第18回 本邦初訳のチェコ・コミック―パヴェル・チェフ『ペピーク・ストジェハの大冒険』

第18回 本邦初訳のチェコ・コミック―パヴェル・チェフ『ペピーク・ストジェハの大冒険』

今年6月、筆者が編集主幹を務めるサウザンブックス社のレーベル「サウザンコミックス」の第5弾パヴェル・チェフペピーク・ストジェハの大冒険』(ジャン=ガスパール・パーレニーチェク髙松美織訳、サウザンブックス社、2023年)が発売された。サウザンコミックスではこれまでフランス語圏のマンガ”バンド・デシネ”を2点、アメリカのコミックスを1点、台湾のマンガを1点刊行してきたが、今度の作品はチェコ・コミックである。

 

パヴェル・チェフ『ペピーク・ストジェハの大冒険』(ジャン=ガスパール・パーレニーチェク、髙松美織訳、サウザンブックス社、2023年)

 

原書は2012年、チェコのペトルコフ(Petrkov)社から刊行され、チェコ国内の権威ある文学賞「マグネシアリテラ(Magnesia litera)」の児童書部門を受賞している。

作者のパヴェル・チェフは、鍵屋や消防士を経て、2000年にデビューした異色の経歴の持ち主。今やチェコを代表するマンガ家のひとりと見なされていて、イラストレーター、絵本作家としても知られるチェコ・アニメーション界の巨匠イジー・トルンカの再来と評価されている。

そのイジー・トルンカやカレル・ゼマン、ヤン・シュヴァンクマイエルを始め、チェコ・アニメは日本でも知名度が高いだけに少々意外な感じがするが、チェコ・コミックは日本ではこれまでほとんど翻訳紹介されてこなかった。かつて日本の青年マンガ誌『モーニング』にチェコの作家の作品が掲載されたケースはあるが、チェコ・コミックの単行本が邦訳されるのは、これが初めてではないかと思う。

筆者がチェコ・コミックのことを初めて知ったのは、実はつい最近で、2017年9月から2018年1月にかけて東京の米沢嘉博記念図書館で行われた「チェコ・コミックの100年展」でのこと。この展覧会のコーディネーターを務めていたのがジャン=ガスパール・パーレニーチェクさんで、その当時知り合って、いつかチェコ・コミックの日本語版が出せるようになるといいねと話したものだが、その後、筆者がサウザンコミックスの活動を始め(サウザンコミックスについては、エティエンヌ・ダヴォドー『ワイン知らず、マンガ知らず』を取り上げた回を参照のこと)、はからずもそのサウザンコミックスから、ジャン=ガスパール・パーレニーチェクさんとパートナーの髙松美織さんに翻訳を担当していただく形で、本邦初のチェコ・コミックを出せることとなった。

今回はこの作品を紹介しよう。

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物語の主人公はタイトルにもあるペピーク・ストジェハという少年。本名はヨゼフ・ストジェハだが、周囲からはペピークという愛称で呼ばれている。作中に登場する作文から2年A組に属していることがわかるが、年齢がはっきり書かれているわけではない。日本の小学校高学年くらいだろうか。彼には吃音があって、そのことでいつもクラスメートたちにからかわれている。体育の授業で行われる飛び込みも大の苦手で、学校に行くのが憂鬱で仕方ない。

 

学校に向かうペピークの足取りは重い(P12-13)

 

ある冬の日の放課後、ペピークは道端で青い小石を拾う。彼はかつて病院に入院していたときに知り合ったアントニンさんというおじいさんに言われた言葉を思い出す。それは、「水の中に小石を落としてごらん。一見何も変わらなくても何かが変わる」というものだった。アントニンさんに言われた通り、ペピークは小石を橋の上から川の中に投げ入れる。

 

ペピークは放課後、道で拾った小石を川に落とす(P18-19)

 

その帰り道、ペピークはゴミ捨て場で1冊の本を拾う。それは『フラゴラミス船長の大冒険』という、本好きのペピークがこれまで一度も見たことがない本だった。

 

ペピークが拾った『フラゴラミス船長の大冒険』(P20-21)

 

