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【『バード』創作秘話と『格闘太陽伝ガチ』】
——『ダイヤモンド』が終わってから、麻雀漫画史に残る大傑作『バード-砂漠の勝負師-』ですが、企画が始まったのはどのようなきっかけだったのでしょうか。
青山 『ダイヤモンド』の終わりぐらいに「こういうの描きたい」と思って、簡単な企画書みたいなの書いたら、割とすぐに「やりましょう」と。
——本作最大のネタである「全自動卓天和」をやろうとなったきっかけなどはあるんでしょうか。
青山 これは流れですね。『バード』始まった時は、別に全自動卓天和ってのは考えてなかったんです。
——ええーーーーっ!! そうなんですか!?
青山 考えてなかったです。描いてるうちに途中のセリフでポロっと「全自動卓で天和どうのこうの」みたいなのが出てきちゃったんで、これはもう天和やらなきゃいけないなと。6話目ぐらいになってから天和のネタ考え始めたんだったかなと思います。編集者と二人で頭をひねって、雀荘に行って「こうやればできるんじゃないか」みたいに色々考えて……。
——最初は「マジシャンが麻雀を打つ」っていうことだけだったということなんでしょうか。
青山 そうですそうです。やると決めてからマジックを取材しました。マジックは好きといえば好きだったんですけれど、まあ普通に好きというぐらいでしたからね。
——じゃあ、序盤でバードが「ツモは不要牌を山に戻す行為」とか今までの麻雀漫画のイカサマとは一線を画した事を言ったりするのは……。
青山 いやもう、そういうのもその時その時で考えてた感じですね。最初は「マジシャンが本気だったら麻雀で不可能はないだろうな」と、それぐらいのところから始めたんです。だからそこまで深くは考えてなかったんです。でも担当が「ラスベガスに取材に行きましょう」って言ってくれて、実際に向こうでマジックを見て世界観が色々膨らみました。あの頃はまだ出版社もお金があったんですよね(笑)。日本に帰ってからも、他のマジシャンへの取材でクローズアップで見せてもらうと、「なおすごいな、ますますこれ不可能はないな」とだんだん分かって。
——あと本当に「蛇」のキャラクターがすごいと思うんですけれども。
青山 「蛇」がどういうキャラクターかも、始まった時点では全く考えてなかったです。1話から名前だけは出してましたけど、実際に出てくる時になって初めて考えた。おとなしい感じの見た目からのサイコパスを描きたかったんですけれど、最初は編集部から不評だったんですよ。全然強そうに見えないって言われて(笑)
——強そうに見えないおっさんが人をミンチにして家庭菜園の肥料にするっていう最初の方からして、もう我々読者は心掴まれてしまったんですが。
青山 そこまで行けばいいんですけど、初登場のシーンが不評だったんですよ。
——でも強く見えないからこそ、やっぱり凄みが出てますよね。他にも、磁石を手に入れるためだけに閉まってる文房具屋のシャッターをさらっと壊してるとか、アパートにろうそく投げて燃やしちゃうとか色々すごい好きなんですけれども……。
青山 そういうのは、深く考えるでもなく、こう自然に生まれたっていう感じですね。
——いやしかし、長期連載だとそういうアドリブ的なのはあると思うんですけれども、本作は全2巻であまりに完成されているので、最初から構成全部考えてたんだとばかり思ってたんで、ほんとびっくりしました。
青山 私は最後まで考えて始めることはあんまりないんですよ。だいたいその場その場に行き着いてから考えることが多いです。マジシャンの実際のショーを見て、できないことは何もないなと分かったんで、これだったらまあ全自動卓天和ぐらいできるだろうという、そういう楽観はありました。ただ「蛇」の方のトリックを考えて、それからバードの方はどうしようかっていうのは苦労しました。違うアイデアじゃないといけないですからね。まあでもこれは本当に描いて楽しかったですね。
