「大阪は私の心の故郷だ」と言ったら大阪生まれ大阪育ち大阪在住の人たちからは怒られるかもしれない。
大阪府堺市に引っ越したのは小学校3年生の2学期。昭和の東京オリンピックが開幕間近だった。それまで暮らしていたのは埼玉県春日部市。その前は東京都世田谷区だったから、引っ越しから3年以上、まともに大阪弁を話すことができず苦労した。
中学・高校は堺市。大学は和歌山県和歌山市。一応、近畿地方ではある。就職して働いたのは神奈川県横浜市。転勤で大阪に戻ったが、3年後には福岡県福岡市の社宅に引っ越した。再び大阪に戻ったのは会社を辞めた1984年の秋だった。仕事場として大阪・心斎橋の古びたビルの1室を借りて12年と9ヶ月、すっかり大阪に根を下ろしたつもりだったが、阪神・淡路大震災を契機に、東京・神田に仕事場を借り千葉県市川市に移り住んだ。いまは、神田の仕事場を畳んで千葉県の我孫子市で暮らしている。
根無し草のように生きてきた中で、ふと思い出すのは大阪のことなのだ。今の大阪ではない。暮らしていた頃の大阪である。
このシリーズでは、思い出に残る「心の故郷・大阪」につながるマンガ12作品取り上げていきたいと思う。
第1回は、此元和津也の『セトウツミ』だ。
『マジ雲は必ず雨』のタイトルで第1話が秋田書店の『月刊少年チャンピオン』に掲載されたのは2013年1月号。その後、『別冊少年チャンピオン』で2013年5月号から17年12月号まで連載された。
私が覚えている時代とは40年以上の隔たりがあるが、このマンガの主人公たちが通う高校のモデルになっているのは我が母校なのである。
2016年に大森立嗣監督で映画化されたときには、母校にほど近い堺市堺区戎之町西2丁の内川沿いでロケが行われたほか、一部、母校でも撮影が行われた。マンガの背景からも舞台が戎之町の内川沿いだとわかる。私が住んでいたのはこの南隣の熊野町西2丁。内川の東隣にいまもあるザビエル公園が遊び場だった。
少し付け加えると、私が高校生だった1970年代の内川はどす黒く濁ったドブ川で、いつもメタン臭が漂っていた。当然、風景はかなり違うはずなのだが、初めて読んだときからこのマンガには親近感が湧いた。
主人公は瀬戸小吉と内海想。同じ高校の2年生だ。ふたりは放課後に近所の川沿いの公園で時間を過ごしている。特になにか目的があるようには見えない。他愛のない話をしたり、ときにはクラスメートの田中新二に審判役を頼んでバトミントンをしたり、3人でババ抜きもする。食べ残した弁当を交換して腹を壊したこともある。公園でパフォーマンスをするバルーンアーティストと言葉をかわしたり、野良猫と遊んだり、手術を前にした車椅子の少女に話しかけられたりもする。同級生の樫村一期との奇妙な関係もあり、恋愛要素も少しはある。
ふたりが何故ここにいるのか、は単行本第1巻の巻末に描き下ろされている。
川沿いの公園は元々、内海が授業が終わる15時半から塾が始まる17時までの暇つぶしをするための場所だった。ここで毎日、音楽を聴きながら本を読んでいたのだ。ある日、いつものように暇つぶしをしていた内海に声をかけてきた学生がいた。別のクラスの瀬戸小吉だ。サッカー部員だった瀬戸は、先輩と揉めて部活を辞めて時間を持て余していた。お気に入りの場所に余計なやつが来た、と思った内海だったが、瀬戸との無意味な会話に馴染んでいく。こうして、部活をやめてやることのない瀬戸と、塾までの時間を潰したい内海の利害関係が一致した。
連載は一話完結式で、毎回、瀬戸と内海の漫才のような会話を軸に進められる。だが、全体を読むとひとつのまとまったドラマが見えてくる。ここには書けないが、最後の最後には内海の思わぬ秘密が明らかになるし、大どんでん返しもある。非常に構成力に長けたマンガ家だと思う。現在は世界的な評価を受ける映像制作会社・ピクスで脚本家として活躍していることにもうなづける。
母校がモデル、と書いてしまったが、ちょっと気になることもある。女子の制服が違うのだ。樫村一期たちが着ている制服は、ミニスカートで今風のデザインだが、母校ではいまもセーラー服なのだ。空色の襟の冬服は中学生や他校の女生徒にも人気が高かった、と記憶する。だから、実は違う学校でした、というちゃぶ台返しの可能性も否定はしない。
それでもやはり、瀬戸と内海の会話や、彼らと関わる人々の言葉の端々からは、世間知らずで、何もできないくせに一端の大人を気取り、ゆるゆるとした毎日を送っていた無力な私自身が浮かんでくる。切ないね。