これまでいくつもの海外マンガを邦訳出版してきた飛鳥新社から、今年の4月後半(奥付の発行日は5月1日)に、デイブ・ピルキー『ドッグマン』(中井はるの訳、飛鳥新社、2019年)というアメリカのコミックスが出版された。
実はこれ、アメリカではここ数年バカ売れし、非常に注目されている作品だそうで、帯にも出版社ウェブサイトの商品紹介ページにも、「全米人気ナンバーワン」という言葉が躍っている。なんでも最新刊は初版500万部で、既刊6巻の累計部数は2300万部なんだとか。
ところが、日本では、大人気アメコミ上陸!みたいな感じで話題になっている形跡がほとんどない。筆者は普段から邦訳海外マンガの新刊にそれなりにアンテナを張っているのだが、本作についてはまったく気づかず、発売から2カ月ほど経ってから偶然人から教わった。
そもそも日本ではまだあまり話題になっていないということなのかもしれないが(Twitterで「ドッグマン」と検索すると、今だとこれから上映される同名の、ただし本作とは何の関係もない映画『ドッグマン』の投稿のほうが圧倒的に多い)、気づかないのも当然と言えば当然で、本作は日本ではコミックスや海外マンガの文脈で販売されていないのである。いくつか大型書店を覗いてみたが、海外マンガコーナーには並べられておらず、児童書コーナーで大々的に展開されていたりする。先に紹介した帯や出版社ウェブサイトの惹句には続きがあって、「全米人気ナンバーワン」のあとに来るのは「児童書」という言葉なのだ。
そこには本作を日本人読者に届けるための出版社側の戦略があるのは言うまでもない。帯や出版社ウェブサイトからは「マンガ」だの「コミックス」だのといった言葉は注意深く排されている印象である。「海外マンガ」や「アメリカのコミックス」はもちろん、「児童マンガ」よりも「児童書」として売ったほうが効果的だという判断なのだろう。
とはいえ、本作がコマと絵と文字を備えた、れっきとしたアメリカ生まれのマンガ=コミックスというのも紛れもない事実である。そもそも本作がマンガであることは、本作の冒頭から既に明かされている。ドッグマンとは、幼稚園で知り合ったジョージとハロルドのふたりが初めて合作した「マンガ(英語の原文はcomics)」の主人公だった。ふたりは小学4年生になって一旦別のマンガを描くことに夢中になるが、その後改めてこのキャラクターを主人公に据えたマンガに取り組むことになる。それが本作『ドッグマン』なのだ。
ということで、今回は日本では児童書として販売されているが、実はアメリカのコミックスという『ドッグマン』を紹介したい。
既に述べたように『ドッグマン』は、ジョージとハロルドの幼稚園で出会った幼馴染が作ったマンガという体をとっている。表紙こそデイブ・ピルキー作となっているが、第1章の扉には「ジョージとハロルド作」と記されている。
冒頭の「ドッグマン たんじょうまでの話」で、既に説明したジョージとハロルドの出会いと『ドッグマン』という作品の誕生の経緯が語られ、続いて本編が全4章、最後に「お絵かき」コーナーと「ドッグマン2の予告」という構成である。
一応ごく簡単に本編各章の内容をまとめておこう。
第1章「すっごいヒーローの誕生」は、タイトル通りドッグマンの誕生を描いたエピソード。ナイト警部と犬のグレッグ警部は、悪の猫ピーティーの計略にはまり、爆弾で大怪我を負ってしまう。ナイト警部は頭が、グレッグは体が使いものにならなくなるが、看護師の天才的アイディアで、グレッグの頭とナイト警部の体をチクチク縫い合わせ、ふたりはドッグマンとして生まれ変わることになる。
第2章「ロボロボ署長」では、市長がワルワル博士と徒党を組み、ロボットを操って町を支配するという「悪どい計画」をたくらむが、ドッグマンがそれを阻止する。
第3章はちょっと凝った作りで、ジョージとハロルドが小学1年生のときに描いたマンガを読者に提供するという趣向。当時、彼らは「読書のすばらしさを伝える文章を書くという宿題」にこのマンガを提出し、それに対して担任から両親に注意の手紙が送られるのだが、その手紙も収められている。「ドッグマン つかまえろ!」と名づけられたそのマンガが描くのは、ドッグマンの頭の良さに困り果てた悪の猫ピーティーが、その秘訣が読書にあると知り、世界中の本の文字を消してしまい、その結果、世界中の人々がオバカになって大混乱が起きる顛末である。
そして、第4章「ソーセージ戦争 立ち上がったホットドッグたち」では、ピーティーの「生き生きスプレー」で命を手に入れたホットドッグが世界征服をたくらむが、その前にドッグマンが立ちはだかる。
この簡単な説明でもある程度伝わるのではないかと思うが、本作はいかにも子供が描きそうな絵で、いかにも子供が思いつきそうな発想を詰め込んで描かれた、実に楽しいコミックスである(翻訳も手描きの文字も最高)。表紙を見て、かわいらしい話なのだろうなと思い込んでいざページをめくってみると、かわいいだけでなくやんちゃでバカバカしい。主人公のドッグマンは体こそ人間だが頭は犬で、最後においしいところを持っていくものの、他の人間のようにしゃべることはできず(なぜか猫のピーティーはしゃべることができる)、部屋におしっこをしたり、ティッシュをかみちぎったり、署長にじゃれついたりして怒られてばかりいる。