——ご自身でもやっぱり手応えはあったと。ラストシーンもすごい綺麗に決まってますよね。
青山 『バード』の連載が始まる段階で、スケジュール的に全2巻分くらいの量ってのは決まってたんです。『ダイヤモンド』が終わった時点で、次はこういうのやってほしいというのがあって、『格闘太陽伝ガチ』が始まることが決まってたんで。結果的には2巻でちょうどよく収まってよかったと思いますね。話としては伸ばしても3巻ぐらいにしかならないですし。
——まあそうですね。いきなりバードと「蛇」っていう頂上決戦で始まってるわけですし。
青山 ちゃんとうまくオチがついて良かったです。全自動卓天和のアイデアが出なかったらえらいことでしたよ(笑)
——ちなみに、「本物のバードに会いに行く」みたいなおまけ漫画がありましたけど、実際にモデルになったマジシャンの方はいるんでしょうか。
青山 いや、ないですね。完全な創作のキャラクターです。
——『格闘太陽伝ガチ』ですけれども、これに関しては作画は最初からご自身でということだったんでしょうか。
青山 これも最初は原作でという依頼だったんです。そもそも編集部から話があったとき、格闘技は原作にならないからって一度断ったんですよ。格闘はやっぱり絵であって、テキストで書いてもなかなかうまくやれないと。そしたら「じゃあ自分で描いてくれ」と。「大丈夫かな」という感じで始まりました(笑)。格闘、好きは好きだけど、自分でやってたわけでもないし、そう見に行ってたわけでもないし……。始めるに当たってずいぶん格闘技見に行きましたね。
——単行本巻末のおまけ漫画でも色々取材の様子を描かれてましたね。
青山 でもやっぱり自分でやってないと分からないところも多いですね。野球もそうですけど、体重移動とかポジションとか細かいところの感じが、やったことがある人とない人じゃ全然違うなと思いました。
——さきほどのお話だと、編集部の方から格闘をという感じみたいですが。
青山 長崎尚志(※22)さんご存知ですよね。長崎さんがちょうど編集長になった時だったんです。長崎さんは格闘が好きっていうかプロレスにすごい詳しい方で、プロレスラーが総合格闘家になったという感じのをやってほしいと。それで企画を出して、そのままオッケーが通ったんです。これに関しては、主人公のキャラクターがなかなか決まらなくて苦労しました。私のキャラクター、基本みんな暗いんで(笑)
(※22)小学館の漫画編集者を長く務め、特に『MASTERキートン』などの浦沢直樹作品で担当編集かつ脚本などの共同製作者でもあったことで知られる。01年に退社してフリーに。原作者としてリチャード・ウーなど他にいくつかの名義も持つ。
——確かに『ガチ』の太陽は青山さんの作品の中では珍しいタイプの主人公ですね。名前からして「太陽」ですし。
青山 出してた案が編集部から「こんな暗いキャラじゃ始められない」って言われてえらい不評で。捨てキャラのつもりで軽いキャラを書いたら「これで行こう」ってなったんですが、それで困りました。明るくて健康的なキャラクターの動かし方がよくわからなくて(笑)。『ガチ』に関しては、主人公に気持ちが入り込めなかったというか、行動原理が最後までわからなかったです(笑)
——監修がルー・テーズ(※23)なのもやっぱり長崎さんの……。
(※23)1916〜2002。バックドロップの元祖であり、「鉄人」「20世紀最高のプロレスラー」とも呼ばれる不世出の大プロレスラー。『プロレス・スターウォーズ』など昭和のプロレス漫画にもカール・ゴッチと並ぶ二大レジェンドとしてしばしば登場。
青山 そうです。テーズ本人はこの漫画について知らないですけど(笑)
——まあそうですよね(笑)。でも取材には行かれたんですよね。おまけ漫画に描かれてましたけど。
