トイレのし尿汲取口 山上たつひこ『主婦の生活』

 いつの間にか姿を消した「昭和のアレ」をマンガの中に探すシリーズ。今回のアレは、かつてはほとんどの家にあった「し尿汲取口」である。昭和の一般的なトイレは、いわゆる「ポッチャン便器」で、便器の下の便槽に溜まったし尿はバキュームカーで定期的に汲み取ってもらう必要があった。というわけで、トイレの横には汲取口の鉄の蓋と、てっぺんにカラカラ回る脱臭装置がついた煙突がセットになっていた。
 ポッチャンが姿を消し始め、水洗式トイレの普及が本格化するのは、1970年代になってから。戦後高度経済成長の影響でスモッグや河川の汚染など産業公害が社会問題化し、都市部では人口集中による生活排水問題も深刻化していた。70年には、内閣に公害対策本部が設置され、「公害国会」とも呼ばれた同年の第64回国会では悪臭防止法など公害関係の3つ法案が成立。環境庁設置法も制定された。
 下水道の整備もこの国会をきっかけに推進されることになった。整備は、まず都市部から進められ、その後、地方へと拡大していった。国土交通省の資料によれば、66(昭和41)年度の全国の下水道処理人口比率は9.5%と1割を切っている。88(平成元)年度には40%。94(平成6)年度にはようやく50%の大台に乗せて51%になった。
 下水道の整備に伴って、トイレの水洗化も進んだ。70年代前半には、洋式腰掛け便器の使い方が分からずに、便器の縁に乗ってしゃがんで用を足す人もいたが、TOTOによれば、77年には洋式便器の出荷が、和式便器を上回るようになったという。
 し尿汲取口のある家も少なくなり、都市部では滅多に見ることがなくなってしまった。
 現在はどうかと言うと、2022(令和3)年度末の日本全国の下水道処理人口比率は80.6%。これに、農業集落排水施設等によるもの310万人、浄化槽式によるもの1176万人、コミュニティ・プラントによるもの17万人を加えた「汚水処理人口普及率」は92.6%(人口5万人未満の市町村に限れば82.7%)。ただし、浄化槽式は浄化槽掃除のための汲取口が必要だ。

 この汲取口が重要な役目を果たすのが、山上たつひこの『主婦の生活』第2話「昌代さんの陽のあたる家」だ。

『主婦の生活』

主婦の生活』は、3話からなるミステリーコメディの短編連作で、第1話「昌代さんのおろし金」は『ビッグコミック』1987年12月10日号に掲載。同88年3月25日号、に第2話、同88年8月10日号に第3話「昌代さんのカレーライス」が掲載されたが、その後、続編は描かれていない。単行本は90年にマガジンハウスから刊行。2011年には小学館から『完全版 主婦の生活』として再刊行。18年には、フリースタイルから電子書籍版『主婦の生活』として再々刊行されている。
 主人公の秋野昌代は、サラリーマンの夫・洋太郎、洋太郎の両親との4人暮らし。ほかに家族として、大型犬の直助がいる。
 内容は、秋野家に起きる日常的な謎を、昌代が持ち前の行動力で解決するというミステリ仕立てで、04年から09年にかけて『ビッグコミック』で断続的に連載された『中春こまわりくん』にも通じるものがある。
 第1話では危険なほどに鋭利なおろし金がつくられた秘密をさぐり、第3話では道端に放置されたカレー材料の謎に迫るのだが、第2話はこれらに比べてやや規模が大きい。
 老朽化した秋野家の建て替え計画が持ち上がり、昌代は高校時代の同級生で若手建築家の小島実に設計を依頼する。
 無名の建築家に依頼することに初めのうちは不安を感じていた夫と義父母だったが、小島の作品を実際に見て、彼の誠実な人柄に触れるうちに安心するようになった。
 2ヶ月後、小島が家の模型を見せると、秋野家の新居への夢は広がった。
 そんな折、最近新築をしたばかりの友人から「家を建てるなら、デザインとかインテリアばかりに気をとられてちゃだめよ」と忠告された昌代は、小島に設計図を見せてくれと頼む。そして、新しい家が最悪の家であることに気づくのだった。
 家相は凶相のオンパレード、構造も地震が来ればすぐに倒れそうな脆弱なもの。そして何より恐ろしいのは、汲取口が家の真ん中にあることだった。
 秋野家はポッチャンではなく、浄化槽式の水洗便所だが、年に1回以上の浄化槽清掃と汲み取りが必要。そのときに、バキュームカーのホースを玄関からすべての部屋を通さないと汲取口にたどり着けないように間取りされていたのだ。
 なぜ小島はこんなことを……?そこには小島の悲しい恋があった。汚いような、切ないような作品なんである。

フリースタイル版 46〜47ページ

 

 

記事へのコメント

山上先生は1990年を最後に漫画家をしばらく引退するんですが、本作『主婦の生活』はその少し前の時期の
作品なせいか、
構図や線にちょっとこれまでにない独自の緊張感がやどっている気がします。

先生と同じく、漫画界におけるニューウェーブの流れの一端をになった高野文子が、読んでいる読者に戦いを挑むつもりで毎ページ描いていたと以前インタビューでおっしゃってましたが、娯楽としてのマンガでありながら同時にそのような真剣勝負の場の如く。

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