自分自身を観察するだけでなく、描く対象物を認めて受け入れる心を育てる必要がありました。そこまでオープンマインドになると、今度は「恋は盲目」状態に近くなります。異文化を受け入れるためには、そこまでする必要がありました。その上で、矛盾するようですが、作品を描く学生自身を尊重することが大切でした。なにもかもあべこべに感じるほどに遠く離れた文化を観察している内に、互いの文化の相違点が見えてきて、二つの文化は、互いを映し出す鏡のようになります。これをオープンマインドの状態で体験すると、だんだんに自分と対象物の境界線がどこだかはっきりしなくなって、鏡の向こう側とこちら側が奇妙に入り混じったような感覚に陥るのです。そう言った理由から、学生自身のマンガスタイルを尊重することが重要でした。それでいて、日本人が読んで違和感のない日本を描くように厳しく指導しました。

ただ、白状しますと、日本の作品にも拘らず学生に読ませたものがあります。豊田徹也の本です。私は豊田徹也をアーティストとして尊敬しています。彼は私的な瞑想とも呼べる深みのある作品を描き、映画で例えればモンテ・ヘルマンの傑作、例えば『銃撃』や『断絶』に通じるスタイルを持っています。それに彼の作品には東京都杉並区の北部を描いたものが多いので、同じ地域の井荻を描く上で参考にさせていただきました。

 

画像02マチェイ・コラージュ画『アンダーカレント』、マテイ・ユルカーチェク画『井荻』、全て『Iogi 井荻』(原作:パーレニーチェク)からの抜粋
画像04エリシュカ・リボヴィツカー画『地蔵』、ドミニカ・リゾニョヴァー画『塩』、全て『Iogi 井荻』からの抜粋

 

 

──読売新聞や毎日新聞、東京新聞など日本のメディアでも「Iogi 井荻」展は取り上げられました。ビジュアル的なスタイルはとてもヨーロッパ的なのに対し、そこに描かれた現実世界はとても日本的なものだったと来場者からの感想を頂いたそうですね。あまりにも当たり前すぎて気付かなかった日本の一面に気付かされたと。

詩を創作するときと同じように脚本を書いています。詩の場合、題材が例え辛いことや悲しいことであっても、まず不思議に思うのと同時に魅了されることから始まります。子どもなら普通に持っている感覚です。だからこそ、日本の方が「Iogi 井荻」の作品を通じて、慣れ親しんだ日常での新しい発見を感じてくださったことは嬉しかったです。

この企画には美術的な試みもありますが、日本をヨーロッパからアプローチし、日本の方に「日常の中の非日常」を感じていただくという、言わば、社会学的な側面も意識しました。もちろん、違う文化であっても相互理解とその努力を諦めないとの想いも込もっています。

この2022年に、プーチンの元ロシアがウクライナに侵攻したことで、本企画の博愛精神としての側面を企画参加者全員が強く意識しました。2022224日、これまでに経験したことがないほどの緊張が西ボヘミア大学に走った時からです。直ぐに大学寮では避難民の受け入れが始まりました。不安で祈るような気持ちでテレビを点ければ「旧共産圏で歯向かう国は爆撃するべき」との某国の激しい論調のニュースを目の当たりにする日々。「Iogi 井荻」企画参加者は、チェコ人はもちろんのこと、スロヴァキア人、ロシア人、ウクライナにルーツを持つメンバーがいて、バックグラウンドは多国籍で多文化です。歴史に独裁政権が刻まれた国の若者が多く在籍するだけに、精神的サポートが必要になった学生もいました。同じゼミ生の彼らは、それぞれが様々な思いを抱えながら作品について意見交換し、一緒の空間で制作を続けています。講師陣、学生が一丸となって、互いに手を差し伸べ、相手を知る努力を諦めず、先入観や固定概念に踊らされずに自分自身と相手を見つめようと再確認しました。これは、「Iogi 井荻」プロジェクト発案当初に、西洋と異文化の対話について考えていたことでした。けれども、ヨーロッパ内でまさに必要なこととなってしまいました。文化や美術は人の心から直接溢れ出し、受け取る側の心に直接語り掛けます。人と人を繋げるものです。アーティストやマンガ家は、心の窓口を作ります。様々な国のマンガを読むことは、読み手自身がより多くの心の窓口を持つことです。ただ、この窓口と受け取る側を繋げるにはコネクションが必要です。それは、マンガ界であれば出版社やマンガ関連媒体であり、マンガ出版企画のクラウドファンディング支援者や翻訳者ではないでしょうか。

 

画像05第15回日本国際漫画賞賞状授与式、日本大使鈴木秀生氏と共に。2022年5月西ボヘミア大学美術デザイン学部ラディスラフ・ストナール キャンパスにて

 

──『Iogi 井荻』は西ボヘミア大学美術学部により日本語に翻訳出版され、日本の展覧会場で無料配布されました。会場でも数が足りず、入手困難になったと聞いています。どこで入手できるでしょうか。