青山 連載が始まってから行ったんです。「日本で格闘技の漫画を描いてます」って見せてバックドロップのクラッチを教えてもらったり。他にはあのビル・ロビンソン(※24)にも技を教えてもらいました。まあ、長崎さんの側から見て、昔のプロレスラーが一番強かったっていうんじゃないかっていうのが前提になってるんですよね。ただこちらから見ると、プロレスラーしかいなかった時代はそうだろうけど、総合は技術体系が別物だからレスラーがそのままやって通用するわけないだろうってのはありましたから、その辺は微妙に舵を取りながら。
(※24)1938〜2014。ダブルアーム・スープレックスを日本で初めて披露したことから「人間風車」の異名をとった名プロレスラー。60〜80年代には国際プロレス・全日本プロレスをメインに日本のマット界でも活躍した。
——じゃあ、その辺の妥協点というか、そういうのが太陽の決め技がスープレックスになるっていうところに。
青山 いや、これも途中からですね。太陽が最初にスープレックスを決めるところがあったと思うんですが、ネームの段階では関節技を極めてるんですよ。それでOKだったんですけど、描いてたら絵の流れというか、関節技がうまく盛り上がらないんです。それで原稿の段階で急遽スープレックスに変えたんです。
——そこから太陽がスープレックスにこだわるようになり、幻のスープレックスを伝授されるというような展開に。
青山 そこのアイデアは技術監修の青木良さんなんですね。前田日明が何回かやったけど封印した「幻のスープレックス」があると。じゃあそれは最後に使うことにしようという感じで。ただ、ストーリー自体は自然と進んでいきましたね。砦という最終的なライバルに勝つためにどう太陽を強くするかっていうので進んでいきましたから。
——その後、『近代麻雀』で『東風のカバ』。あれはどういったところからでしょうか。
青山 あの頃、ネット麻雀の「東風荘」をやるようになってたんで、これを舞台にしてやりたいなと。
——麻雀漫画の中ではまだネット麻雀があんまりやられてなかった頃ですよね。あれは主人公が何でカバだったんですか。
青山 何ででしょうね。ひらめきです。ストーンと下りてきて。
——単行本2巻が出なくてがっかりしました。
青山 あの頃の竹書房は色々ハードだったようで。打ち切りの漫画もいっぱいありましたし。あと、連載の前半は東京にいて、後半で仙台に帰ってるんですよ。なので、そこのところでちょっと2・3ヶ月休みがあるはずです。仙台で『カバ』を描いてた頃は、アシスタントさんを東京から呼んでたんで大変でしたね。今みたいにデジタルの環境がまだなかったですから、家である程度描いて、アシスタントさんを呼んで仕上げをして、原稿をアシスタントさんに東京に持ってってもらって編集さんに渡してもらうという。アシスタント代が新幹線代だけでえらいことになるし、送り迎えもしなきゃいけないし、アシスタントさんの方も大変だし、ちょっとこれはもう無理だなと。それから原作中心にシフトしました。
【『GAMBLE FISH』からの原作担当作品】
——『カバ』と入れ替わりになって『GAMBLE FISH』ですが、その前に秋田書店での最初の仕事として、チャンピオンの増刊で「ケビン・ランデルマン物語」(※25)を。
(※25)1971〜2016。UFC、PRIDEなどで活躍した総合格闘家であり、並行してプロレスラーとしても活動。漫画ではPRIDEでのミルコ・クロコップ戦を軸に半生が描かれた。
小林 そうですね。もともと『バード』とか『トーキョーゲーム』とかも読んでいて、別でずっと「何かやってください」という話はしてたんです。で、『格闘チャンピオン』という増刊を出すことになったんですが、当時私がPRIDEの人と仲が良かった関係で、選手の実録ものを1本やるっていう話になりまして、それで青山先生に相談したんですね。青山先生、『ガチ』を描かれていたからというのもあって。
——ちょうど『ガチ』が終わるかぐらいの頃ですね。
青山 格闘の実録ものは「小橋健太物語」っていうのも描いてるんですよね。単行本未収録で、竹書房だったかな。
——『GAMBLE FISH』ですが、山根和俊先生との座組っていうのはどういうところで。
