多くの人が読んだことはあるであろうものの、最新の状況についてはあまり知られていないのではないかという作品の「今」について語るシリーズ「あのマンガは今」。
第一回は1996年にヤングマガジンで『賭博黙示録カイジ』からスタートした『カイジ』シリーズを取り上げます。福本伸行最大の出世作であり、今年の初頭にも9年ぶりの実写映画『カイジ ファイナルゲーム』が公開されるなど、大人気の作品です。
まずは、これまでのシリーズ作品について振り返ってみましょう。もし『カイジ』シリーズを未読の方は、以下に挙げる順番で最初から読むことをお薦めします(以降、多数のネタバレが含まれますのでご了承ください)。
■『賭博黙示録カイジ』
1996年11号~1999年36号 全13巻
保証人として多額の借金を負ったカイジは希望の船エスポワールで「限定ジャンケン」に参加。その後、スターサイドホテルでの「鉄骨渡り」、帝愛の利根川との「Eカード」、会長兵藤との「ティッシュ箱くじ引き」を行う。
■『賭博破戒録カイジ』
2000年11号~2004年9号連載 全13巻
帝愛の地下施設で強制労働させられていたカイジは、班長の大槻たちと「地下チンチロリン」で戦う。地上への外出権を手にしたカイジは帝愛の闇カジノで一条を相手取りパチンコ「沼」を攻略する。
■『賭博堕天録カイジ』
2004年28号~2008年8号連載 全13巻
裏カジノ社長の村岡と変則麻雀「17歩」で闘う。
■『賭博堕天録カイジ 和也編』
2009年27号~2012年11号連載 全10巻
兵藤の息子和也と「救出」で戦う。
■『賭博堕天録カイジ ワン・ポーカー編』
2013年22・23号~2017年38号連載 全16巻
兵藤の息子和也と「ワン・ポーカー」で戦う。
■『賭博堕天録カイジ 24億脱出編』
2017年39号~連載 既刊7巻
追い来る帝愛の手から24億円を持って逃げる。
2020年10月現在シリーズ累計72巻が発売されており、連載開始から四半世紀が経ち2020年になった現在も25周年を目前にしてヤングマガジン誌上にて連載が続けられています。
一番最初の『賭博黙示録カイジ』は連載開始時期と同時代の1996年が舞台となり物語がスタートしました。そして、現在はそこから2年が経過した1998年という設定で描かれています。
今回、作中の時間経過と実際の巻数との相関をグラフにしてみました。
『カイジ』史の後半、ほぼ半分が横ばいで進行しているのが特徴的です。実は2004年に始まった『賭博堕天録カイジ』から2017年に終わった『賭博堕天録カイジ ワン・ポーカー編』の間、たった一夜でのできごとが、14年にわたって描かれていました。しかし、同じ福本伸行作『アカギ』では一夜の鷲巣麻雀が20年にわたって描かれたこともあり、あまつさえ牌を一枚切るだけで半年費やしたこともあったのでまだ短く済んでいると言えます。1999年を迎えるのが現実時間でいつになるかはとても気になるところではありますが……。
ともあれ、『カイジ』シリーズは主人公・カイジの2年間にわたる波瀾万丈の人生を描いているとまとめることができるでしょう。ただ、そんな中で最新の『賭博堕天録カイジ 24億脱出編』は、これまでと比べても非常に異質な展開となっています。
今までの『カイジ』シリーズでは、状況や内容は違えど主にカイジが主体となり人生や生命そのものを賭したヒリつくような「ギャンブル」が描かれてきました。しかし、『賭博堕天録カイジ 24億脱出編』では直接的なギャンブルはまだ行われていません。一体どういうことなのか、少しずつ状況を整理していきましょう。
まず、『賭博堕天録カイジ 和也編』でカイジは中国人のチャン、フィリピン人のマリオと出会います。そして、彼らと共に得た大金を抱えて帝愛から逃げ延びています。
しかし、そこで問題となってくるのが現金の輸送でした。紙の束というのは非常に重く、アタッシュケース一杯に札束を1億円詰めるとその重量は10kgほど。それを24億円分も持ち運ぶのは非常に大変ですし、何より人目につきます。公共交通機関や宿泊施設などにも帝愛の目が光っているため、カイジたちは諸々あった後に動く住居としてキャンピングカーを入手しました。
大量の現金に関しては、一旦銀行口座を作りそこに預けようとします。一気に巨額を預けると怪しまれるため、複数の銀行に口座を作りお金を分散させようとしました。ただ、そこに関しても大きな問題がありました。カイジが身分証明書を持っていなかったのです。
1998年当時、保険証は現在のように個人ごとに1枚のカード形式ではなく家族につき1つという形式でした。運転免許証なども持っていなかったカイジは止むなく実家に帰ろうとするのですが、当然帝愛の手はそこまで及んでいるだろうと危惧し、カイジは変装(女装)して帰宅することになります。この「帰省編」は遠藤との駆け引きが非常にスリリングで、ギャンブルこそ行われていないもののこれはこれで面白いものでした。また、借金取りに追われた経験のある方からは「追い込みが非常にリアル」という評もありました。
カイジは何とか無事に身分証明書を手に入れ各地の銀行で少しずつ口座を作っていくのですが、遠藤もカイジたちがキャンピングカーで移動している可能性を考慮して全国に指名手配書を流布します。
その手配書を見てカイジたちを訝しみ追跡するのが、帝愛の債務者でロードスター乗りの猪熊。ここで、カイジたちのキャンピングカーvsユーノスロードスターという圧倒的性能差の公道バトルが始まります。これは最早、ハチロクvsランエボ並の激アツバウトと言って差し支えありません。
ヤングマガジンを代表するクルママンガと言えば『湾岸ミッドナイト』と『頭文字D』(人によってはその次に『逮捕しちゃうぞ』などを挙げるかもしれません)。令和の『カイジ』はそれに次ぐ公道バトル作品と言っても過言ではないでしょう(※過言です)。