やってはいけないことが行われ、ありえないことが起こる秩序壊乱的な愉しみが全編を貫いていて、アメリカで子供に大人気というのも納得という感じである。とりわけ世界中がオバカになる様を描いた第3章は糞尿ありのかなりラジカルな内容だが、そこはかわいい絵が見事にカバーしている。本編のところどころにパラパラマンガ(2ページの簡単なもの)が、巻末には主要キャラの描き方を説明した「お絵かき」コーナーが設けられていて、そういうギミックも子供には楽しいだろう。大人でもある種の読者にとっては、童話に通じるような、本作のナンセンスでドライな感覚が大好物だったりするのではないかと思う。
注目すべきは、作者のデイブ・ピルキーが、子供の頃に多動性障害(ADHD)、ディスレクシア、行動障害と診断されていた点で、彼はある記事の中で、なかなかうまく読書ができず苦しんでいた過去の自分に向けてこの作品を描いたと語っている。この作品がアメリカで人気を博しているのは、作品の面白さに加え、このような作者の背景も大きく作用しているのだろう。
もともと『ドッグマン』は、作者デイブ・ピルキーの前作『スーパーヒーロー・パンツマン』(全5巻、木坂涼訳、徳間書店、2003~2004年)のスピンオフ作品として始まった。『スーパーヒーロー・パンツマン』の原書は、1997年から2015年にかけてアメリカの児童書出版・取次の大手スカラスティック(Scholastic)から全12巻で出版されている。『ドッグマン』の中でも少し語られているが、これもジョージとハロルドが描く物語内マンガで、ただし、『スーパーヒーロー・パンツマン』という本そのものは、『ドッグマン』とは異なり、基本コマ割りのない絵本である。この作品の完結後、2016年にスカラスティックのインプリント「グラフィックス(Graphix)」から『ドッグマン』原書第1巻が刊行された。この記事の冒頭で触れたように既刊6巻で、2018年12月に発売された最新第6巻は、驚きの初版500万部である。2019年8月には第7巻、12月には第8巻の発売が既に予告されている。
このスカラスティックはここ数年アメリカのコミックス業界から注目されている出版社で、2016年にはレイナ・テルゲマイヤーの『幽霊たち』(Raina Telgemeier, Ghosts, Graphix, 2016)を初版50万部で出版し、メディアで大きく取り上げられた。ある記事によれば、グラフィックノベル(ここでは雑誌状のコミックブックではなく、書籍として販売されたコミックス程度の意)としては当時史上最大の初版部数だろうとのこと。『ドッグマン』の第6巻はその10倍の初版500万部なわけで、その衝撃の大きさが推察されようというものだ。
アメリカのコミックスというと、まず思い浮かぶのは、「アベンジャーズ」や「バットマン」といった、いわゆるスーパーヒーローものではないかと思うが、日本のマンガにもいろいろあるように、アメリカのコミックスも実に多様で、今やレイナ・テルゲマイヤーの『幽霊たち』やこの記事で取り上げた『ドッグマン』などの子供向けのグラフィックノベルが活況を呈しているらしい。筆者が編集長を務めているComic Streetという海外マンガ情報サイトで、専修大学教授で日本マンガ学会海外マンガ交流部会をとりまとめている中垣恒太郎さんがとりわけ女の子向けグラフィックノベルという切り口でその辺りのことを記事にしてくれているので、興味がある方はぜひ読んでいただきたい。英語だと、出版業界のための週刊誌『パブリッシャーズ・ウィークリー(Publishers Weekly)』のウェブ版に、『ドッグマン』のことも含め子供向けのグラフィックノベルについて概観する記事があったりもする。こちらも要チェックである。
海外で大人気のマンガが必ずしも日本で売れるわけではなく、邦訳が出てもあまり注目されず、何なら邦訳が出ないことすら多い。『ドッグマン』のような子供向けのグラフィックノベルも傑作の誉れ高い作品は数多くあるが、ほとんど邦訳されていないのが現状である。一方、アメリカ以外に目を向ければ、韓国の「科学漫画サバイバルシリーズ」(朝日新聞出版、2008年~)のように日本でヒットしているものだってあるし、アメリカの作品でも、厳密な意味ではコミックスとは言えないかもしれないが、ジェフリー・ブラウン『ダース・ヴェイダーとルーク(4才)』(富永晶子訳、辰巳出版、2012年)のようなヒット作もある。アメリカで絶大な人気を誇っている『ドッグマン』が今後日本でどのように受け入れられていくのか、その他の子供向けグラフィックノベルが追随するのか、非常に楽しみである。
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