小林 まず原作があって、描き手さんを探してる中で、たまたまと言うとなんですけど私が別に山根先生を担当していて、組み合わせ的に面白いんじゃないかなというところでですね。
——企画としては、最初から学園ギャンブルものでっていう注文だったんでしょうか。
青山 そうです。
——話としては、どれぐらい決めて始められた感じなんでしょうか。
青山 これもやっぱり最初だけですね。
——キャラクター造形で言うと、やっぱり阿鼻谷が強烈だと思うんですけれど、あれはどういったところから。
青山 ああいう強そうな先生キャラは出そうっていうのは最初から考えていたんですが、だんだん異常な悪魔キャラに育っていったのは山根さんの功績ですね。最初はあそこまで変なキャラじゃなかった(笑)。サイコパス的な異常者ではありましたけれど、屋根から飛び降りたりとかそういう不思議なことをやったりっていうのは山根さんのアイデアですね。
——ヒロインがどんどん杜夢に惚れていきますけれども。
青山 それも山根さんのアイデアだったと思います。その辺、様子見ながら少しずつ書いていった感じですね。
——初めての少年誌というので苦労とかはあったのでしょうか。
青山 そのことへの苦労はあんまりなかったですね。ただ、ネタを毎回考えるのが大変でした。勝負の内容、最初の頃は持ちネタでやれてたんですけれど、ビリヤード勝負の頃から毎回毎回何するか考えるのが大変で。
——ビリヤードはご自身でもやられてたんでしょうか。
青山 もともと、友達と飲んだ後たまにやったりとかで、好きは好きでしたね。以前にビリヤード漫画(※26)もやっていますが、『GAMBLE FISH』ではあらためて、取材のためにキューを買って、ビリヤード屋さんに行ってアイデア考えるために配置の写真も撮ったりして、それから猛烈にはまりました。ネットカフェのビリヤードとかもできるところで、細かいところの説明を店員さんに聞いてたら、その人がよくやってる人で色々教えてくれて、ビリヤード屋さんでやってるハウストーナメントに誘ってくれたんですよ。そしたらビギナーズラックで勝っちゃったんです。それではまって、道具も揃えてちゃんと練習するようになって、一時期は毎日のようにやってました。腰を悪くしちゃったんで今はほとんど突いてないですけど。ビリヤード漫画もやりたいなと思いつつ、なかなかビリヤード単独では難しいですね。
(※26)『ビッグコミックスペリオール増刊』2001年5月20日号掲載「黄金のマッセ」。作画・若狭たけし。
——ビリヤード漫画、そんなに多くないですもんね。『ブレイクショット』(※27)くらいで。
(※27)前川たけし作。87〜90年『週刊少年マガジン』連載。少年漫画らしく、途中から「手玉と的玉の両方をジャンプさせる”ダブル・ヘッド・スネーク”」「的球に当たった手玉が砕け散り、その破片でボールを落とす”ショットガン・ショット”」などの荒唐無稽な技が連発されるようになる。あと審判がものすごいオーバーリアクションで「ポケットォー!!」とか叫ぶ。面白いです。
青山 みんなルール知らないですしね。しかもどうやっても地味にしかならない(笑)。『ブレイクショット』はバンキング以外は漫画的な嘘ですから(笑)
——手玉を破壊してその破片を他の球に当てたりしてましたもんね。
青山 そもそも実際のビリヤードの試合では、ブレイクもそんな力任せにやるものじゃないですしね。「コントロールブレイク」っていって、みんな玉がどう散らばってどこに来るかを計算してやるもんですからね。いいショットっていうのは球が穴に静かにコトッて落ちるものですが、その辺のところをどうやってかっこよく描いたらいいのかなっていうのが未だに分かりません。
——『GAMBLE FISH』は19巻と青山先生の作品の中で一番長くなりました。
青山 最後の方は本当ネタ切れで大変でした。
小林 月2回ぐらい仙台に行って打ち合わせさせてもらったんですけれど、「次の回が決まるまで帰れない」みたいな感じで。ちょっと暗いというか頭を抱える感じで打ち合わせしてました。
