今回はイギリス発の作品を紹介しよう。イギリスのコミックスと言えば、レイモンド・ブリッグズの『スノーマン』や『風が吹くとき』から、トム・ゴールドの『ゴリアテ』や『月の番人』、アリス・オズマンの『HEARTSTOPPER ハートストッパー』まで、いくつか日本語で読めるものがあるのだが、邦訳の数は決してまだ多くはない。そんな中、Nexflixでアニメ化され世界中で人気を博し、その勢いを駆って日本語にも翻訳された作品がある。ルーク・ピアソン『ヒルダの冒険』シリーズである。
原書の第1巻Hildafolk(のちにHilda and the Trollに改題)は、2010年にイギリスのノブロウ・プレス(Nobrow Press)から出版された。2014年からは版元をノブロウ・プレスの子供向けインプリントであるフライング・アイ・ブックス(Flying Eye Books)に移し、Hilda and the Fairy Village(2023年)まで、現時点では計15巻刊行されている。
もっともルーク・ピアソンがひとりでこの作品を手がけていたのは第6巻に当たるHilda and the Mountain Kingまでで、第7巻以降はスティーヴン・デイヴィーズが原作を担当し、作画に関しては、何人かが巻ごとに替わるという方式を採用しているらしい。
2018年に始まったNetflixのアニメ版は世界中で人気を博し、昨2023年にはシーズン3も放映されているので、アニメ版でこの作品を知っているという人もいるのではないかと思う。
邦訳はこれまで、シリーズ第1巻から順番に『ヒルダとトロール』(2020年)、『ヒルダと真夜中の巨人』(2020年)、『ヒルダとバードパレード』(2021年)と、3冊が刊行されている(いずれも翻訳:金原瑞人、発行:山烋、発行・発売:春陽堂書店)。
第1巻が30ページ程度、第2巻と第3巻が40ページ程度と、ページ数は少なめだが(A4判の大判の判型とハードカバーの造りも相俟って、クラシックなバンド・デシネを想起させる)、れっきとしたコミックスである。
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本シリーズの主人公は、タイトルにもなっているヒルダ。小学生ぐらいの女の子で、在宅ワークをしている母親と、シカキツネのトウィッグと一緒に暮らしている。
第1巻『ヒルダとトロール』では、ヒルダたちは人里離れた高原にポツンと建てられた一軒家で生活している。その世界には、人間や動物だけではなく、ウッドマンやトロール、海の精、巨人といった精霊めいた存在も同居していて、ヒルダはそれらの存在に囲まれながら、自由気ままな田舎暮らしを満喫している。
これらの精霊めいた存在は、敵意むき出しというわけではまったくないが、だからといって完全に話が通じるというわけでもなく、人間とは異なる論理で行動している他者という感じがして楽しい。
ある日、外にお絵かきに出かけたヒルダは、トロールが石化したトロール岩を見つけ、その長い鼻の部分にトロールが苦手としているとされる鈴をくくりつけるが、そのことがきっかけでひと騒動が持ち上がることになる。
続く第2巻でも、ヒルダ一家は相変わらず高原の一軒家で生活している。ある晩、彼女たちは姿が見えない存在から突然、投石の攻撃を受ける。ヒルダたちを攻撃したのは、はるか昔からその場所に集落を形成してきた小さなエルフたちだった。彼らは巨人のようなヒルダたちに怯えつつも、長らくその脅威を耐え忍んできたのだが、いよいよ堪忍袋の緒が切れたのだ。立ち退きを要求するエルフたちに対して、ヒルダは話し合いによる解決を提案する。