ともあれこうした展開が続いていること、また端々で余分とも思われるエピソードに尺が使われることもあって文字通り迷走している感も漂っており、
「ギャンブルはしないのか」
「過去のような緊張感がない」
「テンポがあまりにも悪い」
といった批判もあるのは事実です。しかしながら、それでも輝く『賭博堕天録カイジ 24億脱出編』の魅力について、いくつかの要素ごとに語っていきます。
まるで『黒沢』の如き人間ドラマ
カイジたちがキャンピングカーを借りることとなったレンタカー屋「地球のどまん中有馬猛商店」の店主・有馬。彼は、始めいかにも風貌が怪しくクレジットカードも持っていないにも関わらず多量の現金だけは持っているカイジたちを訝しんでいました。しかし、有馬は自身の辛い人生を回想しながらカイジの人に話せない事情を慮ってくれます。
この店主のエピソードは非常に秀逸で、人情味あふれる読み味は初期の福本作品や『最強伝説 黒沢』にあった魅力を思い起こさせました。
言うなれば麻雀マンガである『天 天和通りの快男児』において麻雀をしなくなったラスト3巻で描かれた極上の人間讃歌の別の形がここにあります。こういった読み味はやはり福本作品の真骨頂です。
人間の本能に訴求する数々の要素
どこまで意図しているのかは不明ですが、『24億脱出編』において描かれるさまざまな要素は生物の根源的な本能に紐付いていると感じます。
まず、追う者と追われる者という構造。これは、危機から逃げて隠れる逃走本能と、逃げる者を追いかけようとする追走本能を思わせます。「逃走中」というTV番組が人気を博したのと淵源は同じでしょう。
そして、逃げる先にカイジの実家があり、そこで家族との接触がある。そして家族に危険が及ばないよう守ろうとする。これもまた原初からの営みです。
更に、カイジたちがキャンプ場で出会った中年男性の石高と木崎(SNSでは彼らが「俺たちのどちらかが性転換して結婚する!」と酔った勢いで宣言するシーンがバズりました)。彼らと共にカイジたちが焚き火を囲うシーンがあるのですが、そこでは直接的にそうしたことにも言及されています。100万年以上前の原始の時代から、人間は火を使い火を囲み、個々では弱い存在が協力し合うことで過酷な環境を生き延び暮らしてきました。近年では焚き火の効能が注目されており、12時間もただ焚き火の映像を流す番組も海外で人気だとか。
カイジたちは、行く先々で見知らぬさまざまな人の協力を得て危機を脱していきます。今までのように直接的に生死が懸かった状況に比べればヌルい状況と言えるかもしれませんが、それでもそこには人間にとって反応を及ぼすような要素がちりばめられています。
ギャンブルに勝った「後」の「安心」を求める物語
たとえギャンブルで勝ったとしても、その後に相手がきちんと素直に負け分の支払いを履行してくれるか否かというのは博徒にとって非常に重要な命題です。ましてや、それが日頃から非合法なことを平然と行い金と暴力で人々を牛耳っているような相手なら尚更です。『カイジ』シリーズでも、班長や村岡など敗れた者がすんなりとは払ってくれずゴネてくる姿は重ねて描写されています。また、取り立てを行えたとしてもその後の報復に備えねばならないというのもまた真理です。別の福本作品『銀と金』の主人公・森田などは、その辺りを実によく弁えていました。
そういう意味で、『24億脱出編』もある意味ではギャンブルの一様態をしっかり描き続けているとも言えるでしょう。『嘘喰い』ではその辺に対して掘り下げを行った結果、ギャンブルと暴力の二軸での闘いを描くマンガとして成立させていました。
「家に帰るまでが遠足」という言葉がありますが、勝って大金を得て家に帰っても終わらないギャンブルもあります。安心を得られるその瞬間まで続くのが勝負と言えるかもしれません。
そして、『ジョジョの奇妙な冒険』のDIOはこう言いました。「人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」と。奇しくも、カイジも『24億脱出編』になって「もうスリルはいい、安心を得たい」という考えに至っています。帝愛から追われ続ける身となってしまったカイジは、果たして真の安心を得ることができるのか。できるとしたらどのようにして実現されるのかは今後の見どころです。カイジシリーズといえば「裏切り」もお約束の要素なので、今は良好な関係を保っているキャラクターからの裏切りがないかも心配するところです。
そうした部分に加え、福本作品に通底する「シリアスな笑い」がそこかしこで登場します。正直ツッコミどころは少なくないのですが、それを含めて楽しむのが一番良いと思います。限定ジャンケンのような高度で緊迫感溢れる頭脳戦をまた見たい、そもそもこのペースで『カイジ』シリーズは無事に完結できるだろうかといった気持ちもあるのですけれど。
それにしてもカイジは第一話でベンツばかりを狙ってイタズラを繰り返していましたが、最近になってユーノスロードスターへの憧れがあったことが解りました。90年代当時の青年が持つ、極めて普通の願望。それが歪んで、ああいった行為に結び付いていたことは切ないです。
もしカイジが最初に保証人になっていなかったら、彼は普通に働いてロードスターを買う未来もあったのでしょうか。いえ、登場時からニートであったこと、また坂崎家での放蕩ぶりを見ていてもそれは望み薄ですね……。
カイジはやはり博徒として破滅的に生きるべきキャラクターとして完璧に設計されていると改めて思います。根本はダメ人間でありながら、時に天才的な閃きと強運を発揮する愛すべき青年・伊藤開司。彼の行く末をこれからも気長に見守りたいです。