——手を変え品を変えで、総合ギャンブル漫画は本当に大変だと思います。
青山 頭を使う作品はやるのはだんだんしんどくなってきましたね(笑)
——『GAMBLE FISH』と入れ替わりみたいに山根先生とそのまま組んで新しい『バード』が始まりますが、あれはどういうところから始まった企画なのでしょうか。
青山 『バード』をリメイクしたいっていう話が編集部からあって。リメイクって言われても最初はわけがわからなかったんですけれども、編集長がやりたいと。山根さんが作画というので、私は最初の方はほとんどネームチェックするぐらいだったんですけれど、麻雀シーンが始まるとちゃんと書かないといけないなとなって、途中から結局書くようになっちゃっいました。
——全自動卓天和のトリック自体も、アルティマに合ったようなものに変えてますもんね。
青山 あれも無理やりやらなきゃいけなかったというか、なんとかかんとかって感じですね。結構こじつけ的なところが(笑)。全自動卓はいろんな種類があるけど、どれかに合わせないといけないですし、細かいこと言い出すと無理だろうっていうのは意図的に見て見ないことにしてるところもありますね(笑)
——それはどうしても仕方がないですよね。そういえば、基本的なことをお伺いするの忘れてたんですけれども、闘牌はご自身で書かれてる(※28)ということになるんでしょうか。
(※28)麻雀漫画では、麻雀シーンを先述の馬場裕一氏のようなプロ雀士等が作っていることが多い。「闘牌原作」「闘牌監修」「闘牌協力」などの名目でクレジットされていることが多いが、ノンクレジットの作品も少なくない(例えば、能條純一『哭きの竜』の闘牌はノンクレジットだがプロ雀士の土井泰昭)。
青山 そうです。闘牌原作はなしで。
——『バード』のリメイクは続編が出ましたが。
青山 リメイクをやって、ありがたいことにそこそこ評判が良かったんです。でも、じゃあ続編をという話になって、どうしようかって思って。『バード』的には話は最初ので完結しちゃってるんで大変だったんですよ。それで、もともと別にどこかで使いたいと思って考えてた「完全無欠の通し方法」のネタでなら行けるかなと。ただ、やってみたらちょっと難しくなっちゃったんですね。ネタが伝わりづらかったかなと。理屈としてはもっと簡単にもできたんですけど、簡単すぎるかなと思ってグレードアップしたら逆にちょっと難しくなりすぎちゃったかなと。
——そういう塩梅はなかなか難しいですね。『バード』の2作目と並行して、『パンドラの復活』ですが。
青山 あれは最初別の雑誌から依頼があって、警察ものかなんかでやってくれないかっていう、そんな感じだったと思うんです。ただ、ちょうどその頃に東日本大震災があって、それとは別に話が思い浮かんだんですね。あれはほぼ一瞬で話ができたんです。これはやりたいなと思って、一応警察ものではあるということで企画を提出したんですが、担当編集さんはやりたいって言ってくれたんですけど、漫画家さんの方が決まらなくて。やっぱりこれはテーマ的にやりたくないと。
——原発ネタですからね。
青山 それでちょっとその雑誌ではできないと。私もまあ内容的に商業誌では無理かなとも思ってたんですが、たまたま別件で上京した時に『ビッグコミック』の編集長と話をして、ダメ元で見せてみたんです。「面白いけれどもとても載せられない」みたいな話になったんで、まあそうだなと思ってたんですが、後日電話がかかってきて「やっぱりやりたい」と形になりました。あれは、とにかくツッコミが入らないように、話に直接は出てこないような、本来なら調べなくていいようなところまで取材して調べましたから大変でしたね。気を使いました。
——テーマがテーマだけに、やっぱり色々言われかねないですもんね。