家を失ったヒルダと母親とトウィッグは、第3巻で高原を離れ、トロールバーグの町に引っ越すことになる。高原の暮らしが大好きだったヒルダは、明らかに意気消沈している。せめてもの楽しみにと、家を出て外を探検しようとするが、まだ町の様子がわからないことを理由に、母親から外出を禁止されてしまう。ところがそこにヒルダのクラスメートたちが遊びにやってきて、ヒルダは彼らと一緒にとうとう外出することに成功する。ヒルダはクラスメートたちの投石で傷ついた1羽の鳥を介抱するが、そうこうするうちにみんなとはぐれてしまう。その鳥はヒルダに、またとない冒険の機会を与えることになる。
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本書の魅力の中心を担っているのは、天真爛漫な主人公ヒルダと、ウッドマンやトロール、エルフ、巨人といった、精霊めいた人ならざるものの存在だろう。とりわけ第1巻と第2巻は、物語の舞台が人里離れた高原で、ヒルダと母親以外には人間が登場しないということもあって、そういった印象が強い。人間と精霊めいた存在たちは、論理を異にしていて、そのことで両者の間に緊張が高まることもあるが、まるで異なる存在たちが同居している様子は楽しくもある。
第3巻でヒルダたちが都市に移り住むと、物語の様相が変わっていく。相変わらず不思議な生き物が登場し、そういった魅力は健在なのだが、大自然のエネルギーから切り離されたからか、天真爛漫だったヒルダは明らかに元気を失い、同類である人間が多くいるにもかかわらず、あるいはそれだからこそか、ヒルダの孤独が際立つように感じられる。とりわけ都市の夜の寂寥感漂う暗さと、ひとりぼっちでお祭りの人混みをさまようヒルダの姿が印象的だ。
もっとも、あまりに画一的でよそよそしく感じられる都市にあっても、ヒルダは持ち前の好奇心を発揮し、そこに見えにくい差異や個性を見出し、都市での暮らしを魅力的なものに変えていく。この辺りの描写は大人の読者であっても、ハッとさせられるのではないかと思う。このあと、トロールバーグの町で、ヒルダが一体どんな冒険を繰り広げるのか、非常に気になるところである。
近年の子供向けの海外マンガの邦訳では、韓国発の学習マンガ『サバイバル』シリーズという大成功例があるが、そうした学習マンガを除けば(つい最近も『つかめ!理科ダマン』というシリーズが話題になっているという記事を読んだ)、子供向けの海外マンガは苦戦しているのではないかと思う。かつては、『タンタンの冒険』や『スマーフ』のように、シリーズ全体が丸っと翻訳されるケースもあったが、ここしばらくでは、アメリカで空前絶後の大ヒットを記録しているデイブ・ピルキー『ドッグマン』ですら、日本語版は第3巻で止まってしまっている(『ドッグマン』については、以前、マンバ通信で書いた記事を参照のこと)。『ヒルダの冒険』も現状第3巻までの翻訳で、続刊の刊行は難しいのかもしれないが、非常にすばらしい作品であるだけに、叶うことなら、ルーク・ピアソンがひとりで手がけた第6巻まででも翻訳されてほしいものだ。
この記事の冒頭で、イギリスのマンガの邦訳は必ずしも多くないという話をしたが、『ヒルダの冒険』の作者ルーク・ピアソンのパートナーであるフィリッパ・ライスが、ふたりの暮らしを描いた『ソッピィ』という作品が翻訳されていたりする(フィリッパ・ライス『SOPPY ソッピィ』前田まゆみ訳、創元社、2018年)。巻頭の説明によれば、「ソッピィ」というのは、イギリス英語で「べたぼれ」とか「ラブラブ」といった意味とのこと。その名の通り、ふたりの「ラブラブ」な日常の断片があれこれ描かれた作品である。『ヒルダの冒険』でルーク・ピアソンという作家に興味を持った人には、そちらもオススメしたい。
筆者が海外コミックスのブックカフェ書肆喫茶moriの森﨑さんと行っている週一更新のポッドキャスト「海外マンガの本棚」でも、2024年1月5日更新回で『ヒルダの冒険』シリーズを取り上げている。よかったらぜひお聴きいただきたい。