セパレートステレオ/『坂道のアポロン』小玉ユキ 全8巻

 マンガの中から懐かしい昭和を探る「マンガの中の昭和のアレ」。
 今回取り上げるマンガは小玉ユキの『坂道のアポロン』だ。小学館の女性向けコミック誌『月刊フラワーズ』で2007年11月号から2012年3月号まで連載。単行本はフラワーコミックスアルファから全9巻にまとめられた。また、2012年5月号から9月号には、その後のエピソードなどを描いた番外編『坂道のアポロン BONUS TRACK』が連載されて、同じくフラワーコミックアルファから全1巻が出ている。
 2014年にはテレビアニメ化され、フジテレビ系「ノイタミナ」枠で全12話を放送。2018年には三木孝浩監督の手で実写映画化され、全国の東宝系で封切られた。

『坂道のアポロン』

 舞台は、長崎県の佐世保。物語は1966年の初夏から始まる。主人公の西見薫は、船で働く父親の都合で、この街で病院を経営する伯父の家でしばらく暮らすことになり、横須賀の高校から転校してきたばかりだ。小柄でメガネを掛けた秀才タイプ。なかなか人と打ち解けることができない性格で、慣れない長崎弁にも怯えるほどだった。
 家庭は複雑で、母親は幼いときに家を出てしまっていた。父親も仕事のために留守がちで、小学校のときに買ってもらったアップライトピアノがたったひとりの友。しかし、今度の引っ越しの際に手放してしまっていた。
 ある日、薫はクラス委員の迎律子(むかえりつこ)に、クラシックレコードを置いている店がないかと尋ねた。律子は父親が経営するムカエレコードに薫を案内する。
 実は薫は律子のことが気になっていた。雨の日に、メガネを外したところと律子に見られ「メガネかけとったから気づかんかったけど きれいな顔しとるとね」と言われたのをきっかけに、律子の前だけはメガネを外すようになったほどだ。大人しそうだけど、なかなかやるのだ。
 律子の父親はジャズファンで、自らウッドベースを演奏する。店の地下には仲間とセッションを楽しむための部屋があり、律子は薫を案内する。そこでは、クラスメートで乱暴者の川渕千太郎がひとりでドラムの練習をしていた。律子と千太郎は幼馴染で、律子は千太郎に惹かれていた。
 初めて聴くジャズドラムには、それまで親しんできたクラシック音楽の繊細さはかけらもなかったが、千太郎の演奏に薫の体は熱くなった。
 律子から千太郎とのセッションが聴きたい、と言われた薫は、千太郎が触りの部分をピアノで弾いた、ピアニストのボビー・ティモンズが作曲した「モーニン」が収録された、アート・ブレーキ&ジャズ・メッセンジャーズの名盤「モーニン」を買う。もちろん、LPレコードである。
 ジャズ好きの店主が営む街のレコード屋もLPレコードも立派な「昭和のアレ」だが、今回は別のものだ。
 伯父の家に戻った薫はレコードで「モーニン」を繰り返し聴きながら、居間のグランドピアノで練習を始めた。うるさい伯母は薫がピアノを使うことを許さず、伯母が買い物に出た1時間が限られた練習時間だった。
 昭和のアレは、孤独な少年がジャズと仲間たちとの交流を経て成長していく青春ストーリーの中で、ターニングポイントとなるこのシーンに登場する。家具調セパレートステレオだ。
 真ん中にレコードプレイヤーとステレオアンプが収められた木目調のボックス、左右に共通デザインの大型スピーカーという構成のオーディオセットである。

 左右のスピーカーから音を出して立体的な音場をつくりだす「ステレオ」なるものが登場したのは、筆者が生まれたのと同じ1954年のことだった。それまで、蓄音機の時代から電蓄(電気蓄音機)の時代まで一貫して、レコードは1チャンネルのモノラル再生だったのだ。
 ただし、ステレオ第一号はレコードではなくテープ。左右2チャンネルを2つのトラックに録音したものを専用テープレコーダーで再生した。ステレオレコードの開発は翌56年に本格化。58年6月には世界初のステレオ・レコードがアメリカのRCAビクターからお目見え。まもなく日本ビクターもステレオレコードを発売した。これに先立って日本ビクター(現在のJVC・ケンウッド)はステレオ電蓄STL-1を市場に送り出しており、これが本邦ステレオオーディオの嚆矢とされる。
 はじめのうちはマニア向けの高級品だったステレオが庶民の間にも広まったのは1960年前後。家具調のキャビネットにレコードプレイヤー、アンプ、スピーカーを収めたアンサンブル型ステレオが、アパートの四畳半や団地の2DKに鎮座するようになったのだ。
 そして、いよいよ1962年にパイオニアから「セパレートステレオ」と銘打ったPSC-5Aが登場。このタイプが主流になっていく。東京の秋葉原や大阪の日本橋の電気店街にいくと、どの店の店頭にもさまざまなメーカーのセパレートアンプがずらりと並んでいたものだった。
 70年代になると、プレイヤー、アンプ、チューナー、スピーカーなどを別々のメーカーで組み合わせるコンポーネント形式が主流になるわけで、作中のセパレートステレオの存在は、1966年という時代を端的に象徴しているとも言えそうだ。
 マンガ全体の読みどころは、薫の成長や両親のこと、乱暴者でいつも陽気な千太郎の隠された辛い生い立ち、複雑に絡み合った恋の行方にあるのだが、昭和のジャズやオーディオの歴史みたいなものにも注目すると、さらに味わいは深まるはずだ。

単行本第1巻106〜107P

 

 

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