青山 編集さんも、毎回原稿持って法務部に行って色々聞くっていうような感じだったらしくて。しかもその頃、ちょうど『ビッグ』でもう1本放射能の話をやってたんですよね。放射性物質でテロかなんかの話があって、たまたまかぶったらしいんですけど、編集会議で編集長が慌てたそうです。
——編集はまあそういうので汗をかくのが仕事ですから。
青山 原発事故に対して、当時でも割と美談的にして収めようっていう雰囲気がありましたけど、東北の方に住んでる人間では怒ってる人はやっぱりいっぱいいるんですよ。
——まあそうですよね。仙台は福島第一も近いですし、事故が起こらなかったとはいっても女川も近いですしね。
青山 誰かがこういうことに対して怒ってるんだ、理屈ではなく怒ってるんだっていうのを作品にしておきたいなと。それに対してムカつく人がいたら、それはそれでしょうがない。
——やる価値のある作品だったと思います。
青山 あれはよく『ビッグ』がやらせてくれました。どこに見せてもできなないと言ってたので。まあ一番いいところでやらせてもらった感じはありますね。このときの編集長が後に『eBigComic4』に移ったんで、『聲鬼』『隻眼の鴉』はそのつながりでの作品です。
——『バード』の2作目が終わった後、また山根さんとのコンビで『超人戦線』が始まりますね。
青山 これも元々別雑誌の企画だったんです。企画を書いて、第1話目までは山根さんが描いてたんだったかな。担当と編集長はOKだったんですけれども、上の方の人がダメだってダメ出したらしくて、それで結局全部ダメになっちゃったんです。こういう風に直してくれみたいな感じだったんですけれども、もうここまで来て直すも何もないだろうっていう感じで、申し訳ないけどそれは下ろさせてもらうとなって。それで急遽スケジュールが空いちゃって、どうしよう、これどっかでできないかなと。その時ちょうど神楽坂で打ち合わせしてたんで、その場で小林さんに電話して。
小林 そうです。ちょうど秋田書店にいて。
青山 近くなんで来てもらって、「こんな感じのやりたいんですけど」って話をして。
小林 『チャンピオンRED』もちょうどそのタイミングで連載入れられそうな具合でしたんで。
青山 でも結局、全然違う話にはなりましたね。もともとパチンコで出るもののコミカライズみたいなものだったので、設定をそのまま使えないっていう話だったんですよ。タイトルとかそのまま使っちゃだめと。バトル漫画っていう大枠は残しながら、見せ方は全部変えるっていうことで、じゃあどう変えますかっていうのでああなったんですね。そうやってバタバタと始めちゃったので、始まってからどういう方向になるか考えた感じですね。作品の中でも特に先を考えないで始めたものです。時間がなかったんですよ。
——じゃあ、最初は超能力者対エキスパートの戦いで、生き残ったものがさらに別のものと戦うっていう展開も途中から考えられて。
青山 確か「対抗戦にしましょう」みたいなのはなんとなく最初の方からあったような気もします。短いシリーズをつなげていく感じだったんですね。
——同時期に『ヤングマガジン』の方で『池袋スティングレイ』をやられてますよね。あれは企画にサミーの名前がありますが。
青山 あれはサミーからパチンコの元ネタになるような話をやりたいっていうのがあったんです。『超人戦線』といい、あの頃パチンコ系が元気だったんですね。「池袋を舞台にしたゲーム的な話をやりたい」と。舞台は池袋で、パチンコに使えるようなシーンを前提にした話で勝負ものっていう。
——わりと制約がきついですね。
青山 最初は全然違う話でした。ヤンマガの方である程度煮詰めて、最初はオンラインゲームみたいなちょっと変な話だったんですが、持ってくとサミーの方でダメ出しが出るんですよ(笑)。始まるまでに2年ぐらいかかったんじゃないですかね。色々企画を出して、もうやめようかなといい加減なってたところで、最後に出したアイデアが「これで行きましょう」ってなりましたが、そこから漫画家さんも決まるまで時間がかかって……。
——上が二重に存在する企画ものは大変ですね。
