以前『息をつめて走りぬけよう』の記事で筆者は、関川夏央氏が巻末解説で、
“そして読者諸君のつぎの仕事は、と僭越ながら言わせてもらうなら、再生パルプの迷宮から、ほんまの信じ難い作品群、とりわけ『与太』『真夜中のイヌ』そして『原色の街』(あの傑作「南与那国島」を含んでいる)を掘り起こし、読み、しかるべき評価を与え、記憶することだと思う。それらの作品を見逃すことははっきり損失と言い得るし、ほんまのように優れた描き手を孤独に追いやるのはまったく犯罪的な行為だと思う。”
と書いたことに触れ、「というわけで、このあたりも今後筆者が同人単行本化をしていきます。次は、『原色の街から』+α」と書きました。この『原色の街から』の単行本が出ることになりましたよというわけで、紙面を私物化しての宣伝も兼ねて本作を紹介します。去年に『聖凡人伝』の記事で自らの状況を書きましたが、あれ以降、ちょろちょろとした原稿書きと、同人誌の売上と、知人の害虫駆除業者の日払いバイト(「きみは悪くなんかない…… でも……ごめんよ……」と『寄生獣』の新一のモノマネをしながら、シロアリを殺す薬剤の噴霧を手伝ったりします。噴霧器、軽そうな見た目なのに「鉛でも詰まってんのかコレ!?」って言いたくなるくらい重い)で細々と口に糊している市民税・県民税非課税世帯(基礎控除やら年金控除やらを引いた去年の所得が0円だった。どうやって生きてるんだ?)としては必死なんすよ!
本書は、『息をつめて走りぬけよう』の前、78年の『ヤングコミック』に掲載されたシリーズ「原色の街から」全4話と、79年『漫画ギャング』(双葉社)に掲載されたシリーズ「失楽園」全3話、それに『息をつめて走りぬけよう』の直後、79年の『ヤングコミック』に掲載された読切「アレキサンダートイレット」、それと、「原色の街から」のうちの一編「南与那国島」(上で関川氏が「あの傑作」と書いているアレですね)がアンソロジー『明大漫研OB作品集』(87年、CBS・ソニー出版)に収録された際にセットで描き下ろされたコミック・エッセイ「海を描く」の合計9編を集録しています。「原色の街から」および「失楽園」は「シリーズ」となっているものの、共通する登場人物などはいっさない独立した作品群であり、実質的には完全な短編集です。『ヤングコミック』について『息をつめて走りぬけよう』の記事で説明しましたが、他の初出がなじみがないと思うので解説しておきますと、『漫画ギャング』(76〜80年。78年9月までは『コミックギャング』)は、『ヤングコミック』同様の、70年代の「マニア受けするけどあまり売上に結びつかなかった雑誌」でして、有名な掲載作品としては関川夏央+谷口ジロー『事件屋稼業』なんかがあります。『明大漫研OB作品集』は、タイトル通り明治大学漫画研究会の出身者だけ構成されたアンソロジーです。明大漫研、かわぐちかいじ、ほんまりうの他に、麻雀漫画の大家・片山まさゆき、『3×3 EYES』などでおなじみ高田裕三、『BSマンガ夜話』や毎日新聞朝刊4コマ「桜田です!」のいしかわじゅん、『ペリカンロード』の五十嵐浩一、小説家として有名ですが初期は本名の「山田双葉」名義で漫画を描いていた山田詠美、ミステリやSFで知られる東京創元社の編集兼業でナンセンス4コマを描いており、後に長く同社社長を務めたことで知られる長谷川並一(晋一)など数多くの人材を輩出しており、これら出身者だけで商業本が作れたくらいの名門なんですよ。
本書の話に戻ります。先述の通り、本書は実質的に短編集で、通してのストーリーはないので、作品をいくつかピックアップして紹介しましょう。「原色の街から」の第2話「追われる」は、上京したはいいものの仕事を続けられず結局故郷・青森へ帰ってきた青年が、ある事情から北へ逃避行をしている中年の車をヒッチハイクし、下北半島を北へと向かうという、世代を超えたある種の負け犬二人組の話です。これ、セリフ回しがいちいちビシッと決まっていて実にかっこいい。
筆者としても色々と説明することはしませんが、シビれますね。
別の作品も紹介します。読切「アレキサンダートイレット」は、タイトルだけだと何のことやらと思われるでしょうが、日本人の老人たちが旅行会社のツアーでアフガニスタンを旅するというストーリーです(登場人物の一人は、NHKのドキュメンタリー『未来への遺産』(74〜75年)を見たことがアフガンへ旅行することになったきっかけだと語りますが、これはほんまの実体験だそうです)。タイトルの「アレキサンダートイレット」とはすなわち砂漠のことで、そこで用をたすことを「このシルクロードをアレキサンダーの軍隊が歩いたんだね」「昔も今も公衆便所なんてもんがないわけだから ヤツらもこの道端で用をたさなきゃならんわけだ」「アハッ…立ち小便もアレキサンダートイレットって言やあ どことなく上品なひびきやね ハハハ」として、こう表現したというわけ。
が、こんなのんきだった彼らの旅は、突然その色彩を変えます。中央アジア史をある程度知っている方なら本編の発表時期「79年」でピンとくると思いますが、彼らは内戦(本作の発表はソ連が本格的に介入するギリギリ直前のタイミングで、アフガン紛争はまだ内戦にとどまっていました)に巻き込まれるのです。
このように二転三転して思いもつかない方向に転がったストーリーは、最後に色々な意味で爽快な終わり方を迎えます。
そして、先述の解説における「あの傑作」であるところの「南与那国島」、これはここに特別掲載(筆者のツイッターでも公開してますが)しますので、もう皆さん実際に読んで確かめてみて下さい。これを78年に、翌年に『息をつめて走りぬけよう』を発表した漫画家が大メジャーになっていないのはおかしいと筆者は思っているんですよ。
いかがでしたでしょうか。冒頭の「アン・ノン族」(昔の日本は「若い女性が一人ないし女性だけのグループで旅行をする」ということは珍しかったのですが、70年代から雑誌『an・an』や『non-no』を片手に旅行をする女性が流行するようになり、彼女たちはそう呼ばれたのです)なんかは時代を感じさせますが、男と女の綾、そして腹にズドンと来るラスト1ページなどは今読んでも古びていないと思います。ちなみに「南与那国島」は創作ではなく、実際に存在した伝承です(「ハイドゥナン」という沖縄語の方が通りがいいかもしれません)。気になった方は調べてみて下さい。
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