今更の話ですが、今年はメジャーリーグで大谷翔平選手の活躍が大変に話題ですね。「年間10試合以上登板した選手の最多本塁打」などといったベーブ・ルースの記録を塗り替え、シーズンはまだ途中ですがMVPは当確ではないかともっぱらの評判です。特に7月のホームランを量産していた時期には、ペドロ・マルティネスの「彼はたぶん人間じゃない。きっとモンスターか人造人間のような能力を持ったなにか、あるいはコンピューターチップが入っているとしか思えない」や、マーク・グビザの「オオタニは人間じゃない。もしかしたら地球人でもないかもしれない」など、あまりの活躍に人外扱いするコメントも多く見られました。
しかし、ベーブ・ルースの記録を塗り替え、普通の人間ではないといわれた日本人野球選手は大谷だけではありません。そう、ルースの通算本塁打記録を超えた(その記録を塗り替えたハンク・アーロンの通算本塁打記録も。ジョシュ・ギブソンの記録については不確定なものなのでここではひとまず措いておきます)世界のホームラン王・王貞治です。今回紹介する高森朝雄+古城武司「未来人王」は、そんな王のキャリア6年目、日本プロ野球史上初の1試合4打席連続本塁打を記録するなどし、最終的に当時の日本記録となる1シーズン55本塁打を記録した1964年の『週刊少年マガジン』35号に掲載された読切(単行本未収録)です。
まず最初に基本的な情報を書いておきましょう。原作の高森朝雄は梶原一騎の別ペンネーム。当時は同じ原作者が同じ雑誌に同時に書く場合は別ペンネームを使うのが普通でした。当時の梶原はマガジンで『ハリス無段』(作画・吉田竜夫)を連載していたため、こちらは高森名義を使ったのです。作画の古城武司(1938〜2006)は、『流星人間ゾーン』『伝説巨神イデオン』『ザ・ウルトラマン』などといった特撮・アニメ作品のコミカライズを多く手がけた他、金田正一をキーマンとした梶原原作の野球漫画『おれとカネやん』などでも知られています。
ちなみにこの梶原・古城コンビ、66年にはやはり『少年マガジン』で『偉大なる王(ワン)』という作品を連載していますが、これはロシアの亡命作家ニコライ・バイコフの小説を原案とした、虎の王とその子を主役とした『ジャングル大帝』みたいな話で、本作とは一切関係ありません(ややこしいですね)。
さて、本作の紹介に入りましょう。物語は王3年目のシーズンである1961年9月の後楽園球場、読売ジャイアンツ対国鉄スワローズ(現・ヤクルトスワローズ。ちなみに「スワローズ」という名前は、現代の新幹線「のぞみ」号のポジションに当たった国鉄のシンボル的特急列車「つばめ」号に由来しています。つば九郎も、JRバスのシンボルマークが今でも「つばめ」なのも、実は由来が同じなのです)16回戦の9回裏からスタートします。巨人はここまで国鉄のエース・金田正一に零封されて1-0で負けていたものの、2アウトながら二・三塁と一打逆転サヨナラのチャンスを迎えます。そして打席には王。ですが、解説者の小西得郎は「なんともうしましょうか たよりない王では逆転もゆめにおわるのでは ないでしょうか」(注・小西は1955年からNHKでのプロ野球中継の解説者をしていた人で、口癖の「何と申しましょうか」は同年の流行語にもなっています)とそっけなく、観客からも「三振王! ひっこめえ」「ピンチヒッターをだせえ」とヤジを飛ばされます。この頃の王は、2年目の60年が.270 17本 71打点、3年目の61年が.253 13本 53打点と、その後の活躍を考えるとあまり大したことのない成績でした。……いやまあ、高卒2年目・3年目の選手としては正直十分過ぎる成績ではあるのですが(13本塁打はこの年チームで長嶋茂雄に次ぐ2位ですし、高卒3年目まででこれ以上の本塁打数を記録しているのは清原和博や中西太など手で数えられるほどしかいません)。ただ三振がかなり多く「三振王」とも言われていたのは事実なようで、例えば60年に記録した101三振というのはその年の最多三振である興津達雄(広島)の108に匹敵しています。そして王は、川上監督から「こんどもヒットがでないようなら一塁のポジションは木次(文夫)にかえるぞ」と最後通牒を突きつけられた上、あっという間にツーストライクと追い込まれ、さらに自打球で軽く足を負傷するという絶体絶命のピンチに陥ります。すると突然王の身に不思議なことが……。なんと、国鉄の捕手・根来広光がサインを出してる様子がはっきりと頭に浮かび、そしてそのサインはドロップを指示しているということが分かったのです。
王はドロップを狙い撃ちし、詰まりながらも内外野の間へと落とす走者一掃の逆転サヨナラヒットを放つことに成功します。ロッカールームで「なぜあのときサインが見えたんだろう? どうしてドロップだとわかったんだろう?」と自分の身に起きた不思議な現象について考えていた王は、そういえば中学生の時にも同じような不思議なことがあったということを思い出しました。王はその日、隅田公園でフリーバッティングの練習をしていたのですが、預かっている少女・ユカちゃん(親戚なのか近所の子なのかは不明)が見知らぬ男に誘拐されそうになっている場面が突然頭に浮かんだのです。さらにその時、フリーバッティングの相手を務めていたピッチャーが暴投をしてしまい、ビーンボールのような球がやってきたため王はのけぞるようにしながらバットを振ったのですが、その状態で打ったボールは大ホームランとなって飛んでいき、実際にユカちゃんを誘拐しようとしていた男の頭を直撃して犯罪を未遂に防いだのでした。また、この様子を偶然見ていた一人の男がいました。大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の荒川博です。彼は王の素質を見抜き、「左打ちにするとさらに伸びる」とアドバイスをして去っていきます。