青山 私もそうですけど、作画の別天荒人さんもきつかったと思います。たぶん相当色々リテイクとか入ったんじゃないですかね。
——『超人戦線』が終わったら『バード』の3作目ですが。バードが終戦直後にタイムスリップするという展開で。
青山 そのままの世界で話をあれ以上広げるのは難しかったので、時を超えた世界ならというので始めた感じですね。苦しまぎれの設定かなとも思いましたが。
——しかし山根先生とのコンビもこれで足かけ13年ですよね。
青山 始めたときは、ここまで続くとはと思わなかったですね。
——本作は、単行本巻末で、青山先生本人の作画で「幼鳥編」を連載されていましたが。
青山 編集部の方から、販促も兼ねて番外編をやってくれないかと。自分でデジタル作画をやってみたいっていうのもあったんですよね。原作のネームはデジタルでやってたんですが、完成原稿まではやっていなかったんです。フルデジタルはこの機会を逃すと一生やらないだろうなと思って、やりましょうと。そうしたら思いのほか大変でした。ネームと完成原稿では使うツールが全然違うので相当しんどかったです。短いページ数ですけどめちゃくちゃ時間がかかってしまって、描く時間を捻出するために本編のネームの方を短い時間でやらなきゃいけなくなってしまい、きつかったです。途中でページ的な問題とかもあって未完のままになってしまいました。
——最終巻に今後の構想だけ文字で書かれてますね。
青山 あれ、書いてましたっけ。
——「バードはエドが最後に残した言葉の謎を解き……」みたいな、謎の内容自体は伏せて展開の概要のみ書く感じで。
青山 あの言葉の意味、私も忘れちゃったんですよね(笑)。いや、調べれば出てくるんでしょうけど。何かの心理学用語なんです。何だったっけな。
——あと、バードが父親の真意を知るみたいなことが書かれてました。
青山 そうだ、父親の真意を描きたかったんですよね。最初の『バード』で父親が結構嫌な奴でしたから、なぜああいうことになって、バードがどういう風に裏方に回るようになったのかっていう、そこを描くつもりだったんです。どこかできちんとやりたいなと思うんですけど、なかなか体力的にしんどくなってきましたね。
——読みたかったので残念です。山根先生の絵に不満があるわけではないのですが、やっぱり青山先生の絵も好きなので。例えば「蛇」に関しては、これはもう山根先生には申し訳ないんですけれど、やはり青山版だなとかいうのはありますし。読めるなら青山作画の新作も読みたいですね。
青山 デジタルにしたら違う絵が描けるんじゃないかと思ってやってみたところもあるんですけど、全然変わんないんですよね(笑)。びっくりしました。ほとんど同じ絵になってしまう、どういうわけなんだろうって。今またデジタルの環境が猛烈な勢いで変わってるんで、それを利用すると全然違う作品ができそうな気もしますけどね。
——せきやてつじさんと組んでの『ラスベガスキング』はどのような経緯だったのでしょうか。一番最初は『近代麻雀オリジナル』の増刊で01年にやって、翌年『近代麻雀』で2回、19年になってから『近代麻雀』で3回の短期連載で合わせて単行本という変則的な掲載でしたが。最初の3回分は麻雀をやらない話でしたし。
青山 最初の掲載時、本当は一番最後に「バカラ編」ってのが入るはずだったんです。プロットはできてたんですが、せきやさんの『バンビ~ノ!』、あれが予定より前倒しで始まることになっちゃって、それで「申し訳ないけどちょっとできない」となっちゃったんです。『バンビ~ノ!』は御存知の通り大ヒットして長く続いたので、これはそのままになってたんですね。それで、せきやさんの手が空いた時に竹書房が連絡したら、『ラスベガスキング』のこと覚えていてくれて、あれを単行本の形にするためにもう1本やりたいと。なので、前半に関しては私も加わってるんですが、最後の麻雀編はせきやさんのオリジナルなんです。
——あ、そうだったんですか。
青山 本当なら最後もカジノで終わるのがよかったんでしょうけど、まあ『近代麻雀』ですから難しいですね。
