マンガの中のメガネとデブ【第31回】西見薫(小玉ユキ『坂道のアポロン』)

『坂道のアポロン』

 マンガの中の定番キャラとして欠かせないのがメガネとデブ。昭和の昔から令和の今に至るまで、個性的な面々が物語を盛り上げてきた。どちらかというとイケてないキャラとして主人公の引き立て役になることが多いが、時には主役を張ることもある。

 そんなメガネとデブたちの中でも特に印象に残るキャラをピックアップする連載。第31回は[メガネ編]、1960年代後半の長崎を舞台にした青春ドラマ『坂道のアポロン』(小玉ユキ2007年~12年)の主人公・西見薫の登場だ。

 時は1966年春、西見薫は長崎のとある町の坂の上にある高校に転校してきた。地元では有名な病院の院長の甥という情報と、詰襟をきっちり上まで留めた着こなし、メガネに七三分けのルックスも相まって、「なんや坊ちゃんか」「なんかガリ勉って感じね」「前の学校で成績トップやったとって職員室で噂になっとったよ」と級友たちは囁き合う。みんなが遠巻きにするなか、隣の席の丸尾(今でいうオタク的キャラで、こちらもメガネをかけている)が無線部に入らないかと勧誘してくる。それを見ていたやんちゃ風の男子が「ふたりでメガネでチビでガリ勉で―――あと金持ちのボンボンか」「ははは よかったなあ丸尾 仲間の見つかって」とからかう【図31-1】。ここでもやはりメガネ=ガリ勉のイメージなのだ。

 

【図31-1】メガネをかけてるだけでガリ勉扱い。小玉ユキ『坂道のアポロン』(小学館)1巻p6-7より

 

 実際、初登場時の薫は見た目どおりのクールな秀才キャラである。ときどきメガネをクイッと上げるお約束しぐさも忘れない。小学校のときから何度も転校を繰り返してきた彼は、ちょっとしたトラウマのせいもあって周囲と積極的に関わろうとしない。丸尾の誘いもけんもほろろに断った。ところが、校舎の案内役を務めたクラス委員の迎(むかえ)律子にはいきなりハートをつかまれる。その幼なじみでクラスではコワモテの不良と恐れられる川渕千太郎とも、ひょんなことから仲良くなった。

 もともとクラシックピアノを嗜む薫だったが、ジャズ狂の千太郎のドラムの音と律子の「ふたりのセッション聴いてみたかあ」との言葉に乗せられ、ジャズの世界に足を踏み入れることになる。そこから始まるジャズと恋と友情のドラマは、山あり谷あり波瀾万丈。薫の親子関係、千太郎の出生の秘密など家族にまつわる物語もあって、グッとくる場面には事欠かない。そのなかでも軸となるのは、やはり薫と律子と千太郎のトライアングルだ。

 薫はとにかく律子のことが気になって仕方ない。千太郎と二人で雨に打たれてずぶ濡れになった際、メガネを外した薫に律子が言う。「西見さんってメガネかけとったら気付かんけど きれいな顔しとるとね」「あ 男の人に『きれい』って失礼かハンサムね」。憎からず思っている女子にこんなことを言われたら意識しないはずがない。「そ そんなことないよ」と照れながらも、それ以来、律子の前ではさりげなくメガネを外す薫。「そういえば薫さん よくメガネ外したりかけたりするねぇ なんで?」と問われて、「ええと 網膜を鍛えてるんだよ」と苦しい言い訳をするものの、内心は「君がハンサムだなんて言うからさ メガネを外すのは君といる時だけなんだよ」って、ああ甘酸っぱい!【図31-2

 

【図31-2】さっきまで外していたが、この場面では律子の父(レコード店店主)がいるのでメガネをかけた。小玉ユキ『坂道のアポロン』(小学館)1巻p87より

 

 しかし、律子は実は千太郎のことが好きなのだった。幼なじみの関係を壊したくない気持ちもあって表には出さないが、律子のことをよく見ている薫にはわかってしまう。が、千太郎のほうは律子を世話焼きの幼なじみとしか思っていない。千太郎はのちに同じ学校の1年先輩のお嬢様・百合香に一目ぼれするのだが、直情径行でわかりやすい彼の態度が律子に伝わらないはずがなく、薫は複雑な気持ちを抱え込む。しかも律子は薫も百合香のことが好きだと勘違い。百合香は百合香で、千太郎の兄貴分で東京の大学に通う淳一に惹かれていく。

 それぞれの恋心がもつれ合うなかで、最初に自分の気持ちを伝えたのは薫だった。律子に聴かせるためだけに練習した「いつか王子様が」を彼女の前で弾く。けれども律子は「百合香さんに聴かせるために練習したっちゃろ? これ予行演習ね!?」とまだ勘違いしている。そこで薫はメガネを外し、「……違うよ これが本番だよ 俺が好きなのは君だよ」と精一杯の言葉を振り絞るのだった。

 残念ながら、この告白は空振りに終わる。その後いろいろあって諦めかけたこともあったが、それでも想いは断ち切れず、律子の気持ちにもちょっと変化が……。そこで薫は、二度目の告白に挑むのだ。ただし、ピアノを弾いてカッコつけた前回とは違い、風邪を引いてヘロヘロの状態でメガネもかけたまま。セリフも「俺は律ちゃんが好きだ!! 好きだ 好きだ好きだ好きだ」と何のひねりもないド直球である。いわば素の自分をさらけ出した告白だった【図31-3】。

 

【図31-3】メガネをかけたままド直球の告白。小玉ユキ『坂道のアポロン』(小学館)2巻p104-105より

 

 結果は推して知るべしだが、二人の間にはそこからまだ一山も二山もある。薫と千太郎の関係も一筋縄ではいかない。しかし、薫が生き別れの母に会うために東京に行った際、なぜかついてきた千太郎と二人で泊まった学生下宿で大学生の先輩に言われた「恋愛と違って友情ってのは一生もんだからな」との言葉どおり、彼らの友情は人生の荒波に揉まれながらも失われはしなかった。

 メガネをかけた薫の風貌を、千太郎は伝説的ジャズピアニストのビル・エバンスに似てるとからかったことがある。迷惑そうにしながら満更でもない薫は、のちに落ち込んだ千太郎を励ますためにおどけてビル・エバンスのまねをした。しかし、千太郎との交流が途絶えていた大学時代に、バイト先のナイトクラブで「ビル・エバンスに似てるなあ 誰かに言われたことないかい」と聞かれて「ないです」と否定する。それは千太郎との友情の証として誰にも触れられたくない部分だった。紆余曲折を経た末の美しすぎるほど美しい最終話には感涙を禁じ得ない。この物語の本質は恋愛よりも友情だったのだ。

 

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