原恵一郎——、麻雀漫画ファンで、この名前を聞いて心が震える人は少なくないことでしょう。『アカギ』のスピンオフであり、「これぞ……ワシズコプタ————」の名シーンを生んだ『ワシズ』(ちなみにワシズコプターは、『アカギ』本編で若い頃の思い出として逆輸入されたので正史です)シリーズや、
00年代麻雀漫画最高傑作の一つである『麻雀放浪記 凌ぎの哲』(https://manba.co.jp/manba_magazines/11705)などの作品を発表している漫画家だからです(ちなみに、『漫画ゴラク』で20年以上にわたり連載中で、麻雀漫画史上空前の100巻超えを果たした大河麻雀漫画『天牌』などの作品で知られる「日本一麻雀漫画単行本冊数が多い漫画家」嶺岸信明の第1号アシスタント出身という経歴だったりします)。
麻雀漫画だけでなく時代劇漫画の作品も多くあり、時代劇専門誌『コミック乱』で、美味いものと酒に目のない侍が、藩主の命で料理書を編纂するため諸国を巡るというグルメ時代劇「酔いどれ庖丁」(シナリオ・青木健生。単行本化時タイトルは『諸国グルメ放浪記』)や、『凌ぎの哲』と同様に阿佐田哲也の同名小説を大幅にアレンジしたギャンブル時代劇『次郎長放浪記』(特に1〜2巻にかけての人間すごろく編は本当傑作です)といった作品を発表しています。
そんな原氏にはもう一つの顔がありまして、それは兼業農家だということ。長野県にある奥さんのご実家を継いだんだそうです。今回紹介する『豊作でござる!メジロ殿』(『コミック乱』18年8月号から連載中)は、その経験を活かして原氏がシナリオを担当、「天保の大飢饉」を舞台にした時代伝奇『豊饒のヒダルガミ』で14年にデビューした時代劇漫画の新鋭・ちさかあや氏が作画を担当の、農業がテーマというなかなか珍しい時代劇漫画です。
本作の主人公・目白逸之輔は郡奉行。藩の農政を管理する結構偉い立場の武士です。が、武士の魂である大小も持たずに大きな箱を背負っては村々を訪ね歩き、場合によっては農作業の手伝いまでするという変わり者。見た目からして穏やか、悪くいえば頼りなく、昼行灯などと呼ばれることも。
趣味は農書(農業の指南書)集めで、それを編纂し体系的にまとめ上げた新たな農書を作り上げることを夢としています。
そんな目白殿が、「どうしても陸稲が白穂病にかかってしまう」といったストレートなものから、「少女が何者かの気配を感じると、決まって村中の柿の苗木が枯れてしまう」という不可思議なものまで、農事に関する様々な問題を、農書から得た知識を武器に解決していくというのが本作各話の基本的な筋立てとなっております。農業時代劇であり、一種のミステリでもあるわけですね。
筆者が以前同人誌で原氏にインタビューした際に伺ったお話によりますと、原氏はそれまでアクション・バイオレンスな方向に興味が強かったのが、『凌ぎの哲』の連載途中あたりからミステリ的な謎解き要素をストーリーに取り入れることにも興味が出てきたそうで、実際その後の作品である『ワシズ』などにはミステリ要素を取り入れたエピソードがしばしば見られます(同人誌はhttps://vhysd.booth.pm/items/1139347で自家通販しておりますので、気になる方は買ってくだされ)。そういったこれまでの積み重ねと、自身の農業経験が合わさって、本作のシナリオが生まれているわけです。
そして、このシナリオと実にマッチングしているのが、ちさか氏(帯によれば、原氏と同様に長野県在住だそうです)の緻密な描き込みによる絵。中心となる植物たち(農業の話ですからね)はもちろん、村々の建物や農具なども魅力的に描かれており、本作を地にしっかりと足がついたものにしております。なお、絵に関しては2巻途中からはアシスタントさんの力も大きいそうで、幕間ページでわざわざ紹介ページが設けられていたり。
読んでいくと、ただ面白いだけでなく、江戸期の養蚕に関するあれこれや、盆景のような当時の風俗に関する情報なども自然と頭に入っていき、何かと勉強にもなります。いや素晴らしい。
なお本作には、プロトタイプとして、作画も原氏本人が担当した「郡奉行メジロ」(『コミック乱』18年3月号掲載)という読切があります。ただこれ、単行本だと、19年に出た『蔵出し選集!! コミック乱 創刊20周年記念特別編集〜剣之巻〜』というコンビニコミックのアンソロジーにしか収録されていないんですよね……(しかもこの本、「ローソン専売」という代物)。
原氏には「悪党ランチ」「異名!!喰いタン」など、単行本未収録(あるいはコンビニコミックのアンソロジーにのみ収録)の傑作読切が多いので、どこか短編集を出していただきたいものであります。