——そもそも最初は麻雀やらずにカジノの話だったのがちょっと変わってますよね。
青山 編集部もいろいろ試行錯誤をしてた時期ですね。せきやさんとはまた組みたいと願っています。
【『ストラグリング・ガールズ』、そして今後】
——最新作の『ストラグリング・ガールズ~一発逆転の頭脳決戦~』につきましてもお伺いしたいと思います。
青山 企画の始まりは、手持ちのネタで案をいくつか出した中で、これがいいんじゃないかとなった感じですかね。最初に話をしたのは『超人戦線』終わってすぐだったんで、形になるまでしばらく間が空いてるんですよ。
小林 「やりましょう」って話になって、プロットまで行ってそこで1回止まるんですよ。竹書房さんで『バード』の新章が始まって、それが終わったところであらためて、プロットのものをやりましょうって話になったんです。ただそこから作家さんを探すのにめちゃめちゃ難航しちゃって、それだけで3年ぐらいかかったんじゃないですかね。
——『超人戦線』終わったのって16年ですから、それはかなり時間かかってますね。
小林 実は『イカゲーム』とかよりも全然前に原作は上がってたんです。
——それと、1巻巻末のあとがきに、「企画段階では共学という案もあった」と描かれてますが。
青山 作画がさくらうめさんに決まった段階で、これは全員女子で行こうという感じになったんです。それで、細かいところを微修正しつつ現在の形にという感じですね。
——こういう作品ですと、誰が死ぬとか死なないとかそういう話をするだけでネタバレになってしまうんで、なかなか今後の展開とかは聞きづらいんですが……。
青山 卒業死験は「1日1科目の7日間」ってことは決まってるんで、そこまで長い話にはならない予定です。デスゲームではあるんですけれど、出題者側との頭脳バトルのところに比重があるっていうのがポイントですかね。
——鳴と真矢のメイン二人が目標とする「死者を一人も出さない」が達成されるのか、真矢が何を隠しているのか、鳴の恋はどうなるのかなど、1巻の時点では明かされていない色々について楽しみにさせていただきます。
——それにしても、こうしてあらためて振り返っていただくと、画業40年の中で本当に色々な作品をやられてますね。麻雀とか頭脳バトルものだけでなく、ショートギャグに始まり、少女漫画、格闘技、野球、料理……。
青山 なんだかんだでいっぱい描きましたね。そういえば80年代の麻雀漫画誌ではほんのちょっとだけ4コマもやってたんですよ。全然違うペンネームにしたはずなんですけど、名前自体はもう覚えてないです。
——そんな別名義まで。絵で分かるかもしれないので探してみます。
青山 いま思い出しましたけど、たしか『日刊スポーツ』でも描いてたと思うんですよ。1ページのショートみたいなのを。デビューからそんな経ってない頃だったと思うんですが。『日刊スポーツ』の日曜版か何かだったかな。今まですっかり忘れてたのが話してるうちにふと思い出しました。そんな感じで忘れてるのがいっぱいあると思いますね。原作でも、書いたけど刷り出しも残ってないようなのがあると思います。まあでもさすがに30年とか経ってるので、ちょっと細かいところは違っているかもしれません。覚えてるようで忘れてることが多いですね。
——ありがとうございます。『日刊スポーツ』とかも調べてみます。それでは最後に、今後についてお伺いできれば。
青山 当面は『ストラグリング・ガールズ』に注力するんでしばらく先ですが、『バード』シリーズではない新しい麻雀ものをまた企画しています。
——おお、それは。麻雀漫画ファンとしては楽しみにさせていただきます。
青山 自分で描くことはちょっと無理なので、作画はどなたかにお願いすることになると思いますが。自分でも描きたいですけど厳しいですね。デジタル技術が進歩して、自分の絵を学習させればラフを入れるとコンピューターが作画してくれるようになればいいんですが(笑)
——本日は本当にありがとうございました。