残念ですが、日本語訳はもう残っていないんです。この秋にチェコで大きな「Iogi 井荻」展が数か所で開催されるのですが、その際に配布されるチェコ語版は完成間近です。 英語訳と仏語訳も作成中です。日本の出版社がこの企画に興味を持ってくれると良いのですが。日本での海外マンガ市場が、まだ、あまり大きくはないのが不思議です。これから変わってくると思いますよ。ヨーロッパの殆どの本屋には、日本のマンガはもちろんのこと、アジアや欧米以外のマンガコーナーにかなり大きなスペースを取っているところが多いです。 日本でも、絵本に関しては海外のものが沢山翻訳されて店頭に並んでいますよね。多くの親が、子どもに多様な感性に触れてもらおうと海外の絵本を買い求めます。子供にしてあげるだけではなくて、大人だって色々な国の本を読むし、美術館やコンサート、劇場に行って国内外の文化を楽しんでいます。確かに日本では、マンガの産業的な雰囲気がより強いとは思います。殆どの日本の親は、子どもにまずマンガを買い与えようとはしません。教育マンガを買うくらい。マンガは子育ての中で、少々、疎ましい存在です。だから、幼少期から海外マンガに慣れ親しむ機会がないのは、日本の海外マンガ市場規模と関係はあるかもしれません。でもマンガは美術・芸術分野の一つで、文学や映画、音楽と同じです。美術や芸術だって高尚でもなんでもなくて、元々民衆のものでしょう。ポピュラーなものもあれば、小難しいものもある。芸術性に長けたものもある。そう言った違いを含めて、国産も海外のものでも、それぞれに楽しむ感受性を日本人マンガ読者は絶対に持っています。

 

画像06ペトラ・シェスターコヴァー画『水曜日』、ダニエラ・ヘロデソヴァー画『王様』、全て『Iogi 井荻』からの抜粋

 

──パーレニーチェクさんは翻訳も多く手掛けています。現在、サウザンブックスからチェコ・コミックのクラウドファンディングをされているということですが。

米沢義博記念図書館でチェコ・コミックの展覧会をした際に、現在、サウザンコミックス主幹編集者を務める原正人さんにお会いしました。原さんはフランス語圏のマンガ、バンドデシネを数多く翻訳してきた方で、大学ではフランス象徴主義の詩を専攻されました。私も若いころフランス象徴主義の詩を散々読んできたので、すぐに意気投合しました。その原さんが背負って立ったレーベル、サウザンコミックスです。私たちの企画がクラウドファンディングとして参加できるのはとても嬉しいです。このサウザンコミックスがこれから成長し、海外コミックスにおいて日本で大きな存在感を示すようになると思います。

私たちが紹介する本は、200ページ以上もあるチェコのグラフィックノベル『ペピーク・ストジェハの大冒険』です。 作者のパヴェル・チェフは、今でこそ展覧会が開催されるほどチェコで愛されるようになりましたが、共産党独裁政権下には鍵屋や消防士など様々な職を転々としながら描き続けてきた人です。当時、マンガは禁止されていたので、出版の可能性も何もなかったんです。今ではそんなことはなくなりましたが、チェコは小さい国なので、マンガ市場は日本のそれとは比べ物になりません。チェフは、絵だけで食べていける数少ない作家の1人です。チェコ・コミックだけでなく、絵本や小説の挿絵画家、美術品や絵画と、かなり幅広く制作活動をしています。このクラウドファンディング企画の本、『ペピーク・ストジェハの大冒険』は、クラスの人気者でもなんでもなく、吃音症があって、自分に自信を持てない少年ペピークの話です。彼は、豊かな精神世界を持っているにも拘わらず、その可能性に気付かずに、辛いことばかりに捉われて読書に現実逃避しています。冒険小説や想像の世界に逃げているんですね。ところがある日、一風変わった少女、エルゼヴィーラがペピークのクラスに転入してきます。二人の間に純粋な友情が芽生え、その関係を通して自分自身を受け入れられるようになったペピークは、段々と卑屈な考え方を止めます。少しずづではあるけれど、失敗を恐れずに一歩、また一歩と心の殻を破って歩き出す。けれど、ある日突然エルゼヴィーラはいなくなってしまい、ペピークは一人で彼女を探す旅に出ます。

この旅は詩的で幻想的な冒険。大人へと成長する心の通過点を描いたものです。パヴェル・チェフ作品の最高傑作と言って間違いありません。チェコでは『ペピーク・ストジェハの大冒険』が出版された2012年に、チェコでマグネシア 文学賞で児童書と青少年文学部門で賞を受賞しました。 チェフの作品はフランス語やイタリア語にも訳されています。早く、皆様に日本語でお届けできますように!

 

画像07パヴェル・チェフ著『ペピーク・ストジェハの大冒険』

 


▼『ペピーク・ストジェハの大冒険』クラウドファンディング紹介記事はこちら!

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