さらに数日後、ペピークのクラスに転校生がやってくる。それはエルゼヴィーラという少女で、彼女は他のクラスメートと同じようにペピークをからかったりせず、敬意をもってペピークに接する。やがてふたりは意気投合し、常に行動をともにするようになる。アントニンさんに言われた通り、小石を川に投げ入れ、『フラゴラミス船長の大冒険』という本を見つけ、エルゼヴィーラと知り合ってからというもの、ペピークのさえない日常は少しずつ変わっていく。

 

ペピークとエルゼヴィーラ(P72-73)

 

ところが、そんな幸せな日々に突如として終わりが訪れる。ある事故をきっかけに、エルゼヴィーラが姿を消してしまったのだ。不思議なことに周囲は誰も彼女が消えたことを気にしていず、それどころか彼女のことを覚えている様子もない。ペピークはひとりエルゼヴィーラを探し続け、彼女と訪れた思い出の場所で、瓶の中に入れられたエルゼヴィーラ直筆の手紙を見つける。そこには「ペピーク助けて!」というメッセージが記されていた。こうして、エルゼヴィーラを探すペピークの大冒険が始まる。

 

エルゼヴィーラを探すべく、ペピークは水車小屋の水路を辿って冒険の旅へと漕ぎ出す。水路の向こうには思ってもみない世界が広がっていた……(P116-117)

 

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本書には随所に古びたものが登場する。ペピークがゴミ捨て場で見つける古本、もはや使われなくなった古い水車小屋、廃れて立入禁止となった庭園、アントニンさんが冒険をともにした年季の入ったナイフ、アントニンさんの友人らしい老人がペピークに託す年代物の金時計……。

おそらくここには作者パヴェル・チェフの趣味が多分に反映されているのだろう。『ペピーク・ストジェハの大冒険』日本語版刊行記念オンラインイベントに出演してくれた彼は、何の変哲もない古いものが大好きで、子供の頃にもらった目覚まし時計や、道端で拾った小石・ガラスといったものを今でも大事に取ってあるのだと教えてくれた。

どこか不気味で、それでいて懐かしいこうした古びたものたちは、物語が展開する冬という季節や、主人公ペピークの内向的な性格と相補いながら、本書の独特な世界観作りに一役買っている。ずっと日が差さず、曇天が続いているようなくすんだ寒色系の色合いがとても印象的だ。

こうした雰囲気は、ペピークが置かれた状況を見事に表現している。物語の冒頭、朝早くに目を覚まし、ベッドから抜け出したペピークは、窓の向こうに広がる薄暗い街を見つめながら、「春はまだかな…」と心の中でつぶやく。吃音を抱え、水泳の時間に飛び込みをする勇気がなく、クラスメートたちからからかわれている彼は、現状を変えたいと思っているのだが、自分ではどうすることもできず、ただ事態が変わるのを待つことしかできない。

そんな彼に変化のきっかけを与えてくれたのもまた、古びたものだった。道端で拾った小石を川に投げ入れ、ゴミ捨て場で『フラゴラミス船長の大冒険』という古本を手に入れたペピークは、それらに導かれるように、エルゼヴィーラと出会い、別世界への扉である古い水車小屋を抜け、現実世界ではできなかった大冒険をやってのける。アントニンさんから譲り受けたナイフや、アントニンさんの友人の老人から託された金時計に助けられながら、ペピークはさまざまな試練を乗り越え、以前よりも成長して、再び現実に戻ってくるのだ。

 

体育の授業では飛び込みができなかったペピークだが、異世界ではエルゼヴィーラのために崖から飛び込んでみせる(P168-169)

 

大冒険を終えたとき、長い冬が明け、ペピークが待望した春が訪れることだろう。冬が長かっただけに、久しぶりの春は一層美しく、暖かく感じられることだろう。

絵柄といい、色彩といい、世界観といい、物語の質といい、本書には海外マンガならではの独特の魅力が詰まっている。子供から大人まで、ままならない日常にもどかしい思いをしている人たちにぜひ読んでほしい作品である。

 

 


 

筆者が海外コミックスのブックカフェ書肆喫茶moriの森﨑さんと行っている週一更新のポッドキャスト「海外マンガの本棚」でも、2023年7月7日更新回で本書『ペピーク・ストジェハの大冒険』を取り上げている。よかったらぜひお聴きいただきたい。

 

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