前回に引き続き、今回もまた昨2023年に翻訳された注目すべき海外マンガを紹介しよう。
ジェイソン・リューツ『ベルリン 1928-1933 黄金の20年代からナチス政権の誕生まで』(鵜田良江訳、パンローリング、2023年)。タイトルにあるように、1928年から1933年までのベルリンを描いた作品である。1928年は世界恐慌の前年で、1933年はアドルフ・ヒトラーがドイツの首相に就任した年。第一次世界大戦後、欧米は「黄金の20年代」や「狂騒の20年代」と呼ばれる文化的経済的繁栄を経験するが、その時代を背景にヨーロッパでも1、2を争う先進的な都市として栄えたベルリンが、ナチスの台頭とともにわずか数年でガラリと姿を変えていく様子が、そこで暮らす多種多様な人々の群像劇という形で語られていく。
物語の舞台はベルリンだが、本書はドイツのマンガではない。作者のジェイソン・リューツはアメリカのコミックス作家で、本書の原書Berlinは、もともとはカナダのBlack Eye Productionsによって1996年からコミックブック(30ページ程度の中綴じの小冊子)の形で出版され始めたらしい。その後、2000年に、やはりカナダのDrawn & Quarterlyからコミックブック数冊分をまとめた単行本第1巻が刊行され、2018年に第3巻で完結。実に22年の歳月を費やして完成した大作である。
作品が完結した2018年には全1巻の完全版も刊行されていて、日本語版はそれをベースに、ドイツ語版に掲載された著者インタビューなども収録している。B5判で、総ページ数はなんと580ページ超。語られている内容にふさわしい重厚な本となっている。
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物語は1928年9月、ケルンの上流ブルジョワ階級に属する20代後半の女性マルテ・ミュラーが、汽車に乗っている場面から始まる。彼女は芸術アカデミーで美術を学ぶために、親の反対を押し切り、単身ヴァイマル共和国の首都ベルリンに向かっている。
しばらくすると彼女のコンパートメントに、ある中年男性が入ってくる。クルト・ゼフェリングと名乗る彼は、左翼系知識人が集う雑誌『ヴェルトビューネ(世界舞台)』の記者で、取材旅行を終え、住まいのあるベルリンに戻る最中だった。この偶然の出会いがまるで異なるふたりを後に結びつけることになる。
やがて汽車はベルリンのポツダム駅に到着する。街には自動車や路面電車が溢れ、さまざまな人が行き交い、活気に満ちている。その一方で、第一次世界大戦の傷痍軍人がはばかる様子もなく物乞いをしていて、マルテはあっけにとられる。彼女にとって初めて見るベルリンは、不安と興奮を同時にかきたてる都市だった。
1918年に第一次世界大戦が終了してから10年、ベルリンは繁栄の真っ只中にあった。第一次世界大戦の敗戦国ドイツは、戦争責任を問われ、1919年のベルサイユ条約で多額の賠償金や海外領土の放棄、自国領土の割譲、軍備制限といった重い負担を課されたが、そのことをきっかけに、政治体制は帝政(ドイツ帝国)から共和制(ヴァイマル共和国)に移行し、当時としては最も民主的な憲法が採用されることになる。敗戦の傷跡もようやく癒え、最先端のテクノロジーが普及し、ジャーナリズムや芸術運動も盛り上がりを見せていた。もちろんお行儀のいい文化だけが大手を振っていたわけではない。夜になれば、乱立するカバレットで刺激的な音楽や芝居が供され、いかがわしいパーティーや買春が秘密裏に行われていた。
地方の良家に生まれたマルテは、ベルリンで出会った人々(芸術アカデミーで知り合ったトランスジェンダーのアナ、汽車で出会ったクルト、クルトのかつての恋人で裕福な大地主の家系に生まれたマルガレーテ……)の手ほどきを受け、時代の最先端をいくベルリンの都市文化にすっかり夢中になる。
だが、こうした一見華やかな文化の裏側では、社会の分断が進行しつつあった。社会民主党政権の政策に対する不満が高まる中で、極左のドイツ共産党と極右の「ナチス」こと国民社会主義ドイツ労働者党への支持が高まり、各地で小競り合いが頻発し、警察も手を焼くようになる。やがてそれは、1929年5月1日、共産党のデモ行進中に多くの死傷者を出した「血のメーデー事件」で頂点に達する。