この思い出と、金田からのサヨナラ打のことを考えていた王は、「自分には、いつだったか話に聞いたことがある、『未来人が持っているという超能力』が眠っているのではないか」という仮説に達します。そしてその能力は、いつもギリギリのピンチの時に発揮されていたということにも思い当たります。なんとかこの能力を野球に応用できないかと考える王は、自分をわざとピンチに追い込もうと考え、目隠しをして自動車に乗り込み、断崖絶壁に向かって突っ込むという自殺志願者のようなテストを行います。
このテストで王は、一度目こそ見事に念写に成功してハンドルを切ることができましたが、二度目は途中で念写が消えてしまい、崖下へ真っ逆さま。そして王は何事もなかったかのように海中から岩へと這い上がり、「ぼくには超能力があるが五回に一回くらいしかはたらかない」「つまり未来人打法では打率二割しか打てないことになる」「これでは今シーズンよりわるくなってしまう」と悩みます。
悩んだ末に王が相談に行ったのは、隅田公園での不思議な出来事を見ていた荒川博のもとでした。王は荒川に、「未来人の研究をしている先生」(何だそれ)にも話を聞きに行ったが、「未来人は全てを機械がやってくれるため手足が退化し、逆に頭は今以上に発達するので大きくなる。それで体全体がぐらぐらと不安定な状態になるから超能力が発揮される」のだから、「人並み以上優れた体をしているプロ野球選手に未来人の超能力があるなんて考えられない」と否定されたということを話します。
その話を聞いた荒川はしばらく考えると、王へ「きみの打法はこれだっ 来シーズンはこれでいけっ」と一本足打法を実演します。「一本足打法だとたしかに体重がボールにかかるのでより強く遠くへ飛ばすことはできるが、ぐらぐら不安定でボールが見えにくくなりませんか?」と荒川に尋ねる王。しかし荒川は「それだよ! その不安定こそきみにひつようなことなのだ」と諭します。「不安定になればなるほどきみの中にねむっている未来人の超能力がはっきされる つまりきみは未来人とおなじ状態になるんだよ」との荒川の言に王は「そういえば…… 隅田公園のときは暴投をよけようとして…… 金田さんのときはいたむ足をかばって しぜんに一本足になっていた」と納得し、「一本足打法こそ未来人打法になるかもしれませんね」と荒川をコーチに一本足打法の特訓に汗を流すこととなります。
翌1962年、王は一本足打法で38本のホームランを放ち初のホームラン王に、さらに63年には40本を叩き込んで2年連続のホームラン王を獲得します。そして64年5月3日、甲子園球場で行われた巨人-阪神戦では、当時の日本タイ記録であった1試合3連続ホームランを放つと、「きょうはとくに超能力がさえている…… こんどもぶちこんで新記録をつくってやるぞ」と思いながら打席に入り、阪神バッテリーの考えを見事に読み切って日本新記録となる4連続ホームランを放つのです。
そして話は、ダイヤモンドを回る王に「未来人の超能力を持つ王は ついに その能力をプロ野球に生かしたのだ 長くくるしい練習のすえあみだした一本足打法で いや 未来人打法で これからもたくさんのホームランを打ってくれることだろう 野村(克也)の日本記録の五十二本をめざし (ロジャー・)マリスの世界記録六十一本に挑戦して……」というナレーションが被さって〆られます。実際にこの年の王は野村の記録を破る55本を打ち、マリスのシーズン記録こそ更新できなかったものの、通算では868本という世界記録を作り、ハンク・アーロンの755本を更新する756本目のホームランを打たれたヤクルトの鈴木康二朗は『がんばれ!!タブチくん!!』(いしいひさいち)で「”王に756号を打たれた鈴木”と呼ばれ続けるので、表札を”王に756号を打たせてやった鈴木”に変える」というネタにされることになるのです。
いかがでしたでしょうか。王がどうして868本という異常な記録(毎年40本のペースで打ってても22年かかりますからね……)を作れたのかが皆様もよく分かったことかと存じます。「それってインチキじゃない? サイキックイカサマじゃないの?」という気もしますが、「テクニックとサイキック…似てるし同じです」という言葉もあることですし、細かいことは気にしないことにしましょう。そして、イチローがジョージ・シスラーの年間最多安打記録を84年ぶりに塗り替えたり、いま大谷がルース以来の記録を達成しようとしているように、今後未来人打法や未来人投法を身につけた新たな野球選手が現れ、王の868本や金田の通算400勝、スタルヒンと稲尾のシーズン42勝や江夏のシーズン401奪三振といったアンタッチャブルレコードが破られる日が来るのかもしれません。楽しみですね。
なお、筆者は本稿を書くに当たり、1961年の巨人軍の全試合記録を確認してみましたが、後楽園での国鉄戦で2対1のサヨナラ勝ちをした試合というのは発見できませんでした。