そうした状況に追い討ちをかけるように、同じ1929年の秋には、アメリカの株価暴落を端緒として世界恐慌が発生。不況にあえぐ国民は、第1党である社会民主党に対する不信を強め、ドイツ共産党とナチスがさらに勢力を拡大する。だが、日増しに増大する社会不安の中で、最終的に国民が選んだのはナチスだった。作中で1930年9月の国会選挙を前に、ある夫婦が繰り広げる会話が印象的だ。共産党に共感を抱いている妻に夫がこう語る。「アカどもは連日前にもまして乱闘を起こしている/だが警察はおさえることができていない/しかしそこのナチスはいつもぱっ!とやるだろう/秩序を守るのは彼らだ/だからナチ党に投票する」(P389)。
ブルジョワ上流階級の、安全だが決して自由とは言えない家庭を飛び出し、首都ベルリンで「壮大で猥雑で美しい世界」(P240)を発見したマルテは、恋人のクルトとともに、歴史の不可逆なうねりに吞み込まれていくことになる。
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本書はマルテとクルトを中心に進んでいくが、ふたり以外にもさまざまなキャラクターが登場し(実在の人物もいれば、架空の人物もいる)、それぞれが1928年から1933年にかけてのベルリンで数奇な運命を辿る。
その顔触れは実に多彩である。芸術アカデミーの学生でトランスジェンダーのアナ・レンケ、カバレットのダンサーをしながら画学生たちのためにヌードモデルを務めるポーラ・モッセ、クルトの友人で共産主義者のイルヴィン・イメンターラー、クルトの元恋人で裕福な大地主の家系に生まれたマルガレーテ・フォン・ファルケンゼー、共産党員の母親とナチ党員の父親を持つ少女ジルヴィア・ブラウン、ユダヤ人の古物商の息子で共産主義に共感を抱いている少年ダーヴィト・シュヴァルツ、路上生活者のパーヴェル、アメリカのジャズバンド「ココアキッズ」の一員としてベルリンに巡業にやってきた黒人ミュージシャンのキッド・ホーガン……。
1920年代のベルリンとは、さまざまな矛盾を抱えながらも、これらの多種多様な人々を包摂する懐の深い都市だった。ところが、そのベルリンが、いくつかの歴史的要因で、とりわけナチスの台頭によって、すっかり様変わりすることになる。その間、わずか5年。あまりの慌ただしさに戦慄を覚えざるをえない。本書の表向きの主人公はマルテとクルトだろうが、本書の真の主人公は、わずか数年ですっかり相貌を変えてしまったこのベルリンという都市なのかもしれない。
ナチスの台頭とともに、ベルリンの街からは多様性が失われ、彼らの意に沿わない人々(ユダヤ人や性的少数者、路上生活者……)が、まるでゴミか何かのように一掃されていく。ナチスの躍進を描く最終第3部は「光の街」と題されているが、そのタイトルが実に示唆的だ。本書は1933年1月30日、アドルフ・ヒトラーが首相に就任する場面で幕を閉じていて、ナチスの傍若無人ぶりの描写は必要最低限に抑えられているが、その後どんなことが起きたのか歴史が証言しているだけに、その暗示的効果は抜群である。
ここに描かれているのは100年近く前の遠い出来事だが、昨今の国内外の情勢と照らし合わせると、およそ他人事とは思えず、そら恐ろしい気持ちにならざるをえない。
ナチスの愚行を描いた作品には、世界マンガの古典的傑作アート・スピーゲルマン『完全版 マウス アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(小野耕世訳、パンローリング、2020年)があって、この連載の第1回で取り上げているが、実は現在流通している日本語版を刊行しているのが、本書『ベルリン』の版元パンローリングである。パンローリングからは、その他、『ベルリン』の訳者・鵜田良江さんの訳で、原作:クラウス・コルドン、脚本・構成:ゲルリンデ・アルトホフ、作画・構成:クリストフ・ホイヤー『少女が見た1945年のベルリン ナチス政権崩壊から敗戦、そして復興へ』(鵜田良江訳、パンローリング、2022年)というドイツのグラフィックノベルも刊行されている。ぜひ併せてお読みいただきたい。